第5話

 日本のサイダーと水をそれぞれ手に取った僕たちは、緩やかな足取りで公園に戻った。留守番組の三人は何やら部活動について話に華を咲かせていて、大きな声が静かな公園に響いている。もう一月すれば夏休みで、夏休みになると部活動の大会とかがある。

「――そこでともむの奴、シュートを外したわけよ。マジかって、みんなが思ったね。すぐにカンカンに怒った裕雅に責められて、ともむが泣きそうになって――俺が裕雅を止めたから良かったけどよ。まあ、ちょっとやばかったな。裕雅の奴も大人げないよな。簡単な形式試合だっていうのに、一点失点したからってそこまで怒るかね?俺は、ああいうの嫌いだなぁ」

 雄二が昨年僕が犯した失態について話をしていた。僕は四年生になってサッカー部に入り、その後五年生になると抜けている。理由は特にない。しいて言えば、僕の周りが強すぎて、僕がサッカーをする意味を失ったと言うことくらいだろう。

「何話してんの雄二」僕は小走りに近づいて、彼の背中に問いかける。彼は、ブランコの柵に座っている。

 ベンチに座るふうかと陽子に向かって嬉々として語っていた雄二が、ゆっくりと振り返る。サイダーを持つ僕と、少し後ろに居るりかちゃんを見て、彼はにやにやしながらこう言った。

「やぁ。お二人さん、お帰り」彼は僕の方を見る「ともむ、別に、お前の不利になることは何も話してないから安心しろ」

「安心できない。あんまり変なこと言わないでよね」僕は呆れて言う。

「やっほー。二人ともお帰りー」陽子が元気よく言った。「サイダーいいなぁ。私も買いに行った方が良かったかなぁ」

「いや、陽子は行かなくて良かったよ」ふうかが茶化すように言った。

「え、なんで?」陽子が大きな声で疑問を提示する。

「だって、ねぇ」ふうかがこちらをじろりと眺める。

「え、何?ふうか?」僕の隣に来たりかちゃんが真面目に言った。

「ううん。そっかぁ。ふぅん」ふうかがまた意味ありげに言う。「何でもないよ」

「え、何?気になるんだけど」りかちゃんが好奇心を顔に出す。

「気にしない、気にしない」ふうかがうんうんと頷く。

「気にするよ…」僕はぼそりと呟いた。

「全員そろったし、んじゃ、またサッカーしますか。休憩はもういいよな?」雄二が全体に問う。

「うん。いいよ」陽子が答えた。彼女は元気よく立ち上がる。

「えー」とめんどくさそうにふうかが言う。「まあ、いいけどさぁ」彼女は渋々立ち上がった。

「僕もいいよ」

「私も」りかちゃんが最後に言う。

 雄二が走り、ボールを蹴って広い場所に向かう。そのあとに、みんなが続いた。

 こうして僕らはグラウンドの中央に集まり、もう一度サッカーをすることになった。

 

 一試合目は、僕と雄二対りかちゃんとふうかのペアで対決することになった。陽子は嬉々としてゴールキーパーを努めている。彼女はやはりどんな役目でも笑顔を浮かべれる女子で、僕らが定位置につくまでに何度も気合の入った声を出していた。

「行くぞ、ともむ」

「うん」

 僕らチームが先行だった。雄二がゴールから十メートル程離れた場所からボールを蹴る。彼の蹴ったボールを止めようと、りかちゃんが前に出た。雄二はボールをすぐにを止め、りかちゃんと一対一の状態になる。僕は彼のパスを貰いやすい場所に動いた。それを、ふうかが不自然な動作で僕の前に出て止めようとする。ふうかはやはり運動は得意ではないのか、動きが分かりやすい。ステップで何度か回避しているが、雄二からのパスや目線での合図がなかなか来ない。どうやら、一対一でりかちゃんをぬかすつもりらしい。

 膠着状態がしばらく続いた。

 汗がじんわりと皮膚に浮かび上がる。雄二がシザースでりかちゃんをぬかした。多少強引なそれは、しかし雄二の技術で華麗なドリブルに変化する。僕は雄二のコースを開けると同時に、パスを貰えるゴール前に出た。雄二は前に出る。りかちゃんがすぐ横からボールを取ろうと身体をぶつける。雄二が一度ボールとめ、りかちゃんが若干体勢を崩した。その時、雄二が僕にパスをだした。僕はボールを丁寧にトラップし、すぐに前を見る。ふうかがファアルすれすれで右足を出してきた。僕はそれをよけ、すぐにシュートに入る。ゴールとの距離は三メートルほど。ボールを強く蹴ると、陽子が腕を伸ばし止めようとする。だが、ボールは低く飛び、すぐに網を揺らした。

 一点。

 点数にあまり意味はない。だが、気分は高揚した。

 点が入ったので、チームが変わる。

 二試合目は、雄二がキーパーをして、僕とふうか対陽子とりかちゃんという対戦になった。ハッキリ言って、分が悪すぎると思う。向こうは運動神経抜群コンビだ。かくいう僕らは運動神経平凡コンビ。

 向こうの提案で僕らからスタートを切ることになった。スタート地点のすぐ前に、りかちゃんが構えていた。

 ボールを蹴る。りかちゃんが慎重に前に迫る。一対一。目線だけで周りを見る。ふうかがりかちゃんの斜め後ろに居た。場所が悪い。それに、陽子にしっかりマークされている。

 パスは――出せない。慎重にボールを蹴る。今、僕は雄二の真似をしないといけないと、意識する。僕に相手をぬかす必殺のテクニックなどないが、やるしかない。ボールを右に転がす。りかちゃんが反応し、右に動いた。僕は急いでボールを靴の横で左に蹴り、それを左足で右に蹴って、大きく右に躍り出る。瞬間、りかちゃんのボールを追う動きが鈍くなった。一直線に、ゴールが見えた。僕はボールを前に蹴り、一気にドリブルで攻める。が、すぐに陽子が目の前に来た。彼女はゴールキーパーのように、僕の真ん前に姿を現した。横目でふうかを見る。彼女は左奥でぼやっと佇んでいた。フリーだ。僕はパスを出そうとして――陽子がパスコースを塞いだ。僕は焦る。りかちゃんが後ろから僕に迫ってた。ふうかを戦力外としたのかもしれない。確かに、ゴールキーパーが雄二なら、ふうかのシュートなど止めれそうである。ゴールキーパーは平等にゴールを守らなければならないと言うルールがあるのだ。僕は一度、ボールを足元に固定し、シザースで左から右に躍り出た。と、陽子が反応しすぐに追いつく。遠くでりかちゃんがふうかに追いつき、彼女をマークしつつこちらを警戒していた。僕は一度後ろに下がり、広いスペースを確保する。また、一対一。少し、呼吸が乱れている。一泊置いて、僕は左にドリブルで走る。陽子がすぐについてくるが、ボールを右に下げ、方向転換を図る。陽子が右に意識を向けた時、また左に戻し、一気に抜けた。――そう、この戦術?が僕の唯一相手をぬかす方法なのだ――。だが、陽子をぬかしてもゴール前にはりかちゃんが立ちふさがっている。それでも、幸いにもまだ取られる位置ではない。僕はドリブルのスピードを落とし、右にちょこんと軽くボールを蹴った。すぐに、シュート体勢に入る。りかちゃんが気づいて、近づいてくる。彼女は足が速い。間に合わないか――いや、それでも打つしかない。僕は少しの焦りと共に、シュートの目標手地点を決めずに勢いよくまっすぐにボールを蹴った。


 瞬間、ボールが何かに当たり、あらぬ方向に飛び跳ねた。僕は目を見開く。目の前で、りかちゃんが倒れている。


「え?」

 世界がゆっくりと動いていた。どうしてりかちゃんが、僕の目の前で倒れているのだろう?

「ううぅーー」

 りかちゃんは苦しそうな顔をして、胎児のように丸くなっている。

「おい。大丈夫か?」

 雄二の大きな声が頭痛を伴って頭の中で響いた。四方から足音が聞こえてくる。身体が高揚している。熱かった。意識がとても冴えている。なのに、僕は、自我がないみたいに、呆然としていた。

「う…うぅぅぅ」

 りかちゃんの、痛々しい声が頭の中でチクチクと響く。彼女は左手で、右手首を抑えていた。

 怪我をしている。

 誰のせい?

 僕のせい。

 そう――僕が蹴ったボールで、りかちゃんはバランスを崩し倒れたのだ!

 頭が痛い。目の中に涙が溜まり、うるうると視界が遮られる。

 ああ、逃げている。

 そう思った。

「りか、おい。大丈夫か?」

 雄二が彼女の前に膝をつく。ふうかと陽子がすぐにやってきた。

「りか、大丈夫?」ふうかが慌てた声を出す。「立てる?」

「…だめ…立て、ない」りかちゃんは途切れ途切れに答える。

「何処が痛い?」雄二が訊いた。「右手か?」

「うん…」りかちゃんは、本当に弱弱しい声をだした。

 僕は、僕は、何をすればいい?

 怪我を負わせた張本人として。どんな罪を償えばいい?

「りかちゃん…」呆然と、それだけ呟いた。

 目の前で、ふうかと陽子がりかちゃんの肩を持ち、ゆっくりと起き上がるのを手伝っている。雄二は何かを言って、急いでどこかに行ってしまった。僕はただただそこにいる。

「ともむ。そこ、どいて」ふうかが冷たい声を出した。

 顔を見る。みんな、僕に冷たい目線を向けていた。りかちゃんなど、僕を見てすらいない。

 寒気がした。

 僕は移動する自販機のように、重く、ゆっくりとその場からどいた。僕が居た場所を、りかちゃん達がゆっくりと通る。後姿を眺めていると、雄二がベンチの方から走って来て、りかちゃん達と合流した。ペットボトルをりかちゃんの右腕に当てている。僕は、もう、すっかり、置物の気分だった。

 夏の太陽が、とても熱く思えた。

 ああ、死にたい。

 僕はたぶん、始めてそう思った。

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