『ソレット(2)』
裏表日影
【第0章|Lunatic】
〔第0章:第1節|{ひと区切り:エンドロール}〕
立体プロジェクターや3Dメディアが参入し始め、立体映像媒体の本格化したこのご時世において「映画館」というものはある種、
世界情勢だって、
金持ちがミニマム化していく中でも、スラム街でゴミを拾う少年少女は後を絶たず。
戦争に駆り出され落命する若者たちに引き換え、殆ど運だけで若くして成功する者も。
人生を棒に振るため引き篭もる中年から、世のため人のために、世界を股に掛ける十代前後のご子息やご令嬢まで。
歴史は繰り返す。
人間は変わってない。
人間は変われない。どれほどの事があろうと。
ただいつの間にか、
変わるのではなく、変わっていた。それだけが唯一の、可能性。
それはつまり、逆説的に言えば————。
田舎の映画館なんて、特に需要も必要性もない。
映画など家で観れるもので、娯楽物であり、緊急時に状況を転換させるようなものですらない。
だが、その映画館は開館していた。
小さい映画館だった。一応田舎町の中にあれど、その
家主の怠慢であり、惰性だ。オーナーは家賃を払うためそこに住み、古ぼけた館内をテキトーに清掃しては、一日に五本程度、安く卸してもらったフィルムを、だらだらと流していた。
運営はギリギリ。利益はカツカツ。
ゴミが散らかっているわけではないし、落書きがあるわけでもない。ただカーペットの汚れがひどいだけのロビー。あまり歓迎の雰囲気はない。窓口にお札を二枚出すと、仕切りの向こうでタブレット端末を眺めていた老爺は、無愛想に無口なまま右奥を指差す。ドリンクさえも提供はないらしい。その先に、この映画館唯一のシアターへの入り口があった。
画質はそこそこ鮮明であったが、色は白黒で、ジャンルはラブロマンスだった。
粗雑な音質のスピーカーから聞こえるのは、明らかに英語じゃない。にも関わらず、字幕は無かった。
ちょうど真ん中の席で見ていた女は、さも「意味不明」と言いたげに、殆どそれをぼーっと眺めるように観ていた。いや、「くだらない」と言いたげなのかもしれない。
わけわからない言語に塗れて、画面の中では男女が別れのキスをしていた。どうやら男の方が、これから戦争に出向くらしい。数人しかいない寂れた駅のホームで軍服を着て、ブロンドヘアーの恋人に向かって、なにか大事そうな事を言っている。なにを言っているかはわからない。
座席は百以上あったが、客は片手で数えられるほどしかいなかった。テキトーに散らばって座っており、端の方で寝ている老人もいれば、前の方で真剣に観ているお婆さんや、合間合間に携帯画面端末を観ているのか、映画を見ていたり手元を見ていたりと、首がよく動いているスーツ姿の中年の男も。その中で、一番若いのが中央に座る女だった。
半分踏ん反り返るように座っていた女は、視界の隅に、一人の男が劇場に入ってきたのを捉えた。その男は目を凝らし、女がいる場所を見つけた。女はスクリーンを凝視していたが、男が自分を見つけた事に気付くと、小さな舌打ちをした。暗闇の中、男は座席の段差を上がってくる。
そして、女の右隣に座った。
……………………。
沈黙が跨ぐ。
スクリーンには、一人になった女のやきもきしているのであろう日々が、ダイジェストのように映し出されていく。
先に口を開いたのは、男の方だった。
「疑問。——何故、面白く無いと分かっている
マナーを守ってか、男は小声であった。
今上映されているのは十数年前に公開された映画で、端的に言えば、「最低最悪」に等しい評価を得た作品であった。それは、「続編や再上映は正気の沙汰じゃない」と言われるほどの
女はスクリーンを見たまま、小声で男に言葉を返した。
「解答。——アタシの人生はあまりにも上手くいってるからよ。多方面に
その喋り方は男を揶揄するようであった。男はというと、
「嘲笑。——科学的根拠はない」
と返した。
男の方は、もう若者ではない。浅黒い肌と、綺麗に切り揃えたばかりの青髪で、シンプルな襟付きのシャツにジャケットを羽織り、ズボンとスニーカーを履いていた。格好は若く見えるが、その顔付きは貫禄が強い。
「嘲笑したいのはアタシの方よ。科学とは程遠い、文明社会的な生活から隔絶されてるアンタが、科学的根拠を語るわけ?」
裏地のように襟元辺りを黄色に染めた髪を肩まで垂らし、多少荒いが若者らしさの強い、彫りの浅い目鼻立ちをしている。その顔は不機嫌そうだが。
「心外。——山暮らしは科学的だ。最も身近に自然と——」
「興味ない。用があるんでしょ。どうせ分かってるけど……。——剣のヴァイサーは? なんか言ってた?」
「一応。——ただし、聞いても良い事はないだろう」
「でしょうね。会いにも来ないし。まさに剣豪。傲慢不遜。……反吐が出るわ」
「重要。——彼女はそれで良い」
「反吐が出るのが?」
「否定。——そっちじゃない。剣豪。——それを必要とされている」
「じゃ、必要とされてない女には会いに来ないわよね。……アタシはクビ?」
「相違。——〈ソレット〉からの脱退は、相当な理由が無いと
「相当な理由?」
「脱退。——普通は『引退』か『死』かだが、今回は事情が違う」
「そうね。アタシが悪いわけじゃないわ」
「理解。——ただし良かったわけでもない。度重なる命令違反と厳重注意。挙げ句の果てには独断専行。協調性がないにもほどがある。オレでも庇い切れない」
「その
「奇跡。——あと一〇秒違ったら死者が出てた。今回の失態はかなり手痛い。お前の『正義』は危うすぎる」
「ッ。アタシの
「全然。——耐えていたわけではない。
「でも、経験と技術が追い付かず、自分の限界を超えた所為で若くして死んだ。でしょ」
「共通。——本質的には、お前と良く似ている」
「……はぁ。……なんとも言えないわね。会った事ないし」
「真実。——彼の方が、素行は良かったが」
白光りが点滅する。戦場で男が撃たれ、淡い回想が連なっていく。
「で、結局どうするって?」
「温情。——『
男は一枚の洋式封筒を取り出して見せる。
『
「……今回は良い方? 悪い方?」
女が受け取ったのは、銀縁の白い封筒。金色の封蝋には、「天秤」と「剣」を重ねたような紋章。
「不明。——現段階ではなんとも言えない。
「あっそ。……待って。……〈
「語弊。——異なる道に向かうべきだと。それに、死ぬ事ではなく殺す事が専門になる。やり過ぎてしまうオマエには適当だ」
「ハッ……厄介払いってわけね」
「過去。——〈
「なんっの慰めにもならない。アタシを〈十字〉に入れたのは、アンタよ」
「後悔。——早とちりだったと思う時が多々。オマエは
「その口女とブラッキーを追い出せば良いのよ。なんならアタシがやったろうかしら?」
「不問。——素行は悪いが、あれらは仲間だ」
「あんたにとっては、でしょ。アタシはもう違うらしいし」
「有用。——あれらの才能は、今は良い
「才能が無くて悪かったわね」
「適切。——〈夜桜〉なら、お前はお前のままでいられる。さすれば、多少は有用だと思われるだろう」
スクリーンの回想シーンが終わった。銃弾の雨が止むと、無惨さの抑えられた白黒の血が、空を見上げて動かない役者から流れ出ていた。
「戦死にしては綺麗な全身」
「推測。——関係者に、戦場経験者はいない」
「業界に一人でもいたら驚きね」
「同意。——だとしたら、そもそも撮影がないはずだとも思うが」
女は、左隣の席に投げていた紙を一枚、男に向かって差し出す。色褪せた、この映画のパンフレットだ。
「インタビュー曰く、『
「虚偽。——実際には、そんな事は無いだろう」
「でしょうね。——アタシは〈夜桜〉に行って、『正義の天秤』じゃなくて『害悪の滅殺』に命を懸けろって?」
「助言。——ヴァイサーの言う事をちゃんと聞いておけ。他のエィンツァーたちとも、諍いを起こすな。今のオマエには必要な事だ」
「へいへい。……いつから?」
「来週。——『
「『
「敏腕。——次の任務でも、その察知力と気概を活かすと良い」
「後悔しても遅いわよ? 後で泣きついてきても、戻ってなんてやらないから」
「賛成。——オマエはそれが正しい」
男は女にパンフレットを返す。女は受け取る。その顔は少しだけ寂しそうに。男はそれを見て。
「仲間。——離れていても、我々全員がそう思っている」
「ハッ! んなわけ!」
別れを察した女の自嘲するような声は、前方にいた数少ない観客を振り向かせた。
「うっせえッ!! こっち見んなッ!」
その剣幕に眉をひそめた老人は、座席から立つと劇場から出ていった。他にもう一人振り向いたが、女が唸るように睨みつけると、黙ったまま前に向きなおる。
男はかぶりを横に振ると、唸り声の漏れかけている女の口を手で塞いだ。その手の甲に、女の目端から溢れた涙が、一滴流れ落ちた。
「命令。——静かに。
冷静な男に、堪えている女。
「……ッ……。分かってるわよ…………」
「伝心。——オレも寂しい。本当だ」
「…………分かってるって……」
「共感。——オマエが幸福である事を祈っている」
「……アンタが、アタシを……〈ソレット〉に入れたの……」
「自覚。——責任を感じてるし、それを誇らしくも思っている。だからこそ、最後まで見届けたい」
男は祈るように、女の額に口づけをする。
「慈愛。——オマエを娘のように思っている。いつか分かってくれたら嬉しい」
「………分かった。〈夜桜〉でも、アタシの『正義』を果たすわ」
「不安。——もう履き違えてるぞ。必要なのは『正義』じゃない。任務は全て『滅殺』あるのみだ」
「へいへい……」
男は左目右目と、女の涙を拭うと立ち上がる。
「離別。——そろそろ行く。良い結果を期待している」
「分かった。——任務?」
「任務。——一週間ほど東北に行く。詳細は語れない」
「……あっそ。じゃあみんなによろしく。——『アタシくらい優秀な後釜は、血眼になって探しなさいよ』って言っといて」
「了承。——そっちも上手くやれ。夜に舞うとき要するは、『滅殺』したという結果のみだ」
「へいへい。……あとついでに、あのガキにアタシ版の『
「拒否。——〈夜桜〉には〈夜桜〉の武器がある。オマエ用で準備されるだろうし、〈十字〉と違って全員共通のものだ。そっちに早く慣れておけ」
男は最後に女の頭を撫でる。そのまま消えるように手を離し、女に背を向け、座席の間を降りて行った。
姿が見えなくなると、女は「フーッ……」と、ひと息吐く。
スクリーンには、黒い画面に白い文字列が、上に向かって流れ始めていた。
「……エンドロールで立つ男は嫌い」
今度は、もっと大きな溜め息を吐いた。
『ソレット(2)』 裏表日影 @HikageUraomote
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