破滅を回避した悪役令嬢は深い愛に包まれる
花散ここ
破滅を回避した悪役令嬢は深い愛に包まれる
「結婚するか」
休み前とあって賑わう酒場の一角で、ロマンチックの欠片もないプロポーズをされるなんて思っていなかった。
わたしの前でそんな言葉を口にした男は、酒に酔ってもその美貌を崩す事がない。さらりと揺れる銀髪も、切れ長な金の瞳も、薄い唇もいつも通りなのだけど……こんな発言をするくらいだから間違いなく酔っているのだろう。
リュカ・セルヴェ。王宮に勤めるわたしの同期である。
「わたし達ってお付き合いしていた?」
「いや。でもお前となら結婚してもいいかと思って」
「それって外務官補佐になる為に、妻帯するのが必要だからでしょ」
「バレたか」
くく、と低く笑う彼に対して肩を竦めて見せてから、わたしはジョッキに残っていたエールを飲み干した。すっかり温くなってしまったそれは、あまり美味しいとはいえないけれど。
わたしのジョッキが空いた事に気付いたリュカは、自分の分と合わせてわたしのエールも注文してくれる。
「俺は優良物件だと思うぜ」
「そりゃあね。セルヴェ公爵家の嫡男で眉目秀麗。次の外務官だと噂される程に優秀なのは知っているわ。少し面倒な性格をしているけれど」
「完璧すぎたら嫉妬されるだろ」
「そういうところ。それにね、わたしだって優良物件だって言われているんだけど」
「知ってるよ。ベルニエ公爵家の至宝、エルヴィール嬢。隣国の学園に留学したら主席で卒業。送られる秋波を全部無視して帰国したと思ったら、そのまま王宮に出仕した才女だろ」
「ただの秋波は無視しても、申し込まれた婚約は全部お断りしてきたわよ」
お待たせしました、という声と共にテーブルの上に新しいジョッキが用意される。なみなみと注がれたエールがもう何杯目なのか覚えていない。それくらいには酔っている。
「で? 俺も断る?」
新しいジョッキを口に寄せ、エールを飲む。冷えたエールは麦芽の香りが強くて美味しい。
半分ほど一気に飲んでから、改めてリュカを見つめた。頬杖をついた彼もわたしを真っ直ぐに見つめている。
結婚なんて考えていなかったけれど、この男とならいいかもしれない。退屈しないのは間違いないだろう。そんな風に思ってしまうのだから、やっぱりわたしも酔っぱらっているみたいだ。
「そうね……いいかも。リュカと結婚する」
「そうこなくちゃ。判断が早くて助かるね」
「わたしの長所の一つなの」
軽口を交わしながら、わたし達はまたジョッキを合わせて乾杯する。結婚祝いだとか、なんだかんだ騒ぎながら飲み明かしたわたしは、大事な事をすっかり忘れてしまっていた。
この世界が乙女ゲームの世界で、わたしは転生者であるということ。
わたしは本来ならば断罪されるはずだった悪役令嬢で、リュカは──ヒロインに選ばれなかった攻略対象者だということを。
***
割れるように頭が痛い。
ずきずきとした痛みがひどくて目が覚めた。気持ちも悪いし、自分からお酒の匂いがしているのも分かる。
「うぅ……きもちわるい」
完全に飲み過ぎた。二日酔いだ。
どうしてそんなに飲んだのか。昨日はリュカと飲んでいて──
「ほら、水」
「ん、ありがとう……」
体を起こすと同時に差し出されたグラスを受け取ると、氷水で満たされていた。それを一気に飲み干してから、冷たいグラスを額に当てる。気持ち良さに一息ついて……今のは、誰?
ばっと勢いよく振り返ると、そこにはおかしそうに肩を揺らすリュカの姿があった。上半身は裸で、いつも整えられている髪も乱れている。
慌てて自分の姿を見下ろすと、わたしが着ているのは男物のシャツだった。しかもベッドの上だという状況だ。これはまさか……一線を越えている?
「……とりあえず、何か着て貰えるかしら」
「はいはい」
クローゼットに向かうリュカの方を見ないようにしながら、わたしは自分に回復魔法を掛けた。それなりに貴重な回復魔法を二日酔いの治療の為に使うなんて、この世界を司る女神様に怒られるかもしれないけれど。どうか今は許して欲しい。
ベッドの軋む音に、そちらへと目を向ける。白いシャツを着たリュカが座って、やっぱりおかしそうに笑っている。余裕めいたその様子が少し腹立たしいけれど、でもまぁ、リュカはこういう人だ。
「どうしてこんな状況になっているか、あなたは覚えている?」
「ひどいな。結婚したっていうのに」
「結婚!?」
わたしが驚きの声をあげると、リュカは声をあげて笑い出した。わたしが持ったままのグラスに手を添えると、水魔法を使ってグラスを水で満たしてくれる。水の勢いで回った氷が、カランと澄んだ音を立てた。
有難くその水を飲んでいると、段々と記憶が蘇ってくる。
結婚を打診されて、軽い気持ちでそれに頷いて……また飲んで。
そうだ、そのままわたし達は神殿へと向かったんだった。その場で結婚宣誓をして女神様の祝福を頂いて……ということは、本当に結婚したのか。
「思い出した?」
「……神殿で結婚を誓ったところまでは」
「じゃあ結婚したっていうのは理解したな。ここは俺の屋敷で、結婚したんだからって事で一緒に帰ってきて、夜を過ごしたっていうわけ」
あまりにも軽い調子で言われるから、大したことではないと勘違いしてしまいそうになるけれど……とんでもない事になってしまった。
これでも公爵令嬢で、男性との距離感には気を付けていたつもりだ。なのにまさか婚前……いや、結婚はしているから問題はない?
頭を抱えるわたしと対照的に、リュカは楽しそうに笑っている。
「俺と結婚して後悔してる?」
「そういうわけではないけれど……」
リュカの事が好きなわけではないけれど、まぁ結婚してもいいかなと思う程の仲ではある。
これが補佐官になる為の結婚だとしても、わたしに利がないわけじゃない。貴族である以上、家の為に結婚しなければならないと思っていたし、それがセルヴェ公爵家なら家族だって文句は言わないはずだ。
婚約を打診する釣り書きに目を通す事もしなくて良くなるし、リュカはわたしがこのまま働いていても文句は言わないだろうから。
そう、問題はそこではないのだ。
わたしが悪役令嬢で、リュカが攻略対象者だということなのだ。
*
この世界が乙女ゲームの世界だと気付いたのは、わたしが十歳の時だった。
高熱を出して、生死の境を彷徨っていた際に前世の記憶が頭の中を駆け巡っていた。妹がプレイしていた乙女ゲーム。その中でヒロインを苛め抜いて殺害しようとし、悪事が露見し断罪され、処刑される王太子の婚約者──悪役令嬢エルヴィール・ベルニエ。それが、わたしだったのである。
自分が悪役令嬢だと知った時、自分の未来が決まっていると知って絶望した。
奇しくもそれは王太子殿下の婚約者を決めるお茶会が開かれるという時だったのだ。ゲーム内のわたしは、ベルニエ公爵家の力を使い、他の候補の令嬢達を脅してまでも婚約者の座におさまった。
でもそれが破滅の始まりだと知っているわたしは、お茶会へ参加する事を拒否して泣き叫んだ。わたしに甘い家族はそれを認め、「娘は病弱で王太子殿下の婚約者は務まらない」としてくれた。
そのおかげでわたしが婚約者になる事はなかったのだけど、なぜか王太子殿下は婚約者を決める事なく学院に入学する十五歳を迎えたのである。
このまま同じ学院に入れば接点が出来てしまう。
学院では王太子殿下はヒロインに出会うのだから、何かの強制力でわたしが悪役令嬢になってしまうかもしれない。
それを怖れたわたしは隣国へと留学をした。そこで三年間を過ごしてこの国へと帰ってきたのである。
ヒロインと王太子殿下は無事に出会い、わたしという妨害もなく順調に愛を育んだらしい。ヒロインが王太子殿下の婚約者に決まったというのも、帰国を後押しした。
もう大丈夫だと、そう思えたから。
*
気掛かりな事が全くないかといえば、決してそうではないけれど。
どうにかなるでしょう、と思うのは楽観的過ぎるだろうか。
「お前がどう思おうと、もう結婚しちゃったしな。これからよろしく」
わたしの黒髪を耳に掛けてくれながら、にっこりと笑うリュカの様子に何だか毒気が抜かれてしまう。
そう、もう結婚してしまったのだ。
「そうね。こちらこそよろしくね」
ヒロインは王太子殿下と婚約をしている。わたしは悪い事をしていない。
それならもう、破滅に向かう事もないだろう。だからきっと大丈夫。
***
両家に結婚を報告したら、ひどく叱られてしまった。この年になってあんなに怒られるとは思わなかったけれど、結婚自体を反対される事はなく。
家族だけが参加した小さな結婚式を挙げたわたし達は、あの飲み会から三日後にはリュカの持つお屋敷で一緒に暮らしはじめていた。
お屋敷は王宮からも遠くなく、生活するのにも便利だった。
使用人もセルヴェ公爵家に昔から仕えている者を寄越してくれて、【恋愛に疎い坊ちゃんを結婚まで踏み切らせた人】として好意的に受け入れられている。
リュカが言うには恋愛に疎いわけではなく、興味を引く令嬢が居なかっただけらしいけれど。
元々仲が良かったという事もあり、共同生活も問題なかった。
燃え上がるような恋から始まったわけではないけれど、彼はわたしを尊重してくれるし、大事にしてくれているのは伝わってくる。
わたしは妻帯者になる為だけの、偽りの妻かと思っていたけれど……これは予想外だった。
結婚しても仕事は変わらない。わたしは変わらず総務部に勤めているし、リュカは外務部で補佐官になる話が進んでいるらしい。その為の結婚なのだから、そうしてもらわないと困るのだけど。
変わった事といえば……リュカと一緒に出勤するようになった事と、セクハラじみた言動をする人達がいなくなったという事。
上司に訴えるほどではないギリギリのラインで不快な言動をしてくる人達が居たのだけど、結婚してからは一切それが無くなったのは嬉しい事だ。結婚したからといって遠慮するような人達ではなかったから、これもリュカが守ってくれているのだと思っている。
いつも忙しい彼だけど、出来るだけ早く帰宅するようにしてくれて、夕食を一緒に取っている。
妻帯者という肩書が欲しいだけだと思っていたのに、彼はわたしに対してとても優しい。目を見ながら話を聞いてくれて、穏やかな相槌をうってくれて、楽しい時には朗らかに笑う。
相談にも真摯に乗ってくれて、逆に困った事があればわたしの事も頼ってくれる。
そんな関係性がひどく心地よくて……一緒に過ごす時間が増えた結果、わたしが彼に惹かれていくのは当然だったのかもしれない。
でも仕方ないじゃない?
自分が悪役令嬢だと知ってから、破滅を回避する為に必死だった。恋愛事を意識する余裕もなく、何が破滅に繋がるか分からないから男性に近付く事も出来るだけ避けていた。
リュカと友人になったのも同期だというのが大きいし、彼以外に親しい異性の友人もいない。圧倒的に経験不足なわたしが、こうやって優しく接してくれて、一番近くに居てくれるリュカを……好きになってしまっても、おかしくないと思うのだ。
そうやって自分の感情を正当化する日々だけど、でも……彼がわたしをどう思っているのかは聞けないでいた。
この気持ちを伝える事も出来ない。だって、面倒に思われたら困るもの。
心地よいこの関係を壊したくないし、もし終わるとしても……それは彼からにして欲しいと思った。
本当に愛してほしいと、そんな醜い願いを、今日もわたしは心の奥に隠すのだ。
***
リュカと結婚して一か月が経った。
わたし達は仲睦まじい夫婦だと周囲に思われているらしいし、実際そう言われるだけの過ごし方をしていると思う。
わたしが醜い願いを隠し通せば、この穏やかな関係もずっと続くのかもしれない。
そんな事を考えてしまうくらいに、浮かれていたから罰が当たったのだろうか。それともやっぱり運命からは逃れられないのだろうか。
ヒロインであるララ・バルゲリー伯爵令嬢が、リュカに会いに来る事が増えた。
彼女は王太子殿下の婚約者であるから王城で暮らしているけれど、その居城はわたし達文官が働く宮殿とは別にあるから中々会う機会は訪れない。
それなのに、ここ最近は毎日のように彼女の姿を見るのだ。
執務に忙しい王太子殿下はいないけれど、その周りには攻略対象者達を侍らせて。
ララ様は、学院に入学するまでずっと領地で過ごしていたという。学院入学を機に王都へやってきて、その天真爛漫さで王太子殿下をはじめとする令息達を虜にした。
その中でも一番交流を深めたのが王太子殿下で、婚約を結ぶ事になった。わたしという悪役令嬢がいなかったという事以外は、乙女ゲームと同じ流れだ。
彼女に選ばれなかった攻略対象者の令息達は、王太子殿下の側近だ。だから今もララ様と共に過ごしているらしい。彼ら自身は婚約を破棄したそうだけど。
これは間違いなく逆ハールートだろう。
それならばなぜリュカは彼女に侍っていないのか。側近候補だったはずなのにそれからも外れて仕官の道を選んでいる。
彼は何を思ってララ様の元を離れたのか。聞いてみたい気持ちと、それが恐ろしい気持ちが綯い交ぜになって、言葉とならない。
今日もララ様はリュカの元を訪れている。
昼食を一緒にとるらしく、王城の中庭に誂えられている東屋に居るのを、わたしは渡り廊下を歩きながら見ていた。
二人だけではなく、王太子殿下の側近達もいるけれど……やっぱりリュカとララ様の距離が近い。今にも顔が触れあいそうなほどに近付いて、リュカの耳元で楽しそうに何かを囁く彼女は……悔しいけれど可愛らしかった。
胸の奥でもやもやが渦巻いている。
リュカに近付かないでほしい。その瞳に映るのはわたしだけであってほしいのに。彼女がいなければ──
どろどろとした感情に飲み込まれそうなった自分に気付いて、わたしは首を横に振った。
意識して背筋を正し、真っ直ぐに前を見て歩き始める。
これじゃあ乙女ゲームの悪役令嬢と同じ。折角破滅を回避したのに、同じ轍を踏むわけにはいかないもの。
わたし達は想い合っているわけじゃない。結婚が必要で、たまたま条件に合っただけの話。嫉妬をする資格なんてない。
……もしかして、リュカはずっとララ様の事が好きだったのかしら。だから他の人と結婚はしなかった。今回わたしと結婚したのは、ただ都合がよかっただけで……。
そんな疑念と嫉妬は、わたしの心を黒く染めていくには充分だった。
***
「悪役令嬢のくせに、なんでリュカと結婚してるの」
吐き捨てるように紡がれた言葉に、息を飲んだ。
わたしは自分の部署に戻る途中、慣れた廊下を歩いているだけだった。
それなのに、どうして邂逅してしまったのか。廊下の真ん中で、わたしの行く手を塞ぐように立っているのはララ・バルゲリー伯爵令嬢──王太子殿下の婚約者であり、ヒロインであり……わたしが恐れている人だった。
腰まで伸びたピンク色の髪はふわふわと波打って、長い睫毛に縁取られた大きな青い瞳。
同性から見ても可愛らしい容貌は、さすがは乙女ゲームのヒロインだろう。
いや、そんな事よりも──悪役令嬢。
ララ様は、はっきりとそう言った。間違いない。彼女も転生者だ。
背中を嫌な汗が伝う。動揺に鼓動が速くなる。
わたしはそれを淑女の仮面に隠して、にっこりと微笑んで見せた。胸に抱えた書類が少し皺になるのを自覚しても、指先からは力が抜けてくれない。
宮殿同士を繋ぐ回廊には人の気配がなかった。
いつも侍っている攻略対象者達もいなくて、わたしとララ様だけしかいない。
何か言いがかりをつけられたら、その時点でわたしは破滅してしまう。どんなに理不尽だったとしても、王太子殿下の婚約者であるララ様はわたしよりも位が高い。
わたしはこっそりと胸元のブローチに魔力を流した。これは記録装置となっている魔導具だ。些細な事で自分が破滅してしまうという事を知っているわたしは、幼い事からこの魔導具を手放さなかった。
まさかここで役に立つとは思わなかったけれど。
「ララ様、ごきげんよう。わたしに御用ですか?」
悪役令嬢という言葉は聞かなかった振りをして、問いかけてみる。
ララ様はわたしの頭からつま先まで、ゆっくりと眺めてから盛大な溜息をついた。可愛らしい令嬢はどこへやら。やっぱり彼女は転生者で、ヒロインらしく振舞っていたという事なのだろう。
「あなた、どうして留学したの? 殿下の婚約者候補にあがっていたはずよ」
「幼い頃は病弱だったもので、王太子殿下の婚約者という重責に耐えられないというのが公爵家の判断でございました。留学をしたのは隣国の学園で学びたい分野がありましたもので」
「ふぅん。リュカとはいつからの知り合い?」
「二年前の春に仕官してからです」
「付き合ってたわけじゃないんでしょう?」
「婚約はしておりませんでしたが、縁あって結婚する事となりました」
胸の前で腕を組んだララ様は不機嫌そうに質問を重ねてくる。
わたしは貼り着けた笑みでそれに答えるけれど、間違えたら破滅に繋がるかと思うと気が気ではない。
それに……こうしてリュカを気にするという事は、やっぱりララ様はリュカに気持ちがあるのだろうかと、そんな事を考えてしまう。
「結婚ねぇ……悪役令嬢のくせにね」
「悪役令嬢、ですか?」
初めて聞いたとばかりに、小首を傾げて見せる。
転生者とバレてはいけない。そんな予感がする。
「そう。あんたは結局、あたしが幸せになる為の当て馬にしか過ぎないって覚えておきなさい。リュカが逆ハールートから外れた時はどうしようかと思ったけど、ちょっとした歪みがおきただけみたいね。悪役令嬢が執心する相手が殿下じゃなくて、リュカになったっていうだけだもの」
前半はわたしに向けての釘差しのようだけど、後半は……自分の考えを纏めているようにも聞こえた。
よく分からないというように、戸惑った表情を浮かべて見せながら……わたしは指先が冷えていくのを感じていた。
「リュカはあたしの事が好きなのよ。だからせいぜい、惨めにあたし達の邪魔をしていればいいわ。あんたが醜い嫉妬をすればするほど、あたし達は盛り上がるんだもの」
くすくすと笑うララ様の青い瞳が、ぎらりと嫌な光を帯びた。
困惑するわたしを残して、ララ様は踵を返して立ち去っていく。その後ろ姿は、もう可憐な令嬢にしか見えなかった。
それからの時間は、不安に苛まれて仕事も手につかなかった。
忙しくしていれば余計な事を考えないで済むかと思ったのに、手を動かすのとは別に頭の中ではずっとララ様の言葉を考えてしまっている。
わたしはどこまでいっても悪役令嬢なのか。
リュカもわたしに幻滅して、ララ様のところに行ってしまうのか。
今のわたしは何も悪い事をしていないけれど、これからは嫉妬のままにララ様に危害を与えようとしてしまうかもしれない。
そうすれば、わたしが迎えるのは──破滅だ。
そんな事はないと、強く言い切れない。
それほどに、わたしはリュカに惹かれてしまっている。
帰宅して、食欲がないからと夕食を断って自室に引きこもっていた。
どうしたらいいのだろう。誰かに相談したくとも、うまく説明できる気がしない。
明かりをつけて自分の姿を見ると【悪役令嬢】だと自覚してしまいそうで、薄暗い部屋のソファーの上で膝を抱えて丸まっていた。
「エルヴィール」
ノックもなく、部屋のドアが開いた。
少し強張ったその声に、びくりと肩が跳ねてしまう。
リュカがパチンと指を鳴らすのが聞こえた。その瞬間、部屋の明かりが一斉に灯る。先程までずっと暗がりの中に居たから、目が慣れなくてぎゅっと固く目を閉じながら膝に顔を埋めた。
「大丈夫か? 体調が悪い?」
心配そうな声に泣きたくなる。
リュカはどんな気持ちでわたしの側に居てくれるのか、問い詰めたくなってしまう。
彼はいつだって優しくて、気遣いが出来て……わたしを大事にしてくれるのは形式上でも【妻】だからなのだ。それは分かっているのに、勘違いしてしまいそうになる。
「……そう、かも。だから今日はもう、一人で休みたくて……」
「他の事なら何でも叶えてあげたいけど、それは無理。俺がお前と一緒に居たい」
ソファーで膝を抱えているわたしの隣に座ったリュカは、わたしの肩を抱き寄せる。その温もりに、我慢できずに涙が溢れた。顔を膝につけていたから、文官の制服であるワンピースが濡れていく。
「お前が辛い時は支えたいし、俺もしんどいから……エルヴィールにくっついて癒されたい」
「……しんどい?」
「しんどい。ちょっと鬱陶しい件があってね」
「それが……わたしで癒されるの?」
かぼそい声が、希望の色に染まっている。そんな自分が情けなくなる。
「奥さんとくっついて、癒されないわけないだろ」
あまりにもきっぱりと言い切るものだから、驚いて顔を上げてしまった。顔を覗きこんだリュカは目を瞬いてから、わたしの体を抱き上げてしまう。そのまま、自分の上にわたしを座らせるから、わたしは彼と向かい合って腕の中に閉じ込められてしまった。
「で? 俺の可愛い奥さんはどうして泣いてるの」
「……リュカは……」
「うん」
「どうしてわたしと結婚したの」
そうして聞く事が出来たのは、わたしを見つめるリュカの眼差しが蕩けるように甘かったから。真っ直ぐに向けられる金瞳が色を濃くしている。
「エルヴィールの事が好きだったから」
「……は?」
「酒の席で冗談めかすくらいでしか言えなかったんだよ。お前は俺をただの同期だとしか見ていなかったしな。妻帯が必要ってのも本当だけど、でもそれも……お前じゃなきゃ嫌だと思った」
「うそ……」
「嘘じゃない」
わたしの言葉に少しむっとしたリュカは、わたしの肩にぐりぐりと額を押し付けてくる。いつもより幼く見えるその仕草が可愛らしいと思えるくらい、わたしは少し余裕を取り戻していた。
きっとリュカが伝えてくれたこれは、本当の気持ち。
そう思うと何だかほっとしてしまって、体から力が抜けた。ぽすんとリュカに体を預けると、彼はわたしをしっかりと受け止めて、抱き締めてくれる。
今なら、聞ける。
ララ様とのことを。
そう思ったわたしは、今日、ララ様と会った事をリュカに告げた。
それだけで彼の機嫌が下がったのが分かったけれど、それはわたしに向けられているものではないと伝わってくる。
説明するよりも早いと思って、胸元のブローチをリュカに渡した。記録魔導具だと気付いたリュカがそれに魔力を流して再生して──
「あのクソ女……っ!」
とんでもない暴言を吐いた。
「リ、リュカ?」
「あの花畑女、どうしてくれようか。ただでさえ最近また距離を詰めてきて気持ち悪いと思ってたのに、まさかエルにまで絡むとはな……くそ、学院時代に潰しておかなかった俺の落ち度か」
金瞳から光が失われている。
顔には何の表情も浮かんでいないのに、彼がとてつもなく怒っているのが伝わってきた。
言っている事はだいぶ物騒だけど……でも、リュカはララ様を何とも思っていないらしい。ううん、むしろこの様子だと嫌っている……?
「あの、リュカ……?」
呼びかけると、はっとした様子でわたしを見てくれる彼の瞳に、また光が戻ってくる。
わたしをぎゅうぎゅうにきつく抱き締めるから、苦しいのになんだか嬉しい。
「あの女とは女神に誓って何もない。俺は学院にいた時からあの女が嫌いで、関わりを断ち切りたくて殿下の側近からも外れたんだ」
「そ、そうなの?」
「ああ。周りは天真爛漫だの世間知らずが可愛いだの持て囃していたけど、学院に入学する年齢にになってもその評価ってやばい奴だろ。それを免罪符にしてるのか、空気も読まないで人のプライベートな部分に踏み入ってこようとするし。王太子殿下だけじゃなくて側近候補や高位貴族の令息達に色目を使うとか地雷過ぎて近付きたくないね」
それでリュカは側近にならずに、仕官したのか。
疑問に思っていた事が解消されて、内心の靄が少し晴れたような気がする。
「俺はお前しか好きじゃない。ベルニエ公爵家の至宝の噂はずっと聞いていたけど、実際に会ったエルヴィールは本当に宝物だと思うくらいに綺麗で。この黒髪も、赤い瞳も、何もかもがきらきら輝いているように見えた」
いきなり紡がれた愛の言葉に目を瞬いた。
心拍数が上がっていくのが自分でも分かる。こんなにドキドキしていたら、きっとリュカにも伝わってしまう。
「仕事にも真面目で、優秀だっていう評価はお前が今まで積み重ねた努力の結果だっていうのが伝わって、もっと惹かれた。落ち着いて見えるのに、気を許した相手の前じゃ表情も豊かで……ずっと俺の隣で笑っていてほしいと思ったんだ」
「そうだったの……。全然、気付かなかったわ」
あまりにも言葉が真っ直ぐ過ぎるから、顔も赤くなってくる。
リュカがそんな風に想っていてくれたなんて、全く気付かなかった。
「俺がお前の事を好きだって知ったら、きっとお前は離れていくだろ。だからそうならないように、囲い込むつもりだったんだよ。酔った勢いでお前が頷いてくれたから、もう逃がさないと思った。だからそのまま神殿にも行ったし、既成事実だって作った。お前が俺から離れられないように」
リュカの手がわたしの黒髪に触れ、それから頬を包み込んでくる。少しかさついた指先が擽ったい。
「それなのに……あのクソ女。何を邪魔してくれてんだ。エルが伝えてくれたから丸くおさまったものの、拗らせて距離なんて置かれたらどうしてくれる。あー……だめだ、今からでも潰すか。俺のエルを悲しませたんだから、それ相応の罰が必要だよな」
「お、落ち着いて。あの、リュカとララ様の間に何もないって分かったから、それでもういいのよ」
「俺はよくない」
むっと口を尖らせたリュカを宥めるように、わたしは彼の髪に手を伸ばした。そっと頭を撫でると、次第にその表情が落ち着いていくのが分かる。
リュカは……わたしが思う以上に、わたしの事を好いていてくれるようだ。
その愛はちょっと……だいぶ? 重いかもしれないけれど。
リュカがこうして気持ちを伝えてくれた。
それなのに、わたしは臆病なままでいいの?
「ねぇ、リュカ。わたし……幸せになっていいのかしら」
本来のシナリオでは、破滅する悪役令嬢だけど。
破滅を回避して、好きな人と結ばれて、幸せになってもいいのだろうか。
わたしの問いに不思議そうに首を傾げたリュカは、すぐに表情を和らげ笑ってくれた。
普段は無表情にも見えるくらいに、感情が顔に出ないのに。親しい人の前でのみ見せる、朗らかで優しい笑顔。
「何を不安に思う事があるんだか。俺がいる。俺が、お前の隣にいる。何があってもずっとだ」
その声も、瞳も、表情も。
わたしを抱き締める腕の強さや温もりさえ、わたしを好きだと伝える為にあるようだった。
「エル。エルヴィール。お前は俺の隣で、幸せになる以外にないんだよ」
そうきっぱりと言い切られて、思わず笑ってしまった。
その拍子に、溜まっていた涙が目尻から伝い落ちた。
「好きよ。リュカの事が好き。大好き」
想いのままに言葉を紡ぐと、リュカが嬉しそうに笑った。
またぎゅっときつく抱き締められるから、わたしもリュカの事を抱き締めた。
ゼロ距離でぴったりくっつくのが、そのまま幸せを表しているようでまた涙が溢れてしまった。
***
リュカと想いを伝えあって、心も夫婦となってから数日が経った。
悪役令嬢だったというのは、もう別のシナリオだったと今ならそう思える。呪縛から解放されたようで、気持ちが軽い。
わたしはエルヴィール・セルヴェ。悪役令嬢のエルヴィール・ベルニエではく、リュカ・セルヴェの妻。胸を張ってそう言える。
そうやって機嫌よく歩いていたのに、資料室のドアを開けた瞬間、浮かれていた気持ちは一気に急降下していった。
わたしを待っていたかのように、ドアの側に立っていたのがララ様だったからだ。
今日も華やかなドレスに身を包んだララ様は可愛らしいと思う。でもわたしを見据えるその眼差しは鋭くて、不快で仕方ないとばかりに表情を歪めている。
「ララ様……どうしてこんな場所にいらっしゃるのですか?」
わたしは頼まれた資料を取りにきたのだけど、ララ様はこんな場所に用事なんてないはずだ。もしかして、わたしを待っていたのだろうか。
「あんたと話をする為よ。人目につかないところに呼び出してもらったってわけ」
わたしに資料を頼んだ人は、ララ様にお願いされたのか。
人目につかない所で話をするなんて、そんな恐ろしい事はごめんだった。わたしに敵意を持っている人に、近付くだけでも嫌なのに。
わたしはまたこっそりと、胸元のブローチに魔力を流した。このブローチは昔から使っているものではなく、リュカから贈られたものだ。
「いつになったらリュカと別れてくれるわけ?」
「夫と別れるつもりはありません。ララ様は、どうしてリュカを……」
「リュカがあたしに相応しいからに決まってるでしょ」
当然とばかりに返ってきた言葉に眩暈がした。
この人は……満足していないんだ。王太子殿下の婚約者となって、他の攻略対象者を侍らせて……それだけでもう逆ハールートを進んでいるのに。
そこにリュカがいないから、完成形だと思えないんだ。でもそれって、あまりにもリュカを……皆を軽んじているのではないだろうか。
呆れと怒りを押し隠し、ゆっくりと息を吸ってから口を開いた。
「ララ様は殿下の婚約者です。どうしてリュカがララ様に相応しいと、お考えになっているのでしょう。それに側近の方々も、殿下の補佐をするよりもララ様のお傍にいる方が多いようにお見受けするのですが」
この苦言が苛めだと受け取られるんだろうな。
そう思うけれど、全部を記録していると思えば勇気も出る。リュカはありのままに起こった事を信じてくれるもの。
「当たり前じゃない。だってあたしはヒロインよ? この世界の主人公なの。みんなに愛されるべきだし、リュカだってあたしに愛を囁くべきなのよ」
ララ様は口端を歪めて笑う。わたしを嘲るような、そんな表情だった。
なんだか落ち着かない。頭の奥で警鐘が鳴り響いているようで、不安が胸を駆け巡る。今にもこの場から逃げ出してしまいたいのに、縫い付けられたように足は動かない。
「悪役令嬢のあんたとは違うの。あたしはヒロイン。みーんながあたしを愛してくれる。我儘だって許される。だってこの世界はあたしの為のものなんだから。王太子妃も、その先の王妃の座も魅力的だけど、あたしは一人じゃ満足できないし、満足する必要もないのよ。あたしはみんなに愛される存在なんだから」
笑いながらその場でくるりと回ったララ様は、まるでダンスをしているようにも見える。軽やかなドレスの裾が、ふわりと揺れた。
「でもイレギュラーなのがあんただった。自分の役割も果たさずに隣国になんて行っちゃって。……ねぇ、あんたも転生者なんでしょ? 自分が断罪されるのが嫌で、自分の役目を放棄したのよね。王太子を篭絡するのは簡単だったけど……どうしてかリュカは離れちゃって。しかも悪役令嬢と結婚する? ふざけるのも大概にして欲しいわ」
すっとわたしを指差して、ララ様は不機嫌そうに言葉を紡いでいく。
不機嫌どころじゃない。怒っている。わたしの事を憎んでいる。
転生者で、破滅を回避したと知られたら……何をされるか分からない。そう思わせるだけの様子に体が震えた。
いつ攻撃されてもおかしくない。身を守れるようにしなければと思うのに、強張った指先は魔法を展開してくれなかった。
「……おっしゃっている事が、よく……」
「そういうのはもういいって。いまからでも悪役令嬢の務めを果たしてくれればいいんだから」
ララ様はわたしに歩み寄り、わたしの手を両手で取った。そしてわたしの手に握らせたのは──ナイフ。
手の平ほどの小さなナイフなのに、ずっしりと重い。人を傷付ける事も出来る道具が、わたしの意思に関係なく、わたしの手にあるのがひどく怖い。
そのナイフを手放したくとも、ララ様がぎゅっと握っているからそれも出来ない。無理矢理解いたら、怪我をしてしまうかもしれないもの。
「ララ様……?」
「あんたはリュカの気持ちがあたしにあると知って、嫉妬に怒り狂うの。このナイフであたしを殺そうとしているところを取り押さえられるっていうのはどう? それでリュカに捨てられるのよ。傷付いたリュカはあたしが癒してあげるわ」
「そんなの、リュカが信じるわけありません」
「馬鹿ねぇ。信じるに決まっているでしょ。だってあたしはヒロインで、あんたは悪役令嬢。自分の立場を分かっているの?」
「ララ様の言う立場は何も分かりませんが、わたしは……リュカの妻です。リュカが愛しているのはわたしだと、胸を張ってそう言えます」
危ないと分かっていたけれど、もう我慢は出来なかった。
リュカはわたしの事を信じてくれる。それを曲げるわけにはいかないから。
「……悪役のくせに! 生意気な口きかないでよ!」
わたしの言葉に激昂したララ様が、片手を大きく振りかぶる。
その瞬間──わたしの背後でドアが開いた。
「俺の妻に何をするつもりだ?」
わたしの腰に片手が回り、抱き寄せられる。逆の手ではナイフを受け取ってくれたリュカは、わたしの頭に頬を擦り寄せた。
「リュカ! エルヴィールさんがあたしを刺そうと……!」
「いやいや、それは無理があるでしょう。俺達は全部見ていたんで」
「は……? 見て、いた?」
唖然とするララ様だけど、それもそうだと思う。
ここには他に誰もいなかったし、人が隠れるスペースだってない。それにリュカはドアを開けて入ってきたのだから、この部屋にいなかったというのは間違いないのだ。
ばたばたと複数の足音がする。
わたしを抱いたままのリュカがすっと横に移動して場所を空けた。開いたままのドアから入ってきたのは王太子殿下と、側近である攻略対象者達。そして数人の騎士。
驚いたのは攻略対象者達が拘束されている事だった。
「で、殿下!?」
ララ様が驚きに声をあげる。
王太子殿下は冷たい視線をララ様に向けて、深くて長い溜息をついた。
「ララ、君は私の婚約者だな?」
「そうです! ララは殿下を大切に──」
「それなのに私の側近達とも関係を持っていたのは、どういうつもりだ?」
「……え?」
ララ様の顔が青ざめていく。攻略対象者達も同じように顔色を悪くして、床をじっと見つめていた。両手首に嵌められた手枷の鎖が、ガチャリと鈍い音を響かせた。
「セルヴェ小公爵夫人とのやりとりは、私達も見させて貰った。不貞を働くような女を王家に入れるわけにはいかない。不貞だけではなく、君達には私にあてられた予算を横領している疑惑もある。詳しくは牢で聞く事になるだろう」
連れていけ、と騎士に告げる王太子殿下の声は疲れているようにも聞こえた。
様々な感情を押し殺しているような、悲痛な声。
王太子殿下は、ララ様を愛していたのだ。
ララ様が逆ハーなんて狙わずに、真っ直ぐに王太子殿下と向き合って、愛を育てていたらきっとこんな結末にはならなかったのに。
「……あんたのせいよ!! あんたが、ちゃんとやらないから!!」
騎士に拘束され、髪を振り乱しながらララ様が叫ぶ。憎しみのこもった視線はわたしに向けられている。ぞっとしたのも一瞬で、リュカがわたしの前に立って、その視線を遮ってくれた。
「この結末はあなたが選んだものです。他の誰のせいでもない。俺の妻に責任をなすりつけるのもやめてくれ」
「だって! こんなバッドエンド聞いてない! あたしはヒロインで、断罪されるのはその女の方なのに!」
「頭沸いてんのか。断罪されるのは悪い事をした奴で、それは間違いなくあんた達だ」
わたしを罵り、泣き叫び、王太子殿下に許しを請うララ様に猿轡がされる。
騎士が数人がかりでララ様を連行した後も、廊下の奥から叫び声が聞こえてくるほどだった。でもそれも、次第に遠くなっていった。
これでもう、終わったのだ。
もう、ララ様がわたし達の前に現れる事はないだろう。
それに安堵の息を零したわたしは、リュカにきつく抱き締められてしまった。
***
その日の夜。
リュカの自室のソファーで、わたしはまたリュカの膝の上に乗せられていた。
向かい合う形で、リュカの首に両腕を回す。近い距離にドキドキしてしまうのは、もうずっと落ち着かないんだと思う。
「もう処分が決まったの?」
「色々と証拠は揃えたからな。あの女を含む全員が平民になって、鉱山に送られる。奴等の実家が賠償金や慰謝料を立て替える事になって、奴らは実家に借金をしている形となる。それを返済するまで出てくる事は出来ないけど、それもいつになる事やら」
「リュカは色々調べていたのね」
「潰すって言ったろ。決定打となったのは、あの映像だったけどな」
そう言えばそんな事も言っていた。
あれは本気だったのか。わたしが傷付けられた事で、それだけ怒ってくれていたのだと思うと、何だか胸の奥がぎゅっと締め付けられてしまう。
「ねぇリュカ……もし、わたしが嫉妬に狂ってララ様を傷付けていたらどうする?」
今回訪れなかった結末だけど、それはリュカがわたしを好きだと伝えてくれたから。
あのまま一人で抱え込んでいたら、嫉妬に焼かれて悪役令嬢になっていたのかもしれない。自分の奥底に潜む激情が恐ろしかった。
「え、嫉妬してくれる? 可愛すぎないか」
予想外の言葉に目を瞠った。
流す為の言葉じゃないというのは、リュカの顔を見ていたら分かる。嬉しそうに頬を綻ばせ、声だって弾んでいる。
「誰かを傷付けるようなら、その前に止める。相手がどうとかじゃなくて、誰かを傷付けたらエルは自分を責めるから。でも妬いてくれるのは嬉しいから、その感情は全部俺だけにぶつけて欲しい」
「……本気?」
「本気。嫉妬するくらいに俺の事を好きだって、そういう事だろ? だから妬いてるとか、他の女を見るなとか、そういうのは全部俺に欲しい」
真っ直ぐにわたしを見つめるリュカが、本気でそう言っているのが伝わるから。何だか緊張感もなくなって、わたしは声を出して笑っていた。
「ふふ、おかしい」
「おかしくないだろ。言っておくけど、俺だって色々妬いてる」
「そうなの?」
「そう。だからエルは俺の事だけ見てて」
何に妬いているのか、問わない方がよさそうだ。
そんな事を思って肩を揺らすと、拗ねてしまったのか眉を寄せたリュカが顔を寄せてくる。口付けの予感に目を閉じると、唇に噛みつかれてしまった。
抗議しようと開いた口は、リュカの唇で塞がれる。噛みつかれた痛みはすぐに甘い疼きに変わるのだから、わたしは随分とこの男に絆されてしまっているらしい。
「……エル、愛してる」
深まる口付けの合間に、掠れた声で愛を囁かれる。
わたしも、と囁くと嬉しそうにリュカが笑った。
嫉妬の炎で身を滅ぼす悪役令嬢には、もうならない。
愛も嫉妬も献身も何もかも、受け止めてくれる人がいるのだから。
深くて重い愛に、今日も二人で溺れていく。
破滅を回避した悪役令嬢は深い愛に包まれる 花散ここ @rainless
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