第2話 日常と非日常




 桜の花が散り、新緑が青々と広がる5月の初め。入学してから約一ヵ月が経過し、日常がすっかり定着している。子供達は新しい環境にもようやく慣れ、学校生活も落ち着きを見せていた。


 今の時間は中休み。既に児童達は遊びに行ったり、読書をしたり、恋バナに花を咲かせたりと思い思いの時間を過ごしている。


 さて、では私も数少ない癒しの為に移動するか。中休みは時間が少ないからな。


 私の最近の休み時間には、もっぱら裏庭の黒猫を愛でる事がマイブームになっていた。裏庭はそこまで広くなく陽当りもよくないからか、遊びたい盛りの子供達には不人気のようで常に人っ子一人いやしない。


 そして裏庭には小さな池があるのだが、そこに黒猫がひょこっと現れるのだ。

 そこで黒猫を愛でながら池の鯉を眺めている。


 しかし……よくよく考えると数少ない楽しみが茶をしばく事と猫を愛でながら池の鯉を眺める事って……あまりにもババ臭いな。老人が縁側でやってる事と何ら変わりがないぞ。いや、老人の方がまだゲートボールなんかの趣味がある分私の方が余計枯れているか。


 そんな益もないことを考えながら裏庭へ向かおうとすると、頭をツンツンと尖らせた男子生徒とその取り巻き達が目の前に現れた。


「おい! おまえ! ちょっと顔をかえしてもらおうか!」


 おお怖い怖い、現代の小学生は殺伐としてるねぇ。漫画か何かで見てきたばかりなのか知らんが言葉を間違えてるぞ。


 こいつらは二週間ほど前から私に付きまとってきているガキ大将と腰巾着たち。ドラえもんで言えばジャイアンとスネ夫だ。それと比べると幾分かこちらの方がかわいらしい顔をしてはいるが、まぁ私にとっては詮無きことだな。


 きっかけは体育の授業中、体力テストをしている時だった。


 体力テストはクラスの生徒を複数のグループに分け、各グループごとに測定をし残っているメンバーは見学兼応援という形で行われていたのだが、そこは勿論ガキ大将、ジャイアンとスネ夫達は当然見学も応援もせずケイドロをして遊んでいた。


 夢中になりすぎて周りが見えなくなっていたのだろう。ちょうど私が座っている目の前で、ジャイアンがグラウンドの石ころか何かに足を引っかけ転んでしまったのだ。目の前で起きた事だし無視をすると外聞が悪いと思い、大丈夫? という言葉と共にハンカチを差し出したのだが――


 どうやらまたやってしまったらしい。


 以来このようにジャイアンには事あるごとに絡まれるようになってしまった。


 授業間の5分休み程度であれば、裏庭までの移動も手間だし時間が足りないので軽くあしらってやっていたのだが、中休みや昼休みとなると話は別だ。このガキ大将に構って時間を浪費している暇は無い。


 無視だな。別に私の名前を呼ばれた訳でもないし、彼はきっと別の人に用があるに違いない、私は先へ急ぐとしよう。黒猫オニキスが私を待っている。


 スタスタと彼らの隣を通り過ぎようとしたのだが、勿論スルーしてくれる筈も無く案の定絡まれてしまう。


「ちょまてよ! どこいこうとしてるんだ!」


「そうだぞ! ケンちゃんが声掛けてるのにむしするな!」


「ん? あ、ごめん気づかなくて。私に言ってたんだね」


 さも今気が付きましたよというテイで振り向くと、ジャイアンことケンちゃんがガイナ立ちでこちらを見つめていた。今時の小学生もGAINAXを知っているのかは知らんが……


 面倒くさいな……貴様らに構ってる暇はないんだ。オニキスが待ってるからな。しかしどうしたものかね、本当に今は絡みたくない。


「それで、どうしたの?」


「どうしたもこうしたもあるか! しょーぶだ! 今日こそおれがかちぼしをつかむ!」


 はぁ……こんな事になるならアレをやったのは失敗だったな。


 ちょうど一週間ほど前か、その日の下校時刻もジャイアンに絡まれていたんだが、内容が私の家に遊びに来るというものだった。


 いい加減何かにつけて放課後遊びに行くぞだの、昼休みはサッカーをするだのと纏わりつかれて鬱陶しかったから、算数の計算で勝負をして私が負けたらついていくという勝負をしたことがある。バカそうだったしな。


 無論、私が負けるハズもなく圧勝しそのまま普通に帰宅したのだが、どうやら構ってもらえた事がよほど嬉しかったのか、それ以降度々勝負だと絡んでくるようになってしまった。


 ガン無視してもダメ、適当にあしらってもダメ。


 どうすりゃいいんだこれは。


 ぶん殴って泣かせてやってもいいんだが、それをすると後処理が面倒だし、何より私のイメージが崩れるのはいただけない。それは最終手段だ。


 ……ふむ、そうだな。


 ここは一つ、小学生女児の姦しさを利用させてもらうとしようか。


「今はちょっと行きたいところがあるんだけど……」


「お? おれからにげよーったってそうはいかねーぞ! どこまでも追いかけてしょうぶしてやるからな!」


 ここだな。


「え、えぇ!? 女子トイレの中まで付いてくるつもりなの!? それはちょっと……」


「え、は? いや、別にそうは言ってないけ」


「ちょっと上川! またるりかちゃんになんか変なコトしてんの!?」


「げっ! ほ、星空ほしぞら……」


 私は容姿が良い上に社交性もある、つまり友達が多いのだ。ちょっと困った顔をしながら大きな声を出せば、すぐに友達えんぐん達が駆けつけてくれる。


 駆けつけてきたのは星空ほしぞら真莉愛まりあとその取り巻き達。いつもクラスの中心にいる、所謂クラスカーストの最上位組だ。頼もしい援軍が来たな。


「るりかちゃん、大丈夫?」


「う、うん……お手洗いに行きたかっただけなんだけど、急にどこまでも追い掛け回すぞっておっきい声出されて……」


「え、いやっ、ちが」


「えぇーーー!? なにそれサイテー!!」


「そういうんじゃな」


「まじでありえないんですけど! 上川ヘンタイじゃん!!」


「ケンちゃんは別にそうは言って」


「うっさい! アンタらみたいなヘンタイ男子たちは早くどっか行きなさいよ!」


 ジャイアンこと上川かみかわケン君達も一応クラスカーストで言えば最上位に位置するグループではあると思うのだが……


 女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。完全に飲まれてしまっている。


 さて、私はこのゴタゴタを利用しておいとまさせてもらうとしよう。


 三十六計逃げるに如かず、ってな。








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「はぁ、疲れた」


 学校が終わり家に帰ってくると、私は服も着替えずにベッドに横になった。


 今日は気疲れする出来事が多かったからな、結局あの後オニキスにも会えなかったし、癒しを摂取できていない。まったく人気者も楽じゃないな。今後は適度に素行を悪くしてみるか? そうすれば多少はマシになるかもしれない。


 正直なところ、別にそこまで優等生として見られる必要はないしな。ある程度融通が利きやすくなる程度の信頼を得られていれば問題ない。


 しかし、服も着替えずにベッドに入るもんじゃあないな。汚れやら花粉やらが付いた体ですべすべのシーツに寝転がってると思うと気持ち悪くなってきた。


 シャワーを浴びる前に気分転換で少し散歩でもするか。


 外に出ると心地の良い春風……ではないな。まだ5月の月初なのにもう既にそこそこ暑い。最近の異常気象には困ったものだ。私は暑がりだからな。


 ちらりとあたりを見渡すと、今日の境内は閑散としている。お母さまがいないからだろう。


 因みに今日はお手伝いさんが一人いるだけで、お母さま以外も家族は出かけている。今日は5月7日、私の誕生日だからな。ばれないようにコソコソとしているのは以前から知っていた。


 お手伝いさん一人だけで大丈夫なのか? とも思うが、まぁ今までもこういうことはあったからな。大丈夫なんだろう。


 ぼーっとしながら家の裏手にある蔵の近くに差し掛かると、切れ長の目をした黒猫がひょっこりと姿を現した。


「……オニキス? オニキスじゃないか!」


 脱兎の如く駆け出すとすぐにオニキスを抱きかかえる。嫌そうにしながらも離れていかないとは……愛いやつめ、このこの。


 は、いかん。少しはしゃぎ過ぎたか……まぁ、精神が達観しているだのなんだの言いながら、結局は私もまだまだガキだったという事だろう。


「少し待ってろ、ごはんを持ってきてやる」


 今日の昼は会えなかったからな、マグロの刺身を持って来てやろう。だがオニキスはマグロが好きなんだろうか? 食えなかったら代わりになるものが今ないかもしれない。


 が、そんな不安は掠りもせず、オニキスは持ってきたマグロをうまそうにがっついていた。


 蔵の近くでオニキスを愛でながら、猫じゃらしも持ってきた方がいいか? なんて考えていると、ふと小さな揺れを感じる。


 地震かと思いオニキスを抱き上げようとした瞬間、


 ドウ!!


 という轟音と共に、世界が激しく揺れ始めた。


「オニキス!」


 頭を抱え地面にうずくまりながら、オニキスを胸の中に抱き込む。


 ちらりと抱き込んだオニキスを見やると、不安気な表情でにゃーと鳴いていた。よかった、ひとまずは大丈夫そうだな。


 大地が慟哭どうこくする。建物は軋み、近くの蔵からはガウンガウンと轟音が鳴っていた。


 しかしこの地震、大きすぎる! マグニチュード10.0超えてるんじゃないのか!? いったいいつまで続くんだ――


「……収まったか? かなり大きかったな」


 ――しばらくして、長かったのか短かったのか、体感にすると30分ほど揺れていた気もするが、大きな揺れもどうやら収まったようだ。あれだけ大きいと津波の二次災害も起こりそうだな。


 幸いうちの神社があるのは内陸の為そこまで津波の心配はいらないと思うが、沿岸部は大変だろうな。


「大丈夫か?」


「にゃー」


 抱きかかえていたオニキスは無事のようだ。家族たちも車で出かけている、ここからスーパーやデパートまでの道のりに高い建物はないし、道も広いから大丈夫だろう。


 だが……さっきは蔵から轟音がしていたからな。危険だとは思うが中が全て壊れていても大変だ、少しだけ覗いてみるか。


 軋む扉をそっと開けると、想像していたものとは違う光景が目に飛び込んできた。


 物が散乱していないのだ。いや、散乱していないなんてものじゃない。そもそも地震なんてなかったかのように綺麗に整理された状態で陳列していた。


 どういうことだ? あの揺れで物が何一つ床に散らばっていないのは明らかにおかしい。それに揺れの最中の轟音も説明がつかない。


 訝しがりながら薄暗い蔵の中を見回っていると、足元に引っ掛かりを感じた。


 目を凝らして見ると、地下室への扉のようなものがそこにはあった。


 なんだこれは? 蔵の整理を手伝った時に何度か蔵の中を見ているがこんなものは元々なかった。


「危険だ、入るべきじゃない。……入るべきじゃないんだが」


 危ないと分かっているのに、この状況が感じさせる、非日常がかきたたせる。この胸に感じる高揚感、高まる鼓動を無視出来なかった。


「……ゴホッ、ホコリが凄いな」


 ホコリが舞う床扉を開け中に入ると、そこはなんてことの無い地下室だった。広さは4畳ほど、何も置いていない。


 床に指を這わせると埃が大量にくっついた。かなり長いこと使われていないようだ。その後も壁を叩いてみたり床を叩いてみたりしたが何もなし、埃がるという事は空気の通り道がどこかにあると思ったのだが……


 やはり、そもそも期待外れだったか……


「ん? なんだこれは?」


 ふと足元に目を向けると、少し殻の空いたクルミのようなものが落ちていた。


「クルミ……か? ……いや、これは」


 パッと見はクルミにしか見えないが、よくよく目を凝らして見てみると殻の内部にある実のような物に、幾何学的な模様が淡く光って見える。そこから細い糸のようなもので殻と繋がっていた。


「痛っ!」


 中をもっと見るために殻を開こうとすると、まるで鋭利な刃物で指先をなぞったように両手の親指が切れてしまった。


 なぜ殻がこんな切れ味をもって――


「う……ぶ、ぐ、げえぇぇぇぇぇぇ」


 い、痛い! う……頭痛がする、吐き気もだ……もう吐いてはいるんだが……

 なんなんだこれは…… 頭が、割れるようだ……立っていられない……


 その場に倒れ込む。頭痛はどんどん酷くなる。頭がガンガンと鳴り響いて、全身の神経に直接硫酸をかけられたような激痛と不快感が走り、心臓の鼓動がやけにハッキリと聞こえてきた。


 叫びたいほどの痛みを感じているのに声が出ない。なぜ急にこんな……さっきのクルミに毒性の成分でも含まれていたのか? しかしこんな即効性のある物なんて聞いたことが無い……空気中に何か……駄目だ、意識が……遠のいていく……


し……う死ぬ、のか……」


 そう思うと、何故だか少しだけスッキリした気がした。


 確かに、このままズルズルと生きていても日常はきっと何も変わらない。

 小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人。変わらない日常を繰り返し、小さな暇つぶしを見つけたりして、なんだかんだ幸せに生きる。そんな人生を送っていたはずだ。そんな人生も悪くなかっただろう。


 だが、その人生で私の心からの願いは、幸せは、一生訪れることは無い。


 この心の中に燻る『非日常』への強い渇望。憧憬は、私にも止められないからだ。


 むしろ、そう考えれば最後にちょっとだけでもこんな『非日常』に触れて終われるのならば本望だ。


 そんなことを考えながら、私は意識を手放した。











【スキル『混沌の神気インディクサー』を獲得しました】

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