第九話 呪いのピジョンブラッド(後)

 解決方法もなにも、問題がここまで大きくなってしまったら、二百年前の約束の通りルビーをフレンチャー王国に返還するしかないんじゃないかしら? そりゃイルメーヤ様は文句を言うだろうけど、帝国の平和の為なんだから仕方がないだろう。


 私はそう思ったんだけど、事はそんなに簡単じゃないのだそうだ。ガーゼルド様が説明してくれる。


「まず、問題の発覚がフレンチャー王国側からの指摘だというのがある。相手の指摘に応じてこちらが対応するとなると、帝国が非を認めたという事になってしまう」


 つまり帝国は「ルビーを隠していたことを認めます」という意味になってしまうのだそうだ。大きな外交上の失点、フレッチャー王国への借りということになってしまう。ライバルに対して借りを作りたくないというのは分からない考え方でもない。


「それを防ぐためには、今回イルメーヤが初めてルビーを発見し、すぐにそれをフレッチャー王国に報告する必要があったのだが、もう無理だしな」


 そうね。ネックレスを作成して堂々見せびらかしてしまった後だしね。


「更に悪いのはイルメーヤが『これはエベロン大王のルビーなんかではない!』と言ってしまった事だな」


 イルメーヤ様がそう主張した後に、帝国がルビーの存在を認めて返還すると、イルメーヤ様が嘘を吐いた事になってしまうのだそうだ。それはでも、知らなかったのだから仕方がないのでは?


「それはそれで、皇族たるイルメーヤが『エベロン大王のルビー』とそれにまつわるフレッチャー王国との約定を知らなかったという事になってしまう」


 そういう国際関係上重要な事項は、皇族であれば承知していて当然なのだそうだ。でもガーゼルド様だって忘れていたのですよね? 政治にほぼ関わることのないイルメーヤ様が知ってる筈はないじゃないですか。


「なので帝国としてはもうメンツに賭けてルビーをこのまま返還するわけにはいかなくなってしまっているのだ」


 ……詰んでるじゃないですか! 一体なにをどうしろって言うんですか!


「方法は二つ。なんとかルビーを当座は返還しない方法を見つける。もう一つはあのルビーが『エベロン大王のルビー』でない事にする」


 そんな無茶な! としか私には思えない。しかしガーゼルド様は少し考えると言った。


「あのルビーを再び『盗ませる』という方法がある。アレを再び闇に葬るのだ」


 ルビーがイルメーヤ様のところから『何者か』に盗まれて行方不明になれば、帝国としてはフレッチャー王国に返還しないで済むという寸法だ。そ、そんな無茶苦茶な!


「おそらくだが、二百年前にルビーが行方不明になった事情もそうだったのだと思うぞ」


 戦利品を和平条件として返還するのもメンツに関わる事だったのではないかという。そんな事情で殺されてしまった貴族も浮かばれまい。


「もう一つの方法としてはあのルビーを偽物とすり替えるという方法もある。ガラス玉と交換するのだ。その上でフレッチャー王国に『あれはガラス玉だった』と説明して返還を断るのだ」


 形と色をそっくりにした偽物を用意する必要はあるけど、ガラス玉を返還されてもフレッチャー王国としても困るだろうからね。で、本物はやはり闇に葬るのである。


 よくもまぁ、そんなにポンポンと方法が思いつくものだ。私は感心して、思案するガーゼルド様をマジマジと見つめてしまった。しかし、美男子顔からは憂いが晴れない。


「しかしいずれもありふれた手口だから、おそらくフレッチャー王国は誤魔化せまい。連中は激怒してこちらに謝罪や賠償を求めてくるに違いない」


 盗難紛失させれば管理不行き届きを責めて来るだろうし、偽物にすり替えれば「外交官が見たのは間違いなく本物だった!」と主張して偽物にすり替えたと責めてくるだろうという。


「なので君にも何か考えて欲しいのだ。宝石の声が聞ける君が頼りなのだ」


 ガーゼルド様はしっかりと私の手を握って間近から私の目を見つめた。ルベライト色の瞳がウルウルとしている。妹想いだからねこの人。妹が窮地に追い込まれているのをなんとかしてあげたいのだろう。


 ……そうは言ってもねぇ。


 私に出来る事は宝石の記憶を見る事だけだ。あの石の記憶はもうあんまり見たくない。なにしろ流血話が多くて。それでも思い出してみると……。


 鉱山から鉱夫に掘り出され、職人に削り出され、エベロン大王と思しきお方に献上された所までには何にもおかしいところはなかった。


 ルビーを手に入れたエベロン大王は非常に好戦的になり、ルビーを身に付けたまま戦場を駆け巡って敵をバッサバッサと……。うげ……。


 そして最期の戦い。殺到する敵に槍を突き剣を振るい、猛獣のように奮戦するエベロン大王。そして遂に彼の身体に槍が突き刺さり、断末魔の咆哮が戦場に響き渡った……。


 ルビーはエベロン大王を討った貴族に下賜され、その貴族はそれを屋敷の宝石箱に収める。しかしある夜、盗賊が貴族の館を襲撃し、貴族の奮戦も虚しくルビーは奪われ貴族は死亡し屋敷は炎上してしまう。


 ……問題はそこからだ。ルビーはその後、何度か取引されて所有者を変えるのだけど、ほとんど表に出される事もなくなってしまうのだ。宝石の記憶は石を人間が触らないと形成されないため、そこからの記憶は非常に少なく限定される。


 そして、今とあんまり変わらない、でも多分かなり昔のリュグナ婆ちゃんがルビーを受け取ったシーンが見えた。婆ちゃんはルビーをジッと見詰めて首を振り呟いた。


『誤解されて、不憫な石だ』


 と。


 ……記憶はこれしかない。これでは残っているエベロン大王のルビーの伝説と大差ないわよね。ガーゼルド様が思いつかないような方法を考え出すなんて無理に決まっている。


 うーん、でも、なにか、なにかないかしら。私は必死に頭を回転させる。石の記憶を必死に思い出す。エベロン大王が所有していた時代は、とにかくエベロン大王が肌身離さずネックレスとして着用していたという記憶しかない。そういえば大王が『これは世界一のルビーで私に勝利のご加護をもたらしてくれる!』と自慢していたわね。


 確かにあれは世界一のルビーかもね。大きさといい色合いといい透明度といい、見事なものだった。他にも世界には名の知られた巨大ルビーはあるけども、幾つかはルビー特有のあの問題があるしね……。


 ……え?


 私はそれに気が付いて、もう一度石の記憶をよく思い出す。その形を、色合いを、透明度を、輝きを。エベロン大王やその後手に入れた貴族があのルビーの輝きを色んな場面で見詰めている。


 そして、リュグナ婆ちゃんがランプの灯りに石を翳しながら呟く。『誤解されて、不憫な石だ』ルビーを通して見えるランプの輝き。その色……。


 あ……。


 私は思わず立ち上がっていた。ガーゼルド様も皇太子殿下もヴェリア様も目を丸くしてしまっている。しかし私はそれどころではない。私はガーゼルド様の手引っ掴んで大きく上下に振った。


「これなら! これなら行けるかもしれません! フレッチャー王国を納得させられるかも知れません!」


「ほ、本当か?」


 ガーゼルド様も立ち上がる。私は喜びのままにガーゼルド様を見詰めて叫んだ。


「はい! ですからガーゼルド様! 皇帝陛下がお持ちの、帝国で一番大きなルビーを借りてきて下さい!」


「……は?」


  ◇◇◇


 一週間後、場所は帝宮の第一謁見室である。


 第一謁見室は帝宮で最も大きな謁見室で、普通は宣戦の布告だとか、逆に戦争の終結を祝うような重大な儀式の際に使われる場所だ。大聖堂もかくやという恐ろしい大きさの謁見室である。実際大聖堂と同じような大きなドーム屋根で、幾つもある天窓から日差しが差し込んで、皇帝陛下の御座所と謁見に臨む者を明るく照らし出す構造になっていた。


 天井からは有力貴族の紋章を描いた旗が何本も下がり、壁には歴代皇帝陛下がその事績を讃える文句と共に描かれている。そしてその巨大謁見室には、大勢の男女が詰め掛けていた。帝国貴族の皆様である。


 子爵以上の貴族に限定したとの事だったけど、それでも壮絶な数のお貴族様が謁見室を埋め尽くしていた。……それは、証人になるから出来るだけ大勢の方を集めて欲しいとは言ったけども、ここまで集めろとは言ってない。皆様キラキラに着飾って、好奇心に満ちたワクワクした表情をしてらしたわね。


 私は思わず生唾を飲み込んだ。こ、これは。私はこれからこの大勢の皆様の前でちょっとした交渉をしなければならないのだ。そして一芝居打たなければならない。わ、私は宝石商人であって、ネゴシエーターでも俳優でもなんでもないのよ? なんだって私がこんな事を……。


 私が脚をプルプルと震わせていると、私の左の肩が優しく掴まれた。私に寄り添って下さっているガーゼルド様が私の肩を抱き寄せて耳元で囁く。


「落ち着け。君なら大丈夫だ。私を信じろ」


 ……私は思わず右手で彼の右手を握る。ううう、大丈夫。きっと上手く行く。私にしか出来ない事なのだから、どうしても私がやるしかないのである。私はガーゼルド様の手の温もりを感じながら自分を励ました。


 その時、謁見室の大扉が大きく開いた。侍従が高らかに告げる。


「フレッチャー王国王太子、ロズバード様ご入来!」


 謁見室を埋め尽くした皆様から大きな拍手が湧き上がった。その中を赤い絨毯を踏んで青い髪色の長身の男性が入場してきた。白系のスーツに首には青いスカーフ。ジャケットには銀糸でびっしり刺繍が入っている。カフスに見えるのはオパールかしら。なかなかお洒落な男性だ。


 フレッチャー王国王太子殿下、ロズバード様だ。精悍な顔立ちで、周囲の女性陣からは嘆声が漏れた。しかしその表情はお作法以上の笑顔を浮かべてはいない。


 彼の後ろには数人の男性が続いていた。身分の高そうな従者の中に、少し身分が低い感じの、しかし目付きの鋭い男性がいた。む、あの男からは同業者の匂いがするわね。きっと宝石商人だ。左右の貴族に目をやる仕草で分かるわ。あれはご婦人が着用しているアクセサリーを値踏みしている目だもの。


 彼らは御階の下まで来ると頭を下げた。すると同時に侍従が呼ばわった。


「帝国の太陽! 大陸の覇者! 東西南北を統べるお方! 正義と天秤の守護者! 皇帝陛下並びに皇妃陛下のご光来!」


 私も含めて帝国臣民は全員頭を深々と下げた。本来、こういう場面では御階の下で控える主賓は跪くものだけど、今回いるロズバード王太子以下フレッチャー王国の面々は皇帝陛下の臣民ではないから跪かない。頭を下げているだけだ。


「皆の者。面を上げよ」


 皇帝陛下のお言葉が聞こえたので、私はゆっくりと顔を起こす。見上げる先の御座所に、顎髭を生やした長身の男性が座っていた。


 帝国皇帝カーライル一世陛下である。髪の色は濃い金髪でガーゼルド様とそっくりだった。瞳の色はこれもガーネットのような赤系の色である。ガーゼルド様と強い血縁関係がある事を伺わせるわね。豪奢なマントに頭には王冠を被っていた。王冠にはこれでもかってくらい宝石がくっついている。普段の謁見では王冠なんて被らない筈なので、隣国の王太子殿下に敬意を表してという事なんでしょうね。


「ロズバード殿下。良く参られた。こんな機会でなければ、歓迎の宴を開く所だったのだが」


 皇帝陛下はよく通るお声でロズバード様に語り掛けられる。王太子殿下は軽く頷くと言った。


「私と致しましても、このような来訪は不本意な事でございます。なれど、この問題を軽く済ます訳には参りません。我が王国の尊厳に関わる事態です故」


 口調は固く、声にも強い怒りを滲ませていた。社交作法で隠す気も無さそうだ。


「以前の書簡に重ねて申し上げます! 我が王国の秘宝『エベロン大王のルビー』をご返還頂きたい。この事は、二百二十三年前の両国の和平の条件だった筈です!」


 ロズバード王太子殿下はエメラルド色の瞳で皇帝陛下をきつく睨み付ける。ルビーの返還なくば、開戦も辞さないという事を態度でも示しているのだろう。


「帝国は和平の条件を違えるのですか! それは我が王国を侮辱する行為と見做させて頂きますぞ! 如何?」


 挑むような王太子殿下の言葉に、皇帝陛下は表面上は作法笑顔を変えなかった。しかし、右手が御座所の椅子を無意味に撫でている。多少の動揺があるのだろう。皇帝陛下はロズバード王太子殿下を落ち着かせるように左手を挙げて、ゆっくりと言った。


「うむ。勿論だが帝国は約定を違えるような事はせぬ。それは当然だ」


「ならば!」


「しかしだな。そのルビーについて、異議があると申す者が居る。ロズバード殿にはその者と話してもらいたいのだ」


 皇帝陛下のお言葉に、ロズバード王太子殿下は呆れた様な表情になってしまった。


「異議ですか? 今更どのような異議が……」


 出番である。私は深呼吸をして、右足をえいやと踏み出した。出来るだけ大きな声を出す。


「このルビーは『エベロン大王のルビー』などではない、という異議でございます」


 私は静々と赤い絨毯の上に進み出る。途端に、多くの視線が集中する。背筋がぞわっとしたわよ。き、緊張するー! すぐにガーゼルド様が車輪付きの台を押して横に来てくれた。台の上には紫のベルベットが敷かれていて、そこに件の大ルビーが鎮座している。ネックレスからは外されて裸石の状態だ。


 ロズバード王太子殿下はもの凄く怖い目付きで私を睨んだ。


「なんだ、其方は?」


「初めまして王太子殿下。私はジェルニア男爵家の娘、レルジェと申します」


 男爵家の娘? と怪訝な表情になったロズバード殿下に、ガーゼルド様がすぐに声を掛けてくれた。


「私の宝石を管理してくれている女性なのだ」


「む、ガーゼルド殿ではないか。貴殿の愛人か?」


「まぁ、そのようなものだ」


 全然そのような者ではありませんよ! とは言えなかった。貴族としては身分が大きく低い男爵令嬢が、王太子殿下と渡り合うには後ろ盾がいる。この場合、次期公爵たるガーゼルド様に後ろ盾になってもらわないと、私はロズバード殿下に一喝して追い払われてしまうだろう。背に腹は代えられない。愛人扱いもやむを得ない。


「……それはともかく、これが『エベロン大王のルビー』なのだな?」


 ロズバード殿下の緑の目が、台の上の赤い宝石に釘付けになる。手のひらサイズの巨大な赤い宝石。天窓から差し込む光を通して輝いている。こうしてみてもこの世に二つとないほど見事な宝石だと思う。来歴は血なまぐさいけども。


「いいえ、殿下。これは『エベロン大王のルビー』ではありません」


「レルジェとやら。そのような言葉を誰が信じると思うのか。このルビーの素晴らしさを見れば、これが滅多にない秘宝である事は一目瞭然。伝え聞く形状とも一致するではないか」


「いいえ。殿下。残念ですがこれは違うのです」


 頑なに殿下の言葉を否定する私に、殿下はかなり立腹したようだったが、私の肩に手を置いて護るように立つガーゼルド様に遠慮したのだろう。怒鳴り付ける事は避けてくれた。その代わりに、自分の後ろに控えていた男性を呼ぶ。


「ブルクス男爵こちらへ」


 進み出て来たのはさっきの目付きの鋭い男だった。


「この者は王家出入りの宝石商人だ。この者に鑑定をさせれば真実は明らかになるだろう。どうかな?」


 やはり宝石商人だった。帝国側に言い逃れられないように、鑑定技術のある宝石商人を連れて来たのだろう。彼は私をジッと睨んだ。彼も同業者の匂いを感じ取ったんだろうね。


「分かりました。では、ブルクス男爵に鑑定して頂きましょう」


 私は男爵に場所を譲った。黒髪の男爵は頷いて、内ポケットから手袋を出した。


「では失礼致します。まず、確かめるべきは大きさですな。伝承によれば『エベロン大王のルビーは長さ十センチ幅七センチだと言われております。残念ながら重さは記録されておりません」


 彼はポケットから定規を出して、宝石に触れないように慎重に計測を行う。


「ほぼ一致しておりますな。次にカッティングはオーバルカット。前面は半球、後面は非対称のやや平らな球面」


 これも一致。


「そして色ですな。伝承によれば敵を撃ち破れば破るほど、敵の血でその赤みを増したと言われております。いわゆるピジョンブラッド。そして内容物がほとんどない、信じられないような透明度だったと言われております」


 これも見れば分かる。滅多にない鮮烈な赤味と、透明度。


「このような大きさと、色の美しさ、透明度を誇るルビーが、この世に幾つもあるとは私には信じられませんな」


 ブルクス男爵はヤレヤレというように両手を広げた。少し私を馬鹿にしたような目線で見る。そして彼はうっかり決定的な事を言ってしまった。


「どうでしょう? お嬢さん。私には伝承で謳われた『この世に二つとない、ルビーの中のルビー、フレッチャー王国の心臓』である『エベロン大王のルビー』にしか思われないのですが?」


 よし! 私は内心で快哉を叫んだ。勝った! これで勝ったわよ!


 しかし私は何食わぬ顔をして首を傾げた。ブルクス男爵にもう一度念押しで確認する。


「そうですか。『エベロン大王のルビー』は『ルビーの中のルビー』なのですね?」


「ええ。そうですとも。エベロン大王が肌身離さず身に着けていたもので『真実のルビー』とまで讃えられた逸品です」


 私は満足した。うんうんと頷く。ガーゼルド様とアイコンタクトをした。彼もニヤッと笑ったわよね。


「そうですか。よく分かりました。ブルクス男爵」


 私が言うと、男爵は得意そうに笑顔で顎を上げた、のだが。


「ではやはりこの石は『エベロン大王のルビー』ではありませんね」


「な、何だと?」


 ブルクス男爵はさすがに戸惑ったようだった。ロズバード王太子も我慢しきれなくなったのか、ズイッと進み出て私に向けて大きな声を上げる。


「しつこいぞ其方! 往生際が悪いにもほどが……!」


 ガーゼルド様が前に出て護ってくれようとするが、私は彼を制止する。むしろ私は自分から進み出てロズバード王子の前に立つ。そして精一杯の威勢を込めて彼を睨み上げた。私の気迫に押されたか、殿下は言葉を止める。


「殿下。真実を申し上げます。ショックな事ではあると思いますけども、よくお聞き下さいませ!」


 ロズバード王太子殿下はぐっと息を呑んだ。私はゆっくりと告げる。


「この石はルビーではありません」


「は?」


「この石はルビーではありません。レッドスピネルなのです」


 「「え?」」と謁見室の時が止まる。多分、誰にも意味が分からなかったのだろう。しかし次の瞬間、ブルクス男爵が「あ!」っと声を上げる。慌てたように私に向かって「ご令嬢! それは……!」と言い掛けた。しかし私は待たない。思い切り大きな声で怒鳴る。


「『エベロン大王のルビー』は! 『ルビーの中のルビー』!『真実のルビー』なんですよね!」


 そしてブルクス男爵を睨み付ける。気が付いて! 気が付いてくれなければ大変な事になる! 王家に出入りするくらいの宝石商人なら空気も読めるし腹芸も出来るでしょ!


 私の期待に応えてブルクス男爵は開き掛けた口を慌てて閉じる。言おうとした事の危険性に気が付いたのだろう。真っ青な顔になってしまった。睨み合う私とブルクス男爵の様子に、ロズバード王太子殿下は戸惑ったような表情を浮かべていた。


「ま、待て! なんだ何の事だ? レッドスピネルとは何の事だ? この石はルビーではないのか?」


「残念ながらそうなのだ」


 ガーゼルド様がよく通る声で王太子殿下を含めたその場の全員に説明して下さる。


「この石はレッドスピネル。ルビーに良く似た宝石だ。同じような場所から採掘されるし、色合いもこの通り良く似ているのだが、明確な違いがあるのだ」


 ガーゼルド様は宝石を手に取った。背の高い彼が手を天窓の方に伸ばして、赤い宝石を光に翳す。


「見てみるといい。このレッドスピネルはこのように、光に翳して角度を変えても赤い輝きしか放たぬ」


 そしてガーゼルド様はポケットから、この石には敵わないけどかなり大きなルビーを取り出す。こちらは皇帝陛下のお持ちの秘宝で、正真正銘のルビーだ。このためにどうしても必要だったのだ。


「こちらのルビーは、光を受けるとこのように、オレンジと赤の光を放つであろう? これがルビーとスピネルの見分け方なのだそうだ」


 天窓からの日差しを受けて真っ赤なルビーは、さっきのスピネルとは明確に違う複雑な輝きを放っていた。これは光の屈曲性がルビーとスピネルでは異なるからである。ガーゼルド様が高いところで皆に見えるように石を交互に回し続けたお陰で、会場の皆様にもルビーとスピネルの違いがよく分かった事だろう。周囲に納得の声が広がって行く。


 ロズバード王太子殿下は呆然としていた。


「で、では。これは本当に『エベロン大王のルビー』ではないのか?」


「そうですね。ね? ブルクス男爵?」


 私の問い掛けに、男爵はそれは恨みがましそうな目で私を睨んだわよね。そんな顔をしないで下さいませ。こちらにも事情があるんですから。


「……確かに、これはレッドスピネル。大王のルビーがスピネルの筈はございませんからな。申し訳ございません。私が間違っておりました」


 ブルクス男爵は頭を下げたが、私は彼に対して申し訳ない気分で一杯だった。なぜならこれは完全にだまし討ちだからだ。


 そう。この石は間違い無く「エベロン大王のルビー」なのだから。


  ◇◇◇


 控え室に引き上げた私は、ソファーにばったりと倒れ込んだ。うつ伏せに。


 疲れた。マジで疲れ果てた。慣れないことはするもんじゃない。


「お疲れ様レルジュ。立派だったわよ」


「ああ、良い度胸だった。さすがはヴェリアの侍女だな」


 ヴェリア様と皇太子殿下が褒めて下さった。ガーゼルド様は私の頭を撫でながら笑っていた。


「ふむ。ロズバード王子の腑に落ちない顔は笑えたな。当分は揶揄えそうだ」


 ガーゼルド様は軍の技術交流で何度かフレッチャー王国に行っており、ロズバード王太子殿下と何度も交流した事があったのだそうだ。


 ロズバード王太子殿下は皇帝陛下に騒ぎについての謝罪をして、皇帝陛下は笑ってお許しになった。誤解を招くような事態を起こしたのはこちらだからと逆に謝罪までなさっていたわね。その辺りのバランス感覚はさすがに皇帝陛下だ。


 その上で陛下はロズバード王太子殿下に、来月の皇太子殿下とヴェリア様の結婚式に出席するように勧め、ロズバード殿下は快諾なさった。これは、問題への抗議に来たロズバード殿下を、皇太子殿下の結婚式の来賓に招く事で、もめ事だった筈の来訪の目的を慶事へとすり替えるという目的がある。


 こうして話は大体丸く収まった。皇太子殿とヴェリア様の結婚式は延期にならなかった事だし。ヴェリア様の侍女である私としてはそれが一番喜ばしい事だったわね。


「それにしても、まさかあのルビー、いや、スピネルか。あれが『エベロン大王のルビー』ではなかったとはな」


 皇太子殿下のお言葉に、私は無礼にもソファーに顔面を埋めたまま応じた。


「なに言ってるんですか。皇太子殿下。あれは間違い無く『エベロン大王のルビー』です」


「は? なんだと?」


 皇太子殿下はちょっと間抜けなお声を出してしまっていたわね。そう言えば皇太子殿下とヴェリア様には詳しい説明はまだしていなかったんだったっけ。私はよっこいしょと身体を起こして、なんとかソファーに腰掛けた。


「あれは誰がどう見ても大王のルビーですよ。あんな石がそうそう何個もあるわけがありません」


「し、しかし其方は、あれはレッドスピネルだと言ったでは無いか」


 私は頷く。


「そうです。あれはレッドスピネルで間違いありません」


 皇太子殿下とヴェリア様が揃って首を傾げてしまった。お仲がよろしくて何よりだ。私は言った。


「ルビーとレッドスピネルはですね。百年程前まで両方とも『ルビー』だと思われていたのです」


「な、何だと?」


 というより、もっと昔は、赤い石は何でもかんでも「ルビー」と呼ばれていたらしい。それこそガーネットもトルマリンもだ。


 しかし、時代が進むにつれて宝石の種類分けが進んで行き、最後に残ったのが「ルビー」と「レッドスピネル」だったのである。同一産地で採れて、色も非常に似ている。硬度も同じくらい。現代の宝石商人でも一目では見分けが付かない程似ているのだ。


 しかし、百年ほど前にようやく輝きの違いから別の宝石に分類される事になった。現在では意図的に混同しなければ、宝石商人が同じ宝石として販売することはない。


「つまり、エベロン大王の時代には、ルビーとレッドスピネルには区別がなかったのです。だからあの石が『エベロン大王のルビー』だと言われていても当たり前なのですよ」


 皇太子殿下は口を大きく開け、ヴェリア様は口を扇で隠して目をまん丸くしている。ガーゼルド様は知っているから苦笑しているだけだ。


「で、では、其方があの場で言ったのは」


「強弁です。嘘八百です。でもああでもしなければ事を収める事は出来ませんでした」


 嘘も方便である。両国の平和の為なら神もお許しになるわよね。


「……でも、おかしいではありませんか。それならなぜあの、王国の宝石商人はあの時に『昔はルビーとスピネルは同じものだったのだから、この石がスピネルでも大王のルビーで間違い無いのだ』と言わなかったのですか?」


 ヴェリア様の疑問はもっともだ。そこがこの計画の最難関ポイントだったのである。宝石商人や宝石に詳しい方ならルビーとレッドスピネルの歴史を知らない筈はないからね。


 そこで私が引き出したのは「エベロン大王のルビーは、ルビーの中のルビー」「真実のルビー」という賛辞だった。


「あのように絶賛されている、フレッチャー王国の心臓なんて美称まである石が、実はレッドスピネルだなんて言えませんよ」


 レッドスピネル自体も非常に希少で、特に良い発色のレッドスピネルの美しさはあの通り、ルビーとも遜色ない。


 しかしながら市場価値はどうしても「宝石の女王」ルビーに劣る。場合にもよるが同じ大きさ重さ、品質で五倍くらいの差が付いてしまうのである。


 つまり、エベロン大王のルビーがレッドスピネルだという事になると非常に価値が下がってしまう事になるのだ。フレッチャー王国の誇りでさえある宝石の価値が下がってしまうなんて、フレッチャー王国にとっては許されざる事態だと思う。


「だからあの時ブルクス男爵は『これはエベロン大王のルビーではない』と言うしかなかったのですよ。彼はフレッチャー王国の名誉を守ったのです」


 さすがは王国一の宝石商人。見事な判断である。あそこで彼が考え無しに口を開いて大王のルビーがスピネルであると暴露していたら、両国の間は致命的な対立になってしまった事だろう。


「ですから殿下。あの石は必ずフレッチャー王国にご返還下さい。王太子殿下と密かに話して、一年くらいほとぼりを冷ませたら返還すると約束して下さいね」


 今頃、ロズバード王太子殿下はブルクス男爵と話して状況に気が付いただろうからね。事がこうなった以上、もう表立っては騒げないけれど、きっと怒り心頭になっていると思うからね。近い将来の返還を約束して、上手く宥めて丸め込んで、無事結婚式に出席してから帰ってもらえるように。そこはさすがに私の仕事じゃないわよね。皇太子殿下とガーゼルド様でなんとかしてください。


 そもそも、考え無しに大騒ぎに発展させたフレッチャー王国の外交官がいけない。外交官のくせに腹芸も使えないとはどういう事なのか。いや、もっと根本的な問題としてリュグナ婆ちゃんがあんな石をイルメーヤ様に押し付けたのがいけない。きっと婆ちゃんも始末に困っていたのだろう。きっとイルメーヤ様を通して面倒事を私に押し付けたに違いない。まったく。どいつもこいつも私をなんだと思っているのか……。


「む、レルジュ? 大丈夫か?」


 ソファーに座って俯きながらブツブツと文句を言っていたら、ガーゼルド様が私の額に手を当ててきた。


「いかん。熱がある。無理をさせすぎたか」


 ガーゼルド様は言うと、ヒョイっと私を横抱きに抱え上げた。なんとも、藁束でも抱えるかのように易々と持ち上げられてしまったわね。私はもうその時にはぐったりぼんやりとしてしまってほとんど動けなかった。ガーゼルド様が心配そうに覗き込むお顔が大写しになっていたのは何となく覚えているわね。


「休ませる部屋を用意させてくれ! 急げ!」


「皇族用の控え室にベッドがある。そこへ運べ」


「レルジュ、しっかり!」


 お偉いお三方の慌てふためくお声を聞きながら、私の意識はそこでぷっつりと途切れたのだった。


 そして私は畏れ多くも皇族用の控え室のベッドで、次期公爵のガーゼルド様に寝ずの看病をさせてしまったのである。目が覚めた時は申し訳無くて死ぬかと思ったわよね。


――――――――――――

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