夏の空の下、俺はもうすぐ逝く
こおの
炎天下の中
人が死ぬ前って、案外どうでもいいことを考えてるのかもしれない。
例えば。
2ヶ月前に友達の吉居に借りたマンガさすがに返さなきゃなー、とか。
そういえばバイト代入るのって明日だっけ、とか。
どうせなら旅行でも行っときゃ良かったなぁ、とか。
そういや水野ってフラレたんだっけ、とか。
ほら、どうでもいいことばかりだ。今目の前が真っ白になりかけてるヤツが考えてる思考だとはとても思えない。そうだろ?
(あ――……ヤバい、本気で死ぬのかも)
立っていられなくなってきた。まるで糸の切れた人形みたいに、いやトイレットペーパーの端切れみたいに、へなへなへなと崩れ落ちて、くしゃっと倒れる。目が回ってる。異常に体が熱い。体内の水が、穴という穴から全て流れだしてるんじゃないかと思うほど、汗がでる。まるで呪いのようだ。いやこれは呪いなのかもしれない。
考えてもみろ、俺はついさっきまで誰よりも健康で、誰よりも死とは無縁そうだったんだ。そんな俺が、こんな場所で、まさかの脱水症状で死ぬなんて格好悪すぎるじゃないか。
目の前で、少年達が野球に興じてる。ここは河川敷で見物している大人達もいるから何かの練習試合だろうか。こんな殺人的な暑さの中よく野球なんかしてられるな、と思う。みんな暑そうに顔をしかめている。それを見守るコーチらしき男でさえ、辛そうだ。早く止めてやれよ。俺みたいになるぞ。
そして俺を横目で見ては、大丈夫か、という顔を一瞬だけして去っていく、河川敷ランナーのヤツら。早く家に帰れ。俺みたいになるぞ。
なんでこんな目に遭ってるんだろうなぁ俺は。ついさっきまで、ホントに俺は元気だったんだ。
面倒な夏期講習の帰り、俺は自転車にまたがって帰路を急いでいただけなんだ。今日はまたバカみてぇに暑いな、って思いながら、坂道をぜこぜこと登って、河川敷の歩道を走っていた。
それだけなのにいきなり、目の前がぐにゃと歪みだして、俺は立っていられなくなった。胃が逆流しそうだ。気持ち悪い。何か飲み物は……とカバンから、ペットボトルをだそうとした。手よ、震えるな。ヤバいから。早く水をとらなきゃ死んじまうから。
早く。早く。
俺はカバンのファスナーを握る手をブルブル震わせながら、目眩にくらくらしながら、開けるんだ。
するとなんということでしょう、ペットボトルのお茶は半分もない。半分どころか、5分の1もない。いやなんということでしょうじゃねぇよ、俺が飲んだんだよさっき。
ああ神様。やっぱり俺は死ぬんですね。
急に神に祈りたい気持ちになる。
神様仏様どうか俺に水をお与えください、と目を瞑って祈る。
ああバカだよ、こんなときにしか神を信じねぇようなヤツだよ俺は。でもこんなときくらい縋ったって、いいだろ神様。頼むよ、俺はこんなところで死にたくないんだ。それも脱水症状で倒れるなんてさ。せめてもっと名誉ある死を選ばせてくれよ。そこの野球少年が川に落ちるのを助けた、とかさ。
なぁ神様。
俺ってやっぱり死ぬの?
力が入らなくなる。倒れた時点車と、野球少年達を見ながら、俺は意識が遠のいていく。
ああ、ごめんな吉居。マンガ返せなくて。
バイト代入ったら買おうとしてたゲーム、すっごいやりたかったな。
死ぬくらいならせめて海外旅行とか行っときゃあ良かったな。
ほら俺またどうでもいいこと考えてる。死ぬ前ってみんなこんなもんなの? どうでもいいことばっかり、頭に浮かぶよ。
ああ、俺そういえば1つやり残したことがあったなぁ。どうせなら━━━━
「ちょっと大丈夫!?」
俺の視界に何かが映りこんできた。女? 女だ。いや女って誰だよ。こんなヤツ知ってたっけ。可愛い顔してる。二重で目がくりっと丸くて、小顔で、鼻は高くて、でも口はへの字でいつもむくれてるような女だ。いつも? ああ、そうだいつも。いつもこの女は、俺に不機嫌そうな顔しかしない。髪が長くて、セーラー服を着ている。俺と同じクラスのヤツ。
「ゆず、き」
そう、高梨柚希だ。柚希が目の前に現れて、心配そうに見下ろしてる。
「ねぇ大丈夫!? 救急車呼ぼっか!?」
顔真っ青じゃん、と慌てふためく柚希。スマホを手にとって、救急車って何番だっけ? とアワアワしてる。
「あ――………みず」
「え、あ、そっか水!!」
通学カバンを乱暴に開けて、ゴソゴソと中を漁りだす。キーホルダーのクマがぐらんぐらんと揺れている。まるで今の俺みたいに。
「はい! これ! 水!」
渡されたのは500mlのペットボトル。ほどよく冷えて、まだ水滴が付いている。一口分くらいしか減ってない。さっき買っといて良かったわ、と柚希が安堵の息をつきながら言った。
俺はそれをがぶ飲みする。早く水分を入れたくてたまらない。手が震えている。この炎天下でこの震えはヤバいな、って俺は他人事みたいにいやに冷静に思った。
水が胃の中を冷やしていく。吐き気も幾分かマシになる。視界も白くはない。
「大丈夫? ほんと白かったよ顔。病院行く?」
柚希は俺の顔を覗く。ひどく心配そうな顔で。
「死ぬかと思った」
そう言うと、私がたまたま通って良かったね、と笑った。その額には汗が浮かんでいて、背景の夏の青空とお似合いだなと思った。
「あのさ……俺と付き合ってくれない?」
死ぬかと思った瞬間、俺は思ったんだ。こいつに告白くらいしとくんだったなって。別にフラレてもなんでもいい、言いたいことは言っとくべきだったなって、思ったんだ。
「は?」
柚希は顔を顰めた。いつもの、何バカなこと言ってんの? って顔で。
「死ぬ前に言っときたかった」
「いや生きてるし」
「死にそうだった」
「死にそうなのに何考えてんの」
「死ぬかもと思ったら自然と声にでてたんだよ」
「……なにそれ」
バカじゃないの、と彼女は小さく言った。額から流れ落ちた汗を手で拭っている。
ああそうだよバカだよ。でも俺はこれで後腐れなくいつでも往ける訳だ。彼女の、照れたような、恥ずかしがっているような、怒っているような、苛立っているような、そんな顔を間近で見れたから。
「……そういえばさ」
なに、と怪訝そうな声に俺は、やっぱいい、と首を振った。彼女のくれたペットボトルに口をつけて、喉を鳴らした。
(……これって、間接キスになんのかな)
俺は気になって仕方がない。
後腐れなくなんて嘘だった。人間なんて生きてる限り、欲が無限に湧くもんなんだろう。
彼女の顔を盗み見る。汗でしっとり濡れた肌の上に一際目立つ、小ぶりな唇を。俺はそれをじっと見つめて、生きててよかったと、青い空に向かって手を合わせた。
夏の空の下、俺はもうすぐ逝く こおの @karou_nokoko
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