第1話
19XX年―。エインヘリアル自治区(北関東付近)・姫乃森市。
10時45分、起床―。
仄香はベッドで幾度か寝返りを打って、まだ覚めやらぬ眠りの快楽に身を任せつつ、側で高鳴る目覚まし時計の「チリーンチリーンチリーン」という喧しい音に、重い頭を持ち上げる。
「んん~ッ」
上半身を起こして、伸びをする。睡魔を追い払うため、ベッドから降りて窓のカーテンをバッと開ける。窓越しに行き交う車の喧騒や、鳩の鳴き声を模した信号機のメロディが聞こえてくる。
彼女が住んでいるのは角地に面した鉄骨製団地で、艦橋を思わせる外観に、凹凸のついた外壁にはキューブ状の部屋がくっついている。通りがかる人達はこの建物をいつしか「姫乃森の軍艦団地」と呼ぶようになった。
「うん、いい日差し...」
そんな事を呟きながら、パジャマを肩辺りまではだけて、一呼吸置く。そしてボタンを上から一つずつ外していき、ズボンも脱ぐ。床に放った着替え一式を洗濯機に放り込み、クローゼットに向かって着替えを取りに行く。洗濯機が回り始めたのを尻目にキッチンに向かい朝食の支度をする。
手近なウォールシェルフを開くと、コーヒー豆を入れた容器と、コーヒーミルがある。朝、コーヒーを淹れて飲むのは目が覚めて良いし、何よりあのほろ苦い口触りは落ち着く。一人暮らしの彼女の貴重な楽しみであり、モーニングルーティンのうちの一つでもある。
鼻歌を歌いながら、容器から計量スプーンで豆をすくい、ミルに入れる。丁度いい目分量になったら蓋を閉じて、ハンドルを回し始める。しばらく立って、挽き終わった豆をマグカップに重ねたドリップバッグに移してポットで沸かした湯を注いでいく。
出来上がったホットコーヒーを先程のリビングに持っていき、椅子に腰掛けて一口、二口程度ちびちび啜る。
「うん、美味しい」
バランスとコストを兼ねた最低限の朝食を済ませた仄香は、外のポストに手紙を確認しにいく。
「あれ?何か入ってる。どれどれ...」
ポストの中に手を入れてガサゴソ漁る。入っていたのは一枚の手紙だ。ご丁寧にシーリングスタンプで封までしてある。しかし、差出人はどこを見ても書いていないが、唯一そこには父の名前が、達筆な字で記されている。
部屋に戻ってハサミで手紙を開ける。
「これはお父さんの...遺書?」
そこには父の邸宅までの簡易的な地図が記されている。詳しい内容は邸宅に行ってから確認しようと思った。地図を何回か見返し、道順を叩き込んでから一階まで降りていき、必要な物をリュックサックと愛用のベージュのトートバッグに詰めて、駐輪場の自転車にまたがる。
* * *
霧の多いこの街にしては珍しく外の空は青く晴れ渡って、道の先には夏らしく
「はぁ...フゥッ......まだ着かないのかな。こんなキツい坂道だって聞いてないよ~」
どんどん息遣いは荒くなり、体は既に悲鳴を上げている。汗がダラダラと流れ、疲れがドーっと押し寄せてくる。それでも、必死に坂道を足のペダルにより力を込めて精一杯漕ぐ。この坂道自体は、ここより先と比べたら、さほどキツい傾斜ではないが、脚は既にパンパンだ。
「あともうちょっと...ファイト」
息が上がりそうになり、疲れも限界に近づいてきた頃、ようやく目的地が見えてきた。目的地はちょっとした高台の坂道に建つネオ・ルネッサンス様式の、白亜の立派な洋館だった。
「ここで...いいのかな?」
ベージュ色のトートバッグから地図と現在地の周辺を交互に見比べる。地図に書いてある地図上の位置と現在地は、確かに一致しているはずだ。
(まぁ、いいか)
そーっと玄関のインターホンを鳴らしてみるが、反応は返ってこなかった。でも、おかしい―。何年も放置した家に電気が通っているはずがない。そう思いながら、トートバッグからキーを取り出して開ける。正面玄関の扉のドアノブに手をかけると「ギィ...」という軋んだ音がして、扉は案外簡単に開いた。
「お、お邪魔しま~す...」
特段人の気配があるわけでも無いが、そう言いたくなるのが彼女の
入った瞬間、一瞬だけだが何かしらの霊気を感じて、気圧される。すぐ慣れたが、この館全体に結界が張ってあるのかもしれない。この館の前に降り立った時からおかしいと思っていたが、電気が通っているのもそのお陰かもしれない。
中はだだっ広い。外観も立派なだけあって、中身も負けず劣らずの豪奢な作りだ。壁には絵画や振り子時計が飾ってある。奥の扉を開けるとその先にはリビングがあった。床には赤いゆったりとした絨毯が敷かれており、その上には鳥や獅子などの彫刻が脚に施されたテーブルとソファが置かれている。壁際には凝った想定の古書が陳列された本棚が並んでいる。
仄香は「よいしょ」と気の抜けた声で近くのソファに腰掛ける。座ってみるとソファは座り心地がよく、生地も柔らかくふかふかだった。
「でも父さんも母さんも、こんな立派なお家に住んでいたんだなあ。でもなんでだろ、生きてる間に見たのは初めてなのに、初めてじゃない感じがする」
そう言って仄香はうつむいてしばらく考えに耽ける。しかし、何か思い出した素振りを見せて顔を上げる。
「そうだ、私ここでボーッとしてる場合じゃないよ...父さんの手紙に入っていた鍵...あれを使って地下室の鍵を開けるって...でも何があるんだろ」
そう言いながら手を合わせた仄香は、トートバッグから手紙を取り出す。そしたらその中にジップロックに入った鍵が落ちてきた。続いて手紙の内容に目を通す。
手紙の内容はこうだ。
「仄香、お前にこれを託す。これは我々の家に代々伝わる秘宝だ。私の邸宅の地下室にそれはある。それは強力な力を持っているが、使いようによってはお前の役に立つだろう。しかし注意しろ。使い方を誤ったらただで済まない目に合うぞ。使い方はお前次第だが、上手く使ってくれ、では。追伸、
手紙を読み終わってあれこれ考える間もなく、手紙は自動的に火がつき燃えて、跡形もなく消えてしまった。
「お父さん、どう言うことなの...私わかんないよ」
そうこぼしてさっき落ちた鍵をしゃがんで拾う。彼女の頭には一つの疑問が浮かぶ。
「でも地下室への扉って、どこなんだろう?」
部屋を見回すが、それらしい扉も通路も見当たらない。
「他の部屋にあるのかな...」
地下への隠し通路の事に気を取られていた仄香は、床に落ちていた万年筆の存在に気づかず、体勢を崩してそのまま壁際の本棚に体ごとぶつかってしまう。そしてぶつかった本棚と本棚の間にぽっかりと空いた空間があった。「あぁっ...」と素っ頓狂な声を出して起き上がり、その光景をまじまじと見つめている。
(本当にあったんだ、地下への隠し通路)
仄香はやや呆気にとられた表情でそれを眺めて、階段を一段ずつ降りていく。階段を降りていく度に視界は暗くなっていく。もう随分と
仄香はあまりの空気の悪さに咳き込む。
「ゲホゲホッ!うぅ~汚い...こんな部屋を何年も放置して父さんは何がしたかったんだろう」と言いながらポケットから、持参してきたハンカチを出し、口にあてる。
少し進んだ部屋の奥に、
「ひぃっ」
棺を見て思わず悲鳴を上げてしまう。
「死体が入ってたらどうしよ...」
そう思いながら、蓋をこれまた恐る恐る外してみる。
「うわぁっ!」
棺の中身から眩い光が溢れてきて、床に赤い魔法陣が回転しながら浮かび上がる。光に目が眩んで尻餅をついてしまう。目を開けると、その中に入っていたのは少女だった。
棺の少女が伸びをして上半身を起こす。
「ふわぁ~よく寝たものじゃ。久々に空気を吸った気がするのう」
「あなたは...誰?」
「余か?余の名はアルシエル、
「あ、あああああ....悪魔?」
仄香は信じられないと言うような顔で見つめている。
「そう、悪魔じゃ。人間の少女よ、なにか不思議か?ふふ...不思議がるのも当然か。元来、人間と悪魔が会うことなんて数十年前の黙示録戦役以降ありえん事じゃからな」
アルシエルは片足を棺の外に出して、地面に降りて立ち上がる。燃えるように赤い髪を、左右でツインテールにまとめてある。悪魔よろしく2本の短いツノが頭部から生えており、吊り目がちな目は片方を白い仮面が覆っている。体には赤いゴシックロリィタ調のドレスを身に纏っている。二カッと笑った口には八重歯のような牙が覗く。
「のう、ぬしよ。余と契約してみないか?」
「け、契約!?」
契約、悪魔―。普段聞き慣れない文字の前に仄香の脳はオーバーヒート寸前だ。
だが、そんな仄香をよそにアルシエルは続ける。
「契約は素晴らしい儀式じゃ。うぬが余に身を捧げ、そして余もうぬのために忠誠を尽くし、戦い、守り、強め合う。お互い至れり尽くせりの関係じゃ。どうじゃ?素晴らしいと思わんか?」
身振り手振りを交えて熱弁するが仄香は首を振る。
「ごめん、私にはまだ決められない...返事は考えておくね」
「そうか、それは残念じゃ」
アルシエルは眉を下げ、肩を落とす。
「それなら余をうぬの部屋に連れていってくれんか?余は腹が減った。久々に人の世の食べ物を味わってみたいのう」
「は、はぁ...」
仄香は分かったような分かってないような微妙な口ぶりで頷く。そしてアルシエルにアイコンタクトをして一階に案内する。アルシエルもそれについてくる。
「お茶持ってきたんだ。紅茶とコーヒー、どっちが良い?」
「うむ!両方頼む!」
アルシエルは満面の笑みを浮かべている。いかに楽しそうだ。まるで幼い少女が母の作る夕飯を待っているかのように。
「両方は無理かなぁ、せめて片方ずつね」
「う~む、仕方ないのう」
アルシエルを見ると眉をへの字にしている。薄々思ったが、この悪魔は表情が豊かだと仄香は思った。「悪魔」という事実を除けばただのいち”少女”であり、その内面もまた年相応の女の子なのかもしれない。
「そういえばうぬの名を聞いておらんかったな。余だけが名乗るというのは不公平じゃからな」
「私は仄香、古戸守仄香」
仄香は「悪魔の少女」を名乗る少女の方を少しだけ振り返り、答える。
「『ほのか』か、いい名じゃな」
「ありがとう」
今度は仄香が笑顔になる。そういえば他人とこんな親しく話して笑ったのはいつぶりだろう―。
両親が幼いころに亡くなってからというものの、ずっと親戚に引き取られていた。仕送りで団地に一人暮らしして高校にも通わせてもらっているが、引っ込み思案な性格故、中々馴染めず友達ができずにいて、最近は不登校気味になっている。
そんなことを思い出して少しだけ、目がうるんだ。
アルシエルにそんな素振りを見せまいと涙を拭いて、「ねえ、これが終わったら街を見に行かない?夕陽がきれいで街も見渡せる、おすすめの場所があるんだ。アルシエルも久々だから楽しみだろうと思って...」と、どこか寂しげな笑顔で口にする。
「うむ、よかろう。それはとても楽しみじゃな」
お互い顔を見合わせて笑いあった。仄香にとっては初めて出来た友人といっても過言ではない。でも、初めてできた友達が悪魔だなんてちょっと意外だった。このことをお
仄香は、持参した缶コーヒーをアルシエルに飲ませてあげる。
しかし当のアルシエルはと言うと―。
「うぅ...不味い。まるで泥水じゃないか。人間はこんなものを喜んで飲んでおるのか...信じられぬ」
と苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「そんなぁ~美味しいのに」
と仄香は肩を落とす。
「じゃ、じゃあこの紅茶を...」
とアイスティーを差し出す。
「うう~ん、なんてスイートな飲み物なのじゃ!この甘酸っぱい口触り、とろりとした味!溶けるような甘さ!これぞ余の求めてた味じゃ!」
「やった~!喜んでくれた!」
次いで持参してきたサンドイッチを分けて食べ、しばらく語らい合った―。
壁にかかった振り子時計の長針が5時を回ったと同時に、「カーン、カーン、カーンカーン」と夕方を知らせる鐘の音がどこからともなく響いてくる。市の中心部にある市庁舎の鐘楼からだ。
「もうすぐだね」
仄香は振り向きざまに微笑む。
「あっ、そのままの格好じゃまずいよね...待ってて今何か用意するね」と言って、自分の服が汚れた用にと、Tシャツをもう一つ持ってきていたのを着せた。ついでに顔の仮面も外させたが、仮面の下は特に傷があるとかではなく、至って普通だった。仮面を着けている理由を聞いてみたくなったが、なんとなく聞きづらかった。
邸宅前の坂道をずっと登っていく。周りには白く立派な大理石の塀や、ガレージのある家、身長より高い生垣など、浮世離れした高級さを感じれられずにはいられない家々が並ぶ。登れば登るほど、坂道は少しずつ急になってくるのがガードレールの傾斜角度から見てとれる。
「あ、もうすぐ見えてきた、あそこだよ」
「ほうほう、これは公園か?」
「うん。街全体が見渡せて夕日もきれいで私、大好きなんだ。この場所」
何層にもわたる巨大な壁に囲まれ、中低層の雑居ビルや防火帯建築の片側式アーケード商店街、古びたコンクリート製の無骨な団地が高低差の激しい地形の上にひしめき合っている。
路地の間を路面電車が縫うように走り、街の中心を高架線路が横断する。そのやや南側の丘には煉瓦造りの巨大な尖塔を備え持つ古城がそびえ立つ―。線路の北側には、木造の和洋折衷建築が目を引く市庁舎の天文時計台と鐘楼がある。
沈みゆく夕日と焼けるような空のうろこ雲が、この街の異国情緒をより演出している―。2人は公園のベンチに座り、しばらくボーッと眺めていた。
「ねえ、アルシエルはお父さんのこと知ってるの?」
「うむ、知っておるぞ。じゃが、大分昔のことじゃから記憶が曖昧だ」
「それでもいいよ、少しだけでも良いから聞かせて」
「うぬの父の
アルシエルは出会ったときには見せなかった虚ろな表情をしていた。
「そんな折に『教団』を名乗る者たちが押し寄せてきて吉継に何かを問い詰めているところを見かけた。それを見てしまった余は教団に抵抗したが、殺されかけて、それを見かねた吉継は余を棺に封印した。すまぬ、覚えているのはここまでじゃ」
「ううん、全然いいよ。聞かせてくれてありがとう...私も少し気持ちが晴れた」
「それは良かったのじゃ」
2人で顔を見合わせて笑う。
ー姫乃森市・壁外放棄地区
倒れた電柱、あちこちで寸断された道路、あちこちに積み重なる瓦礫の山、穴ぼこだらけで鉄骨がむき出しになって見るも無惨な建築物に、放置され凹んだ車の数々―。この世の終焉の地と言われても、納得してしまいそうな光景がそこに広がっていた。
その端々に人ならざるものが闊歩している。「幻災獣」と呼ばれる化物で、怨恨に満ちた霊魂が呪詛の影響を受け異形の姿と化したものだ。
「そちらの様子はどうだ?ここ最近その地区は幻災獣の動きが活発になっている。特に最近報告されているケルビム級には警戒を怠るな。非常に獰猛な性格故、油断は禁物だ」
ゴシック風のドレスと紫のフードローブに身を包み、手に銃剣を携えた少女は耳元のイヤーカフ越しに語り掛ける女性の声に半ば呆れながらも頷いている。
「わかってますよ、私たちを見くびらないでください」
フードローブの少女は不満げに口を尖らせる。目深く被ったフードから覗く青みがかった美しい髪とは裏腹に、その眼光は鋭い。
「全く、ツレナイんだからさ......」とデスクトップPCのモニターを眺める女性はため息交じりに茶化すが、焦りと苛立ちに駆られている彼女の耳には届かない。
「チッ、静かにしてください!任務に集中できません」
と舌打ち混じりに返す。
「あらやだ怖い」
「3時の方向に敵影確認、来ます!注意してください!」
「
ローブの少女の隣に立つピンク髪の少女兵は腕を鳴らす。
そして口論に水を差すが如く、それは突然やってきた。白い体躯に狼の頭蓋骨を思わせる頭部の口内からは鋭い牙が生えている。手の代わりにある巨大な鎌を振り下ろしてきたので、後方に飛んで避けつつ、化物に照準を定めて銃剣の弾丸を2、3発ほど打ち込む。
化物は「グアァァァァ!!」と雄叫びのような唸り声を上げる。どうやら先程の攻撃が効いたらしい。
「どう?私のストレートアターック、効いてるでしょ!」
「なんですか?その不恰好なネーミングは...ダサいです」
「そう言わずにさあ、ユズハももっと喜びなよ?モテナイよぉ?」
「はいはい、そうですね」
ユズハと呼ばれた少女は溜息をついて、照れたようにそっぽを向く。
「幻災獣に会心の一撃を与えたわけではありません。まだ息をしてます、気をつけてください」
「了解!」
ユズハはオペレーターの指示を聞いて先程の幻災獣に向かって疾走し、1メートルくらいの距離からジャンプして、頭上を狙って銃剣で落下攻撃を加える。刃が食い込んで脳天が割れて血が吹き出す。幻災獣は苦しみ、悶え、やがて息絶えた。
「とっりあえず、任務完了かな~?」
「待て、京香。まだなにか気配を感じる」
「なーんだまだ居るのか~」
京香はぶーたれる。ポニテに結んだピンク髪の後れ毛が冷たい風に揺れる。
静寂ののち、「ギャアアアアア!!!!」という耳をつんざくような叫び声をあげ、先程のとは比べ物にならないほどの巨大な幻災獣が姿を表した。装甲のような鱗に包まれた両腕は、細い胴体とは不釣り合いに大きく、手には鉤爪がある。肩甲骨からはコウモリのような翼が生えている。背中から頭部にかけても鱗がある。
「マジこれ?デカくね?」
京香は幻災獣のあまりのデカさに顔がひきつっている。
「ケルビム級の幻災獣です、こいつは厄介な代物ですよ」
「ハァ?あなたも安全地帯で指示だけ出していないで私達と一緒に戦ったらどうなの?」
ユズハはなおも冷たい態度を取る。
「そういう事は任務が終わったら聞くわ。ユズハ、少しは素直になりなさい」
ケルビム級が「ギャオオオオ!!」とけたたましい咆哮を轟かせて、巨大な左腕をこちらに振り下ろしてくる。2人は振り下ろされた腕を避けて飛び上がっていたため無事だったが、左腕が近くの廃ビルに突っ込んだ。廃ビルは音を立てて崩壊し、瓦礫が飛散していく。
飛び上がったユズハと京香は振り下ろされた左腕の上に乗っかって頭めがけて走っていく。ユズハがケルビム級の肩から空中に身を投げ、一回転して「やぁっ!」と言って剣を振り下ろす。
ケルビム級は「グアァ」と声を上げて腕でユズハを払い除ける。ユズハはそのままビルの壁に激突してしまう。
「ッ!!」
「ユズハ!」
「ハアアアア!!」
京香はケルビム級の背中に登り、頭に思い切り銃弾を乱発し、剣を突き刺しまくる。ケルビム級は抵抗し振り払おうと頭を振るが、京香は避け切り、その後も連続的に続く攻撃を交わしながら残りの銃弾を的確に撃ち込む―。
「ッ…京香」
ビルの壁に打ち付けられたユズハは、京香の戦いぶりを若干朦朧とした意識の中、傍観していた。気づいたうちには対象は完全に沈黙して、足元には大量の赤い液体が流れて、凝固していた。
「ッ、ハア!ひっさびさに発散したなァ!スッキリしちゃったよ!!」
京香は先程の狂乱ぶりから一転した明るげな笑顔でいる。しかし、イヤーカフ越しのオペレーターは何やら騒がしい。
「そんな…ゲートにひびが入るなんて…」
視界の先にそびえ立つ、仰々しい意匠の忌々しい"扉"に、よく見ると斜めに亀裂が入っていた。その場に衝撃が走った。
「我々が死守してきたゲートに傷が…。しかしこの程度の傷が何か問題なのか?」
気絶状態から回復魔術で復帰したユズハがオペレーターの女に問いかける。
「あぁ。一時的な傷なら何ら支障は無いが、この傷を放っておくと"扉"の封印魔術の効力が薄まってしまう危険性がある。一度溢れてしまったら取り返しがつかない…」
「どうすればいいの〜?」
「できるだけ早く、修復班を向かわせる…。ユズハ、あと京香も…、貴方達のせいでもあるのよ?」
「ッ……!!」
ユズハは歯ぎしりする。素直に自分が犯した非を認める事は、彼女のプライドが許さない。心の底では悔しさが込み上げ、そんな自分の感情と葛藤している。
「ユズハ…ひとまず撤退してとりあえず教会に戻ろう」
京香が肩に手を置いて、優しく声をかける。ユズハは無言で頷く。
2人が撤退したのち、残ったものは瓦礫の山と幻災獣の亡骸のみとなった。
* * *
仄香とアルシエルは丘の公園を後にして帰路についていた。
「仄香とかいう者、今日は楽しかったぞ。余は満足じゃ」
アルシエルは楽しそうな表情で、仄香もついつられて嬉しくなってしまう。引っ込み思案な性格なため、あまり人と関わる事の無い彼女だが、やはり友達ができることは嬉しく感じる。この関係が長く続けばいいと願った。
だんだんと沈みゆく夕陽と、青く暗くなりゆく空と山の稜線の境界のコントラストが沁みる。
「ふふ、それはよかった」
だが、仄香は心の何処かで不穏な気配を感じていた。それは自分の身の上に起きることのようにも感じられ、あるいは自分の身の回りに起きることのようにも感じられたが実体ははっきりしない。ただ「何かが起きるはず」というぼんやりした不安感が虫の知らせのように彼女の頭の中をかけ巡っていた。
「仄香殿、どうしたのじゃ?」
アルシエルは心の声でも聞こえているかのように聞いてきた。まさか、そんなはずは無いと思いつつも、心配してくれるのはありがたいことだ。
「ううん、なんでも」
しかし来た道を引き返している途中、その悪い勘はあたっていた。邸宅の正面玄関の鍵はしっかり閉めたはずなのに、家の中に知らない人達が居座っていた。
「えっ...」
「悪いね、ちょっとだけ君の家を貸してもらっているんだ。吉継とやら...例の魔術師の邸宅は確かに此処であっているのかね?ご子息の君が一番知っているであろう」
「なんでお父さんの名を...」
「知っているか?と聞きたいのだろう、実にいい質問だ」
邸内を不法占拠している集団は男三人。胸辺りではだけた紺色の腰まで届くフードローブ姿の下に燕尾服を身に纏っている。答えたのはそのうちのロン毛姿の糸目野郎だ。
「我々は
「ワールド...リテイトじゃと.......、かつて余に刃を向けた
「御名答」
「じゃあお父さんを殺したのもあなた達なの?」
「それは違うねえ、あいつが勝手に死んだだけさ。我々が探しているのは君の父上の研究資料だ」
糸目の男はヘラヘラした調子で言い張る。仄香の顔は、この男たちに対する恐怖と潜在的な憎悪的感情によって、引きつっていた。
「どう言うことなの?説明してよ!」
仄香はいつの間にか、叫んでいた。いつもの彼女の性格からは想像の出来ないような声の調子で、叫んでいた。彼女の頭の中にある恐怖と憎悪が「やったら殺られる」という警戒心と自制心より、「行動」を最優先した。それは衝動的なものだった。
「仄香殿、待て!」
アルシエルは男たちの方向へ向かう仄香を制止した。
「今こやつらに歯向かっても何をされるのか分からんのじゃぞ?迂闊に手を出さん方が良い」
「分かってる、でも...」
仄香はアルシエルに手を引っ張って戻される。
「さぁ、もうタイムアップだ。この館も放っておいてもどうせ誰も来ないだろうな。我々の訪問を有難く思うんだな」
そう言って男達の中の、金髪ツーブロックの飄々とした男が言い放つ。
「この館を丸ごと燃やせ!」
「え、え?...待って...やめて」
徐々に青ざめた表情へ代わり、後退りする。
壁に無数の札を貼りブツブツと呪文を唱える。すると、壁に貼られた札から炎が現れ周囲にあっという間に燃え広がっていく。
「イヤアアアアアア!!!!」
仄香は泣き叫んでいた。嗚咽が漏れ、涙が次から次へと溢れ出てくる。
苦しい―。呼吸が苦しい。
暑さで息ができない。
燃え盛る炎の中で、仄香はただひたすら嘆き悲しんでいた。
大切な思い出が積み重なった数少ない居場所を失われるなんて―。
これ以上私から奪わないでよ...
「ァァ...」
...
......
「仄香殿!仄香殿聞いておるか!」
「アル...シエル?」
「余と契約するのじゃ!ここで何もせんと、うぬの命は無いんじゃぞ!」
「ッ...」
仄香は無言で首を縦に振る。
「その答えを待っておった!」
「天の
アルシエルが虚空から取り出した剣を、仄香の胸に突き刺す。
「
突き刺された胸元に痛みが走り、肩甲骨から見えない翼が生えるような感じがして、全身が研ぎ澄まされるような感覚に陥る。
* * *
「小娘は何処へいった?いや、とっくに死んだか」
教団の三人の一人が余裕そうな口ぶりで言い張る。しかしそれも束の間、一面燃え盛る炎が真ん中あたりで分断され両端に吸収されるように収束していく。
「まさか、嘘だろ!あんな炎の中で生きていられるわけがない!」
男は腰を抜かしている。
炎の中から現れた仄香はギンガムチェックのオフショルダーワンピース姿ではなく、ボレロタイプの漆黒のドレス・ワンピースに身を包み、手に銃剣を携えていた。銃剣は尾のグリップが柄となり、中心部に中折機構がある。そして銃身の部分でライフルと両手剣に分かれている。
「私から居場所を奪った代償、払わせてもらうよ!」
「クッ!」
「―天の理が導きし我が神霊の名の下に、あなたたちに裁きを下す」
「
銃口から放たれた一点の赤薔薇が風に巻かれたように散り、風の目から一筋の光が吹き飛んでいく。辺りは光に包まれ、薔薇の花びらが散っていた。
「あぁ...」
仄香は技を使い切ったのか疲れ切って床に倒れ込もうとしてアルシエルに受け止められる。
「父さん...私、守ったよ。父さんと私の思い出の場所そして居場所を...」
しかし呼びかけも虚しく仄香はアルシエルの手元で気を失ってしまう。
彼女たちの背後で、館はなおも燃え続け、焼け落ち、崩れ行く。
* * *
「これは酷い有様だな。跡形もない」
「教会」から視察に向かっていた青桐ユズハは、焼け落ちた邸宅の惨状を目の辺りにして唖然としていた。
「生存者はいるのか?捜索しろ!」
「青桐さん、こっちに2人!女の子が」
職員が叫ぶ。
「何!」
ユズハは小走りで声のした方へ駆けていく。向かった先には、焼けて黒くなった資材の下敷きになっている2人の少女がいた。
「すまない、もう少し早ければ、こんなことにはなってなかった」
ユズハは崩れ落ちた資材の中で埋もれていた少女に必死で呼びかける。それは仄香とアルシエルだった。
「あなたたちは...誰?」
仄香は消え入るような声で呼びかけに応じた。意識は回復してきてはいるものの、まだはっきりとはしていない。
「私達は『アエテルニタス正教会』から来た者だ、それにしても酷い怪我だな。とりあえず車に乗ってくれ、教会で治療する」
「は、はぁ」
2人を担ぎ込んだ教会職員は邸宅前の坂道に停車していたブラウンの車に乗せる。
「私は青桐ユズハだ。そういえば貴様の名前を聞いていなかったな」
助手席から振り返って話すユズハの方を、車の後部座席のリクライニングシートで楽になりながら見ていたら、感覚が戻ってきたのか体のあちこちが痛み始めてきた。
「古戸守...仄香です......」
声の芯は弱々しい。蚊の鳴くような声だ。
「古戸守だと...吉継の娘とはこの子だったのか」
「はい...、あ、うっ...」
上半身はシートベルトで緩く固定されているが、起き上がろうとして肩甲骨に焼けるような痛みが走って、唇を噛む。そこに本来あるはずの無い「翼」が脳の錯覚で痛みを感じる「
「あぁ、あまり無理に動くんじゃない、傷が痛むだろう。楽にしていていいんだぞ」
ユズハは気掛かりそうな表情だ。心配させまいと笑ってみせるが、それでも尚、肩は痛む。
「それで話は変わるが、お前を教会が運営する学院に入学させる事が決まっている、どうだ?」
空気を変えようとユズハは話題を変えた。
「学院?」
当の仄香はキョトンとして首を傾げる。
「ああ、そうだ」
車は住宅街を抜け、市街地に入り路面電車と並走し、幹線道路で信号に3、4回引っかかってから、北の丘陵地帯へ向かっていく。
「来たね~」
「ええ、そうね」
寮の一室のテーブルで、コーヒーカップとケーキを囲んだ女学生達が何やら楽しそうに談義をしている。それも束の間、扉をノックするコツコツという軽快な音により、中断させられた。
「入っていいか?」
扉の向こうからやや低い女の声がした。
「ええ、いいわ」
扉を開けるとそこにはユズハと、彼女の後に続いてボレロタイプの制服にジャンパースカート、頭に学院指定のベレー帽を被り、手にブラウンの革製スクールバッグを携えた姿の初々しい雰囲気の女学生が2人、入ってきた。
「今日からお世話になる2人だ、面倒を見てやってくれ」
2人を見やったおち、先程井戸端会議をしていた女学生の一人は「わかりました」と首を縦に振り了承する。
「ほら、お前たち。自己紹介しろ」とユズハに背中を押されて2人とも前に出る。
「あ、あのぉ、古戸守...仄香です...よろしくお願いします...」
仄香は慣れない口調で挨拶するが反面アルシエルはと言うと、「余はアルシエルよ!お見知りおきを!」と誇らしげに言う。果たして此処に居るうちの何人がこの奇妙奇天烈な赤髪悪魔の言う事を聞くのか。
「なんで悪魔が居るのよ!」とアルシエルの事を指差して叫ぶ。
「ん、あんた達のとこでは別に珍しくもなんともないだろ?」
「フン!余が怖いのか?」とアルシエルは胸を反らせて尊大な態度を取ってみせるも「まあまあ、アルシエル」と仄香になだめられて大人しくなる。
「まあ、いいですよ。事情は既に聞いています。辛かったでしょう?私達はいつでも貴方達を歓迎するわ」
「え、ああ、はい。よろしくお願い...いたします」
仄香は恥ずかしげに頭を下げる。
「ふふ、分かっているのなら良かったです。ようこそ、ヘスペリス高等女学院へ。私は本宮有栖よ」
本宮有栖と名乗る女学生は、茶髪のミディアムヘアーがおっとりした印象を与える、そんな人だ。
「私は
と意気揚々と自己紹介をするのは先程、アルシエルを指差して嘲弄した女学生だ。
「お、お主......余を指差しておった者じゃないか......先程と態度が違うじゃないか」
「まあまあ......」とまたも仄香になだめられて大人しくなるが、納得いっていなさげである
「そういうわけで、これからよろしくお願いします。古戸守さん、いえ...黒魔術師『
「え......?」
to be continued.
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