5、天使のキスと恋の契約⑷

 朝日が顔を出し始めるころ。家のベランダへ降りると、こっそり鍵を開けて部屋のベッドへもぐり込む。

 プイプイの魔法のおかげで、気づかれずに帰れてよかった。

 何事もなかったように、朝起きて行くと、エプロン姿のお母さんがにっこにこのスマイルで立っていた。


「リリア、昨日はレオくんの家に泊まったんですって?」

「え?」

「となりなのに、ほんとに仲がいいわね。もっしかして、付き合ってるの?」


 どうなのよ〜と、後ろから抱きついてくる。

 好きな人ができたって報告したら、お母さんは喜んでくれるのかな。

 悪魔だと知ったら、反対するかな。わたしに関係なく、封印しちゃうのかな。

 夜宮先輩は、他の悪魔たちとは違う。

 いつか、みんなに分かってもらえるといいな。


「レオのことは大事だけど、ただの幼なじみ! でも、好きな人はいる」


 急に真面目になったから、お母さんはきょとんとしていたけど、そっかと優しく返してくれた。

 ドドドとものすごい音が近づいてきて、いきおいよくリビングのドアが開く。


「な、なんだって? 今、リリアの声で、好きな人がどうって」


 青ざめた顔のお父さんが、寝ぐせ頭のまま飛び起きてきたらしい。


「あなた、焦りすぎよ。リリアだって、もう中学生なのよ。好きな子ができたって不思議じゃないでしょう」

「そうだけど、お父さんは寂しいぞ。まだお嫁には行かないでくれ」

「やあね、何年先の話してるの。さあ、二人とも朝ごはんにしましょう」


 ハムエッグとピーナッツサラダを並べながら、お母さんがあきれ笑いを浮かべる。

 わたしは、二人の笑顔を守りたい。

 いつか、みんなが幸せになる未来が訪れるように、頑張ってみせる。

 今はまだ言えそうにないけど、必ず話すから待ってて。


 いつも通り登校すると、すでにいたトーコちゃんが血相を変えて迫ってきた。なんでも、占いの結果が原因で朝から荒れているんだとか。


「これは事件です。リリちゃんに求愛するオスの影が三匹あります。それも強力な愛の持ち主で、私ではとうてい太刀打たちうちできません」

「三匹って、そんな虫みたいな」

「気をつけてください。きわめて邪悪な星でした。なんとしても、私のリリちゃんに近づく悪魔どもは阻止そししなくては」


 シャーロットを抱きしめながら、ぶつぶつとつぶやいている。

 心配してくれるのはとっても嬉しいけど、たまにトーコちゃんはゾワッとすることを言う。

 悪魔って、まさか……まさかね。


「よお、リリア」


 教室へ入ってきたレオが、ぐっと顔を近づけてわたしの顔をのぞき込む。

 なにか言いたげな目をして、はあとため息をこぼして離れた。

 もしかして、昨日のことを気にしているのかも。


「お母さんからわたしのこと聞かれて、かばってくれたんだよね。ありがとう。でも、わたしは大丈夫だよ」

「……許したわけじゃねぇからな」

「え?」


 聞き返したところで、レオはトーコちゃんに連れられて教室を出て行った。

 離せとダメですの言い合いだけが、廊下に響いている。

 ぽつんと一人残されたわたしは、こてんと首をかしげた。

 なんだかんだ、あの二人も仲良くなったと思ったら、にやけてくる。


『プイプイ、プイプーイ』


 ポケットの中が騒がしくなって、体が勝手に動き出す。たぶん、夜宮先輩が呼んでいるのだ。

 人の波をよけて、かけ足で階段を上がる。

 弾むように屋上のドアを開けると、待っていた夜宮先輩がふり向いた。


「せんぱい!」


 大きく振り上げた手を、そっと下ろす。

 昨日の出来事を思い出して、胸がドキドキした。

 恋人になってほしいと言われて、すぐに答えられなかった。わたしなんかでいいのか、まだ不安だけれど。


「わたし、いっぱい考えたんです。どうしたら先輩を守れるだろうって」

「うん」

「だけど、そばにいることしか、思いつかなくて」

「うん」


 優しくうなずく夜宮先輩。スーッと大きく息を吸って、勇気を出す。


「もっと力になりたいんです! 先輩とずっと一緒にいるために、先輩が封印されないように。なにか、わたしに手伝えることはありますか?」


 いきおいよく話したのが驚いたようで、夜宮先輩は、一瞬、目を丸くした。

 なにか思いついたみたいな、フッとした笑みを浮かべて。


「そうだなぁ……じゃあ、不幸を食べない僕に、リリアのエネルギーを分けてくれる?」

「もちろん! でも、どうやって……?」


 首をかしげると、プイプイが顔の前に飛んできて、わたしの鼻をコショコショとくすぐる。

 えっ、なになに?

 細い毛がくすぐったくて、ムズムズすると思ったら。


「ハァー……クショーンッ! ハックションッ!」


 大きなくしゃみと一緒に、じわりと涙があふれた。


「い、いきなり……なにを……」


 擦ろうとした手が掴まれて、チュッと目元にキスが落ちてくる。

 わ、わ、ひゃわぁ──⁉︎

 何が起こったの⁉︎

 もう一方の指で反対の涙を拭うと、先輩はペロリと指先を舐めた。


「涙は悲しみの象徴でもあるから、多少のエネルギーとなるみたいなんだ」

「そ、そうなんですね……」


 ぽわんと瞳の赤が濃くなって、戻っていく。

 びっくりした。変に意識しちゃって、ドキドキが止まらない。


「リリアの涙、食べさせてくれる?」


 そのシーンを想像しただけで、顔から花火が上がりそう。

 でも、もう決めたの。


「それで先輩が少しでも元気になるなら、喜んで差し出します! 何滴でも!」

「アハハ、頼もしいよ。これからよろしくね」


 目が合って、頭がふわふわする。

 頬に手を当ててみると、熱くなってきた。

 こんな調子で、十六歳になったとき、夜宮先輩の花嫁になれるのかな。


「それから今度、僕のもうひとつの家を見てみたくない?」

「……それって」


 顔を上げたら、先輩が唇の前でシーッと指を立てて。


「永遠の向こう側の世界」


 小さく口を動かした。

 地球こことは違う場所。悪魔の住む魔界。


「行ってみたいです!」


 素直にその言葉が出た。

 怖くないと言ったら、嘘になるけど。私も知りたい。

 夜宮先輩の、もうひとつの世界を。


「じゃあ、その前に【おまじない】でもかけておこうかな」

「おまじない……ですか?」

「この先、しっかりリリアを守れるように。いろんな意味でね」


 またいつ王河さんが狙って来るかわからない。先輩はそう言って、わたしの手をそっと取る。

 そのままチュッとキスを落とすと、手からキラキラと何か浮かび上がってきた。

 なんだろう、これ?

 スモークはハートの形を作って、わたしたちの上で止まっている。

 ふいに抱きしめられて、動けなくなる。

 心の準備が……まだ!


「まずは、あの約束から。覚えてくれてる?」

「……あっ、それは」


 昨日、言われたもう片方を思い出して、さらにドキドキが加速した。


『僕のことも、名前で呼んでよ』


 わたしが王河さんって口にしたから、夜宮先輩が嫉妬したみたいなの。

 ものほしそうな顔で、ちょっぴり甘い目で見てくる。


「ほら、紅羽って呼んでみて」

「……くれは……せんぱい」


 まともに目を見れないまま、すっぽりと腕の中におさまった。

 心臓の音が聞こえてしまいそう。

 これから、なにが待ち受けているのか想像もつかないけど。このトキメキはくすぐったくて、心地いい。

 みんなも紅羽先輩のことも、ペンダントもぜんぶ守ってみせるから。誰か、今は恋のミッションをクリアする力を貸してください!

 そっと体が離れて、見つめ合う。


「リリア、ここに口づけして」


 示されたのは、さっきのスモークのハート。そうしたら、おまじないは完了する。

 緊張しながら、顔を近づけた。そのとき、ポツンと冷たい物が降ってきた。


「……雨が」


 見上げると、小粒の雨がパラパラとしている。そのせいで、ハートは消えてしまった。

 あたりは薄暗くなって、まるで夕方みたい。


「なんだか不吉な空だ。まじないの続きは、もう少し先になりそうだね。リリア、飛べる?」

「え、飛ぶって……?」


 聞いたときにはすでに、ふわりと抱き抱えられていた。黒い翼がバサッと開いて、大きく空へ飛び立つ。


「しっかり掴まってて」


 ヒャァー!!

 先輩にしがみつきながら、離れた学校の屋上を見下ろす。

 その瞬間、稲妻のような光が走って、ドカンと大きな地響きがした。

 雷が屋上のフェンスに落ちたらしい。一部、グニャリと曲がってしまっている。


「な、なんで……あんなところに……」

「ただの偶然だといいけどね」


 少しして、何事もなかったように空には晴れ間が差してきた。

 きっと、悪魔の力が関係しているに違いない。


「今さら怖気付いても、もう逃げられないよ? 悪魔のプリンセスさん」


 紅羽先輩の腕の中で、身動きの取れないわたし。

 でも、不思議とワクワクしているの。

 これから待ち受けている大変なことも、先輩となら乗り越えられる気がする。


「望むところです!」





                (終)

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悪魔先輩のプリンセス〜初恋は魔界の王子様⁉︎〜 月都七綺 @ynj_honey_b

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