第18話 王の番②(side:カリマ)




 スリジエはまるで幼子のように泣き、そして疲れて眠り込んだ。

 厚みのある胸元に頬を寄せて目を瞑る姿は、人間という種族がそう見えがちであるとしても、もうすぐ成年になる歳には見えない。カリマは幼さが残る番の目尻に残る涙をそっと人差し指で掬い、己の口まで持ってきてペロリと舐める。

 眠る顔は少し疲れを見せていたが穏やかなもので、そうさせているのが己の腕の中というのが……気分が良い。

 そうして番を愛おしげに見つめながらも、ふんと内心でカリマは苛立つ。

 王子として生まれながら、王子として育てられずにいた。それなのにティユルの王族の血を引くをその身に宿している。

 国を出て行くと宣言しながら、国の行く末を案じるその姿は、誓約を破った愚かな王子より王子らしい。


(あの欲深き国王ならば、スリジエのを知って歯軋りして悔しがっただろうな)


 それこそ、過去に遡り立場をすげ替えたいと思っただろう。

 カリマは少し前ーといってもスリジエが生まれる前だがーに対面した国王の顔を思い浮かべる。

 奇しくもあのときカリマとベンダバール、セリオンだけで出向き、長く待たされてから現れたのは十数人の武官に守られたスリジエの父親であるティユル国王で、脂ぎった肌は血色が良くそして自信ありげな顔つきをしていた。体格は縦に小さく横に大きく、眼をギラギラとさせ頭の回転は悪い方にとても良かったのを覚えている。

 会話はすべてセリオンと向こうの文官が交わしていたので、カリマは事前に言われていた通りにとりあえず無表情で国王を眺めていた。

 そうすると大抵の輩は顔を青ざめ体を震わすのだが、この相手は余程自分の部下と『魔法』を信頼しているのか、カリマへときおりにやりと笑う顔をした。

 それを見てただの阿呆だと、逆にカリマは確信したのだが……野心家で阿呆が国王というのは些か面倒な存在だ。

 カリマはあのとき潰しておくべきだったかと考えたが、すぐにあいつがいないとスリジエが生まれなかったことを思い出し、小さく舌打ちする。

 そんなときに控え目なノックの音がして、扉へと振り向いた。

 現れたのは先程下がったベンダバールとセリオンだ。


「……何だ?」

「あー……番殿がお休みのところ悪いんだけどさ……」

「陛下の言う小娘があなたを呼べと五月蝿いのですよ」


 一応遠慮がちのーこれはカリマの目つきが心底恐ろしかったからだーベンダバールと、相手がどう反応を返そうが淡々と報告するセリオンに、カリマは憮然たる顔で双方の顔を見返した。


「小一時間騒いでるらしくてさぁ」

「なので陛下に御足労いただこうかと」

「……断る。スリジエを一人にしたくない」


 番と小娘のどちらを取るかといったら、当然番に判定が上がる。

 それを分かっていてわざわざ来たのかと睨めば、セリオンは態とらしく笑ってみせる。


「小娘を静かにさせるのは薬を使うなどすれば簡単ですが、人間相手に使う薬は気を使いますし、下手に手荒なことをしてお身内を心配される番殿の心を疲弊させたくはないですし……」

「それで?」

「おそらく我が身の心証を良くしたいんでしょう。ですから陛下がその性根をポッキリと折ればよろしいかと」


 そうしたら静かになるでしょう、と大抵の雌が見惚みとれる艶麗な微笑みでの非情な発言に、ベンダバールは渇いた笑いをしながら「無慈悲だなぁ」と呟き、カリマはふむと一考する。

 スリジエに近づけるつもりはないが、スリジエの心の安寧のためにもそれで静かになるならとは思うが……

 考えて、軽く首を横に振る。


「ただな、あの小娘とは会話が成立するような気がしない」

「会話などする必要ありませんよ。小娘の訴えをすべて否定なさればよろしいかと」


 セリオンの提案になるほどと頷くカリマ。

 小娘が心証を良くしたいということは、いかに自分が素晴らしいかを訴えるということだ。ーーー比較対象をスリジエにして。

 そう思ったら自然と眉間に皺が寄り、同意できるものの気分が悪い。


「……それなら成り立つ、か? だが俺の理性は期待するなよ」

「そこは圧をかけながら否定して、強引に黙らせる方向へ。長引かせても堂々巡りですし」


 要は言わせるだけ言わせて、カリマが片っ端から性根を打ち壊しつつ生物としての上下関係を刻みつけるということか。

 確かにそれはできるし、完膚無きまでやっておきたいことではある。

 あるのだが……


「……話は分かるが、スリジエをここに一人残すことはしたくない」


 だって今も番であるスリジエが腕の中で穏やかに眠るのだから。

 カリマは世界で一番愛しい存在に、前髪の上から額へそっと唇を落とした。

 番の前にだけ見せる慈愛に満ちた横顔に、セリオンは僅かに迷う素振りを見せたが短く呼息し肩を竦める。


「では、ここへ連れてきますか?」

「……それも腹立たしい」


 カリマの返しに、ベンダバールが飄々と指をある方向へ指し示し会話に交じる。


「じゃ、隣の部屋に呼んだら? 使用人部屋として小部屋があるじゃん?」

「なるほど、確かに」


 セリオンは「如何です?」と言わんばかりの視線をカリマへ向ける。

 ベンダバールもそれに続けるように口を開いた。


「番殿は天蓋のベッドでぐっすりしてもらって、その間にあの小娘をおとなしくさせようよ。移動中も五月蝿いとか面倒臭いし」

「これより先、番殿が気にされても困りますでしょう?」


 セリオンに言われて、カリマはスリジエが小娘のために頭を下げていたことを思い出す。確かにスリジエがあの小娘のために頭を下げ続けるのは忌々しい。

 隣にある使用人部屋はこの客室よりとても狭い。カリマは最初から小娘と二人きりで話をするつもりはないのでそうなるとセリオンかベンダバールを側に置くことになるが、竜人が二人いると更に狭くなるためその部屋に置いてある家具を退かさねばならないが……


(いっそ俺が座る椅子以外は外に出しておくか)


 小娘を直に床へ跪かせるのはおとなしくさせる手段の一つとしていいかもしれない。

 カリマはスリジエを見つめ、次に天蓋の奥を眺めるようにし、そして竜人二人を見上げた。




(……騒がしいが、先日よりは声の音は落ちたか)


 薄暗い部屋にある一つだけのソファに腰掛け、カリマは足を組んだ姿勢で小娘を待った。

 背後にはセリオンが立ち、ベンダバールは隣室で見張りをしている。絶対にカリマ以外の生き物を部屋に入れるなと厳命して。

 スリジエは天蓋の中でよく眠っている。余計なものに煩われないよう特殊な効果のある花の香を焚いていたが。

 だがそのお陰で扉の向こうの騒がしさはスリジエの耳に入ることは無い。


「失礼します」


 数回叩く音がして、間髪を容れずに騎士の装いをした雌の獣人二人が小娘を連れて入室してきた。

 小娘の手足は鉄輪と鉄鎖でいましめられているので、「放しなさいよっ」と叫んでいることしかできないでいた。

 もっとも雑な扱いで連行され牢に閉じ込めてなお、ここまで我を通せる胆力はどこから湧いてくるのか不思議でならないが。

 セリオンが目線で座らせるよう指示して、獣人たちは小娘を強引に跪かせた。


「ちょっとっ。王女である私にこんなことして、後であんたたちを処罰してやるんだからっ」

「……相変わらず喧しいことだ」


 王女である自分の扱いに一騒ぎの小娘をカリマが冷めた目で見下ろすと、なぜか小娘はにこりと微笑んだ。


「改めてご挨拶申し上げます、竜王様。私はオルキデ・ティユルと申します」


 甘えた声で微笑を含む上目遣いでカリマを見る小娘に、挨拶されたカリマだけでなく後ろに立つセリオンや小娘を連れて来た獣人たちも唖然とした顔になった。


「私は貴方様とお話をしたかったのですが、ここではない部屋へ移動いたしませんか?」

「断る。貴様とはここでしか話は聞かない」

「なぜですか? 私は彼の者の妹ですよ?」

「ふん、俺は貴様を我が番の妹と認めていない」

「それですっ」


 突如、小娘は叫んだ。

 カリマはその甲高い声に自然と眉を顰める。


「貴方様はあの兄を番とおっしゃいましたが、双子で似ているから勘違いなされているのです」


 カリマが相手に向ける相貌は決して歓迎していないのに、小娘は心持ち濡れたような目で見つめ続けている。


「……勘違いだと?」

「ええ。本当は私が貴方様の番なのです」


 堂々とした態度で小娘が言い切るのを、小娘の側にいる獣人はまだ唖然としたままで、そしてカリマの背後ではぐふっと呻き笑いを堪えるのが分かった。

 カリマは、だがこみ上げる笑いを堪えることをしなかった。


(愚かなことだ)


 いきなり始まったその哄笑する姿に小娘は不思議そうな顔をしている。


「双子で顔が似ているから番を勘違い、か……くっ、馬鹿馬鹿しい話に腹が捩れそうだ」

「なっ、なぜ笑われますのっ。貴方様は竜王で男性なのでしょう? だったら番は女性のはずですわっ」

「くくっ……本当に貴様は……とても王女とは思えん頭だぞ」

「なっ」


 カリマの罵りに、馬鹿にされたと分かったか小娘の目がつり上がる。


「王女とあろうものが他種族の婚姻方法を知らぬとは、余程物を知らぬようだ。セリオン、小娘に分かるように説明してやれ」

「……はぁ、難しいことを」


 なんとか笑いを収めながらカリマはセリオンへ丸投げする。それを受けてもの凄く面倒そうな声が返ってきたが嫌だとは言わなかった。


「あなたのような頭の人間にも分かるように言うのなら、竜人の番に男女の性別は関係無いということですね」

「……はぁ?」


 セリオンの説明に小娘はぽかんとした顔で平坦な声を出した。


「本当に王女とは思えない顔と声ですね」

「だろう?」


 セリオンは大仰に溜息を吐き、カリマはまた笑いそうになって顔を背ける。

 小娘の自分自慢が延々と始まるかと思いきや、まさかの勘違いで話を進めようとするとは。こうなるとこの小娘を番と言うあの狼獣人が少々哀れに思えてくる。


(これでは奴との番関係は成立しないだろうな)


 それもまたあの狼獣人にとっての罰の一つになろう。

 カリマは態とらしく咳払いをして、改めて冷めた態度で小娘に向き合った。


「そう、竜人の番に雄も雌も関係無い。そして顔がどれだけ似ていようが間違えることは絶対に無い」

「……は? え? うそ?」

「だから貴様は俺の番などと二度と言ってくれるな。甚だ気分が悪い」


 そう吐き捨てた言葉は心の芯まで凍るような冷たい言い方で、更に軽蔑を含んだ眼差しでカリマは小娘を見下ろしながら告げる。


「言っておくが、貴様はスリジエには似ても似つかないぞ?」



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