第17話 僕の国の現状




 始まってしまえば涙は止まらない。息を整えようとしてもどうしても吸い上げるようにして泣いてしまう。

 そして体を包み込むこの温かい体温がいけない。

 カリマが旋毛のあたりに何度も唇を落とし、細い背に回る掌が優しく撫で下ろす。


「ひっ……僕、ちらっと視えたに、彼を助けてって、お願い、して」

「そうか。ならばまだ命は繋いでいるはずだ。よしこれから向かうぞ」


 スリジエは懸命に息を吸って訴えれば、カリマが今にも立ち上がらんとばかりに動こうとする。

 それをティグリスや竜人二人が必死に止めた。


「待て待て、まだ準備がっ」

「落ち着け、作戦無しに突っ込む気かっ」

「まったく番持ちはこれだから……」


 最後はティグリスと一緒に入室してきた竜人が、唖然たる面持ちでぼやいている。

 するとカリマは更にスリジエを抱き込み、じっと三人を睨みつけた。それは滅茶苦茶警戒している仕草だ。


「我が番をこれ以上その視界に入れるな」


 ……これが番持ちが示す反応の一つと理解していても先の日まで見てきた情の薄い挙動と正反対過ぎて、三人とも堪えきれない呻きが漏れる。

 ティグリスなどは事態の発生当初のカリマの無関心振りにどうしようかと悩んでいたのだが、番がティユルの王族であり様々な事情が入り組んだ結果ここまでやる気を見せているなら任せてもいいかと思い始めていた。

 勿論所々で垣間見せる過激な言動は気にかかるが、まぁ他所の国土を気分次第で簡単に更地にすることは無いだろう、とじゃっかん楽観視している。

 ベンダバールは幾分暴走気味のカリマに頭を抱えており、隣から慰めるかのように肩をとんとんと叩かれた。


「ああなれば止められませんし、もう今から飛んで行きます?」

「諦めが早過ぎるだろ、セリオン」

「しかしずっと苛々した空気を放たれてるのも面倒……いえ、ベスティアの住人たちにご迷惑でしょうし」


 カリマが城に戻ってから番を守るために警戒と威嚇を続けており、当たり前の反応であっても竜王という強者が常にそうしていれば弱い獣人から心身に影響が出てくるのは間違いない。

 さて、その会話が聞こえたのかいないのか。やがてスリジエは鼻を啜りながら「ごめんなさい」と謝った。


「何も謝る必要はないぞ?」

「……でも、泣いて話し合いを中断させたから」

「こいつらと話し合いと言っても、どうせ結論は変わらん」


 カリマの言葉にティグリスと竜人二人はそっと溜息を吐く。力業で案件を進める気満々だと分かるからだ。

 ここでスリジエはようやく自分がカリマの体にすっぽり覆われていることに気づいて身動ぎ離れようとするが、「俺のためにこのままで」と囁かれておとなしくならざるをえなかった。

 とくとくと打つ心臓の音を耳にしながら、上目遣いに、あの、とためらいがちにスリジエが口を開く。


「……話を戻すけど、僕のこの目は精霊の祝福と呼ばれているものなの?」

「まぁあるはずがない力だから祝福と呼ばれる」


 しかしカリマはあまり喜ばしくない顔だ。

 そしてスリジエも嬉しそうな顔ではない。


「が、過ぎたる力は厄介なだけだ。お前の伯母は今どうしている?」

「……僕が、生まれる前に、亡くなられたって」


 スリジエは小さく呟く。

 スリジエは後宮に閉じ込められ外部との接触が最小限だったこともあり、無意識にものは良いものあしきもの半々だった。

 だが現国王の姉は常に人の視線に晒されて、その度に聞きたくない声が耳に届いたことだろう。しかもその力を知る身内が無理矢理聞くことを強いてきたのだとしたら……

 カリマの言う通り、過ぎたる力は本当に厄介だ。

 腕の中でスリジエが項垂れると、また頭上から今度はこめかみに唇が触れる。


「スリジエ。お前が危惧する通り、お前の持つ力を知ったティユルの国王は間違いなくお前を手放そうとはしないだろう。何せ精霊王との誓約が破られている可能性が大きいからな。国を守る手段は手元に置いておきたいはずだ」

「……僕は成年を迎えたら城下に行くつもりだった」

「一人で、ではないな? お前に付いていた者と共にか?」

「そう、そのつもりだった。でも、今はカリマがそうさせないでしょう?」

「当然だ。そしてお前の付き人が生きているならその者に引き続きお前の世話を任せよう」

「え、いいの?」

「俺がいるとはいえ、まったく知らない国に住むのだ。誰か近しい者がいたら安心だろう?」

「……うん、ありがとう」


 スリジエはぎゅっと額をまた押しつける。

 そんなやりとりを眺めていた面々はそれぞれに呟き出した。


「番の仕草一つでまぁこうもコロコロと機嫌が変わるか……」

「あの酷薄なやつがなぁ……」

「しかし付き人とはいえ番の側に置くことを許したな?」

「これまでのあいつの行いを見てたら確かにその疑問は浮かぶな?」

「……消去法でしょう? 番殿のお世話は必須ですが、近づけるなら同じ人間ですし一番マシと思ったのでは?」


 先程セリオンと呼ばれた竜人の言葉に、ティグリスとベンダバールは「なるほど」と頷く。


「ふむ、では機嫌が良くなったうちにさくさくと今後の行動について進めますか」


 交渉事に適すると称賛を受ける竜人セリオンは、こほんと咳をして姿勢を正した。




 初めまして、と慇懃な挨拶してきたのは空色の髪の竜人で名をセリオンと名乗った。

 咳はその竜人からだったようで、気づいて顔を上げたスリジエは恥ずかしさも相俟ってぎこちなく挨拶を返す。

 カリマはあからさまに邪魔されたと癪に障った顔をしたがセリオンは取り合わず、さくさくと話をし始めた。


「ティユル国に雷が落ちて十日が過ぎました。ティグリス王の方で調べられたとのことですが、私の方も独自のルートで調査を入れまして、まだ代わり映えの無い議論を続けているようです」

「国王の子がいにしえの誓約を破り、魔法が使えなくなった。どれだけ議論を重ねても失ったものは戻らんというのになぁ」

「ふん、下層階級の弱者となるのを認めたくないんだろう。人間奴らはいつもプライドだけは高い」


 セリオンの報告に獣人王と竜王がそれぞれ意見を述べる。

 スリジエはカリマの言った「人間はプライドだけは高い」という台詞に深く感心した。勿論逆説的にだ。

 他国に対抗する力を失うことは緊急事態であり適当に処置を取らなければならないが、元々『魔法』というものは借り物の力だ。

 そんなに他所と対等でありたかったら、ティユル国の代々の王は自分の子供に精霊王との誓約の意義をしっかり理解させるべきだったし、それとは別で高度な鍛治能力を持つドワーフ国のように人間が持つ唯一の力を探せばよかったのにと思う。


(なぜいつまでも『魔法』が自分たちに有り続けると信じていられたのかな……? 義兄の不義浮気一つであっさりと終わる誓いなのに)


「まぁ余程の阿呆でない限りこちら側に攻め入ることはしないと思うけどねぇ……」


 ベンダバールがのんびりと呟けば、セリオンは「そうですが」と頷き、カリマへ視線を移す。


「この度、番殿を伴侶に迎えるため陛下が直接赴くそうですが」

「その方が話は早い」


 カリマはどの番持ちでも有り得る、スリジエに関することを誰にも委ねたくないのだ。だからティユル国行きは、例え交渉が得意なセリオンを呼んだとて譲れないのである。


「それに小娘の処遇について関係ないと逃れられても困るしな」

「カリマの言う通り妹は……オルキデは王女じゃないと切り捨てそう」


 カリマの言葉にスリジエが同意すると、セリオンはその根拠を尋ねてきた。

 根拠はある。が、それを言うと絶対カリマの機嫌が急降下しまた室内の雰囲気がよろしくなくなると、スリジエは無意識にその顔を見上げる。

 それだけでカリマは僅かに眉をつり上げ、ベンダバールはあちゃあと言わんばかりに自分の掌で顔半分を覆った。

 しかし番に対して幾分落ち着きを見せた。


「……構わん、スリジエ。交渉に必要な情報だ、あいつが知りたがる根拠とやらを教えてくれ」

「ええと……自分の血を引く娘を使える駒にしたかったみたいで、ね?」

「ほう? だから使えない娘は切り捨てる、と。では娘が駒ならお前の立場は?」


 スリジエが敢えて避けた趣旨をカリマは引き戻す。

 スリジエはしばし目を彷徨わせてから、ぼそぼそと言った。


「その、自分の後継とそのスペアがいるから、王子はもういらないって、いう空気で……」

「ほう、ほう?」


 己の番が不遇に扱われているのを、カリマが低く呟きながら大層な笑顔を浮かべている。

 セリオンは「好都合ですね」と、こちらもまたにっこりと笑った。


「好都合、ですか?」

「ええ。番殿がもういらない立場なのでしたら宣言するだけでいいでしょうし、それに陛下の言う小娘が王女でないと言質を取れればその処遇はナトゥラルでできますし」

「あっ……」


 スリジエは「好都合」の言葉に意味が分からず困惑したが、確かに父親国王が自分たち兄妹を不用と認めれば母親の身分である子爵令嬢の子扱いになるため、国外に連れ出すのに揉める要素はない。

 鬱憤が膨れつつあるカリマも成程と目が覚めた顔をする。


「確かにその通りだ。例えお前ののことで何かに気づいていようと何も無いで押し通せばいい」

「最初から喧嘩腰では話し合いが長引くだけですし、長引けば余計な知恵を付けてくることもあります」


 セリオンの言葉にスリジエはハッとなってカリマの手を握った。


「あの、それなら話し合いは先に彼を助けてからで……」

「ああ、余計な知恵の話か。スリジエの秘密を知る奴を相手側に置いたままでは駆け引きに使われるか」

「着いたらすぐにで視ます」

「んじゃ、そいつの救出は俺が行くか」


 スリジエのやる気にベンダバールが手を上げて協力を宣べる。

 すると当然カリマはいい顔をしない。だがベンダバールはちゃんと納得させる答えを用意していた。


「なんだ? じゃ俺が番殿の側にいて守ってていいのか?」

「……くっ」


 ニヤニヤしての物言いにカリマが絶対に許さんと苦る様となる。

 しかしカリマたちが向かえば国賓扱いとして王宮の客室に留め置かれるはずで、そうなればセリオンは交渉、カリマはスリジエを守るのが一番で、身動きしやすいのはベンダバールになるだろう。

 確かに適した布陣で、だからこそカリマは番を守るために、番のために動くことを諦めざる得ないのである。


「出発はいつにする?」

「できるなら今夜にでも……といったところだが、小娘の様子は?」


 ベンダバールの問いにカリマは顎に手を当てながら、目線をティグリスへ向ける。


「失神から目覚めてすこぶる元気がいいぞ。もっと丁寧にもてなせと周りに当たり散らしている」


 ティグリスが疲れた顔で返す。

 あれが嫌、これは趣味じゃない、もっと美味しいもの持ってきなさいよ! と姦しいオルキデの様子がスリジエは簡単に想像できて苦笑する。

 スリジエの妹で人間の王女だが、兄に対して傍若無人に振る舞ったことを、当たられた本人よりも番の王がご立腹なため、現在彼女の扱いはすべてカリマの指示によるものである。


「妹は今はどこで?」

「別棟の一般牢だ。入れておくにしてもたった数日のことだし、そもそも貴族牢に置くと下手な勘違いをしそうなのでな」

「……重ね重ね申し訳ありません」


 スリジエはティグリスへと頭を下げる。騒いでいるなら甲高い声が届きそうなものだと考えていたが、いる場所が違うなら聞こえるはずもない。

 とはいえ迷惑な人間を、仕事とはいえ世話をさせるのも大変だから、移動できるなら早い方がいい。

 そんなスリジエをカリマは不服そうに見下ろす。


「スリジエはこれ以上あの小娘のことで謝るのは禁止だ」

「でも」

「小娘の反省が見られないならそれだけ罰を長引かせるだけで、そもそも自分の立場をまったく理解していないのが悪い」

「……そうですけど」


 スリジエとてオルキデが全面的に悪いことは分かっている。そしてカリマの言う通り謝る必要がないのも。

 けれどそれを放っておくのは少々心苦しいのだ。


(男女の性差があるけど顔は双子だから似ているし……あまりいい気分では、なぁ)


「ふん、小娘が弱っていないなら馬車移動も耐えられるか……ティグリス、悪いが馬車を三台用意してくれ。出来次第、出発する」

「お、馬車で移動なのか?」


 カリマにベンダバールが尋ねる。


「いや、馬車はティユルに入国するためだ。ベスティア上空は飛んで移動もいいが、ティユルでそれをして攻めてきたと誤解されるのは鬱陶しい」

「……確かにな」

「スリジエを無事番に迎え入れるために、初っ端から敵愾心剥き出しも……と考えてはいる」

「……最重要課題だもんな?」

「当然だ」


 スリジエを抱き込んだままカリマは威張る。その腕の中でスリジエはグッと拳を握りしめ。


「僕は、入城する前にで視ればいいですね?」

「そうだな、奴らと会う前に馬車の中で視ればいい。それからベンダバールを行かせる」

「お願いします」


 スリジエはほっとした顔で僅かに微笑んだ。




「何が不安だ?」


 あれからもう少し計画を練り込み、明日の夕方迄には馬車と食糧をティユル国との国境の街に用意させると決まったので、この城を出るのは明日の午後となった。

 スリジエは当然カリマが先日と一昨日と同様に連れて行くし、オルキデもまた馬車に乗せたごと運ばれる形だ。

 ティユルに到着し国王らとの話は主にセリオンが進め、カリマが緊める。スリジエはカリマの隣で話を聞き、オルキデは縛られた状態でベンダバールが見張る。

 そうまとめたところで、カリマはスリジエを休ませてたいと他の三人を払うように追い出した。スリジエは心苦しく思うものの疲れたのは確かなので何も言えずただカリマを見やる。

 すると横にあった痩身を膝の上へ乗せ、心配げに尋ねられ顔を覗き込んできた。

 スリジエは視線を逸らそうとしたが無理だった。


「……不安だなんて」


 真剣な金の瞳に向かってふるふると首を横に振る。


(不安、というよりは……)


「スリジエ」


 うんと甘やかす優しい声だった。


「安心しろ。お前を迎え入れるために無駄な命を取るようなことはしない」

「でも何かと、例えば魔法が使えない今、別の力を欲するような条件を出されたら?」

「そのときはした国王との話し合いだ」


 カリマが発した言葉の意味にスリジエは顔を強張らせる。


「無駄な命は取らないって……」

「話の分からぬ愚かな国王の命はか?」

「……それは」

「理由はそれこそ小娘の失態の責任を取らせるのでもいい」


 セリオンがそこは上手く話を持っていくだろうと、カリマは口端をつり上げる。


「ティユル国はもう魔法を使えない。使えないならそれなりの外交をしていかなければならない」

「それは、分かる」

「お前の父親があの小娘のように阿呆でなければ、そう酷い展開にはならない。もし仮に酷い展開になったとしてもそれは国王と関わった貴族の責任で、決してお前のせいではない」


 スリジエは琥珀色の目を瞠り、やがてきつく目を閉じ小さくしゃくりあげ始める。

 カリマはそんなスリジエを再び抱き込んで、「大丈夫だ」と何度も囁きながら白銀の髪を梳くようにして撫で続けた。



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