第15話 僕と妹の処遇




「ふん、これで俺が直接出向く理由が増えたな」

「増えた?」


 冷ややかな笑みに不機嫌な声でカリマがそう宣言して、スリジエは事情が分からず当惑する。


「ああ。準備が整い次第、お前と共にティユル国へ向かう」


 いつの間にとの不安げな顔をしていたのか、カリマはスリジエを見つめ「安心しろ」としっかりした声で言う。

 竜王カリマ父親国王に直談判は決定事項になっていて、単独で強制帰国にならなかったことは一安心ではある。だがこれまでの過激なカリマの行動原理が番であるスリジエの薄幸な生活にと偏っているので、さて今回の王同士の対面が穏やかに終わらないことは見当がつく。


(ええと素直に礼を述べていいものか……)


「食事がもういいなら、お前が気になっている状況について説明を……」

「おおい、カリマさんよ。国から番殿の身形が届いたぞ、入っていいか?」


 カリマの強引さに振り回される身として、素直にありがとうと言うべきかどうかと思い悩んでいたスリジエの耳に別の声が入ってきた。

 体を綺麗にし、お腹が満たされたことで少し余裕ができたので、これからの話を聞くのは吝かでは無い。

 そして扉の向こうから届いた声は、スリジエの今の小恥ずかしい格好を打開できるものだ。

 なので入ってもらおうと思ったのだが……


「駄目だ。入室は許さん」

「はあああぁ?」


 にべもない返しに、向こうから頓狂な声が上がる。


「おいふざけんなよ、カリマさんよ。こっちは命令通りに動いてんだぞ。癒しをもらってもいいだろっ」

「ああ? 俺の番で癒されるなど絶対に許さんぞ」


 そう告げるカリマの声が酷く低い。スリジエは会話の相手がベンダバールと名乗った竜人らしいと覚ったが、洒落のような願いにカリマが本気で切れている。

 せっかく話が進めれそうなのだ。ここはカリマを宥め、そして白シャツ一枚から解放されたいと、スリジエは腰に回る太い腕を軽く叩いた。


「話をするためにここ片付けてもらって、僕は着替えたい。この格好は楽だけどちょっと足元がスースーするし」

「……そうか」


 スリジエの訴えに、カリマは渋々と頷くと膝に乗せていた体を軽々と天蓋の向こうにあるベッドへ横たえた。

 この行動の意味は、人間であるスリジエでもそろそろ分かる。番のしどけない姿を誰にも見せたくないという表れだ。そして用意された服もここで身につけることになるのだろう。

「少し待っていろ」と囁いて、カリマは天蓋の外に出た。

 スリジエはくすりと微笑み、言いつけ通りおとなしくベッドの上でごろごろと待つことにした。




 入室したベンダバールは「ガチガチにし過ぎだろ」と呆れた声ではあったがその後は一人掛けのソファに座って、食事の後片付けもスリジエの身支度も待ってくれていた。

 スリジエの身支度については予想通りカリマがすべて手伝ったが、その際カリマはベンダバールを追い出すことはなく。


「いてもいいが俺の番を見るな」

「天蓋の中にいるうえ、ガチガチの中を覗ける訳ないだろ」

「覗くだと?」

「覗かないっ」


 ……などと会話が交わされ、小一時間たってようやくスリジエは再び天蓋の外へ出た。勿論カリマに抱かれて、だ。

 用意された服は初めて見るものだったが、当然ナトゥラル皇国で着られている衣服をスリジエの寸法に合わせたものなのだろう。

 笑顔のカリマに着せられながら、肌触りの良い白の衣に金銀の刺繍が縫い取られているのが見事だなとと思いつつ、これをたった一日弱で用意できた権力ちからに恐れ入った。


「よっ」

「こ、こんにちは」


 ベンダバールが笑顔で手を上げ、スリジエは小さく頭を下げる。

 このやりとりを黙認したカリマは先程と同じ位置に座り、同じようにスリジエを膝の上へ乗せた。


「さ、スリジエ。喉が渇いただろう?」


 さっそくカリマが、新しく用意された水差しから器へ注ぐと差し出してくる。それを服の裾を汚さない様にと丁寧に両手で受け取ったスリジエは一口こくりと飲んだ。


「……それで、ベンダバール。ティユルへ向かう準備は調ったのか?」

「ああ、いつでもいいぞ。それと例のは、獣人王ティグリスの了解も取れた」

「そうか」


 その会話に、スリジエはごくりと息を呑む。


「……僕は」


 どうなるのか、と聞きたかったが声にならなかった。

 すると強い腕が痩身をしっかりと抱きしめ、耳元で低い声が言い聞かせてくる。


「スリジエ、もう少し俺を信用してくれ。王の番であるお前に獣人の国の奴らは手を出せん。出せば俺の怒りを買うと分かっているからだ」

「大丈夫だよ、番殿。狼獣人たちの身柄をナトゥラルに譲ってもらう話をしただけ」


 ベンダバールの朗らかな口調にスリジエは目を瞠る。

 各々の国での裁きをと考えていたが、「狼獣人の身柄を譲る」ということはスリジエを嬲ろうとした者たちは竜王カリマの裁きを受けることになる。

 ここでスリジエは物騒な『番法つがいほう』の存在を思い出した。あの目には目を、のである。


(いや、殺さない約束をしたし……)


 殺さないという約束は、自分が理由で誰かの命を失くすこと自体が心苦しく思うからであって、カリマはスリジエのそんな胸中を理解してくれ約束を守ると言ってくれた。

 だが、刑罰に詳しくないスリジエは死罪が一番重い罰だと思っているのだが、世の中に死ぬことよりがあるのを知らない。

 そして『番法つがいほう』とは、番持ちたちにとってどうとでも解釈可能なものであることも。

 もっとも重要なのはカリマの怒りがまったく収まっていないことなのだが、気づかないうえに信じているスリジエは心の内で大丈夫と何度も頷いて、そうしてもう一つ気になっていたことを恐る恐る尋ねた。


「妹の……オルキデは、どうなりますか?」




 抑えてはいたがはっきりした声で問うたスリジエに、カリマは目に見えて疎ましげな表情をしベンダバールはやれやれと言わんばかりの表情になった。

 カリマが嘆息し、冷めた口振りで返す。


「……ティユルへは罪人として連れて行く」

「罪人?」

「お前の話も合わせて、あの小娘が獣人らを手引きして事を起こした。しかも自国が未曾有の事態で騒ぎになっているときに、だ。これは王女の立場なら尚更してはならないことだと分かるだろう?」


 カリマの言う通りなので無言で頷く。後宮の奥庭で隠れて会っていた姿を思い浮かべて、そもそも王女であり表にあまり出ていないー出せない、が正しいかーオルキデと獣人の接点がどこにあったというのか。

 疑問を、攫われる前に聞いた噂と会わせてぼそぼそと呟く。


「あの狼獣人のエールプティオは、オルキデに会いに来てたのかな? お見合いの話が上がっていたという噂を耳にしたけど……」

「そこは少し違う。ベスティアでも上位種の獣人が番探しでティユルに寄ったのは事実らしい。しかし見つからず帰国したそうだが……その後あの落雷事件が発生し、獣人王ティグリスが仔細を調べるため奴らを潜入させた。出会ったのはそのときだろう」


 ティユル国とベスティア国の距離は馬車で五日ほどだが、狼獣人の脚力なら半分も短縮可能だそうだ。そもそも狼獣人彼らは何かしらの理由で両国の国境付近にいたため、潜入任務に駆り出されたのだが。

 だがスリジエは初めて聞く話の方に驚いた。他国が自国と同じくらいに落雷の件を重要視していて、情報収集のためただちに動いていたことに。


(そのさなかで、エールプティオはオルキデを見初めたのか……)


 スリジエにとってはオルキデのあの性格にうんざりしている。だからあの妹を好きになるという存在に衝撃が走ったのだが。


「思うんだけど、番だって分かったら盲目になるものなの?」

「それは、人それぞれというやつだな」

「……そうだよね。理性が働く人もいるよね」


 カリマのように、とスリジエは後ろにある顔を見上げる。

 だがすぐに「あれ?」と思い直す。

 スリジエが傷つけられて手酷い報復をしようとしたことは、はたして理性が働いていただろうか。


「番が分かる者同士だと出会った当初は、それはもう大暴走といった具合になることが多い。だがその大暴走は当たり前の風景だから問題にならない。問題になるのは片方が番と分からない場合だな」


 今回のような、とカリマの目が言っている。


「奴は小娘を番と認識し、近づいた。人間だからと自制はしていたらしいが……結局番の話を鵜呑みにしてティユルから王族二人を攫った」

「番であっても攫うのは禁じられている?」

「成年を迎え同意の元ならいいが、小娘は人間で王族だからな。そこが少々厄介だ」


 番関係の分からない人間たちが暮らす国で、仮に平民なら一言断りを入れるだけで済む話でも、王侯という身分持ち相手の場合だと自尊心があるからなのかすんなり話は進まないらしい。

 そう聞いて「確かにそうかも?」と、スリジエは国王父親の顔を思い出す。

 ついでに嫌なことも思い出した。


(僕の、このに加えて竜王の番……か)


 そっと溜息を吐く。父親あの人はスリジエを無難に手放してくれるだろうか。

 人間側が『魔法』を使えない今、欲を出して強引に交渉した結果、国が焦土と化すなど洒落にならない。


「俺がティユルに行くのは第一にお前を番としてナトゥラルに迎え入れる話をすること。それから小娘の件、あとはついでに精霊王との誓約がどうなったかの確認だな」


 カリマはじっとスリジエを見据え、「だから」と続ける。


「小娘の処遇について、これ以上お前の言は受け付けない」


 改めてはっきりと言われ、つい悄然と俯くスリジエ。

 それは王としての宣言であり、小さな国の王子の成り損ないは強く反対はできなかった。

 むしろ妹オルキデの処遇について口を挟めたこと自体、スリジエが王の番だったからこその温情だと言える。


「分かってやってよ、番殿。竜人は番への愛と執着が強い。そして傷つけられることを酷く厭うから、報復は絶対なんだ」

「は? なぜお前が出しゃばる。番を慰めるのは俺の役目だ」

「はあああぁ? 今高圧的に言ってたのを擁護してあげたんですけど?」

「あ、あの……っ」


 目尻をつり上げるカリマと胡散臭い目つきのベンダバールの睨み合いにひゃっとしつつ、スリジエはなんとか間に入った。

 そうすればカリマの意識はすぐに番であるスリジエに向くし、ベンダバールは相手が黙ればそれ以上言わなくなる。


「カリマの立場は分かっているので……僕の希望は伝えていますし、あとは国としての話し合いで決めていいと思います」


 スリジエは仕方がないのだと自身にも言い聞かせるようにして口にして、それからそっとカリマを見上げた。


「……話し合いになるよね?」


 眉尻を下げ憂える顔のスリジエに、カリマはくっと呻いて右手で心臓のあたりを押さえた。まるで轟く胸を静めるかのように。

 そして目撃したベンダバールはぶはっと吹き出し大きな笑い声をあげた。


「さすがは番殿だ。あいつの操縦方法をもう心得てる」


 終いには座ったままお腹を抱え、時折身を捩ったりしている。

 そんなに笑わせることをしただろうかとスリジエは首を傾げ、カリマは舌打ちのあと忌々しげにベンダバールを睨んだ。

 それからふうっと大きく息を吐く。


「スリジエ、俺は勿論話し合いの用意をしている」


 見下ろす目を真面目なものに切り替えとても落ち着いた声で告げられて、小さく頷く。

 だがスリジエが知る二人の性格を鑑みれば、話し合いは平行線を辿る……というな展開にはならず、カリマが牙を剥いて人間たちを威嚇する有り様が瞑る瞼の裏に映る。

 まだ起こっていないことを大袈裟だと言う人もいるだろうが、カリマについてことスリジエに関する案件については間違いないと断定できる自信がある。


「その話し合いの場に僕がいることはできますか?」

「……お前が知るティユルの国王だと、不愉快になるだけだぞ?」


 駄目だろうかと思いつつ希望を口にすると、そう言う柔らかな声は心底こちらを案じていて、スリジエはその優しさに濡れる目から何かが零れそうになって俯く。


「……きっと、そうでしょう。そして僕に竜王に求められる価値があると知った国王は」


 オルキデの不始末あったとしても国の害となった妹をあっさり切り捨て、その上でナトゥラル皇国へ無理難題ー例えば武力派遣とか資源優遇とかーを言うに違いない。

 それが国益のための行動だとしても、スリジエ自身は王子としての権利を受けていないのになぜ義務だけ背負わされるのか。

 もやもやしたものを堪えながらスリジエが小声で告げれば、大きな掌が白銀の髪を梳いてその頭を胸元へと引き寄せた。


「まったく、人間はくだらないしがらみが多いな」

「……」

「今までの俺なら問答無用で蹴散らすところだが、お前という唯一を得るためだ。できる限り人間の決まりに添おう」

「……すみません」


 カリマの番が人間スリジエというだけで、竜王としての行動を制限させている気がしてつい謝りたくなった。

 そんな謝罪に返ってきたのは優しく頭を撫で下ろすもの。

 これは番であるスリジエにだけ向けられる優しさ。


「望むなら同席を許そう。向こうが何を言ってこようがすべて俺が片をつける。穏便に、な」

「……ありがとうございます」


 スリジエは与えられる優しさに甘えて、鍛えてある胸筋へぎゅっと額を押しつける。

 途端に頭上で醸し出される空気が解けて明るいものに変わった、気がした。

 そこにベンダバールの締まりのない笑い声が入ってくる。


「やだカリマさん、超優しい」

「ああ? 貴様、もう帰れ」

「いやいや、俺一応護衛要員だし。それと殊勝なこと言ってるけどお前交渉事とは無縁じゃん。だから番殿の着替え持ってきてもらうのを奴に頼んだから」

「……なんだと?」


 ベンダバールの揶揄やゆから機嫌を損ねたカリマの声が更に一段階低くなる。

 胸筋へ埋めたままのスリジエには声のやりとりでしか分からないが、どうやらティユル国に行く竜人は三人になるらしい。

 しかも番のことに関して直情型のカリマではなく、ちゃんと交渉に長けた竜人が付き添う。


(どんな竜人なんだろう?)


「今はティグリスのとこで話を聞いてる、はず。それからこっちに合流だな」

「スリジエは見せんぞ」

「いやいや、だから。お前の要望を叶えつつ番殿の希望を通そうと思ったら奴が最適なのよ? だったら番殿との顔合わせが必要でしょうよ」

「……見せんぞ」

「まだ言うか」


 ベンダバールは大仰に溜息を吐いた。そしてぼそりと「番を得て余計に面倒臭くなったぞ」と呟く。

 そんなやりとりがひと段落したそのとき。カリマとベンダバールは同時に部屋の扉へ視線を向けた。

 その仕草につられるようにスリジエも扉へ振り返る。スリジエが先程浮かべた疑問の答えらしきものを、このは無意識に扉の向こう側に立つ姿を捉えた。


(でも、二人? 一人は角が生えているから、さっき言っていた人かな? もう一人は……白い虎?)


 その白い虎の姿に、正確には発散されるオーラと呼ぶべきものになんだか恐くなって、スリジエはカリマへ無意識に擦り寄る。

 大陸上、最強で最恐の竜王カリマの膝の上にいるのだから恐がる必要などなく大丈夫なはずなのにーーー



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