第14話 僕の番は世話焼きで焼き餅焼き
広いベッドの上でスリジエはそんな風に追い込まれたが、カリマは返事を求めなかった。とにかく、邪魔が入らないところで己の願望を伝えておきたかったそうだ。
スリジエは下すべき決断が先延ばしできたことに胸を撫で下ろしつつ、改めて自分が置かれている状況を質問した。
するとカリマは微苦笑を浮かべ、少し悩む素振りをした後。
「……その前に湯を浴びて軽く食事を取るか」
そう提案されて、スリジエのお腹が意識しないまま鳴った。
「……っ」
「丸一日食べていないのだから当然だ」
結構大きな音が鳴って赤面するスリジエの額に唇を落とし、カリマは起き上がるとベッドの上で胡座を組み、そして横たわる痩身の体を軽々と抱き上げ足の間に座らせる。
背後から覆い被さるように抱きしめられて、白銀の髪に鼻を寄せくんくんと旋毛の匂いを嗅がれた。
スリジエはその仕草にまだ湯を浴びていないこともあって抵抗するように身動ぐものの、当たり前だが力で敵うわけがない。また恥ずかしいと訴えても「その必要はない」と返ってくるし、この行為自体がまる番同士の触れ合いの一つとして慣れるよう促されているようだった。
「お前の匂いを堪能させてくれ」
「でも……」
困惑を隠さないスリジエにカリマは大きく息を吸い込んで、長く息を吐く。まるで感慨に浸るかのように。
「お前の体臭は人間だからか薄い。獣人の中には鼻を抓みたくなるほど酷い臭いがもあるが、大概番の体臭は好ましく感じるようできている」
だから気にするなと言うことなのだろうが……しかしそう言われて「はい、分かりました」とはすぐにならない。スリジエにとってはなれない、が正しいか。
「あとは、お前が俺の番であることを知らしめるため、俺の匂いを擦りつけているところだ」
「え、匂いを?」
告げられた言葉に、スリジエは反射的にカリマの喉元へ鼻を寄せた。その動きで揺れた白銀の毛先が肌に当たりくすぐったかったのか、喉の奥でくくっと低く笑う音がする。
「嫌ではなさそうだな……存分に嗅いでくれていいぞ」
頭上から嬉しくて堪らないと言わんばかりの声音で求められ、恥じらいから尚更そこへ頭を押しつける。
そのとき、天蓋の外で動く影が映った。カリマは僅かに目を据わらせ、スリジエは反射的に目で向こう側を視た。
影の正体は侍女服を着た獣人で、黒い斑点が描かれた大きな耳が見えるが狼ではなさそうだ。
「入浴の準備が調いました」
「分かった。我が番の世話はすべて俺一人でする。ああ入浴中に人間用の軽食の準備をしておいてくれ」
「え、え?」
「かしこまりました」
獣人の影が遠のくと、カリマは惚けるスリジエを左腕だけで難なく抱え上げた。だがその動きでスリジエはカリマの発言が本気なのだと気づき、戸惑い取り乱す。
「世話? 世話って、カリマがするの?」
竜王でしょ、と続けると楽々とベッドから降りたカリマは「問題無い」と笑う。その上でスリジエの素肌を雌であっても他者に見せたくないし、触られることも許せないと言う。
だったら自分で洗えるのだとスリジエは訴えたが、隣に備えつけられた浴室に着くまでに軽く受け流されて終わってしまった。
身につけているのは白いシャツ一枚。カリマの手で丁寧に、しかし簡単に剥がされて無防備な裸身が現れる。
だが隠すより先に手を取られ、その手の甲へ口付けられて。
「頼む、スリジエ。その身を俺にすべてを任せてくれ」
そう
(よ、よかった。服着たままでいてくれて……)
湯から上がったスリジエは、自分を番と呼ぶ相手が服を着たままでいてくれてよかったと心底ホッとしていた。
請われるままカリマの手で頭から足先までの全身を洗われ、生まれて初めてたっぷりのお湯に浸かった。
それから花の香りのする油を髪にも肌にも丁寧に塗られて、用意されていた別の白いシャツをまた着せられ、今はカリマが座る膝の上に乗せられている。
「あの、僕の服は……」
「今最上のものを用意させているからしばらく待っててくれ」
先程のベッドでのように後ろから抱きしめられ、鼻先を白銀の中に埋めている。
天蓋の中なら心許ない格好も我慢できたが、さすがに閉ざされていない誰もが出入りできる空間のなか、シャツ一枚の姿でソファに座るー正確にはカリマの上だがー状態はなかなか辛い。
「安心していい。こうして用意が済んでいるから誰も来ない……というか、邪魔だてする輩は俺の手でころ……」
「ダメっ」
物騒な台詞を吐きかけた口を、慌ててスリジエは手で覆う。
するとその掌に小さく音が鳴って接吻された。
「お前が着る服はまた後で。今はほら、食事にしよう」
楽しそうに笑ってスリジエの手を退けると、カリマは並べられたなかから具沢山の粥が入って器を取り木の匙で掬って差し出してくる。
これは自分で食べられると告げても入浴のときと同じ展開になるのだろうと、スリジエも学習する。
学習はするが、やはり言っておきたい。
「僕、一人で……」
「分かっている。だが、頼む。番には何でもしてやりたいと思うものなのだ」
親が子を慈しむように。
従者が主人を守るように。
「そして恋人を甘やかすように」
「甘やかす……?」
馴染みの無い言葉を朧気に口にして、スリジエは悩むように首を小さく傾げる。
そんなスリジエにカリマはちょっと笑って、まずは口を開けるよう促した。
促されて、仕方なく雛鳥が餌を待つようにしてみせる。
「そうだ。スリジエは俺の扱い方も含めて、少しずつ甘えることを学んでいけばいい」
まずは一口。それでも掬った粥を無事食べさせることができたカリマは、至極満面の笑みを浮かべていた。
もぐもぐ……
もぐもぐ……
口を規則的に動かしながら、スリジエはカリマの手際の良さに感服していた。
最初のうちはまだ飲み込めていないのに匙が向けられたりしたが、今はもうすっかり息が合っている。
カリマの大きな手はスリジエを急かすことなく器用に動き、食事だけでなく飲み物を飲まそうとする手つきも完璧なのだ。
ここは獣人の国だというのに食事の用意をしてくれた城の料理人は人間の食事を知る者らしく、細切れの芋と菜葉が混ざった穀物の粥に木の実や果物も添えられている。
魚料理は無かったが、カリマ用なのか肉料理がどんと中心に置かれていた。しかしそれもちゃんとスリジエ用に別皿があり、火はきちんと通っているし大きさも一口で食べられるし、味付けも想像していた味がしないものでもなかった。
「美味しいか?」
頭上からの陽気な声にスリジエはもぐもぐしながらその通りなので頷く。そして飲み込んですぐ口を開いた。
「カリマは竜王なのによく手が回るよね? 誰かのお世話をしたことあるの?」
「何を言う。給餌行為は番にする行動の定番だぞ」
自分の膝の上で番であるスリジエが素直に給餌を受けているのがとても嬉しいのか、顔を輝かせたカリマは機嫌が最高に良かった。
「そうなの?」と驚くスリジエの口に綺麗に皮が剥かれた多汁の実が差し出される。
スリジエは目を瞬かせたが、ぱくりと口の中へ入れる。ちょうどよい具合で気になった食べ物が差し入れられることに、本当に凄いと感動した。
その横でカリマが果汁が滴り落ちそうになっていた指を舐め取っている。
その指と口元を偶然目にしてしまったスリジエは、なぜか耳と頬が熱くなった。思わずカリマの視線から逃れるように顔を俯かせる。
(なんで、僕……)
カリマがスリジエを、スリジエがカリマを。互いを見ることの恥ずかしさでは無いと思う。
でもスリジエはあの仕草を見て、カリマを直視しづらくつい逸らしてしまった。
自分の咄嗟の行動の意味に悩んでいると、楽しそうな笑い声が耳元に届く。
その笑い声に少しむっとしてスリジエは顔を上げた。
「俺を意識したな?」
カリマがそう言って満面の笑みを浮かべる。
「意識?」
「ああ。……俺が」
カリマはスリジエの手を取り。
「こうしたことを」
白く細い人差し指をゆっくりと口に含み、温かい舌がぬるりと動く。
その感触に驚愕でスリジエの目が大きく開く。
カリマはじっとスリジエを見つめたまま含んだ指を解放し、首を傾げる。
「気持ち悪く感じたか?」
「……」
問いながらそんなはずはないと自信げでありながら、ほんの僅か不安が交じったような声音に、スリジエは無言になったもののやがて困った顔で首を横に振った。
そういえば、と思い出すことがある。
ティユルの後宮でソールが不在の隙に柄の悪い近衛兵に抱きつかれたことがあった。近衛兵でありながら品の悪さに辟易し鼻息荒く近寄られた顔に我慢ならなくて、スリジエは習ったばかりの攻撃をした。男の足の脛を思いっきり蹴り、怯んだところへ股間を蹴り上げたのだ。
幸いといっていいのか、その近衛兵は勤務時間外で鎧を身につけておらず子供の足でも見事に急所を捉えた。
その後は戻ってきたソールに任せたので、その近衛兵がどうなったかは知らない。ただあれからあの顔を見ることはなかったことだけは確かだ。
(そう……あいつのときは息でさえ不快だったのに……)
誰かに舐められるなんて、と先程の舌の動きを思い出してまた顔が熱くなる。
すると、スリジエの様子をじっと見つめていたカリマがぐぐっと顔を寄せてきた。
「な、なに?」
「今、誰を想像して俺と比べた?」
凄みを感じる低音でのその質問にスリジエはびくりと肩を震わす。
まさしくカリマの言う通りだったのでつい目が泳いでしまったのも悪かったのか、大きな手が言い逃れを許さないとばかりにスリジエの頬を挟む。
「誰と比べたんだ?」
ついさっきまで機嫌良くいたのに、番であるスリジエが自分以外を浮かべかつ取った行動を比べた。それらを見せた表情だけで正確に読み取ったカリマの推察力に恐れ慄く。
恐いが、これは誰なのかを言っても言わなくても同じだ。
「か、過去のことだよ?」
「だが俺のこの行動で思い出したのだろう?」
その言葉に、スリジエはカリマがなぜ不機嫌になったのかを悟った。
指を舐めるという行為は親密な間柄の者同士ですることで、すなわちスリジエにそんな対象がいた(かもしれない)ことに嫉妬しているのだ。
これは黙ったままでいるのはよくないと分かる。分かるが、言ってもよくないことも分かる。
「スリジエ?」
「……じ、実は」
思い出してしまった数年前のやりとりをぼそぼそと説明したスリジエはカリマがこのとき浮かべた顔つきを見て、世の中には最恐に険悪でありながら極上の微笑みというものが存在することを知ったのであった。
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