第13話 僕の居場所




(ここ、どこ……?)


 スリジエが目を覚まして一番に目にしたのは白いシーツだった。

 普段後宮で暮らしていたときのものとは格段に違い肌に触れる感覚が柔らかく、ふらりと二度寝に誘われそうになる心地良さだ。だが知らない場所で眠りこける訳にもいかないと、ゆっくり身を起こした。

 手を付き彷徨うように目線を動かして知る、ベッドマットレスの適度な硬さと大きさを。そしてその大きなベッドを囲う天蓋は、周りの状況を阻害しここがどこかも想像できない。

 ふうっと深く息を吐いたスリジエはそわそわする心を静めるように膝を抱えて座り込み、昨夜からの出来事をそっと反芻する。

 いつまでも山の麓にいることもないと、用意された人ひとりなら余裕で居られる籠に入り竜に変態したカリマに運ばれたのだ。

 おそらく竜人も『魔法』のようなものが使えるのだろう。上空を移動していても風の影響は受けず、また寒さを感じることもなく、確り守られていた。

 安全が認められるとスリジエの警戒は自然と緩み、が月明かりは弱く宵闇は深くとも流れていく景色を見て取っていく。

 しばらくはそれを眺めていたが、しかし『狩り』と称して放たれた場所から向かう城は距離があるらしく、次第に一人なのもあって、景色を目に映しながらこくりこくりと頭が動き、少しだけと横になってーーー


「そのまま本格的に寝てしまったのか……」


 すっかり眠ってしまい、こうして横たわらせてくれたのにも気づかなかったことが少し恥ずかしい。その恥ずかしさに上乗せするように空腹からお腹が鳴って、誰も見ていないのに顔を赤らめつい俯く。

 しばらくもじもじした後、それでもしんと静まり返る室内に少し不安になり、状況を確認するためベッドから降りるべく膝立ちしたところで、スリジエは今自分が身につけているのが白いシャツだけなのに気づく。

 指先が辛うじて出ている袖口をくんくんと嗅ぎ、攫われてからの饐えた臭いが無いことにホッとしつつ、身綺麗にしてくれ、かつ小柄で痩せた体の自分をすっぽり覆う大きさのシャツの持ち主など、スリジエを番と呼ぶ人物竜人しかいない。

 だがそのカリマが側にいない。昨日見つけられてからまったく離れようとしなかった男なのに。

 置いてかれたとは思わないけれど、浮かぶ様々な疑問からとにかくこの天蓋より出ようと膝でベッドの端まで歩きかかる布を開けようと手にかけた。


「スリジエ? 起きたのはいいがまだここから出ては駄目だ」

「カリマ……」


 少しだけ開かれた先から差し込む光は大分明るい。そしてその光を遮るように大柄な体がぬっと割り入ってきた。

 どうやらカリマは天蓋の外にずっといたようで、とりあえずスリジエは疑問を投げかけてみた。


「ええと、おはよう? でいいのかな?」

「もうすぐ昼になる」

「翌日のお昼まで……寝過ぎだよね……」

「いや、正確に言うと丸一日寝ていたぞ?」

「え、僕そんなに寝てたの?」


 予想以上に寝ていたことに驚くスリジエを。


「これまでのことを思えばもっと寝ていていいぐらいだ」


 それだけ疲れているのだと言いながらカリマは膝立ちのスリジエの体を片腕で抱き上げると、え、えと狼狽える声を聞き流し自身ごとベッドに乗り上げ再び中心で横になる。


「もう少し休んでおけ。俺も一緒にいよう」

「……でも」


 スリジエの眉尻がしゅんと下がる。

 カリマの宣言を思い出した。ーーー任せるようにと。

 それから一日以上が経過している。果たして妹たちはどうなっているのだろう。そしてそれを聞いてもいいのか。

 戸惑いから下がった眉尻を見て、カリマがそっと前髪を撫でつけた。


「体に不快なところは無いか? 一応全身を拭いてそれを着せて寝かせたが、もし湯に浸かりたいなら用意させるぞ」


 まるでここの主のように言うので聞いてみる。


「ありがとう……でもその前に、ここはどこなの?」

「ベスティアの城の中だ。そもそも俺は、ティユルに落ちた雷の件で獣人王と話しをしていたんだ」


 え、とスリジエは再び酷く驚く。

 自分がベスティア国の城の中にいることにもびっくりだが、あの落雷が他国の王同士が話し合わなければならない事態なことが大きかった。


「あの落雷は、そんな遠くまで届いていたんだ」

「あれは精霊の怒りそのものだったからな」


 精霊の怒り、と小さく呟く。スリジエはぶるりと体を震わせ自然とカリマの胸元へ額を預けた。


「あの落雷から魔法が使えなくなったって、僕の国は大騒ぎになったけど……」

「あれは人間の身には過ぎたる力だ。しかしこの大陸で人間が生活していくには力不足は否めん。俺もそう詳しくはないが、だから誓約を交わして精霊の力を『魔法』という形で使えるようにしたらしい」

「そうなんだ……僕は国王の血を引いてはいるけど、そういった教育は受けていなくて……でも、あと少ししたら成年になるから、そのときは僕を唯一助けてくれた人と共に後宮から出るつもりだったんだ……」


 そう話しながら、傷を負い崩れ落ちた姿が脳裏に浮かび、スリジエは祈るように強く目を瞑る。


(……ソールは生きているだろうか)


 涙は堪えているものの小刻みに震える体を抱き込む大きな掌が宥めるように撫で下ろしつつ、「ならば話は早い」と低く呟く声が耳に届く。

 そして続けられた言葉は。


「スリジエ、俺と一緒にナトゥラル皇国に来るか?」

「え?」


(僕がカリマと……?)


 カリマの申し出にスリジエは目を瞠る。

 驚きと嬉しさと、ほんの少しの恐れ。スリジエの心に湧き上がるそれらの感情が複雑に揺れ動く。

 その動きが口から出ないよう、グッと唇を噛み締めた。

 出会ってから、柔らかくて温かい感情に包まれているようで、今も逞しい腕の中にいて優しい言葉に参っている。

 それは『嬉しさ』だ。

 でもスリジエは『怖い』のだ。

 番と分かる生き物たちはそう定めたら一途というのは、読んだ書物に記されていた。

 自分は人間で番関係を真に理解できるのか。


(それに……)


 ようやく成年を迎え、何事もなければ人生は長く続いていく。その間に自分の、この心は変わらないでいられるだろうか。

 だって血の繋がった家族からは見放され、ソールは側にいて助けてくれたけれど、その優しさだって有限のもので。

 唯一を知らない、持たない、その人の心は不変では無い。


(僕は今の気持ちを変わらず持ち続けられるか?)


 たった数日で芽生えたカリマに対する、この曖昧でまだ形になってもいないこの気持ちを。

 ただ『嬉しい』だけの、気持ち。

 目をゆっくり閉じ、そしてゆっくりと見開く。

 そして不実であってはならないとスリジエは真情を吐露する。


「……ありがとう、カリマ。でも僕は人間だよ?」

「そうだな」

「人間に番がどうとか、分からないし。それに」

「それに?」


 背をそっと撫でられ、言葉の続きを促される。スリジエは目の前の服の襟をギュッと握った。


「……僕は、あなたへの愛し方を知らない」


 まるで秘密を打ち明けるかのような、小さな声になってしまった。

 静まり返る天蓋内で、暫し互いの呼吸だけが聞こえる。


「……スリジエ」


 だがやがて囁きと同時に耳朶に当たる濡れたぬくもり。そして痩せた腰に手を置かれて一層強く抱きしめられる。

 強い男の匂いがいっぺんにスリジエの胸へ迫ってきた。


「安心しろ。俺も番を愛するのは初めてだ」

「……でも、僕っ」

「ああ、何も知らぬ人間だとしても気づいてしまえばもう手放せん」


 どれほど言い募ろうと、至情溢れる低い声が言い訳を塞いでいく。まるで逃がしはしないと、カリマの体全部でスリジエを搦め取る。


「それに、来るかと聞いたが俺はお前の答えがどうであろうと、ナトゥラル皇国連れて行くことに変わりはないのだ」


 諦めてくれ、と笑いながらカリマは言う。

 これは……本当なら、他種族に攫われることを恐がるべきなのだろう。ティユルの後宮から狼獣人たちに攫われたときのように。

 でもカリマは初対面から竜人としての力を抑え、スリジエを傷つけないよう接してくれる。聞く耳は持たないと言いながら、スリジエの気持ちを考えてくれる。

 それに、言っていたではないか。

 スリジエがカリマを利用するかもしれないと告げたのに、例えそうであっても決して手放さないのだと。


(僕が人間で、人間には番というのが分からないならば、こうして強引に奪われたほうがいいのかもしれない……)


 そう思うスリジエだが、それは諦念からではなく。

 りとて決心と言うほど強くなく。

 そんなスリジエの心の内を察しているのか、いないのか。重みのある太い声でカリマは穏やかに囁く。


「覚悟とまでは言わないが、俺の番になることの心構えはしておいてくれ」


 ーーーそれは上品振ってはいたが、こちらの退路を断つかのごとく響く。



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