第12話 王の番①(side:カリマ)




 愛しい。

 愛しい。

 愛しいーーー


 出会ってからもう何十回も心の中で繰り返している言葉。

 カリマは己の腕の中ですうすうと眠る番の白い額へ唇を落とし、何十回目の「愛しい」を口にする。




 ーーースリジエという唯一と出会う三日前。


 ベスティアの王へ接見するために城へベンダバールと共に来たカルマを、王であるティグリスは空から来た客人たちを生真面目な顔で出迎えた。

 滅多に相対することのない王同士がこうして直接会う羽目になった原因は、数日前大陸中に轟いた落雷についてだ。


「うちのを何人か侵入させて調べたが、あの落雷はやはり国王の子が誓約を破った結果で間違いない」

「……人間のティユル国も阿呆な子孫ばかりだな」


 さすがに看過できず、隣国として迅速に情報収集に動いたティグリスはまさかの事態にはぁと大きく溜息を吐いた。

 この男は白虎の獣人で、見た目は強面で大柄な体躯なこともあり、主にティユル国から好戦的な獣人王と見られている傾向にあるが、実際のところ無精な平和主義者だ。

 獣人らしくない穏やかな気質持ちではあるが、しかし争いを避けたい主な理由はティグリスの番が血を厭う生き物であり、番の心身を丸ごと守りたいがため平和を遵守することに命を懸けているからである。

 さて竜から人型へ変態し地面へ着地して早々聞かされる報告に、カリマのぼやきは面倒さもあって気持ちのないものだった。

 手間を嫌うカリマの性格をよく知る二人は苦笑いを浮かべる。


「精霊王との誓約を破り、我らと対等に口をきけるための『魔法』を失くして、奴らはどうするつもりだ?」

「向かわせたエールプティオ将軍によれば、連日元通りにする手立てで議会が紛糾しているそうだ」

「ふん、取り返しがつかないことでぐだぐだと」


 大陸に七つある国のうち、人間たちが暮らすティユル国は生き物として一番弱い存在であった。それを不憫に思った精霊王の娘が人へと変化へんげして当時の国王の側へ行き治世を助けた。

 助力だったそれがやがて愛へと変わり、娘の心を重んじた精霊王が誓約という形で人間たちに力を貸したのだ。

 ーーー国王とその子孫が精霊の愛を敬い続ける間という形で。


「精霊の愛を拒むとは……ここまでの長い時間を幾人とで渡った弊害か? 人間は本当に愚かな生き物だな」

「でもまぁ、『魔法』が無くなれば馬鹿のひとつ覚えのように戦争しなくなるからいいんじゃないの?」


 声が更に一段階冷ややかになったカリマにベンダバールはそう返し、隣に立つティグリスもそれもそうかと頷いている。

 だがカリマは何でもないことのように言った。


「ふん、別に奴らが短慮な行動戦争を仕掛けてこようと蹴散らかすだけだが」

「やめろ、お前が動けば後始末に手間がかかる」


 恐れ知らずの物言いにティグリスは煩わしげに手を横に振り、続けて番と逢瀬の時間が減るだろうがと嫌気が差した顔をする。

 そんなやりとりにベンダバールが遠慮ない笑い声をあげた。


「はははっ、放蕩三昧だった獣人王も番を得るとこうまで変わるかっ」

「当たり前だ。お前たちはまだだったか……ふふっ、己の唯一を見つけると生き方がまったくもって変わるぞ」


 ティグリスがベンダバールからカリマへ視線を移し、最後は目を合わせ改まった口調で予告するように伝えてくるのを、そのときは冷めた目で見返し興味無く聞き流した。




 だが、ティユル国との今後について話し合いをしたその晩。

 カリマは奇妙な焦燥に駆り立てられていた。

 ベンダバールやティグリスと酒を交わしたときはそうでもなかったのに、用意された客室に入った途端落ち着いて座っていられなくなったのである。


(この胸騒ぎは何だ?)


 理解できない感情に加えて徐々に湧き上がる苛立ちと不安が交互に気分を掻き立て、居ても立ってもいられないもどかしさに部屋の中をうろうろと歩き回り、やがて揺らぐ心のまま窓辺へ立ち夜空にある月を眺める。


(なぜこうも落ち着かない?)


 初めて陥る焦慮。冷静にと思いつつ心の中で何回も自問自答を繰り返し、そして辿り着く一つの答え。


(探さなければ……)


 一晩中「誰を、何を」と呟きながら探さねばと懊悩したカリマはとうとうじっとしていられなくなり、空が薄白く明るむ頃にベンダバールを叩き起こし出かける旨を伝える。


「はぁ? どこへ行くんだよ?」

「決まっていない、だが俺が見つけないと」


 寝起きでくぐもり呆れ返る声にそれだけを告げ、カリマは窓辺から飛び出ると竜となりて空へ昇った。




 暗い黄色の見上げる濡れた目が、沈みかけた陽の光を受けキラキラと輝いていた。

 ああ、とカリマは内心で歓喜の声をあげる。


(これはだ)


 全世界に向けてそう叫びたいのをグッと堪え、その代わりに細い腰に回した掌に力を入れたカリマは見つけた唯一に占有のしるしを付けた。




 竜人の能力を駆使しても『それ』を見つけ出すのに一昼夜かかった。

 途中から血眼になって、ようやく、ようやく探し当てた先で痩せた体が崖から落ちそうになっていたのを慌てて捕まえる。

 痩せた体がピクリと震え、肩先に付く長さで切り揃えられた白銀の髪を揺らし振り返った。

 人間だ、とカリマが認識したのと同時に、相手の琥珀のような瞳が驚きからか大きく見開かれる。音にならない形で「角」と唇が動き、そして琥珀の瞳に映るカリマの姿を認めたのも合わさって自然と微笑が口元に浮かぶ。


(ようやく見つけた)


 ーーー己の唯一を見つけると生き方がまったくもって変わるぞ。


 ティグリスの言った意味が、今ならよく分かる。

 つい先程まで、カリマは人間のことなど厄介に思い心置いていなかった。今後の話し合いをしたものの、ティユル国に起きた騒動だって気に留めていなかった。

 それなのに己の番が人間だと判明した瞬間、どうにかして方々の始末をし万全の形で迎え入れたいと気持ちが変化したのだ。

 そうした最中さなか、カリマが竜人だと認識しこう構われていることに「どうして」と困惑している番に、人間に分かりやすく「最愛」という言葉を使って説明する。

 それでも戸惑う素振りをしていたが、ふいに琥珀の瞳が僅かに揺れ体を強張らせる。血の気が失せた顔色は哀れさを誘い、同時にカリマの心の内に我慢ならない程の不快感が湧き起こった。


(我が番をここまで怖がせるとは……)


 目尻を険しくさせたカリマが振り返ったその先に、下卑た笑いを浮かべて近づく狼獣人たちの姿があった。




(我が番は優しすぎる……)


 カリマは憤懣やるかたない気持ちで事の発端の元へ歩んでいた。勿論、おのが番をしっかりと抱きしめて。

 名乗り合いーここでスリジエと言う名をしっかりと頭に留めー人間である己の番が獣人の国にいた理由を詳しく聞けば、聞けば聞くほど苛立ちが募るがスリジエはその原因の命を奪うことをゆるしてくれない。

 カリマはとりあえず目の前にいた狼獣人たちを足蹴にして気を紛らしたが、根本的な解決に至っていない。


(獣人が関わっているならティグリスの同意を得てこっそりするか)


 そう結論付けて無理やり溜飲を下げる。

 ……そう、下げたのだ。

 だが。


(この小娘がスリジエの妹で、ティユル国の王女だと?)


 これまで人間を気にかけていなかったから今代のティユル国の王族に関して把握できていないカリマは後でしっかり調べることを決め、そうして番が受けた暴行の原因を見据える。

 突然現れてーカリマは馬車内に気配を感じとっていたがー傍若無人に振る舞う様が、一国の王女と説明されても到底信じられなかった。

 オルキデという名らしい小娘は、番関係を知らず、獣人のことも知らず、竜人のことも知らず、遥かに頭が悪いというのに血の繋がった兄である筈のスリジエを見下し蔑む。

 その愚行の結果として、カリマは激昂し周囲を威圧して黙らせた。

 小娘がまったくスリジエに似ていないこと。

 人間であっても身分に足る知識を要していないこと。

 それを番う相手が良しとしあまつさけしかけたこと。

 スリジエの前では猫を被っていたー竜なのにーが、そのどれもがカリマの逆鱗に触れた。


(命は奪わない)


 苦々しい奴らを案ずる優しいスリジエと約束したから。

 それでも。


(必ず……必ずだ。奴らに相応の報いを受けさせる)




 さて、スリジエに言わせるとカリマはまったく猫を被れていなかったらしい。

 そう聞かされるのは、スリジエを貰い受けるためと小娘の処遇について、ティユル国と話し合う必要があり向かうことになった移動中の会話でだった。

 これまで乱暴な行いを見ることも受けることもなく暮らしてきたというスリジエは、カリマや竜人の人嫌いであり猛々しい性質を嫌わず、それどころか馴れることはできずとも理解すると言ってくれた。


「あなたが僕を番と呼ぶのなら、僕はあなたと喧嘩をすることがあっても傍にいなくてはならないですね」


 眩しい笑顔を浮かべてそう告げるスリジエの体を抱き寄せ、カリマはありがとうと小さく囁いた。

 その後勿論、喧嘩はしたくないと強く訴えたが。




 カリマが眠るスリジエを抱えて戻ってきたとき、ちょうど差し合ったティグリスがこちらを二度見した後太い指で目を擦った。


「幻影が見える」

「阿呆か、役に立たないならその目を潰すぞ」


 至極真剣な声音でのふざけた言葉に、不完全燃焼な気分も重なってムッとなる。

 だがティグリスはカリマが機嫌悪くも抱える子供に大変気を使っているのが分かってか、なるほどとうんうん頷いた。


「突然城を飛び出したのは番が見つかったからか」

「ああ……そのことで話がある」


 訳知り顔で言うティグリスにカリマは完璧な無表情を返し、案内された別室に入り向かい合わせに腰を下ろした。

 スリジエは当然膝の上に座らせ、胸元にもたれかかせた形でそのまま眠らせている。


「ベンダバールが後を追いかけて行ったが、会ったか?」

「ちょうどいい所で来てくれた。今は俺の番を襲った奴らを見張らせている」


 そのつらを思い出しつい声を凄ませてしまったが、スリジエは寝ているしティグリスはこれぐらいで動じる男ではない。

 ただ穏やかな顔を一変させ、固い声になった。


「襲った? お前の番を? ……その子供、見たところ人間のようだが」


 問われたことでカリマはスリジエの身に起こったことを伝えた。カリマが望むを実行するためにもティグリスの同意を得ておきたい。

 スリジエがティユル国の王族であること。

 諜報のために向かわせたエールプティオが偶然にもスリジエの妹を番と認知し、番が望むままスリジエごと攫ってベスティアに連れて来たこと。

 その妹は兄を妬みエールプティオに願って殺そうとしたこと。

 ティグリスはエールプティオが部下を使ってスリジエを嬲り追い詰めたと聞かされ、ぐぅと低く唸り額を押さえる。


「あやつも番を……」

「スリジエが俺の番であったことは偶然であっても、だからといって番にした所業は許し難い」

「……分かっている」


 ティグリスとて同じ状況下になればカリマと同じ様になるだろう。むしろカリマがその場で狼獣人たちを八つ裂きにしなかったことが奇跡に近い。


「スリジエが、自分は今生きているからと言うから渋々だ」


 カリマは不本意であったことを前面に押し出し、だからこそスリジエが気づかないうちに片づけておきたいのだ。


「我が番はそれぞれの国での裁きに任せたいと言うからな……あの狼どもは『番法つがいほう』で、裁きを下せ」

「ううむ……お前の希望に添いたいが、エールプティオの番はどうする?」

「奴があの小娘とどうしてもつがいたいと言うなら幾つかの条件付きでじゃっかん軽くしてもいいが……小娘は人間だからな。まったく理解していない」


 奴らの所業を思えば罰の軽減などしたくはないが、カリマは番を得たばかりで、そしてあの小娘オルキデが悪態をつく様に竜の爪先ほどの哀れみを思ったのだ。


「ん? だがその子供と兄妹なのだろう?」

「血が繋がっていようとまったく正反対な性格だぞ。本当に王女か、スリジエから聞いても疑わしいと思っている」


 ティグリスは首を傾げ、眉間に皺を寄せそう吐き捨てたカリマは懇切に阿呆な小娘の仕出かしを説明してやる。

 人間には相手が番であるかどうか感知できない。そのため悲恋話は多々あり、その話を基にしての教訓が各国に存在していた。少なくとも高位な立場にいてその教訓を知らないはずはないし、知っていなければならないことなのだ。

 場合によっては国をも滅ぼしかねないので。

 ーーーそう、今回のように。


「……あとでエールプティオに確認しよう」

「早めにそうしてくれ。もっともそれとは別で、小娘も連れて早速ティユルに行ってくるが」





 番が王族であるなら穏便に話を進めて、婚姻という形で貰い受けるのが一番である。

 だがティユル国で起きている騒動の最中さなかに、激しい剣幕を見せてカリマが告げた台詞にティグリスは一抹の不安が湧き起こる。

 ついつい尋ねた。


「先触れを出した方がよくないか?」

「そんなものはいらん」


(俺はティユルの国王に物申したいからな)


 のちに、獣人王ティグリスは語る。

 このときのカリマの形相に流石の俺も震え上がったぞ、と。



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