第11話 僕の番は真の王様




 カリマの怒りと殺気に、当然ただの人の身であるオルキデは秒も耐えられず泡を吹いて失神した。

 倒れる妹をエールプティオが咄嗟に支えたが、その顔は道が分からなくなった迷い子ように映る。

 そこへカリマの酷く冷めた声が追い詰めた。


「俺は敢えて言うが、貴様の番は相当の阿呆だぞ」

「くっ、我が番を侮辱するか」


 番を辱められたエールプティオが怒りに食ってかかろうと腰を上げかけたが、見下ろす冴えた眼差しがその動きを抑える。


「貴様もその番の立場を知っていよう? だというのにあまりにも己が生きる以外の世界に無知が過ぎる」

「……だ、だがそれは、今後教えていけば」


 カリマの言葉にエールプティオはぐずぐずと言い出したものの歯切れが悪く弁解がましい。

 その態度にカリマは肩を竦め大げさに溜息を吐くとスリジエへ目を向ける。


「スリジエ、お前はいくつになる?」

「……来月で十五になるけど」


 思いがけない質問の意味が不明で、スリジエは答えながら首を傾げる。

 するとなぜか目を細めふんふんと機嫌良く頷いて、再びエールプティオを見下ろした。だがその目はどこか哀れみを含む冷めたものだ。


「貴様の番が無能と蔑んでくれた我が番は、その小娘と同じ歳であるがきちんと他の世界を学んでいる。人間には無い番関係に関することも最低限には」


 そして「俺は賢いと思っているぞ」とスリジエを誉めるのを忘れない。

 カリマは忙しく表情を変えスリジエとエールプティオを見やり。


「力を持たぬ人の身はこの地で一番弱い。それを蝶よ花よと甘やかすだけではこの弱肉強食の世界は生きていけぬ。無知のままいさせれば番共々すぐに死ぬぞ?」


 カリマは「現に今がそうだろう」と、その目が語っている。

 それに気づいたスリジエは無意識にカリマの腕を掴んだが、その仕草に対する反応は返ってこなかった。


「番の罪は共に償わなければならない。分かっているな?」

「……っ」

「不満ならまだ戦ってもいいが、今の貴様に番が守れるのか? できないだろう?」


 冷然と断定した言い回しにエールプティオは無念そうな顔をし、オルキデを抱えていない方の拳を握りしめる。

 獣人が丈夫で強力な武器をその身に宿していようとも、獣人の世界にも強弱はあるし、また外に出れば竜人他別の強者も存在する。番を守るため強くありたいと願い練磨しても、生まれ持った種族の差にどうしようも無いこともある。

 この、カリマとエールプティオのような。


(……だからオルキデは学ばなければならなかった)


 見た目など数十年で劣るのだ。思うように生きたいのなら、それこそ贅沢な生活をと望むのなら、尚更。

 そして世界を知るのと知らないとでは、生き残れる可能性が格段に違うのだ。


「さて、貴様に問うぞ。その小娘を番にと希うか?」


 真剣みを帯びた毅然たる響きはまさしく王者たるのもの。

 カリマの問いはスリジエにもとても重いものに聞こえた。

 本能は、頷けば罪を償うことになっても共にあることを望んでいるだろう。

 しかしオルキデが失神する前に発した言葉を聞いて、今もまだ迷い子みたいな顔をしていて、だから王者からの問いかけにエールプティオはすぐさま返事ができないでいる。


(同じ問いに、僕は今答えを出せるだろうか?)


 スリジエは考える。カリマの心情ははかりかねるが、たぶん覚悟を尋ねているのだと思う。

 番が分かる者と分からない者が一生涯共にする覚悟を。

 それはスリジエも同じ立場だが、獣人へ問う『覚悟』というのは人間が拒絶しても一緒にいることができるかどうか。


(カリマはもう決断している……)


 スリジエにとって、垣間見た彼らの番への執着は恐い。

 そしてカリマは見つけた番、スリジエを手放すことは決してしない。スリジエの心がどうあっても、体をこうして抱え囲ってしっかりと捕まえて。

 だから、スリジエはきちんと答えを出さなければならない。

 静かな暗夜のなか、カリマの金の瞳が鈍く輝く。

 そしてスリジエのは苦悩するエールプティオの姿をはっきりと映し出していた。




(……うーん、これ、答えってすぐ出るのかな?)


 ついにオルキデを抱いたまま地面へ蹲るような形になってしまったエールプティオから目を逸らし、夜空に上がる三日月をぼんやりと眺めながらスリジエがそう疑問に思ったとき、くしゅん、とくしゃみが出た。

 昼間は逃げていたこともあり天候を気にする余裕はなかったのだが、いくらカリマのぬくもりがあろうとも陽が落ちひんやりとした外気が薄着の上からすべれば体は冷える。


「ちっ……上着を持っていればよかったな」


 くしゃみはカリマの耳にも当然届き、そんな舌打ちと同時に抱きしめられる強さが増す。

 少しでも番を温めようとの行動だろうが、ぬくもりを感じるより絞められて苦しい。

 スリジエが胸板を叩き訴えると力は緩む。過剰な触れ合いに慣れていないのでホッとしつつ、これからどうするのかを聞いた。


「うん? これからスリジエを貰い受けるため竜王の俺がお前の国に行き、国王へ直談判することになる」


 もっとも、とカリマは続ける。


「小娘と小娘の番に報復してからだが」

「え、報復?」


 まだするのかとスリジエは大きく目を見開く。


「ベスティアの王に事の次第を話さねばならんし、そもそもお前の妹にはまだ返礼をしていない」


 思い出しては険相となるカリマの憤りはまだ続いていたようだ。諦めることに慣れきっているスリジエは、持続する感情に不可解さと不安を覚えてじっと見つめると「約束は守る」と苦笑が返った。

 そして「さて」と呟き、エールプティオへそろそろ結論を促そうとしたカリマは、ふいに顔を東の空へと上げた。

 つられてスリジエも見やる。


「……い、おーい、やっと見つけたぞっ」


 三日月が上がる方向の空からまるで糸のような細い声が聞こえてくる。

 スリジエは小さすぎて何を叫んでいるのか聞き取れなかったが、カリマの耳はその音を拾えたようだ。


「いいところに奴が来た」

「知り合いの人?」

「共にベスティアへ来ていた竜人だ」


 竜人、と心の中で呟いたスリジエのが闇の中から現れた輪郭を辿る。

 大きくて長い円筒形をした生き物がくねらせながら飛んでいる。よく目を凝らせば角が見えるし、弱い月明かりを受けた鱗が煌めいている。

 それはある程度こちらに近づいたかと思うとスッと消え、やがて地面を蹴って跳んできた姿があった。消えたと思ったのは竜から人型に変態したのか。

 そうして見せた姿は黒に見える緑色の髪と瞳を持ち体はカリマより大きかった。

 やって来た男はカリマと顔を合わせた途端に説教を咬ます。


「お前、いきなり城から飛び出て行くなよ、後が大変だろ……え、え? 誰?」


 説教の声が最後狼狽えたものへ変化する。

 カリマはそんな声の主へ誇らしげな顔で一言。


「俺の番だ」

「はあああぁ?」


 男は「え、え?」とぶつぶつ言いながらスリジエを見て、またカリマを見た。


「いやだってそいつ」

「は? そいつ?」

「あ、いや、その子……人間だろう? どうしてベスティアに?」

「そこで俯いたままの奴が国から攫ってきた」

「ええ……それは……」


 渋い顔のカリマが顎先でエールプティオを示し、つられて見たベンダバールの顔が僅かに歪む。


「そいつよく生きてるね?」

「我が番が殺すなと言うのでな」

「……おう」


 カリマとベンダバールの会話のやりとりのうえ、「え、お前が人の言うことを聞いた?」と不可思議な顔をしてのぼやきが止めとなって、スリジエはとうとう笑ってしまった。


「どのような方ですか?」

「こいつは俺の部下だ。ベンダバールという」


 番へ向けるベタ甘な顔のカリマに引きつつ手短な紹介をされたベンダバールは、流れのまま当然の問いかけを口にする。


「その子の名前は?」

「教えん」

「おい、狭量過ぎるぞ。どう呼べばいいんだよ」


 ベンダバールの不平だと示す顔にもカリマは知らん顔で、スリジエは変な呼ばれ方をされても困るので弱りきった顔で太い腕をトントンと突いた。


「カリマ」

「……仕方がない」


 カリマが心底不本意そうな面で渋々とした態度ながらも番の願いを優先したことに、あの傍若無人だった主君がと部下ベンダバールは内心で驚愕し、続けて天変地異が起きませんようにと密かに祈った。

 そんな凄いことをさせている王の番はベンダバールから見ても端麗な顔だちだが、人間だからこそか先程からずっと戸惑った表情ばかりだ。

 その一端を担うカリマだが、一向に下ろそうとしないのでスリジエは抱えられたままかしこまり小さく頭を下げた。


「初めまして。僕はスリジエ・ティユルと申します」

「……え、ティユル?」

「……はい」

「……」

「……」

「……はあああぁ?」


 スリジエの簡潔な自己紹介でおおよそ事態を把握できたからか、顔からすべての表情を消したベンダバールの大絶叫が再び夜の闇に響き渡った。


「おま、お前、その子、ティユルを名乗れるなら、王子ってことじゃ……」

「そこの狼が抱えているのはティユルの王女らしいぞ」

「なっ……兄妹ってことかよっ」


 王子と王女と聞いて、ベンダバールは思いがけない情報にあたふたしつつも頭が回り正解を導き出して叫ぶ。

 するとカリマの形相が忌々しげなものへ変化した。


「……騒がしいぞ、ベンダバール。あとそこの小娘を我が番と血縁関係など俺が認めん」


 カリマはもうオルキデを己の番の妹と認めたくないらしい。

 スリジエはやれやれと力無く笑う。確かに妹は感情的に動き、王のスリジエを蔑んだことでカリマを大層怒らせた。

 きっとどう宥めても、もう聞き入れてもらえないだろう。


(寧ろ、庇うような真似をしたらもっと機嫌が悪くなる可能性も……)


 そう思えば、今は口を閉じているしかない。

 そんなスリジエの思いを他所に、竜人たちの会話は続いている。


「人間の王族とはいえ、そんな簡単に攫われるわけ?」

「ふん、詳しくはそこで勝手に傷心に浸る狼に聞け」


 その言葉にベンダバールは「お前の番に聞いた方が早いだろ」と露骨な顔をして、スリジエの方を向いた。

 視線を受けたスリジエも自分が説明するべきと思ったが、大きな手が後頭部にかかり胸元に押しつけられる。


「見るな」

「なっ、だからお前狭量過ぎるっ」


 不機嫌さを湛えた声に、上がる叫喚。

 それを無視した、温かみのある掌が優しく頭を撫で下ろす。


「我が番は人間ゆえもう体を休める時刻だ」


 掌の動きは、スリジエから大丈夫だという反論を封じた。

 事実、カリマに言われてゆっくりと眠気に誘われる。

 うつらうつらと揺れそうと頭の片隅で気がかり、しかし実際のところ安定していだかれていた。

 カリマの声が番を慮ってか低く抑えたものになる。


「なに、これよりそこの狼共々ベスティアの城へ連れて行き理非を明らかにすればいい」

「……誰が?」

「勿論俺が。ああ連行の手段はお前に任せる。ただし


 手厚く、と告げた際のカリマの顔を見て言葉通りに実行する者は皆無だろう。しかしその顔は番のスリジエに見られていない。いや見せなかったが正しい。

 しかもしっかりと掌で耳を押さえて聞こえないようにもしている。

 そしてベンダバールはこんな時間から?と阿呆な問いかけはしなかった。

 カリマとは長く近く付き合ってきた。その性格もその頭の中も理解している。

 要は、番には止められはしたが害した者はさっさとし、さっさと万全の備えで番を囲いたいのだ。


「……了解。その辺で死にそうになってる奴らも含めてそこに停めてある馬車に押し込んで運べばいいな?」

「お前がな」

「分かってるよ。……で、その子は?」

「当然俺が連れて行く」


 聞くまでもないだろう、とカリマの態度。だがうつらうつらしつつもカリマの「俺が連れて行く」発言だけが聞こえたスリジエはぼんやりと聞いた。


「……ここから歩いて、とか?」

「できなくはないが時間がかかり過ぎるな。安心しろ、俺が竜に変態して連れて行く」

「え、僕乗っていいの?」


 カリマの柔らかな声と忍び笑いに、スリジエは空を飛ぶのだと意識した途端はっきり目が冴えた。先程見た空でのベンダバールの姿を思い浮かべて、大きな期待とほんの少しの心配がない交ざる目を向ければ、忍び笑いから肩を揺すって笑い始める。


「俺の背に乗せるのは少々不安だから……おい、籠はあるか?」

「はいはい、ありますよ」


 カリマが空いた手を差し出せば、ベンダバールはやれやれと嘆息しゴソゴソと腰元に提げた袋の中を探り何かをその掌へ乗せる。

 それは小さいがどこか虫取り籠のような形をしていた。


「これに俺が力を込めればお前を入れて安全に移動可能だ」

「そうなんだ……」


 純粋な好奇心でスリジエが頷いたとき、のろのろとエールプティオが顔を上げた。

 竜人たちの密かな会話が耳に入っていたのか、警戒する心は消えていないがこちらを見上げる目には怯えに似た色がある。

 スリジエは目の端にいた男のその色に偶然気づいて、しかし身動ぐ前にカリマの腕でしっかりと抱きしめられた。


「カリマ?」

「お前との約束は守る。だからここからは私にすべて任せるように」


 それは番であるスリジエに対する優しげなものだったけれど、有無を言わせない語気は生きとし生けるものの頂点に立つがゆえの物言いで、それに逆らう術は無く。


(僕の知らないところで何かが


 しかしそれを知る由も無いスリジエは、逞しい腕の中でただただ頷くしかできなかったのである。



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