第10話 僕の番が世界最強なのは真理




「け、怪我は?」

「大丈夫だ。俺の体は特別頑丈に出来ている」


 ほら、と差し出された利き腕には確かに傷一つ無く、ホッとしながらもスリジエは抱えられた逞しい腕の中で目の前の光景に茫然自失となっていた。

 陽が没し闇が静かにその濃さを増していくなか、煙のように土埃が舞う地に倒れるいくつもの肉塊。スリジエのに映るどれもが血と埃に塗れ、四肢があり得ない方向に折れ曲がっているのもあった。

 惨憺たる有り様に自分はさぞかし血の気を失った顔をしていることだろう、と自覚はある。


「……生きてる、よね?」

「約束だからな」


 万一の不安からつい零れてしまった問いに、事も無げな返事。

 ハッとなったスリジエはこの問いかけにカリマが気を悪くしただろうかと顔を伏せるように太い頸に額を当て埋めれば、すぐさま安心させるように大きな掌に頭をひと撫でされた。


(この短い時間でこの竜人ひとを、僕はもう信頼してる……)


 大切に思う柔らかく温かな感情に包まれて、スリジエはほうと深く息を吐く。

 妹の番である狼獣人のエールプティオは、他の奴らがしたようにスリジエが『カリマの番』であることが間違いだからと正そうとはしなかった。

 正確には「それがどうした?」と言わんばかりだった。

 そうなるとカリマにはカリマの、エールプティオにはエールプティオの言い分がある。その言い分を押し通すため、二人が立つ地位ではなく純粋に力で示すこととなった。

 番持ちの対決ではよくあることだそうだ。

 その上でカリマは、勝敗を決める間スリジエを放っておけないと抱えたままでいることを宣言し、そしてスリジエを守るためにこの場にいる獣人の参加を認めた。

 エールプティオは自身が見縊られたことで不愉快そうにムッとした顔となったが、「勝手にしろ」の一言で済ませた。

 スリジエは竜人とはいえあまりにも不利ではないかと心配になったのだが、ほくそ笑むカリマに何も分からない自分が言うのは筋違いかと口を閉じた。

 しかし譲れないことだけは伝える。


「相手の命を奪うことだけはしないで」

「……」

「僕は今生きてあなたの腕の中にいるでしょう?」

「……いいだろう」


 凄く不服そうな顔をしていたが、言質は取った。

 そうして陽が暮れつつあるさなか、多勢に無勢な対決が始まった。

 首にしっかり掴まっていろ、の言葉と同時にカリマの拳がエールプティオの顔面目がけて繰り出される。だがその左右から別の獣人たちが行く手を遮るように身を乗り出してきた。

 カリマはその動きを冷静に見極め、その二人の獣人を足蹴にし避ける。その間にエールプティオは間合いを取り、そして攻撃に転じた。

 ここでスリジエが関心したのは、狼獣人たちは決してスリジエへ向かって襲わなかったことだ。どさくさ紛れで当たる可能性はあるだろうが、元から狙ってはいない動きだった。

 もっともあとでカリマに言ったら、目の前で番を襲撃しようものなら枯れた花が落ちるような肉片となって原形は留まらんぞと、不穏に笑っていたが。

 ともかく狼獣人による牙と爪の一斉攻撃は、カリマの持つ強靭な肉体と能力によりことごとく躱され、そして反撃がなされた。

 死なない程度でとお願いしたが、それでも当てる一撃が重いのだ。数発撃ち込まれただけでもう動けなくなり参加する狼獣人の数はあっという間に減っていき、最後はエールプティオとの対峙となったが、それも呆気なく終わってしまった。

 呻く声さえ上げられず地に伏せる狼獣人たちに対して、カリマは息一つ切らさないで、余裕の構えで佇み見下ろしている。

 流石は竜人と称賛される強さか。


(よかった、念押ししておいて……)


 すべての動きが無くなったこともあり、スリジエは止めていた息を大きくゆっくりと吐いた。

 そして息を吐き茫然となっていたものの、目の端でよろよろとしながら起き上がる仕草を認める。


「ふん、まだ立ち上がるか?」


 幾分面倒そうなカリマの呟き。

 しぶとく立ちあがろうとしていたのはエールプティオだった。だがその男もカリマの拳で顔を腫らし、体もどこかの骨が折れた嫌な音が聞こえたので、もう先程のように機敏に動くのは無理なはずだ。

 再び向かい合う形となった風体の正反対な二人の間に吹いた風が土埃とともにいろいろ舞い上げ、様々な体液で息が詰まりそうな臭いにスリジエの顔が苦虫を噛み潰したようなものになる。

 だが辺りに満ちる臭気や殺伐さなど素知らぬ雰囲気で、少し離れた場所に停めてあった馬車から可憐さのある、スリジエに似た一人の少女が降りてきた。


「もう、私をいつまでここに閉じ込めて置く気? お兄様は流石に来ているんでしょう。だったら私も一緒にお兄様が恥辱や絶望する顔を見たいわ」


 スリジエは聞こえてくる悪意に満ち神経に触る声と、現状を理解できていない頭に薄気味悪さで鳥肌が立ちつつも、傍らからの隠そうともしない怒気に緊張から身が縮む思いにさせられた。




「ほう、ほう……がお前の妹と……」


 耳に届く刺々しい声は不機嫌そのもので、現れた少女を見やる眼光は獲物を狙うそれだ。


「オルキデ、下がれ。馬車に戻るんだ」


 カリマの怒気を感じ取ったエールプティオは大切な番を守るため掠れ声になりつつも叫ぶ。

 だがその言い方か、声か。オルキデには癪に障ったようだ。


「いやよ、厭きて退屈してたんだもん。お兄様の泣く姿を見て憂さを……あら?」


 相変わらずまったく聞く耳を持たないオルキデはツンとした顔で声のする方へ振り向き、そして血と土埃で汚れ傷だらけのエールプティオを捉えた。


「やだ、どうしたの。それ」


(……番を見ての第一声がそれか)


 オルキデの甲高い声に心配そうな響きは含まれていなさそうで、スリジエはほんの少しエールプティオを気の毒だなと思った。

 と、カリマに左手を取られ薬指をかじと噛まれる。


「えっ」

「俺だけを見ろ」


 軽くではあったが急に齧られて驚いたスリジエへ、嫉視を帯びた目でじっと見つめるカリマ。どうやら他の誰かを思い遣ったことで臍を曲げたらしい。

 だから慌ててスリジエは弁明した。


「えと、そういう訳じゃ無くて……その、妹の心無さに呆れているというか」


 そう言うと「……まぁ確かに」と零す言葉が白けている。

 人同士で付き合うにしても初対面で仲が深まることなどほとんどないのに、人間と獣人の関係などよくよく相手を思い合わねば進展することはない。

 オルキデがスリジエを見下げるように、どうも自分の置かれた王女という身分もあってか妹は他人を平然と扱き下ろす。


(妾妃腹の王女に大した価値なんて無いのに気づかないなんて……)


 だから血筋に頼れない他の娘たちは自分に付加価値をつけたというのに。

 スリジエの嘆息に、カリマはオルキデを一瞥して囁いた。


「本当にあの女は王女で、お前と血が繋がっているのか?」


 そう問う声は心底疑っているもので。

 するとエールプティオを見やっていたオルキデがスッとこちらへ振り向いた。

 カリマとの会話が聞こえたのだろうかと黙ったまま行方を見守っていると、大仰な溜息が聞こえてきた。


「……はぁ、もういるじゃない。お兄様」


 腕を組んで立つオルキデの視線が抱えられたままのスリジエを上から下まで見たのち、損傷が見当たらないことにか悔しそうな顔をする。


「そこのお前、どうしてお兄様の側にいるの?」


 そして傷が無い原因をカリマのせいだと気づいたのか、オルキデは意味不明な因縁をつけて責めた。

 まるでカリマの額の生え際にある二本の角が見えていないのかのような振る舞いに、スリジエは恐々と隣にある顔を横目で見て、そしてはらはらと妹を見た。


「オルキデ……この人が何者か分からないのか?」

「何者って、お兄様の側にいるんだもの。の獣人でしょ? だったら私の番の方が上じゃない」

「……」


 オルキデの言葉にスリジエは唖然となり、逆にカリマはどっと大声で笑っている。


「はははっ、無知蒙昧な人間は愚かにも程がある。己の言動ひとつで番共々命を喪いかねないというのに」


 笑いが一瞬にして冷酷無情な表情へ変化した。


「おい、そこの小娘。俺はお前の番よりも、王女らしきお前よりも強くて偉い立場だってことを思い知らせてやろうか」


 カリマの発する怒気で張りつめた空気となるなか、エールプティオはどこにそんな力が残っていたのか、咄嗟にオルキデの前へ出ると片膝をつき頭を垂れる。


「我が番には、何卒ご容赦を」


 許しを請う姿に、ふんと発した音。


「それをお前が言うのか? 俺の番にしたことを棚に上げて?」

「そ、それは」


 エールプティオは自分の道理を通そうと口を開きかけたのを、よりによって自分の番に遮られた。


「ちょっと、エール。どうしてこんな奴に頭を下げるわけ? というかお前、お兄様を番って何?」


 その思い上がった振る舞いに焦り慌てたエールプティオは「黙って」とオルキデの口を手で塞ぐ。

 それはそうだろう。カリマの気持ち一つで番が消されるかもしれないのだから。


「俺は竜人。そしてスリジエは『王の番』だ。口の聞き方を慎め」

「……はあああぁ?」


 踏ん反り返るカリマに、オルキデは淑女教育など度外視した叫び声をあげ、目を見開いて地団駄を踏む。


「お兄様が竜王の番ですって? 冗談でしょ、そんな無能がっ」

「口を慎めと言ったぞ、小娘」


 カリマの凄みがまっすぐにオルキデを捉える。ひっとはしたない声をあげてエールプティオの背に抱きつくが、その際どこか傷口に触ったか男がううっと呻く声が漏れた。

 それに気づかず、オルキデは背で庇われながらけたたましく詰る。


「なによ、なによ。エール、何とかならないのっ」

「……」

「私を番だ、愛しているとか散々言ってたのに、何この体たらくっ。ぜんぜん使えないじゃないっ」


 余りの言い様にスリジエは黙っていられなくなった。


「オルキデ、他種族にある番関係がどういったものか学んでいるだろう? そんな言い方は」


 窘めるように言うスリジエへ、オルキデが鬼の形相で睨みつける。


「いちいち無能が口を挟まないでっ。番とか知らないわ。そんなこと関係無く、私は誰からも愛される王女なのよ。誰もが持て囃すべき存在なのよっ」


 オルキデが次々と口にする言葉に、黙って聞いているエールプティオの眉がどんどん顰められていく。

 エールプティオは獣人の中でも高い立場にあるので、人間が番関係を知らないことは分かっていたはずだ。出会ったときにきちんとオルキデへ説明しただろうが、きっと彼女は話し半分にしか聞いていない。

 これまで教え授けていたときと同じように。

 そうでなければスリジエを「無能」と罵る必要はない。そう罵るのはオルキデが他の誰かからそう陰口を言われていて、それが強い劣等感となっている。


「私は、お前と違って……っ」


 その劣等感を覆すためにスリジエを貶めてーーー


「ふざけるなよ、小娘。これ以上我が最愛を蔑むのは俺が許さん」


 だがスリジエが反論するより早く、大爆発したカリマが憤激の雄叫びをあげた。



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