第9話 僕の敵は番の敵と同じ③




 じゃっかん鈍いものの安定した足取りは不安になることなどなく。

 強靭な胸筋へすっかり体を預けたスリジエは、カリマと会ってからここに至るまでがまだ半日も経っていないことに気がついた。

 オルキデの浅知恵から、恩のある人が負傷し自分が誘拐されて五日。この間に後宮に居たとき以上の悪意を浴びたスリジエは、半ば先のことを観念していた。


(ひと月後に成年を迎えた際に名ばかりの王子を廃してもらい、どこか長閑な土地でソールと二人暮らしていこうと……)


 そのささやかな望みが潰えた、と。

 子供であるスリジエは足掻くより諦めることが当たり前の毎日だったのだ。

 だがそんな流れが、今日スリジエを最愛と呼ぶカリマが現れたことで一変した。

 大陸上で最強と称される竜人カリマ弱者スリジエを泥沼から救い上げてくれた。

 そう言っていいだろうし、普通に喜ぶべきことだ。

『番』に関しては書物で少し齧った程度の知識しかないが、唯一の対となる生き物らしい。人間でいう一夫一妻のような関係性なのかなと軽く考えていたから、出会ったらこんなに番至上主義者なことにとても驚いた。

 ただスリジエがカリマに強い絆を感じるかと問われれば、それは乏しいと返すだろう。そもそも人を愛するという感情が分からないから。

 そんなスリジエの小さな溜息をカリマが目敏く見る。


「どうした?」

「……僕には番というのがよく分からない」


 少し躊躇い、けれどポツリと零した呟きに「そんなことか」と高らかに笑われる。


「ふむ、人間はそうらしいな。だが難しく考える必要はない。お前が今こうされていることは不快か?」


 問われて、少し考え、そしてスリジエは首を横に振る。


「……嫌じゃ、ないよ」

「ならば遠慮なく享受しておけ。俺はお前に不便を覚えることなく何もかもしてやりたいのだ」


 甘やかさを隠さない声音は真実を語っているだろう。

 でもスリジエは恐い。番関係のような見返りを求めない好意が存在すると期待したことがなかったから。

 だからつい聞いてしまう。


「僕がこの場を逃れるためだけにあなたを利用してるとは思わないの?」

「……それは俺も侮られたものだ」


 スリジエが覚える不安をカリマは不遜さを隠さない笑みを口元に浮かべ、薄い桃色をした小さな耳へ触れるように囁く。


「こうして腕に抱く番を簡単に手放すと?」


 その囁きと同時に抱える腕に僅かな力が込められてスリジエの体が強張った。でもそれは気づかされた逃げられない恐さではない、反射のような体の突っ張りだ。


「だからまずは、憂いを潰しておかないとな」


 お前を安心させるためにも、とカリマは続け耳朶へ唇を落とす。それがまるでスリジエの心の内を見通している素振りで、妙な恥ずかしさに小さくううと唸り返すことしかできない。

 ちなみにカリマがはっきりと「潰す」と告げたことに、道すがらこれまで空気と徹していた耳の良い狼獣人たちは上げそうになった悲鳴を一斉に手で押さえ堪えた。

 そして同じく聞こえていたはずのスリジエは、カリマからの触れ合いに惑わされて心慌ただしくしていてそれどころではない。

 目の前の胸板へ顔を埋めるようにしてきまり悪さをやり過ごしていたスリジエは、ふと耳に届いた遠吠えに顔を上げた。

 当然聞こえたカリマもまた目を眇め、薄暗がりの先をじっと見る。


「……ふん、狩りが不発に終わったことも知らず呑気なものだ。何にせよ、向こうにあと何匹揃っていようが、俺の番に手を出した報いは倍にして受けてもらうぞ」




 先行くたびに増していく竜王カリマから生じる死の恐怖で、獣人たちが戦慄し進める歩調はギクシャクとなる。

 胸板に顔を埋めていたスリジエはそんなことを知る由も無く、聞こえた遠吠えに後回しにしていたことを思い出した。


「……肝心なことなんだけど」

「何だ?」

「向こうの番というのは、僕と双子の妹で」

「ああ、狼どもが言っていたな。だがお前を害することに同意したのなら消す対象に変わりはない」


 まさしく番以外に興味はないし、敵と見做せば容赦もない。

 それが番の身内であっても、で徹底している。

 こんなところが、番が分かる者と分からない者の差なのかなと考えつつ、スリジエは仕返しが殺生以外で妥協できないか探す。


「その、いくら竜人の王でも、それは少々不味いかも……」

「俺の番に関しての制裁に誰であっても文句は言えまい」


 にべも無い物言い。

 そして、文句が言えないというより言わさないが正しいだろうなとこっそり思う。


「でも妹は王女なんだよ?」


 スリジエがそう続けると、カリマは少し神妙げに探るような色をした目でじっと見た。

 そこに身分で驚いた様子は見当たらない。


「ではお前は王子という訳か」

「うん、血筋的なとこでは……」


 ほぼ蔑ろにされていたことは内緒にしようと黙ったが、ふうんと低く物騒に唸る音が耳に届く。

 その物騒さにちょっと鳩尾のところがドキドキするのは、種族による生存本能か別の何かか。

 他人との会話が少なかったため角を立てない他の言い方が見つからず、スリジエは内心でうんうん唸る。


(ここで血を見たくないと言っても眠ってていいで終わるよね、絶対……)


 先程寝ている間に終わらせると言われたばかりだったなと説得は諦め、とりあえず言いたいことを伝えることに専念した。


「カリマの気持ちがあるから、何かするにしても相手は死なない程度にしてもらって、あとは各々の国の法律で裁いてほしい」

「法律? 人間の国に『番法つがいほう』はあるのか?」


番法つがいほう? なにその如何にも的なのがあるの? ……いや、僕は初めて聞くかな? たぶん、ティユル国に無いと思う、けど……でも誘拐や傷害示唆に関しての罰則はあるから」


 スリジエは初めて聞くことに戸惑いつつもこれで同意してほしいと願ったのだが、相手はやはり手強くて左右に大きく顔を振られた。


「では駄目だ。俺が覚えていることと照らし合わせても人間の下す罰は軽ければ謹慎、重くても身分剥奪だった。それではお前の妹への罰が軽すぎる」


 カリマはその程度では手緩いと不服な顔を隠そうともしない。その表情を眺め、スリジエはどうしたらいいか迷いながらも怖いもの見たさの軽い気持ちで聞いた。


「じゃ『番法つがいほう』がある場合の、妹への罰はどういったものになる?」

「番が分かる連中は基本、罰則に関して目には目を歯には歯を、だからな」


(……ということは、僕がされたことがそのまま竜人カリマの手でオルキデへ実行されるってこと?)


 それは法律と言えるのか。

 スリジエはその非合理に頬が引きつるのを自覚し、カリマはそんな困惑した番の顔をやれやれというふうに微笑んでのち、目尻を険しくさせ一点を見つめる。

 その視線の先を追えばいつの間にか道は終わり、開けた原っぱの中心に立つ男の元へ先を進んでいた狼獣人たちが駆け出す姿があった。

 その有り様をエールプティオはむっつり顔で一瞥し、そしてスリジエとカリマをじっと睨めつける。

 その鋭さに、無意識に唇を噛み服を掴む手に力が入ったが、すぐさま温かい掌が微かに震える手の上へ重なった。


「さて、俺の番に手を出した奴らへをするか」


 そう告げ牙を向いて威を見せるカリマと苛立たしさを剥き出しにしたエールプティオは、一触即発の空気を孕んで睨み合った。



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