第8話 僕の敵は番の敵と同じ②




 カリマの自信に満ち溢れる顔つきをチラリと見たスリジエは、ふとこの竜人は何者であるのかが気になった。

 三歳で国王から見放されたスリジエは俗に言う王子教育を受けていない。ソールが教えてくれたのは文字の読み書きを含めた一般的な礼儀作法と簡単な世界情勢で、あとは借りてきてもらった本で知識を補ってきた。

 読んだ本の中で、スリジエが暮らすティユル国はアプラニスと呼ぶ大陸に有り、他六つの国が隣り合わさっている。

 そのうち姿形が人間に似て関わることが多い獣人は動物と人間が合わさり進化した半獣半人の種族で、竜人は竜が人型を取ることができる種族だと書物にあった。そして獣人や竜人の他に、不可思議な力を宿すエルフの国や高度な技能を持つドワーフの国が存在しているらしい。

 さて、先程この竜人は省略せず名を名乗った。


 ーーーカリマ・デサストレ・ナトゥラル


(竜人の国の名がと教わった気がする……)


 名乗りに国名が入る場合……スリジエは王子の地位をまだ廃されていないのでティユルと国名を付けたが、カリマもまた己と同じであるのならと思ったら驚きで気が遠くなりそうになった。


(この人王族なの? ……え、王族ってそもそも他国をフラフラ出歩けるの?)


 スリジエの頭の中にそんな疑問が沸くが、自国王族身内の立ち居振る舞いも知らないので答えは当然出ない。

 それでも、少なくともこの間古いにしえの誓約を自分勝手に破った第三王子義兄よりは、身形も為人ひととなりも立派に映る。

 まぁ成年になる前のスリジエが誉めることなど烏滸がましいだろうけどと、ぼんやり思っているその間、カリマに睨まれた狼獣人たちはというと逃げることも手向かうこともできず突っ立っていた。

 ……そう、ただ突っ立っていたが。


「それじゃさっさと片付けるか」


 そう宣言したカリマが空いた右手を固く握りしめると、「ま、待てっ」と面々が焦燥交じりの慌てた声で制止をかけた。


「わ、我々は命令されてその人間を追っていたのだ。上位者より言われれば下にいる者は背くことなどできぬ」

「それにその人間はエールプティオ将軍の番様の兄で、番様に良からぬことをしたため仕置きが必要だと……」


 え、とスリジエは目を瞠る。そのは番の習性にこれまでの言動を考えればカリマの怒りへ火に油を注ぐ展開になりかねない。

 それは理不尽に追われた側のスリジエでも推測できるのに、動揺のし過ぎで習性をよく知るはずの獣人側は不味いことに気づかないのか。


「ほう……?」


 案の定、すぐ横から響く怒りと苛立ちを含めた猛然と唸る声。

 そしてびたんびたんと地を叩く音。どこからと思えばカリマの尾が苛立だしげに動いていてた。


「ほう、ほう……ベスティアのいち将軍の番とやらが俺の番に仕置きだと?」


 一歩一歩踏み出しながら、憤怒の形相で低く押しこもった声が相手を追いつめるように問う。それは狼獣人たちに反駁を許さず、かつ威圧し服従させようとする空気が動いた。

 そんなカリマの発する気に完全に呑まれた狼獣人たちは怖気がついたようだが、しかしスリジエは間近で浴びても恐くはなかった。

 カリマが言う番の関係だからだろうか?

 恐くはないそれは、スリジエのにはカリマの体から熱が発せられたかのような炎の揺らめきとして映っている。

 綺麗だと思うと同時に、また浮かぶ疑問。


(この竜人ひと、王族は王族でも……もしかして只者じゃない?)


 他者を従わせることに慣れた素振りに、スリジエの背は違う意味でヒヤリと冷え太い上腕を掴む手に力が入る。


(まさか……だよね?)


「ならば『』に手を出すお前たちに鉄槌を下しても構わないな?」


 スリジエの当たってほしくない疑いは本人の口から勿体振られることなく語られ、壮絶な薄笑いを浮かべたカリマの殺気を漂わせた激昂に獣人たちはそれぞれに悲痛な叫びをあげとうとう膝を折った。




「カリマは、竜人の王様なの?」


 ヒイヒイと悲鳴を上げ一斉に崩れ落ちる獣人たちに呆気にとられつつ、恐る恐るの声で尋ねたスリジエへ、瞬時に殺気を引っ込め自慢顔をしてカリマは頷く。


「ああ、そうだ。俺はベスティアの王と顔見知りだし、我が番を害する塵芥など簡単に殲滅してくれる」


 先程スリジエが気にした国際問題など一つもない、と言いた気にうんうんと頷くカリマ。その足元で狼獣人たちはすっかり戦意喪失した顔をしている。

 スリジエという弱みを抱え尚且つ九対一の人数差があっても、まだ竜人のカリマの方が強いとは。

 戦う前から勝敗が決まって、ふえ、とつい声に出してしまったスリジエにカリマはよく笑った。


「お前の番は世界最強なのだ。これからは安心して過ごすといい」


 スリジエの耳元で力強く言い、そしてガラリと顔色を変え足元を見下ろした。


「さて、貴様たちに問う。俺の番……我が最愛をここまで痛めつけ弱らせたのは誰だ?」


 激した声は一気に緊張感を漂わせ、それは獣人をますます震え上がらせたが、スリジエはというと面食らってぽかんとした顔になってしまった。

 見える肌に傷らしき痕は無いというのに状態を気づかれている。


「どうして……」

「お前を抱き寄せたとき僅かに顔を顰めたのを見た。体のどこかに手当てされていない傷があるのでは?」


「どこが痛い?」と続けられて、つい言い淀む。オルキデの番と名乗ったエールプティオに肩を踏まれただけでなく、移動の間ここにいる狼獣人たちから爪先で遊ぶように蹴られていた。

 実はしかし、そのときもしたものに庇われ大きな怪我を負うことはなかったので、スリジエはなんて説明すれば相手が怒らずにいるだろうかと考えていると、この僅かの間で何かを察したらしいカリマの眉間に皺が寄った。


「黙ったままなら確認するぞ?」

「ま、待って。肩とかに少し青痣があるくらいだし」


 抑えた低い声にぎょっとなったスリジエは慌てて痣があることを口にしたが、カリマは曖昧な答えを許さなかった。


「肩とかに?」

「……肩とお腹と、たぶん背中も、あると思う」


『狩り』をする予定なので足を傷つけて活きが悪くなるのを嫌ったのだろう。足蹴にされたのは顔を除いた上半身ばかりだった。

 スリジエはぼそぼそと呟くように返して、でもとカリマを見た。


「もうそんなに痛くは……」


 ないのだ、と続けるはずの言葉は、カリマの動作一つに遮られた。予備動作無しに太く伸びた脚が、一番近くで膝を付き座り込んでいた狼獣人の腹を蹴ったからだ。

 内臓を強く蹴られたことで呻き声と共に胃液が吐き出され、狼獣人は体を丸めるように地面へ蹲った。

 思わず目を瞠るスリジエを他所にカリマは獣人らへ酷薄な目を向け無言で次々と蹴り倒していき、八人目が腹這いになったところでスリジエは太い頸へ腕を回ししがみついた。


「カ、カリマ」

「……ああ、すまない。怖がらせたな。だがこうでもしなければ俺の気が治まらん」


 柔らかな声と共に大きな掌がスリジエの髪を梳くようにして撫で下ろす。

 呻き声があちこちから聞こえるので死んではいないようだ。カリマもまた獣人はこれくらいで死ぬことはないと、まるでこちらを安心させるように言う。

 カリマはスリジエの後頭部を押さえ自身の肩へ顔を伏せさせたまま、すっかり腰が引け尻を地面に付けた無傷の九人目へ語気鋭く言い放った。


「さぁお前たちの親玉のところまで連れて行ってもらうぞ」




 負傷させた狼獣人らを無理矢理立たせて先を歩かせ、スリジエはカリマに縦抱っこされたまま草木繁る道を進んで行く。

 足を進める合間に「喉が渇いていないか」と水を飲まされ、「腹が空いてるだろう」と携行していた食糧を口に入れられる。その手際の良さに不慣れながら享けるしかないスリジエだ。


「あの……僕、歩けます」

「構わん。俺が離したくないのだ」


 そして歩かせてももらえない。

 番に対する甘やかし具合に凄いなぁとどこか他人事のように感心しながら、スリジエはふあと欠伸をする。

 こうして安定感のある腕に支えられているといかに己が疲れていたかを分からされてしまう。


「眠いなら寝ても構わないぞ。その間にすべてを終わらせておく」

「……ん、大丈夫です」


 掛け値なしの労りの声にスリジエは首を横に振る。言葉に甘えて寝てしまったら本当に塵一つ無くいるに違いない。

 それは流石に、血を分けた妹の死に様は寝覚めが悪い。

 スリジエはとにかくこれからのことを想像して、内心で溜息を吐きつつカリマの肩へそっと頭を乗せる。


(殺生だけは駄目だ……うん)


 一行は木々の葉の隙間から沈みかけた夕陽が差し込む道筋を、スリジエが逃げた足より遅く下りて行った。




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