第7話 僕の敵は番の敵と同じ①




 あの後獣人たちは再びスリジエを拘束すると馬車に乗せ出発した。

 このときのことを知られたら困るので意識してのは避けたが、さっと見回した際の雰囲気ではまだ国境を越えた感じではなかった。

 後々気づいたのだがオルキデの乗る豪奢な馬車には快適な居住空間が備わっていて、隣国ベスティアへの強行軍であっても人の身に負担が及ぶことはなかったらしい。

 反対にまるで荷物のように馬車で運ばれたスリジエは、たくさんの距離を移動したこの三日間で大幅に体力を削られた。その上食事は粗末なものを一日一食に水分も生かすための最低限しか与えられなかった。

 果てはオルキデによる自惚れと毒突きの演説だ。まるで物語の主人公のように酔う様に、寝不足もあって鈍く痛む頭に目を細めながら内心で「煩いし面倒だなぁ」と悪態を吐きまくる。

 そんな一方的なやりとりの中で、国王が切り捨てた己の息子スリジエの異能に気づいていたことを知った。


(オルキデは僕のこののことを知らないようだが……もし老宦官身近からバレたなら早々に接触を謀ったはずだから、後宮にいた近衛の目敏い者に感づかれたのかな?)


 とはいえ今更国王と親子の情が云々など拒絶案件である。

 そしてオルキデの暴挙とも言えるこれは、今まで下に見ていた存在スリジエが引き立てられそうな事態に焦ったからのようだ。

 そして。


「私の結婚相手は、見た目が良くてお金をたくさん持ってて私を深く愛してくれる人じゃないと駄目なのよっ」


(……国王は金がそこそこある国内の貴族どこかの後妻に押し込めたかったんだな)


 父親である国王の期待に応えていればもっと良い縁談が組まれただろうに……とスリジエは聞きながらそっと溜息を吐く。

 そうして自分に言いつけられた理不尽な婚約に憤慨していたところに『俺の番』と愛を告白してきたエールと名乗のる獣人ー正式名はエールプティオと言うらしいーの誘いがあって、この暴挙とも言える事態を引き起こしたということらしい。

 スリジエは何度かの溜息を吐きつつ、目を閉じ黙考する。

 さて獣人は自身にとって唯一の存在を『番』と呼んで愛し傍に置き、上げ膳据え膳と全てのことをしたがるという。

 獣人は番という存在を本能で知るらしいが、人間にはその感覚が分からない。

 今回のこの茶番はオルキデの希望もあったが、獣人のエールプティオにとっても渡りに船の話であったのだ。

 一応王女の肩書きを持つオルキデを何ら利益をもたらさない相手へ国王である父親がすんなりと嫁がせる訳がなく。だから人間を通さず強引に攫う真似をした。

 しかしオルキデは自分に起きた不幸ースリジエから見れば自業自得と思うのだがーから救ってくれた相手にただただ甘え擦り寄っているだけだろう。あの男を慕う様子は見られない。

 今後のことを一切考えず現状に怒るオルキデを、スリジエは呼び出される度に白けた気分で眺めていた。




 ティユル国の後宮から攫われて五日後の、西に傾いた陽が辺りを橙色に染める頃。

 鬱蒼たる森の手前で降ろされたスリジエは、番のためとベスティア国内から更に獣人を呼び集めたエールプティオにより、狩りの訓練のためと奥地へ追いやられた。

 活きのいい獲物となって逃げ回れ、と囃し立てられ、思うように動ける体力は無いなか捕まればどう弄ばれるか、オルキデや獣人たちの様子では命があって良かったという状況には絶対ならないだろう。

 疲労と空腹とで何もかにもに嫌気が差して、スリジエは深い穴が掘られたような崖下へ吸い込まれるように足を向けたーーーのだが。




「大丈夫か?」


 スリジエのことを『最愛』と呼んだ、二本の角を生やした偉丈夫は体に見合った掌を優しい仕草で頬へ当ててきた。

 太く強い腕に抱かれる形になったまま呆然と見上げていたスリジエは相手の特徴ある姿形で正体に思い至る。


(竜人だ……)


「もしかして口がきけないのか?」


 スリジエが黙ったままだからか、竜人の様子がどんどんと心配気なものへ変化していく。

 スリジエは慌てて首を横に振った。


「あ、口は、きけます。いや、その……僕のことを、どうして……?」

「俺がお前を心配するのは、お前が俺の最愛だからだ」

「さ、最愛って……?」


 こちらの疑問を当然のようにそう言い切る竜人に、スリジエは聞き慣れない言葉も相俟って戸惑ってしまう。

 ティユル国ではずっと後宮に閉じ込められていたスリジエは、実は人間以外に会うのは初めてなのである。獣人たちは最初から敵対であることを隠さなかったのでそれ相応に接したが、この竜人はいきなり体の接触から始まりしかもとても心配されている。

 常に側にいたソール以外から受ける優しい感情にどう返せばいいかが分からないのだ。

 突然のことに頭と心が混乱し無意識に体が逃げを打つスリジエへ、竜人はまるで自分から逃げることを許さないかの如く顔をぐぐっと寄せる。

 それは互いの吐息が重なるほどに。


「お前は人間だろう?」

「は、はい」

「ならば『番』の関係は知らぬはず……だから俺はお前に分かるようもっとも深く愛する者だと伝えた」


 真剣な声で伝えられた言葉に、スリジエは目を瞬かせる。


(僕が、この人の……つがい……?)


 え、え、と声を零しながら眼前にある男性的な顔に狼狽えるスリジエは、次の瞬間、瞬かせたの端に追跡者たちの姿を捉えて半ば反射的に身を強張らせる。

 同時に、竜人は金の瞳を煌めかせると細い体を抱きしめたまま厳しい顔で背後を振り返った。




「知り合いか?」


 そう問う声がまるで周囲を凍らせてしまえそうなほど冷ややかなものであることと、見上げた竜人の攻撃的な目つきで遠くを凝視する様にスリジエは息を呑んだ。

 スリジエを『最愛』と告げた声と今発した声に乗せられた感情は天と地ほどの差があって、このまま素直に「違う」と答えていいのかを躊躇う。

 とはいえ受けた動揺にもう勘づかれている。『番』の習性を思えば隠そうとするのは難しいが、しかし獣人の他国で大騒動になるのはこの竜人のためにも避けたい。


「……知り合い、ではないです」


 抱きしめられて感じる体温に体の強張りは解けつつあるが、平静を装うとすればするほど声が震えた。まったく隠し立てができていないが、そもそもスリジエの環境下で他人の怒りの前に立たされるーオルキデのは怒りというより癇癪だーことなどなかったのだ。


「ならば潰してもいいな」


 凄みのある低音で何でもないことのように呟く相手に、スリジエは咄嗟に腰に回る腕へ手を置いた。


「こ、ここはベスティア国内ですよね? 竜人である貴方が事を起こせば国際問題に……」


 問題になりますと続けようとしたスリジエの言葉を竜人は「安心しろ」と短く遮り、大きな手を後頭部に当てる。


「そう、ここはベスティアだ。獣人も番に関わる殺生はよくあることだし、そもそも俺がここにいて獣人奴らに文句は言わせん」


 にやりと笑い得意気な語り口調の中に交じる「殺生」との言葉に、スリジエはひえっとあがりそうになる悲鳴は飲み込む。

 オルキデを番と呼ぶエールプティオを見ていて盲目に恋い慕い従う様とはこんなものなのかと思ったが、盲目さの上には上があった。

 呆気に取られるスリジエを、竜人はちらりとまた背後へ視線を向けてから「ここは危ない」と膝裏に腕を回して軽々と片手で抱き上げた。

 崖の際から離れつつ竜人は近づいてくる輩のことなど問題視していない様子で、それよりもと穏やかな顔つきで目を細め顔を覗き込んでくる。


「ああ、お前の名を呼びたい。教えてくれ。俺はカリマ・デサストレ・ナトゥラル。今後俺のことはカリマと」

「……僕は、スリジエ・ティユル、です」


 とても和やかに自己紹介する場合でないのだが、たぶん答えないとこの後の事態は進まない気がしたので簡潔に名乗る。

 それにふんふんと鼻歌交じりで機嫌を良くさせたカリマはスリジエの名を愛おしそうに何度か口にし、やがて満足気に口端をつり上げた。




 スリジエが『狩人』たちは、このやりとりが終わるのを見計らったかのようなタイミングでぞろぞろと姿を現した。

 だが先程まで弱い人間を甚振るつもりでニヤけていた笑みは、カリマを見た瞬間に消える。その変化は面白いほどはっきりとしていた。


「り、竜人が、なぜここに……っ」


 そう発する声に怯えが感じられて、スリジエは視線を獣人からカリマの横顔へ向ける。竜人は一人、狼獣人は九人いるのだが、自分が物を知らないだけでこの数の差でも不利にならないくらい竜人は強いのだろうか。

 ……スリジエはカリマという男が簡単に潰すって言っていたのを本気にしていなかった。


「なぜって、番がここにいたからだが?」


 カリマがあっさり告げると、狼獣人たちの尻尾がさっと下がり、中には股の間に挟む姿もある。その恐れ様でどうやら追いかけていた人間スリジエ強者竜人カリマの番であると簡単に信じるらしい。


「で、俺も聞きたい。なぜ獣人お前たちが俺の番を追い回す?」

「……」

「わざわざ人間の国からここへ連れてきたんだろう?」

「……」

「何のためだ?」


 カリマの詰問する声が一気に氷点下まで冷たくなった。

 その声色に狼獣人たちは怖気立ったのか酷く慄いている。相手のこれまでとの変わり様にとても驚くが、スリジエとてカリマの体温がこうして傍になければ恐くて同じように体を震わせていただろう。

 それでもカリマは、一言も発しなくなった相手を敵意ある目で眺め回す。


「……答えないのか? ふん、まぁいいさ。お前たちがどうであろうと、我が番であるスリジエが怯えるものを排除するだけだ」


 それは己の立場が有利であることを知る、余裕のある声だった。



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