第6話 僕の価値と妹の価値




 背中から血を流す老いた姿にただ無事を祈るだけしかできないまま、スリジエは手足を縛られ荷物のように担がれると獣人たちが建物の外へと走り出した。


「他の奴らも引き上げさせろ。今はまだ人間の国を滅ぼすときじゃない」


 オルキデを大切そうに横抱きにした男は仲間の一人にそう促し、そしてスリジエの部屋から見える雑木林を潜り抜けてあっという間に王城から仲間たちと脱出した。

 揃った八人の獣人たちを見るに今回のことは用意周到に計画していたらしく、集合場所に隠していた二台の馬車のうち豪奢な方にオルキデと妹を抱く男が、もう一つの粗末な馬車には無造作に放り込まれたスリジエと三人の獣人が乗り込み、残りはそれぞれの御者台に乗ると馬を走らせる。

 あまり整えられた道でないのかガタガタと車輪の音をたてながら進む馬車には幌が掛かっていて、投げ出された痛みを堪えてなんとか身を起こし座るスリジエに外を窺う手段は無い。

 


「どこに、行くつもりなんだ……?」

「はん? そりゃ帰るんだよ、国に」


 だが相手は獣人である。油断を誘うつもりで、スリジエが弱々しく聞こえるような声で尋ねると、獣人たちは腹を揺すって哄笑しながら答えた。


(狼の獣人というのなら向かっているのはベスティア国、かな?……ティユルの王都から馬車で五日はかかると学んだが……)


 ベスティアは弱肉強食の獣人の国で、国王は王を選定する儀式試合にて優勝した獣人が成ると本で読んだ。

 そういう血気盛んな種族の集まりなので近隣との小競り合いが絶えないらしい。

 ティユルも彼の国と隣り合う領域だが、二つの国を跨ぐように山が集まり連なっている。山は森林で覆われ険しく険しく切り立った箇所があるそうで、だからなのか他所よりは争いが少ないと聞いている。

 さて彼らは逃亡者の身だから急いでいるだろうが、さて獣人より脆い人間を連れてどれだけ時間を縮められるか。ーーーしかも我儘なオルキデ《妹》もいる。


(まぁ無茶な走行はティユル国を抜けるまでだとして、王城内向こうの混乱が終息して追手をかけるのはいつになるか……)


 スリジエはそう考えて、ふうっと大きく息を吐き立てた膝に額を置く。


(……追手はかかるか?)


 後宮の貴人たちは安全のため隠され、そして無事であることを確認しつつ、近衛や騎士たちは襲撃者を探すだろう。だが少ししか窺えなかったが、あのときスリジエが獣人と対峙した騎士はおそらく殺されているはずだ。残された者たちで獣人による襲撃の真相を究明できるか。

 何より、たかが三番目の妾妃の子らの不在にあの国王がどれだけ労力を割くだろうか。

 不安は尽きない。けれど。


 ーーーお逃げくださいっ


 老宦官の悲痛な声が耳に残っている。真実、スリジエを生かそうと思ってのことで、だからこうして捕まってもまだ生きる道を模索しなければならない。


(僕も連れて行くということはまだ何か用事があるということだし……)




 馬車の揺れの影響を少しでも抑えるべく座った身を固めていたスリジエだが、移動の僅かな合間にある休憩で与えられるのは少量の水のみ。予想はしていたのでとりあえず彼らの隙をついて飲み水として大丈夫かどうかをし、只の水だったのでホッとして喉を潤した。

 ここまでの正確な時間は把握できないが、幌で覆われて外が見えずとも昇った陽による明るさの変化で後宮から出て一日以上経っているのは認識できた。

 そのとき馬車が止まる。


「おい、そいつを起こせ」


 少しうつらうつらしていたスリジエは馬車が止まったことに出遅れ、男の声と共に襟首を掴まれ雑に降ろされた。

 投げ出されるようにされた痛みもありのろのろと顔を上げれば、オルキデとオルキデにエールと呼ばれていた男がいる。ニヤニヤと笑うエールはスリジエの顔へ抜いた剣先を向け、手足を縛る紐を解くよう周りへ指示する。

 そうして拘束は解かれたものの一日いた体勢は強張って容易に動かせない。唯一簡単に動く目で左右を見ればどうやら街道から外れた森の中のようだ。


「ほんと同じ顔なのが忌々しいわ」

「なに、お前の方が何十倍も美しい」


 そう言いながらオルキデのこちらを見下ろす目に憎悪があって、そこまで憎まれる理由が思い浮かばないスリジエはただ戸惑うしかない。

 それにさえ目をつり上げ今にも手を上げそうなオルキデを宥めたエールは、スリジエへ顔を向けると「さて」と口元に冷笑を浮かべる。


「このようには心底お前が気に食わないそうだ。そこで鬱憤を晴らさせようとお前を攫うことにした」


(番? この男がオルキデの?)


 男の台詞に驚愕で目を瞠ったスリジエを他所に更に言葉が続く。


「俺たちもちょうどいい遊び道具を探していたしな。……だからお前はこれからその辺の鳥獣のように




 ーーー


 放たれた予想外の暴言にスリジエは呆然となった。


(……いや『番』のためならなんでもするらしいから、この扱いは当然といえば当然なのか?)


 エールという男の身勝手さに呆れはしたが、苛まれたところで己の胸が痛むことは無い。

 妹のオルキデは幼少のときはともかく、大人たちの言葉を理解し始めた頃よりスリジエのことを卑しめてきた。

 会わなくなった身内スリジエのことなど母親のように見向きもしなければいいのに、わざわざ貶すために待ち伏せのようなことをする。その意味不明な行動に首を傾げていると何やら知り顔のソールが王子王女たちの内情を教えてくれた。

 それを受けて、スリジエはの制御を兼ねたかたちでオルキデや義兄姉たちを垣間見ることにした。

 国王の妃として表に出て認められているのは正妃と側妃の二人、外に出ない妾としての妃は母親を入れて三人。

 その妾妃らが産んだ子は合わせて男が二人、女が三人。すでに継承者とそのスペアがいるため男二人は半ば放置され、うち義兄四男は燻ぶる時期があったものの体格の良さを買われて、成年前から騎士団へ入りその道を進もうとしていた。

 スリジエに対する扱いは言うべきにもあらず。

 そしてオルキデを含めた三人の娘たちは国王の駒の一つとなるべく教育を与えられたが、身分差もあり常に他の王女らと比べられ貶められた。その中でもオルキデの評価は最低らしく、陰で「顔だけだ」と笑われているようだった。

 スリジエはそれを眺めながらいつも不思議に思っていた。


(……妹の一番近くにいる母親はなぜ教えないのだろうか?)


 女官たちからかけられる言葉一つ一つに感情的に振る舞うオルキデを他所に、他の妾妃の娘たちは自分の境遇を理解していて、時間をかけ価値があることを周囲に認めさせていったのに。

 仮にも自分の腹を痛めて産んだ娘であり、娘の将来を思えば幼き頃から己の立場をきちんと教えやらせるべきではと思うのだが、まったく動く気配は無かった。

 結局プライドだけは高いオルキデは自身が貶められた鬱憤の八つ当たり先を探し、それが国王に見放されたスリジエだったという訳だ。


『学の無い、ただ見目がいいだけの男だもの』


 会うたびそうスリジエを罵倒するのは、自分が受けてきた罵りそのままをぶつけているだけ。

 そして思い通りにならない苛立ちを叫ぶ。

 今も、そう。


「ああもうむかつくわっ。なんでそんな平然としていられるわけっ」


 おそらくスリジエが情けなく命を請う姿を見たかったのだろうオルキデは令嬢らしからぬ地団駄を踏みながら騒ぎ立て、番の苛立ちを受けたエールはその望みを叶えるべく剣を収めたのち地面に座るスリジエの左肩を蹴った。


「いっ」


 スリジエは身構える間もなく背中から倒れ痛みで顔を顰めるが、蹴ったエールはなぜか怪訝な顔で倒れた姿を見下ろした。

 それに気づく様子もなく、足蹴にされる兄を見てオルキデは溜飲が下がってか満足そうに笑んでいる。


(痛い、けど……)


 スリジエはのろのろとした動作で身を起こし蹴られた左肩に手を当てる。


(あれ? 獣人に蹴られたのに動かせる?)


 少し肩を動かすが激痛というほどではなく、もっと言えば蹴られた瞬間に僅かばかりのが見えて、それがまるで傷を負わぬべくスリジエの体を守ってくれたように映った。

 呆気にとられるスリジエへオルキデは言い募る。


「痛いでしょう? 獣人たちに狩られるのは嫌でしょう? だったら今ここで命乞いしなさい」


 あくまで上位目線のオルキデへ、告げられた言葉を頭の中で繰り返したスリジエはやっぱりそうかと嘆息し妹へ哀れむ目を向けた。


「……命乞い? 冗談だろ」


 平淡にそう返した瞬間、顔を真っ赤にしたオルキデが喚く。


「あそこにいても価値の無いお前を私は助けてあげたのにっ」


(僕は助けてほしいなんて頼んでいないけど……)


 学んだ礼儀作法はどこへ行ったのかと思わせるほど激昂するオルキデを冷めた目で見つめていると、まるでこちらを咎めるかのような鋭い眼光をしたエールがスリジエの左肩を再び蹴りそのまま地面に押さえてつけた。


「俺の番をここまで怒らせるとは許せん……だがお前は少しだ」

「……」

『狩る』にしても場所を変え、番も俺も楽しめる趣向にしよう」


 牙を見せつけるようにして嗤う男に、スリジエは変わらず冷ややかな目で見返した。



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