第4話 僕の箱庭の崩壊




「夜襲ですっ」


 部屋へ駆け込んできたソールが興奮からか掠れた声で叫んだ。そしてクローゼットからマントを取り出すとスリジエの肩にかけ、手を引き走り出す。


「王城内に賊が入り近衛と各騎士団が応対していますが、魔法が使えないため苦戦するでしょう」


 ソールからの報告に、聞こえてくる微かな悲鳴から遠ざかるように走るスリジエの顔が一瞬惚ける。


(ただの賊が王城を襲撃?)


 ティユル国は国家だ。父親である国王は人の使い方に癖はあったものの管理を怠らなかったので下からの批判は少ないと耳にしている。なのでおそらくだが、クーデターという線は無いと思われた。

 だとすれば他国からの侵入しか思いつかないのだが……

 そう呟くスリジエの疑問にソールの顔の皺が多くなる。


「陛下は諸国との外交バランスをよく調えておりました。いきなり関係が悪化するような事態は無かったかと……だから今のところ賊としか言いようがないのです」

「けど他国からの賊……あっ」


 スリジエは呟いて、ハッとなってソールを見た。


「さっき、オルキデが誰かと逢引していたのを見た」


 小声で告げるとソールから「まさか」と呻き声が漏れる。


「最悪なタイミングですな」

「……オルキデに、近衛の者と好い感じになっていたという噂は?」

「妹君様に獣人の国ベスティアとの見合い話が上がった噂は聞いております。もともと外に出す姫君の扱いのため高位貴族の多い近衛の者は関わりもしなかったでしょう」 

「オルキデにベスティア相手との政略結婚……」


 あの性格の妹を? とスリジエ思ったが、もしかしたら余所行きの顔があるのかもしれない。

 そんな会話をしつつ、ソールはスリジエと共に厨房へ辿り着くと食物保存庫の扉を開けると中に入った。その上押し開かれないように扉の前へ重そうな物を置く。

 それを見たスリジエも慌てて手伝った。


「他の皆様方は別の場所へ避難なさっているでしょう。そこへは受け入れてもらえないでしょうから……ここならこうして籠城もできます」

「……なるほど」


 少し荒いだ息で少し申し訳なさそうにソールが呟き、スリジエはそうと頷いて近くにあった棚の空いたところに腰を下ろした。

 確かにスリジエが他の王族らが避難する先に置いてもらえるなどあり得ないだろう。

 そんな扱いにはもう慣れきっている。だから話を妹のことに戻した。


「……オルキデが賊を招き入れた可能性は高いだろうか」

「なぜそう思われまする?」

「さっきオルキデがベスティアとの噂があったと言っただろう? さっき見た逢引相手に、牙が生えているのを見た」


 スリジエの言葉に老宦官はうむむと唸った。ソールは唯一スリジエのを知る者だ。見間違いではと聞き返さない。

 もし、とソールは低い声で呟く。


「妹君様の逢引されたお相手が獣人だった場合、『番』と呼ばれる間柄の可能性がごさいます」

「番……」


 スリジエは過去に本を読んで得た知識から思い出す。

 我々人間以外の生き物たちは、自分の唯一である愛する相手『番』と呼ばれる存在が分かるのだという。そして『番』を得るためには手段を問わないと聞く。

 スリジエが見た二人がもし仮にそうなら、王女との身分差と利益の無い婚姻に国王がすんなりと許可を出すとは思えない。

 でも、とスリジエは思う。

 ちやほやされてきた妹がただの獣人へ簡単に惹かれるだろうか? もし一緒になるならせめて現状と同じ待遇を望むだろう。だとしたら先程見たフード姿の男はそれなりに地位のある相手ではないのか?




 後宮に住む王族及び勤める者たちの食を満たすための食物保存庫はそれなりの広さがあり、そして当然だが野菜や果実に乾物類、調味料などが置かれている。二人で籠城するなら長く持ち堪えれるだろう。


「スリジエ様、の様子は窺えますか?」


 ソールは扉の近くに立ち他者の気配を探っている様で、視線を扉の向こうに向けたままそう問うた。


「……ん、やってみる」


 スリジエは頷き、やや俯くと瞼を半分閉じる。

 スリジエの目は只人ただびとには映らないものを映し、暗闇の中でも物の輪郭をはっきり捉え、範囲は狭いが己が知る場所ならどこでも遠目がきいた。

 ソールが言うにはそれは過去、精霊との誓約とは別で愛された何代目かの王が賜った超五感力が、異能の遺伝として王族の血筋に現れているそうだ。

 スリジエはこの目のことを内緒にしてもらっているが、こうした異能を持つ王族は老宦官が知る限り現国王の姉がよく聞こえる耳を持っていたそうだ。

 だが自分で遮断出来ない音などただの雑音でしかない。七つのときに発現したその能力は、しかし様々な声を拾い続けたせいで彼女の心を徐々に疲弊させた。

 その末路は語るに忍びない。

 だからだろうか。スリジエが知られたくないと言ったときソールはあっさりと同意した。もし何か見えたとしてもそれを奏上するかはスリジエ自身が決めればいいとも。

 目を半眼にしたスリジエは意識して遠くを


(今のところ厨房や近くに人の気配は無い……)


 そして範囲を後宮へ向ければ、人の気配が集まる堅牢そうな部屋が見えた。凝らせば正妃や側妃にまだ降嫁していない側妃の娘とその側付きが恐怖に青ざめている。

 そしてを横に向ければよく茶会を開いていた中庭で近衛騎士と三角の耳を生やした狼らしきの獣人が剣撃を繰り広げている。


「……狼らしき獣人が後宮の中庭に侵入して、近衛が当たっている」


 スリジエの呟きにソールは「分が悪いですな」と平淡に返す。

 獣人の身体能力は人間を軽く超える。それに対抗するには精霊王との誓約でもたらされた『魔法』が必須なのだ。

 それが失われた今、どこまで対処できるか。


「正妃様と側妃様は同じ部屋にいるけど、妾妃様はまた別の部屋かな?」

「そうでしょうな。お立場も違いますゆえ」


 スリジエは次に目を母親捜索に向けた。人の集まりはと見回せば、先程の部屋より劣る部屋に妾妃やその娘たちがいた。母親もその中にいたが、やはりというか妹のオルキデはいない。

 老宦官の言うが関係するのか、妾妃らを守る騎士は少ない。

 後宮の警備がこれだけ手薄なら、異変は王宮に及んでいるだろうかとさらに遠目を向けようとして、スリジエはハッと目を瞠った。

 座っていた棚から降りて小走りにソールの側に立つ。


「厨房に近づく気配がある」


 小声で言うとソールはスリジエを守るように抱きしめて身を屈めた。


「獣人ですか?」

「オルキデと、そのオルキデと逢引していたフード姿の獣人らしき男。それと同じくフード姿が二つ」

「妹君様が? ここへ何のために?」

「……先程部屋で見ていたのを知られたから、かも」


 スリジエはポツリと呟き、あの歪んだ笑みと牙を思い出して体が冷水を浴びたように竦む。

 獣人がどれだけの数で侵入したか把握できないが、もしソールの言う『番』を得るためだけだとしたら目撃者を消すだけで終わらせるべきだが、その目撃者の中にスリジエが入っているのだろうか。

 だから身を潜める厨房にまで来ようとしているのか。


「厨房なら様々な臭いがありますから我々だけなら隠れるには十分と思いましたが、相手が狼となると……」


 ソールの声が苦悩に満ちる。

 おそらくオルキデの手引きでスリジエの部屋に行き、不在を知って臭いを追ってきたのだ。

 厨房の出入口は室内向けと室外向けとで二つあるが、ここ食物保存庫の扉は一つしかない。今外に出ようと動けば獣人たちと鉢合わせする可能性が高い。

 もっと言えば、獣人たちにここを知られてしまえば簡単に作った籠城など力で払いのけられてしまう。


(巻き込むわけにはいかない)


 大切に思う人だからこそ、スリジエは覚悟を決め小さく息を飲んだ。


「……僕が、ここからでれば」

「なりません!」


 ソールが静かな声ながらも鋭く言う。


「それはなりません。わたくしが、何とかいたしますので」

「でも……っ」


 老宦官は取り乱すスリジエを安心させるように抱きしめ、見下ろす目が優しく慈しめたものになる。

 それを受け、スリジエは寄せられた胸元へ甘えるように額を預けた。

 そのときだった。


「さぁお兄様、かくれんぼは終わりですわ」


 場違いな甲高くはしゃいだ調子の声が厨房内に響き渡った。




「妹君様……ですね」


 耳に届いた声に、ソールは溜息と共にそっと呟く。

 これで獣人を王城内へ手引きしたのがオルキデとはっきりしてしまった。後先無しの愚かな行動を取った妹にスリジエは腹立だしさを覚える。


「扉の前にオルキデとそして逢引していた男……この人も狼だ。あと二人付き添ってる」


 腹が立ちながらもスリジエはずっと視続けていたで相手をはっきりと把握し、老宦官の耳元へひそひそと話す。

 その目の先で、オルキデはなぜか勝ち誇った顔をして腰に手を当て踏ん反り返るような姿勢を取っていた。


「いろんな臭いで紛らかせようとしたみたいだけど、エール様の鼻は誤魔化せないわよ。さっさと出て来なさいっ」


 誰かの受け売りのような台詞だなと思ったが、スリジエもソールも相手の出方をみるため反応を返さずにしてみた。

 相手は獣人だが狼に属する。機動力は抜群だが力技は他の獣人よりやや劣ると、ソールはスリジエに説明していた。そして軍勢を集めての城攻めでないなら相手もそう大層なことをして目立つことはしないだろうと踏んだのだ。

 向こうとて長居したくないはずだから、無言を貫くことで時間を稼ごうと思っていた。


「……ふん、立て籠もって時間を稼ごうとしても無駄だぞ?」

「そうよ、エール様の言う通りよっ」


 オルキデの逢引の相手が尊大な口を開き、妹もまた続く。時間稼ぎがバレたがそれでもまだ黙っていた。

 が、突如衝突音が響き扉が僅かに揺れ動く。その大きな音に思わずスリジエは体がぴくりと震えた。


「ちっ……小賢しい真似を」


 そんな呟きが聞こえたのち、再び響く耳障りな衝突音。

 スリジエのには獣人三人が思い思いに扉を足蹴にしているのが映る。ミシミシと軋む音も混じり、このままでは突破されるのも時間の問題だろう。

 不安で焦るスリジエにソールは「こちらへ」と棚に隠れるようにと手を引く。


「隙を見て開いた扉から逃げましょう」

「獣人相手にできるだろうか?」


 スリジエもソールも身を守る術を持たない。その上で対する相手が獣人なのだ。今は人間の子供相手と油断しているが、果たしてその隙があるのか。


「スリジエ様には目がございます。それは稀有な力で、あなたの強力な武器ですよ」


 ソールがそう告げたと同時に扉が派手な音を立てて破られた。

 てこずらせやがってと憤りながら獣人たちとオルキデが保存庫内に入ってくる。その姿を息を潜めながら見つめ、やがて扉から距離を取ったのを見てスリジエと老宦官は走り出した。

 だが相手は獣人だ。瞬発力が違う。懸念した通り獣人二人があっという間に距離を縮めスリジエへ手を伸ばす。それをソールは老いた体をぶつけることで防ぎ、嗄れ声で大きく叫んだ。


「お逃げくださいっ」


 確かにそれはスリジエが逃げるための最大のチャンスだっただろう。けれど置いていくことなど出来る訳がなかった。

 あの皺が寄った手を、仄かなぬくもりを、手放すのは無理だった。

 絶望と言っていい表情を目の端に捉えつつ、スリジエは胸元に忍ばせていたあの短剣の鞘を抜き、ソールを捕える獣人へとぶつかって行く。


「威勢のいいガキだっ」


 しかしその刃は届くことなくあっさりと別の獣人によって奪われ、スリジエも体を床へと簡単にひきずり倒された。

 それをのんびりと眺めていた、オルキデがエール様と呼んでいた男がスリジエの持っていた短剣を受け取り、まるで鼻歌でもしそうな雰囲気でブンブンと振り回す。


「へぇ、いいモノ持ってるな……ちょうどいい」


 エールと呼ばれる男は口元に酷薄さを漂わせ、そして予備動作無しに老宦官の背中を切り裂いた。噴き出した鮮血が生き物のように飛び散り床をも汚す。


「ぐうっ」

「なっ……っ」


 ソールの苦痛の呻きに重なるようにスリジエが悲鳴を上げ目を大きく見開く。


「止めろ、止めろっ」


 床に押さえつけられながらもスリジエは身動ぎ、叫ぶ。

 そんなスリジエを見下ろしながら短剣を握る男は嗤った顔のまま告げた。


「さて、お前付きの人間が倒れその側にお前が持っていた短剣が落ちていたら? さぁこの状況に周りの奴らはどんな想像をするかな?」

「……」


 その言い方はこれまで受けてきたスリジエの扱いを聞き知っているのだ。

 そして血のついた短剣を放り捨てる。


「ふふっ、これで俺の番に嫌疑は向くまい」


(番……やっぱりそうなのか?)


 男は顎で指示し、呆然となっていたスリジエは両腕を縛られ俵を担ぐようにして抱え上げられる。

 エールに肩を抱き寄せられたオルキデが近づいてきて、その姿を見て嬉しそうに笑んだ。


「うふふ、お兄様。ざまぁないですわね」


 だがスリジエの耳にその声は届かなかったし、目はオルキデや獣人たちには向いていなかった。

 行くぞ、との声と共にそれぞれが動き出すなか、スリジエは微かに映るへ向かって精一杯に願う。


(お願い、彼の背中の血を止めて……彼を助けてっ)



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