第2話 僕の生きる世界




 アプラニスと呼ばれる大陸には七つの国家が存在している。

 スリジエはそのうちの一つ、ティユル国の王子として産まれた。

 だがスリジエの上に四人の王子が既におり、さらに母親は妾妃の立場であるため、その誕生は誰にも喜ばれることはなかった。


『ふん、女であれば政略の駒として使えたものを』


 これが三歳になったスリジエに初めて父親である王に対面した際、かけられた言葉だった。そしてそれが最後となった。

 国王は無表情でスリジエを一瞥し、それから右隣に立つ妹のオルキデの頭に手を置いて微かに笑んだ。


『うむ、その面は楚々としたお主の母によく似ておる』


 そう言われたオルキデは、彼女の後ろに控えていた侍女よりぼそぼそと囁かれたのち、たどたどしく「ありがとうございます」と頭を下げた。

 スリジエとオルキデの母親は、その美貌を欲した国王が権力に物を言わせて招喚し後宮へ押し込めた。立場が妾妃なのは母親の実家が子爵なため側妃にするには身分が足りず、周囲に反対されたためだ。

 何はともあれ、女癖の悪いことで有名な国王はさっそく母親の元に通い、やがて子をーそれも双子をみごもった。それがスリジエとオルキデである。

 そう、オルキデが母親に似ているというのならスリジエの容姿もまた同じなのだ。だが容姿が好ましくとも性別が男というだけでスリジエへの関心は失せ、女というだけで妹のオルキデはもてはやされた。

 それからのスリジエの生活はあからさまに差別された。母親と妹は何人もの侍女に傅かれ非常に可愛がられ大切にされたが、スリジエには老宦官をひとり付けられただけで、その上母親から離され陽当たりの悪い一室に置かれた。

 ただスリジエにとって運が良かったのは、付けられた老宦官は子供に無体を働くような人物ではなく、彼自身の手ではあるが最低限の学びや礼儀作法を身につけさせてくれたことだろう。




 父親との最初で最後の会話から十数年経ち、やがて国の法律で成年となる年を迎える頃。

 誰もが気に留めていないであろう己の身の処し方を考えつつ老宦官を連れて後宮内の廊下を歩いていたスリジエの耳に、ふと小鳥の囀りのような女たちのおしゃべりが届いた。

 なんとなく足を止めそっと窓辺へ顔を近づけ見下ろした先に、整えられた中庭で侍女たちに囲まれた母親と妹が笑顔でお茶をしている姿が見えた。


「スリジエ様?」


 茶会の様子を漫然と見つめるスリジエに、老宦官が低く揺れる声で問う。

 それに首を横に軽く振った。

 羨ましい、という気持ちはとうに無い。もう何年もまともに顔を会わせていない母と妹が暮らす場所は、己が生きる世界とはかけ離れているから。


(でも……)


 成長したスリジエは思う。

 女というだけでちやほやされ、けれどそれが国の政略のための駒扱いであるということが幸せなのかは分からない、と。




 アプラニス大陸にある七つの国はそれぞれに生きる種別ー竜人、エルフ、獣人、ドワーフ、人間ーがあり、共存共栄し日々生活していた。

 その中でも人間は他の種族に比べ全てにか弱いが、とある人間と精霊王とが誓約を交わし『魔法』が使えるようにった結果、他種族から最弱と呼ばれ蔑ろにされることが少なくなった。

 ちなみにその誓約を交わした人間が王と成り、スリジエが暮らすティユル国の建国が成った。

 だが、人間は時に愚かなものに堕ちることがある。その度に自浄が働き、栄枯を繰り返し、その最中で二つの国と割れる事態が起きたが、それでもティユル国は精霊との共存を継続していた。


 ーーーそれが大きく崩れたのは、スリジエが十五の成年を迎えるひと月前だった。


 いつものように老宦官のソールに起こされたスリジエは自ら身支度を整え、朝の清々しい空気を吸い込もうと窓を開いた。

 その瞬間、大気を劈く轟音が鳴り響く。

 咄嗟に耳を塞ぎ眉を顰めた視線の先、王城内に建つ尖塔めがけて一筋の稲光が落ちるのが見えた。同時に再び轟き、空気を大きく揺さぶる。


「な、何事が……っ」


 スリジエの声が驚きで上擦る。

 空は朝の明るさが広がり雲ひとつも無いのに、稲妻が落ちた。それも王城内に。


「スリジエ様、確認してまいりますので部屋から出ずにお待ちください」

「わ、分かった」


 青ざめ見つめるスリジエにソールがやや震えた声ながらもそう告げ、足早に状況確認へと出て行く。

 その背をそっと見送って、スリジエは稲妻が落ち欠け崩れた尖塔へ振り返ると大きく息を吐いた。

 そして目を瞬かせる。


(あ、……)


 スリジエはこれまでいつも大気中のキラキラしたものがなくなったことに気づいた。目に映るその結晶のようなキラキラしたものがなんであるのかは知らない。誰にも、常に近くにいる老宦官にも尋ねたことはないからだ。

 国王に見放されてから世話役のソール以外の働き手には厭わしげに顔を背けられている。スリジエとしてはこれ以上周囲の機嫌を損ね、己の身に降りかかる厄は避けたい。

 しかし。


の消滅は、さっきの落雷に理由があるのか……?)


 突然消えてしまったことを考えると、理由がそれしか思いつかない。

 あのキラキラはいったいなんなのか。改めて疑問に思ったスリジエの耳に、後宮の女たちの甲高く騒がしい声が入ってきた。

 ほとんどの女たちが先程の落雷の音で目を覚ましただろう。そして何が起きたか訳が分かっていないに違いない。


(でもまぁこれだけ騒々しければそのうち後宮ここにも知らせは来るだろう……今は待つしかないか)


 スリジエはなぜか逸る心を落ち着かすように深呼吸を繰り返し、ベッドの端に腰を下ろす。

 このスリジエの焦りに似た感情は、ティユル王国の王子として教育を受けていればすぐに判明したのだが、王族も貴族たちも第五王子に関わることを放棄したためスリジエはそれを知る由もなかった。




 やがてその日の午後、後宮内に衝撃の事実がもたらされる。


 ーーーいにしえに交わされた初代ティユル王と精霊王との誓約が破られた


 と。




 遅くなりました、と朝昼兼用の食事を手にしながら老宦官は入室してきた。


「今朝の落雷は、精霊が起こしたそうです」


 目の前に置かれたトレーに乗ったものを食しながら、スリジエはソールの報告を聞く。

 曰く、ティユル国建立の時代に初代国王と精霊王との間に誓約を交わしたこと。

 曰く、その誓約を守るため今代は正妃腹の第三王子がその役目を担っていたこと。

 曰く、その第三王子が一方的に誓約を破ったこと。


「交わした誓約って?」

「……詳しくは聞けませんでしたが、なんでも第三王子殿下は自身の奥方様へ愛を誓かわなければならなかったのに、婚約当初からずっと蔑ろになさっていたようで」


 そう告げるソールの言葉尻が細くなっていく。


(え、誓約って夫婦仲の問題なの?)


 スリジエは思ってもみなかった話に食事の手を止め困惑げな表情を浮かべる。


「……その、僕は兄上方をよく知らないのだけど、第三王子殿下はそういう方なのかな?」


 スリジエは比較的近くにいるはずの、己の片割れである妹のことさえよく分かっていない。そして十以上離れた兄たちのことはティユル国に住む平民と同じくらいにしか把握していなかった。

 王太子である正妃腹の第一王子、そのスペアである側妃腹の第二王子は、王位継承権を持ち王族として政務に務めている。正妃腹の第三王子は婚姻と同時に臣籍降下して公爵位を賜り国の直轄地を譲り受けていた、はずだ。


「……第三王子殿下は、その、学生の頃より交友関係がとても広く」


 ソールが言いにくそうに説明するのを聞けば、要は女癖が大変悪いとのことだった。

 だから、本来なら正妃としては己の子である二王子を王籍に残したかったのだが、下の息子の下半身のだらしなさに諦めざる得なかったらしい。

 とはいえ。


「でも、いくら、その、そういう性格でも、流石に国の根幹に関わる婚姻だもの。勿論理解はされていた……よね?」

「当時は」

「……」


 短くピシャリと言い切るソールにスリジエは、はははと軽く笑って止めていた手を再開してパンを一口食べる。

 誓約の中身はともかく、そんな大切な話を勝手に破棄するなんて、最高の教育を受けたはずの王子がか。

 さて父である国王はこの状況をどんな顔をして受け止めているのだろうか……とスリジエは考える。


「……ともかく第三王子殿下が誓約を破られたからあの落雷は起こったということ?」

「王城の者たちは『精霊王の怒りだ』と右往左往しておりました」


(精霊王の怒り……か)


 確かに東の空に太陽が昇る様を背景にあの落雷は起きた。高位なる存在の怒りとも言えよう。

 スリジエは結局、この国にいる間にティユル国王家と精霊王との誓約の中身を知ることはできなかったのだが、誓約の中身が王の血筋を持つ者と精霊王が認めた人物とが愛を誓い生涯を共にするというものだった。

 だが浮気癖が治らなかった第三王子が下位貴族の愛人と一夜を過ごした翌朝である今朝に落雷が起こった。

 ちなみに王城内の尖塔に落ちたのはその塔が一番高かったからだろう。


「あれ? 魔法は精霊の力を借りていると聞いたけれど……」


 魔法は成年を迎える際、神殿に出向き使う資格があるかどうかの判断を受け、選択を受けた者の右手の甲に精霊紋が浮かび上がることで使えるようになるのだそうだが。

「ええ。落雷後騎士団に勤める者たちが、手の紋が消えて魔法を使えなくなったと報告し、そのため第三王子殿下に登城を求めて使者を送ったところ屋敷に不在ということが判明し、捜索した結果……ということのようです」

「……それは、国の防衛的にものすごく不味いのでは?」

「そうでしょうね。私がここに戻る直前、国王の元に主だった武官や文官が集まっておりましたから」


 たいした教育を受けていないスリジエでさえ、自国の周りがどれだけの強者であるか、そして魔法が使えない人間がどれだけ弱者なのかを知るというのに。

 思わずはぁと溜息を吐き、すっかり食欲をなくしたスリジエへ。


「……スリジエ様。こちらを」


 ソールが酷く落ち着いた声と共にやや華美な装飾の短剣を差し出してきた。

 突然のことに当然スリジエは困惑する。


「これは?」

「もしものとき、御身を守るために」


 切迫した目つきがスリジエを捉える。その迫力にごくりとスリジエは息を飲み込んだ。

 ソールは高齢ゆえに当時三歳のスリジエへ仕えるよう仕向けられたが、宦官として長く後宮に勤めるからこそまつりごとの空気を上手く読み取り、王宮のこと後宮のことを伝えてくれていた。


(……今まで許されていなかった武器を持つように勧められるなんて、もしかしたら他国から攻め込まれる可能性があるということか)


 スリジエは老宦官の目を見つめ、小さく頷き、息を詰めて差し出された短剣を受け取る。その際、手はみっともなく震えてしまった。

 取った短剣を握りしめ、ぎゅっと目を瞑る。

 スリジエは理解している。父である国王に見捨てられたとはいえ、今まで老宦官の力を借りて後宮という箱庭で生活できていたことを。

 それは平民に比べて破格な暮らしであったことを。

 そして。


(戦争になんてなれば、端くれとはいえ王族である僕の命は呆気なく終わる)




 ーーーそしてスリジエのこれまで生きてきた世界の崩壊は、予想より早く訪れた。



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