その言葉を僕は知らない
ふじさき
第1話 すべてを諦めようとしたらその人に出会った
白銀の髪を汗の滲んだ皮膚に張りつけ、はぁはぁと喘ぎながら薄暗くしんとした静寂な道をスリジエは一生懸命に駆けていた。
細い道の左右から伸びた草の葉がときおりスリジエの行く手を遮るように当たり小さな痛みを帯びるが、一切を無視してただただ必死に足を動かして逃げる。
そう、逃げているのだ。
何から?
それは己の命を脅やかすものたちから。
なぜ自分がと思う気持ちはとうに消えていた。物心ついたときからスリジエの生きる世界は優しくはなかったから。
両親には無価値な存在だと放って置かれて、それでも情けで付いた他者の手を借り辛うじてここまで育てられた先の今は
(……僕がいったい何をしたと言うのか)
そう思えば、じわりと目が潤む。
ーーー私と同じ顔とかほんと忌々しいわ
同時に脳裏に浮かぶは、愛嬌とはかけ離れた怨嗟の声と共に脳裏に焼きつくのは嘲笑う少女。
(ああ、己の片割れは生まれたときから大切に扱われ存在を許されていたのに)
嘲笑う己の片割れとその隣に並ぶ頬に歪んだ嗤いを浮かべた男の立ち姿。
ーーー
こちらが望みもしない無理矢理連れて来られた先でぞんざいに捨て置かれ、挙句遊び道具だと嗤われて。
妹の番と名乗ったあの男は『狩り』だと嗤って周りにいた者を焚きつけた。
それからスリジエは走り続けているのだが、ふと、ぐるると低い獣の唸り声が耳に届き思わずそちらへ目だけを向けた。琥珀色の瞳に
その視界が開けた。
「ここ、は……」
スリジエは胸に手を当て、荒れる息を整えてながら棒のような足を動かしてその淵に立ち崖下を覗き込む。
すり鉢に似た崖の斜面は険しく、下に行くにつれ仄暗さが増す。だがその仄暗さがまるでスリジエを生から引き剥がす誘いのようだった。
「ただ生きることさえ駄目ならば……」
知らず知らず、そんな言葉が零れ落ちる。
しかしそれはそんな思いが浮かぶほど、逃げることに、生きることに、スリジエは疲れてしまったからだ。
ただ心残りが無い、訳ではない。
あの夜、皺が刻まれた仄かなぬくもりを断たれ連れ去られる間際に見た床に滴る血。
上げた悲鳴は封じられ、けれどスリジエは己の目に映るモノへ手を伸ばし咄嗟に願った。
(彼は……ああ、どうか生きていますように)
思い出せば嗚咽がこみ上げそうになるのを唇を噛みしめ、目を瞑り、胸元でぎゅっと拳を握りしめる。
その最中にも生臭い気配は確かに近づいていて、奴らに囲まれれば何をされるか考えるまでも無い。
それなら。
獣人たちに生きたまま嬲られるくらいなら。
(ここから落ちた方がマシだ)
それは悲愴な覚悟などでは無く、嫌なことからただ逃げるために足を進めただけ。
だが不意に、身を乗り出した細い腰へ力強い腕が回された。
(まさか、追いつかれていた?)
スリジエは目を瞠り酷く驚愕して振り返れば、見たことのない大男が立っていた。
強い黄みの赤色の髪を無造作に一つにし、金色の瞳を持つ堂々とした体つきの男に抱き込まれ、スリジエは上から見下ろされている。
その力のある眼差しにスリジエの背が僅かに慄く。
しかし、それはなぜか恐怖ではなかった。
「あ、あの……?」
「危ないだろう?」
訳が分からず声が出たスリジエに、男はまるでこちらに言い聞かせるかのように窘める。その態度に瞬いてから首を最大に傾げ大男を訝しく見上げ、ここで相手の額の生え際あたりに二本の角があるのを見つけた。
(え、角……?)
その特徴がある種族を思い浮かべようとしたところで、金色の瞳が細まり片方の口端をつり上げ嬉しそうにニイと笑う。
「ようやく見つけたぞ、我が最愛」
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