酢豚のパイナップル

紀伊かえで

酢豚のパイナップル

 仕事を早く切り上げ、私は出身大学の学生街にある町中華屋の北京亭へ速足で向かっている。負けられない、負けられない、と心の中で呪詛のように繰り返しながら、私は一番に着いてやると決心する。これこそが私ができる最大の復讐なんだと澱んだ思いが心にまとわりついて離れない。


 私たちは大学のゼミの仲間だった。山中ゼミは食文化を探求するゼミだった。座学でいろんなことを学び、みんなで議論して、そして実際お店に食べに行くという緩いゼミだったが、そこで私は実花みか健宏たてひろと智也と特に仲良くなった。いつもこの四人で食事に行ったり、飲みに行ったりしていた。そんな中、私は穏やかでいて積極的な性格の健宏のことが気になり始めて、次第に惹かれていった。実花とも仲が良かったので、私はその思いをこっそり話してしまった。それがすべての間違いの始まりだった。実花はふんわりとした少し頼りない性格の子だと思っていたが、それは間違っていた。実は人の好きなものをまねる子で、私のお気に入りの服と同じ服を着てきたり、ネイルとか真似してきたり、時がたつにつれ少し鬱陶しい子だなって感じるようになってきた。それでも私は普段と変わらずに実花と仲良く接していた。だが、健宏と実花が付き合うってなって、私は実花の本性を知った。他人のものをすべて手に入れたい。それが実花の正体だったのだ。私は健宏に告白もしていなかった。そんなそぶりも見せていなかった。その隙に実花が健宏を奪ったのだ。私の落ち度とはいえ失恋したんだと私は下宿先の部屋で一人泣いた。


 北京亭には私が一番最初に着いた。油で汚れた赤を基調にした店内に入ると店長が声をかけてきた。ここは変わらないと私は少し安心する。

「いらっしゃい。おや、貴子ちゃんやないの。久しぶりやね」

「そうですね。大学を卒業してからだから、二年ぶりくらいになりますね」

「貴子ちゃんが来たってことは、今日はあの四人が揃うのかな?」

「そうです。今日は店長さんにご報告があります」

「何の報告やろ。きっといい報告なんやろな?」

「まあ、それは全員そろってからということで」と私は空いている四人掛けのテーブル席に座ると、スーツ姿の智也が店に入ってきた。

「こんにちは、店長」

「おお、智也君。立派な顔つきになったな」

「これでも社会人ですから」と智也は答えて、私を見つける。

「貴子~。元気やったか?」と私の席の横に座る。

「うん、元気。智也こそ、元気やった?」

「仕事で死にかけてるわ」

「それは私も同じ」

そんなお互いの近況報告をしておしぼりで手を拭いていたら、健宏と実花が入ってきた。

「おっ、主役の登場か」と智也が大きな声で言う。

「おめでとう」と私は思ってもみないことを言って、心の中の澱みがより深く重くなっていくのを感じる。

「健宏君、実花ちゃん。もしかして、結婚」と店長が言い、健宏が照れならが「はい」と答えた。実花は私への見せしめのように健宏の腕を組む。私の中のどす黒い感情がまるで自分の意志を持っているように暴れ出す。

「そらー、めでたいな。とにかく座り。おっちゃんからお祝いのビール出すから」

「ありがとうございます」と健宏は言い実花と席に座る。店長が四人分のビールを運んでくると、智也が乾杯の音頭を取ってみんなで生ビールを飲む。私はビールで今にも暴れ出しそうなどす黒い感情を抑え込もうとする。すると実花は私に微笑みかけてきた。

「別れればいいのに」と誰にも聞こえない声で私は呟く。そして私は更にビールを飲む。


 大学生のときと変わらない中華料理が運ばれてきて、私は健宏って酢豚が好きだったなと思いだす。でも酢豚に入っているパイナップルが苦手で、チャレンジはするけど結局残していたなと思う。今でも食べられないのかな。〆に健宏は酢豚とビールを注文する。

「お前、いつも〆は酢豚にビールやったな。俺には無理や」と智也は中華そばをすする。私は残っていた餃子を食べる。すると実花は健宏の皿に残っていたパイナップルを箸でひょいとつまんで食べた。そして私に勝ち誇ったように微笑みかける。私は自分の感情を押さえられなくなって、カバンから財布を取り出し一万円札をテーブルにたたきつけた。

「明日仕事早いから、私帰る」

「おい、一万円は多いぞ」という健宏に「ご祝儀」と言って店を出た。実花はきっと笑っていただろう。私の好きな人まで自分のものに出来て、さぞかし嬉しいだろうねと思うと、私は「別れればいいのに!」って大学から駅へと続く学生街の道の真ん中でいきなり叫び周りに少し残っていた学生に驚かれた。涙なんか出ない。もうどうでもいいのだ。私は学生街にある酒屋の自販機で500mlのストロング酎ハイを二本買い、飲みながら駅へと向かう。もうどうでもいいのだ。あとは結婚式を我慢したら、すべてが終わる。きっと私に残るものは明日の二日酔いくらいだ。

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