第11話
どれだけの時間が経ったのだろう。
カイルが微かに身動ぎしたのを感じて、ユキは唐突に我に返り、ぱっと相手から離れた。
(やってしまった……!)
ユキを抱き締めようと伸ばされた手が空をかき、カイルは切なそうに眉を下げた。
冷や汗がダラダラとユキの首筋を伝う。
「ユキ、」
「えと、あの、失礼しました!」
恥ずかしさと気まずさでカイルの顔を直視できなくなったユキは、あたふたと足袋と草履をひっつかむと、脱兎のごとく逃げ出した。
「ユキ!」
カイルは走り去る背中にあわてて声を掛けたが、既にユキには聞こえないようだった。
大きくため息を吐いたカイルは、それでも瞳の奥に僅かな希望の光を灯しながら、自らも食堂に向かうため、ゆっくりと歩き出した。
――――
食堂ではカイルの隣の席を巡って、子どもたちの間で仁義なきじゃんけん大会が行われた。
見事勝利を勝ち取ったサナとチイルがカイルの両隣を陣取り、向かいの席には準優勝を辛くも勝ち取った金剛組の女子が一人座っていた。
ユキはそれより少し離れた席に真珠組の子らと座り、向かいには若そうな魔道士が一人座っていた。
「僕の知る限り、カイル様が他人へあんなに気遣いを見せたのは初めてですね」
フルキと名乗るその魔道士は、茶碗を持ったままカイル達の方を眺め、熱心に語った。
じゃんけん大会の勝者たちは、カイルが身につけている根付がカワイイとかで、妙に盛り上がっている。
先程の
「ユキさんは勿論ですが――この養育院にも特別目をかけていらっしゃるように感じます。まさか食事の用意を手伝うなんて……!最後の村っていうのもあるんでしょうかね」
「最後の村?」
ルイが素早く聞き返した。
「ああ、今回の視察、この村で終わりなんだよ。都に近い所から順にまわってて。まだ海沿いの村は行ってないけど、その辺は来年辺りに行くらしいよ」
フルキは糠漬けに箸をつけ、白飯を掻き込んだ。
「うん、おいしい。それにしても、夕食をこんなに大勢で食べるなんて。こちらの院では、預けられた子どもが多いんですね」
「え!?あ、いえ、違うんです」
ユキは、子どもらの前で”孤児”という言葉を避けたフルキに好感を持った。
そして微笑みながら首を振った。
「今預かっている子は三人しかいません。ウチの夕食は、事前に言ってもらえれば誰でも用意するんです。親からその分の金子を少しだけ戴いて。今日は魔道士の方々がいらっしゃるということで、皆が殺到したのですよ。さすがに、真珠組――六歳以上の子達に限定はしましたが」
フルキは納得顔で頷いた。
「なるほど。いや、僕も養育院出身でしてね。火事で親をなくしてしまって……ここはなんだか居心地がいいですね。カイル様が気を許すのも分かる気がします」
その言葉に、ルイは誇らしげに鼻をならした。
と、周りをキョロキョロと見回したフルキは、声を潜めユキに言った。
「ただ、用心なさってください。魔道士のなかには、まだあなたを……その、少々疑っている者がいるので」
かなり婉曲な表現だった。
ユキは食堂の隅で、子どもたちを近寄らせずに黙々と食事を進めている魔道士たちをチラと見やった。
その中でも鼻の大きい一番偉そうな男が、ユキを睨み付けていた。
「ええ、さっき食堂の入り口で話してるのが聞こえました。なんでも、あたしがカイル様を黒の魔法にかけて強制的に誘惑したとか」
途端にフルキは恥じ入ったような顔をした。
「この村に来てからのカイル様は驚くほど穏やかでいらっしゃるから……その分余計に信じられないのでしょう。お恥ずかしいことです」
「フルキ様がお気になさる事ではありません。私もカイル様が私どもによくしてくださる理由を、まだあまり理解できていないんです。とても真摯に向き合ってくださっているのは伝わるのですが……」
ユキは声をどんどん小さくして、もじもじと机の下で指を回した。話しながら自分の軽率な行動を、改めて反省したのだ。
すっかり意気消沈といった様子のユキに、フルキは首をかしげ、そのまま鯉の味噌煮を口に含んだ。
「うわ、すっごくおいしい。臭みが全然ないし……!ルイくん、この味噌煮って、いつもここで出てくるの?」
「ああ、そうですね。鯉はすぐそこの川でたくさんとれるので……臭みは酒と塩で――――」
――――
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
皆で手を合わせ、それぞれが膳を持ち片付けに向かう。
ユキが魔道士たちを湯浴み場まで案内しようと席を立った時、いつの間にかそばに来ていた母がユキの肩をたたいた。
「魔道士様達はわたしが案内するわ。あなたは魔聖さまをお見送りしてきなさい」
意味深げな母の視線を追うと、カイルがこちらをガン見しているのが見えた。
「ああ……はい、そうね」
ユキは動揺し、まとめていた椀をひっくり返しそうになったが、母には気付かれたくなかったので必死に平静を装った。
ちょうど、中庭での事をきちんと謝罪しなければと思っていたところだ。まさに今が絶好の機会だった。
「カイル様、酒場……いえ、宿までお送りいたします」
「ああ、すまない」
ユキがおそるおそる声をかけると、カイルは待ちかねたようにぴったりとユキのそばにやってきた。
二人の距離の近さに、サナとチイルが興奮したように何かを囁き合ったのが見えたが、ユキは精一杯気付かないふりをした。
特に会話もないまま、食堂を出て炊事場を通り抜け、勝手口を開ける。
外に出て戸を閉めたところで、カイルはユキの腰にさっと手を回した。
ユキは驚いて身を固くしたが、逃げださないのを確認したカイルはそのまま優しくユキを引き寄せた。
カイルの大胆な行動に目を丸くしたあと、そういえば自分はそれ以上の事をしたんだったと気付き、ユキはまた顔中が燃え上がるような思いがした。
「ユキ、さっきの事、俺は期待しても良いのかな」
少し掠れた声が、耳元で囁く。
いままでにない砕けた口調に、ユキは困惑した。
ただ、どこか肩肘を張ったようなあの話し方よりも、こちらの方が自然で親しみやすいなと思った。
「あの、あたし」
きちんと、正直に話さなければならない。ユキは意を決して顔を上げた。
「カイル様、少し、昔の話をしても良いですか」
少し戸惑った様子を見せつつ、カイルはゆったりと「どうぞ」と答えた。
「……むかし、この村にも”色持ち”の男の子がいたんです」
ユキを抱き締めていたカイルの腕が、少し緩んだ。
そっとカイルから離れ、所々つっかえながら、順序を追ってユキは幼なじみの男の子、カイの事を相手に話した。
その男の子が赤い”色”を持っていたこと、将来を約束し合ったたこと、事故で死んでしまったこと……
黙ってユキの話に耳を傾けていたカイルは、静かに言った。
「その子が忘れられないから、俺の気持ちは受け入れられないってこと?」
「……いいえ、あたしは、貴方とあの子と重ね合わせてしまっているんです。あの子を知る他の人は、全然違う、別人だって言うんだけど……あたしには、二人がとてもそっくりに見えます」
ユキは、その時カイルが少し狼狽えたような気がした。
「中庭で、カイル様はあたしのことを好きだとはっきり仰いましたね。心から嬉しかった。でもあたしは――貴方の瞳を見たとき、カイの瞳だと思った。あり得るはずがないのに、都合の良い夢を見てしまった……」
考えながら話したせいもあって、ユキは自分が何を言いたいのかこんがらがってしまい、言葉に詰まった。
「ユキ、それでも構わない」
カイルはユキを再度引き寄せ、強く抱き締めた。
「時間をくれないか。ユキが俺を好きになってくれるまで、諦めないから」
あたしにそんな価値ないのに。ユキはそう思ったが、口に出すときっと怒られるので、黙って抱き締められていた。
――――
「じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
名残惜しげなカイルと挨拶を交わす。
ユキはその場にじっと佇んだまま、何度も振り返るカイルに手を振った。
カイルが角を曲がって見えなくなった頃、ふと視線を下げたユキは地面に光るものを見つけた。
「あれ?」
屈んで手に取ると、簡素ながら上品な意匠の印籠だった。根付の組紐がちぎれてしまっている。
十中八九、カイルの落としたものだろう。早く追いかけて渡さなければ。
すぐそばに、貝の形をした根付も転がっていた。食堂でサナ達が騒いでいたのはこれのようだ。
ユキは根付をつまんで微笑んだ。確かにずいぶんとかわいらしい模様の布が、貝の裏表に貼り合わされている。
(でもこの布、なんだか見覚えが……)
追いかけるのをすっかり忘れて、ユキは根付を月明かりにかざし、目を凝らした。
次の瞬間、ユキは目を見開いた。
「どういうこと……?」
ぶるぶると両手が震えている。
印籠が地面に落ちる音が小さく響いた。
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