第10話


 突然現れた村長は、無遠慮に子どもたちの輪に押し入り、ガシッとカイルの手を両手で掴んで振った。

 

「魔道士の方々を、養育院までご案内しにきたのです。いやぁ、それにしてもまさか魔聖さまにばったりお会いできるとは!これは運命ですな。はは」


 張り付けたような笑顔でのたまう村長を一瞥いちべつして、ユキは心の中で毒づいた。

 

(なーにが運命よ。村中引きずり回ってやっと見つけた、てとこでしょ)


 ユキの予想を裏付けるように、村長の背後に控える魔道士達は揃って疲弊した表情をしている。

 ジュンは父親の無礼なふるまいに顔をひきつらせた。


「ああ」


 村長の盛り上がり様に反し、カイルはピクリとも動かず無表情のままだった。

 そんなカイルの反応に気付いているのかいないのか、わざとらしく空を見上げた村長は続けて言った。


「やや、お天道様があんなに傾いて。そろそろ夕食のお時間ですな。魔聖さまは酒場の方でご宿泊の予定でしたが、どうでしょう、我が家で夕食をご一緒しませんか。娘のメイも――ウチの娘は村で一番の器量良しなんですよ。どうも魔聖さまに大変興味があるとかでね。酒場の亭主と話し合ったんですが、やはり魔聖さまはウチでお預かりした方が…」


 言いたいことをわざわざ暗記してきたのか、宙を見て早口でペラペラと喋り続ける村長を、カイルは手をあげて止めた。


「それは結構だ。魔道士たちはこちらの養育院で夕食をとると聞いている。わざわざ私だけ別というのもおかしいだろう。先ほどここの子ども達からも夕食の招待をいただき、喜んでお受けしたところだ」


 どうもカイルにしては異例の事だったのだろう。魔道士たちは一様に顔を見合わせ、驚愕の表情を見せていた。

 

 ユキは側にいたサナを横目で見た。ユキに目を合わせたサナは力強く頷いた。

 どうやらユキが来る前に子ども達がちゃっかりカイルに約束を取り付けたようだ。

 

「そっ……それはそれは……さすが人格者として有名な魔聖さま、子どもたちにもお優しいのですね……ええ、と、」


 あきらかに狼狽えた様子の村長は、視線をぐるぐる回しながら苦し紛れに言い放った。


「しかしですね、高貴な出身でいらっしゃる魔聖さまに、養育院の食事はとてもお口に合うかどうか……ほとんど子どもの作ったものですからね、何か不始末があると私の責任にも関わりますので」


 ジュンがそっと近寄ってきて、ユキの着物の袖をちょんとと引いた。

 ユキは、小さな声で「大丈夫よ」とジュンに囁いた。

 

「村長、カイル様は先程まで炊事場で夕食の下拵えをお手伝いして下さったわ。視察の一環としてね。他の誰でもなく、”魔聖さま”ご自身が手を加えたものに不始末云々なんて言ってしまっては、それこそ無礼というものでしょう」


「なっ、……それは真ですか、魔聖さま」


 カイルは黙って頷いた。


「し、しかしこのような小汚い場所では……」


 尚も食い下がろうとする村長に段々イライラしてきたユキは、きっぱりと言い放った。


「魔道士様たちはどっちにしろここで夕食を召し上がるのよ。ウチの悪口ばっか言ってたら自分の首を絞めるだけじゃない?」


 村長はとうとう顔を真っ赤にした。

  

「うるさい、女の癖にペラペラしゃしゃり出てきやがって!お前はさっさと魔道士様達を食堂へ案内してこい!」


 言うやいなや村長はユキの腕を強く握り、魔道士たちの前へ乱暴に引き出した。


「痛っ……」

 

 痛みに顔をしかめたユキは、村長を睨み付けた。

 文句言ってやろうと口を開きかけた時、足先に強い衝撃と痛みを感じてユキはしゃがみこんだ。村長がユキの足を思い切り踏んづけたのだ。

 村長は唾を吐き捨て、ブツブツと悪態を吐いた。


「まったく、貧相な小娘が、俺を誰だと思って……」


 村長は言葉を途切らせ、ブルッと身を震わせた。

 急に強い殺気が辺りに重たく立ち込めたのだ。その場にいる誰もが殺気の発生源を直感していた。


「おい」 


 低く響く威圧的な声に、ユキは酒場の裏口での事を思い出していた。ただし、カイルの怒り様はあの時の比ではない。 


「タカマツ、今その娘に何をした」


 タカマツは村長の名だ。ユキにはカイルが役職でなく名を呼び捨てにすることで、お互いの力関係を分からせているように感じた。


「いいかタカマツ。私はでここへ視察に来ているのだ。その意味が分かっているか?」


 村長は、まさに蛇に睨まれた蛙のようだった。その場から動くこともできずに、がくがくと足を震わせている。


「視察先に問題があれば、私にはその場で責任者を裁く権利があるということだ。……だが私も責務ある立場だ。私情でお前を裁くわけにはいかない」

 

 それを聞いて、村長は明らかにホッとした顔をした。


「覚えておけ。次にこの娘へ危害が加えられたと、ほんの少しでも私の耳に入ったら――お前の家を洗いざらいひっくり返し、処刑の理由に十分な罪の痕跡を見つけることになるだろう。その振るまいからして、清廉潔白というわけでは無さそうだからな」


 村長の顔が、今度は真っ青になり、何やら口の中で言い訳らしき事をモゴモゴと呟きだした。ユキには聞き取れなかったが、カイルにはしっかり聞こえたようだ。


「脅しみたいな、じゃない。正真正銘お前を脅しているんだよ。どうも自分の立場が分かっていないようだな」


 カイルが指をぴくりと動かすと、辺りに強いつむじ風が発生した。どこからか木の枝や葉っぱやらが次々と飛んできて集まり、大きな化け物のように姿を変えると村長に襲いかった。


「ヒィー!」


 襲うといっても、特に危害を加える訳ではなくただ追いかけ回しただけだが、村長は情けない悲鳴をあげると死に物狂いでその場を逃げ出し、やがて姿が見えなくなった。


 子どもらはその無様さに腹を抱えて笑った。ジュンは複雑そうだったが、それでも清々したような顔をしていた。


 と、その時ユキの父と母が、東棟から瑠璃組の子達を引き連れてやって来た。

 

 ユキの母はニコニコと明るい声で尋ねた。

 

「あらあら、皆さんお揃いで。何かありました?」


 すかさずユキが答えた。

 

「魔道士様たちがいらっしゃったのよ。それと、カイル様も夕食をご一緒してくれるんですって」 

「まあ!それは光栄なことですわ」


 炊事場の方からも、かまどの番をしていたハイナが足早にこちらへ向かってくるのが見えた。


「ちょうど夕食の支度が整ったようだね。さ、みんな食堂へ向かおうか。魔聖さまや魔道士の皆様も、どうぞこちらへ」


 ユキの父が先導して、皆でぞろぞろと食堂に向かうなか、カイルは部下を先に行かせるとユキの元へ急いでやってきて膝をついた。

   

「ユキ、足を見せなさい」

「そんな、カイル様、どうかお立ちください。ちょっと踏まれただけです。たいした事ないんですよ」


 ユキは慌てて踏まれた方の足を後ろに下げて隠した。ジュンも心配そうにこちらを見ているのに気付いて、「本当に平気よ」と先に行くよう促した。

 

 しかしカイルは、ユキの足袋に血が滲んでいる事に目ざとく気づいたようだった。

 ジュンが背を向け声の届かない場所までいったのを確認すると、さっとユキの足に手を添え、どうやったのか手早く草履に足袋まで脱がせた。

 そのうえ自身の膝にユキの足をそっとのせ、ふらつかないよう、肩にはユキの手を導いた。


「ああ、やっぱり爪が割れている。痛かっただろうに……あの外道が……」


 カイルは痛ましそうに声をあげたが、ユキはもう痛みなんてどうでもよかった。

 

 (国の英雄に、素足をのせるなんて……!)


 カイルがユキの足に優しく触れると、ユキはめまいがしそうになってパッと片手で頭をおさえた。それを見たカイルは、心配そうに声をかけた。


「痛むか?すまない」

「あっ、いえ、違うんです。手当てをするので、私は一旦自室に下がりますね。カイル様はどうぞ先に、」

「ユキ」


 カイルは落ち着いた声でユキの言葉を遮った。

 

「無理をするんじゃない。私が君をこのまま一人で部屋に戻すわけがないだろう。専門外だが、これくらいなら私でも」


 カイルはユキの足に手を添え、そのまま撫でるように動かした。

 するとズキズキとした痛みが嘘のように引き、みるみるうちに割れた爪が元通りにくっついた。

 

 ユキが目をみはっているうちに、カイルはてきぱきと懐から小さな手拭いのようなものを出して水で濡らし、固く絞った後、足の指に残った血をきれいに拭った。


「これでよし」

 

 満足そうに頷くと、カイルはユキを見上げ微笑んだ。


 こちらが切なくなるほど、優しい眼差しだった。


 ユキは自分の心臓がまたドキドキと脈打つのを感じた。

 同時になぜか鼻の奥がツンと痛み、どうしようもなく泣きたくなった。

 

「カイル様は、どうしてそんなに……」


 (……あたしを気にかけてくれるのですか)


 後半の言葉は喉がつっかえて言えなかったが、カイルは察したようだった。


 少し首をかしげて考える素振りを見せた。

 彼の顎のラインの芸術的な美しさに、目が吸い寄せられた。


「君が、好きだから」


 真っ直ぐな言葉だ。

 

 低く、優しい声が、ユキの胸をじんわりと染み渡った。

 

 出会ったのはつい数時間前だというのに。

 ユキはこの人物をもう何年も前から知っているような錯覚をおぼえた。

 そして、間違いなく、親しみに近い感情を持ちはじめているのを、はっきりと自覚した。


(親しみどころか)


 どうしようもなく惹かれている。傍からみたら、自分は浅はかな女に見えるだろう。

 でもこの感情は、もう抑えようがないのだ。

 

 夕陽に照らされたカイルの瞳は、目が離せなくなるほど美しい。

 ユキはその瞳に誘われるように屈み、頬に手を添えた。

 

 ユキから彼に触れるのは初めてだ。カイルは目を見開いて固まっている。耳が赤いように見えるのは、もしかしたら夕陽のせいじゃないかもしれない。

 驚いた顔を見れたのがなんだか嬉しくて、ユキはちょっと笑った。


 イタズラ心が芽生えて、頬に添えた手をずらし、唇を親指でなぞると、カイルは目に見えて赤くなった。


 途端に、彼をとてつもなく愛おしく感じた。


 ユキはカイルに顔を近付けた。

 鼻と鼻がくっつきそうだ。お互いの息遣いが聞こえる。


 そして目を閉じると、彼の唇に自分の唇をそっと重ねたのだった。 

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