第9話

 ユキの家族や院で暮らす孤児の子達は、東棟の一階で寝泊まりしているが、お客様用の寝所は風通しのよく虫が侵入しづらい二階に用意している。


 ユキが階段を登ると、瑠璃組の子供達の深刻そうな声が聞こえてきた。

 

「どうすんだよこれ……」

「誰か先生呼びに行かないと」

「チイル、おまえが行け。責任とれよな」

「分かってるよ、うるさいな」


「何かあった?」


 ひょいとユキが顔を出すと、子どもたちは飛び上がった。

 その中でもひときわ困り顔をしたチイルの手元には、びっちょりと水に濡れた布団があった。

 傍には廊下の水拭き用の雑巾と手桶が転がっている。


「チイルがやったんだ」

「こいつが調子に乗るから」

「魔法で布団を運ぶなんて」


 口々に捲し立てる子どもたちを手で制すと、ユキはきっぱりと言った。

 

「はい、わかった。布団を濡らしちゃったのね」

「ごめんなさい……」


 チイルが小さな声で謝った。

 

「大きいもの、重量があるものを魔法で運ぶ難しさを、身をもって知ったわね。チイル、反省は次に生かしましょう。そのお布団ちょっと見せて」


 ユキはチイルから濡れた布団を受け取ると、しばらく検分した。


「うん、廊下をお掃除する前で良かったわ。水に濡れただけで汚れはないみたい。少し暖かいのは……そう、チイルが熱の魔法で乾かそうとしたのね。いい線いってるじゃない。誰か、悪いんだけど下から手拭いを何枚か持ってきてくれるかしら」


 ユキが見回すと、一人の女の子が「あたし行ってくる!」と飛び出していった。


「先生、何するの?」


 チイルがおずおずと尋ねた。


「熱の魔法と、風の魔法をあわせて乾かすのよ。チイル、仕組みが分かればあなたにも簡単にできるわ。手拭いが来たら一緒にやってみましょう」


 よほど自信をなくしてしまったのか、チイルは信じられないという風に他の子と顔を見合わせた。 


 

「先生ー!手拭い持ってきたよ!」

「たくさん持ってきたわね。十分十分。ありがとね」

 女の子に礼を言うと、ユキは子どもたちと一緒に、手拭いを二枚ずつ重ね、床に丁寧に並べはじめた。


「じゃあその上に布団を広げて……そう、濡れた部分が手拭いの上に来るようにね。……それでいいわ」


 ユキはチイルに、布団の濡れた場所へ手のひらをくっつけるよう指示した。


「布団をよく観察して。こないだの授業でも言った通り、魔法の基本は”定義”よ。布団と手拭いを足した厚みを頭に入れるの。風の魔法式の距離の部分に、厚みを代入しましょう。しっかりと範囲を指定することで、魔法の方向が定まって威力が増すの。……できた?」


 少し難しい顔をしながら、チイルは頷いた。


「では発動してみましょう。布団の中に入り込んだ水分を、手拭いの方まで吹き飛ばすのよ」


 シュー、と、布団の中を空気が通り抜ける音がした。

 しばらくしてチイルに魔法を止めさせ、布団をめくり手拭いに手を触れると、ユキはニッコリ笑った。


「うん、手拭いの方にだいぶ水分が飛んだわね」


 他の子にも順番に同じ魔法を使わせたあと、ユキは手拭いを全て剥がして数人の子に布団を持ち上げてもらい、再びチイルの手を布団にくっつけさせた。

 

「どう?まだちょっと湿ってるわね」

「うん……」

「ここからはさっきチイルが使った熱の魔法が役に立つわよ。熱の魔法式は覚えてる?」

「覚えてるよ」


 元気が出てきたのか、チイルはしっかりと頷いた。

 

「では熱の魔法式の範囲を指定する部分に、さっき組み立てた風の魔法式をまるまる代入しましょう。できたら発動してみてね。大丈夫、あなたならできるわ」


 少し複雑な式だ。よほど集中しているのか、チイルは息を詰め、顔を真っ赤にして唸っていた。

 しばらくして、また風の通りぬける音ともに、布団の裏側から湿った暖かい空気が放出された。


「わ、すごーい」

「やるじゃん」


 布団の裏側に手をかざした他の子達が次々に褒めると、チイルはさらに真っ赤になった。


「うん、これなら大丈夫そうね。じゃあ、先生は中庭の方見てくるわ。みんなで交代してやるのよ」


 はーい!と元気よいお返事たちを背中に受けながら、ユキは階段を降りていった。

 

―――― 


 養育院の中庭は、中央を縦に突っ切ったツツジの生け垣によって二つの区域に分けられている。

 

 東側は畑になっていて、今はローダ帝国から三圃式農業を取り入れ、効率よく農作物を育てている。

 

 西側は運動場だ。100年ほど前は水田だったが、養育院における教育の役割が大きくなった頃に埋められ、運動場へ変えられたらしい。

 国は芝生を推奨しているが、維持が大変なためこの養育院では一面土のままだ。


 ユキは院の東棟を出ると畑を大股で抜け、ツツジの生け垣を越えようとしたあたりで違和感に気付き足を止めた。

 綺麗すぎる。周辺のどこを見渡しても木の葉一枚どころかチリひとつない。

 

 大きな心当たりに思いをめぐらせながら、ユキは妙に騒がしい運動場へ足を踏み入れた。


 騒ぎの原因はすぐに分かった。やはりカイルだ。

 夕食の準備を終えて暇になった金剛組と、中庭担当の真珠組の子たち十数名に囲まれ、なにやら派手に魔法を見せている。


「もういっかい!もういっかいやって!」

「魔聖さま、お願い!」


 子どもたちのおねだりに軽く頷いたカイルは、さっと手を振り大量の水を発生させ、宙に浮かせた。

 水は見る間に美しい龍の姿へ形を変え、目を輝かせた子どもたちの周りをぐるりと回ったあと、うねりながら空高く舞い上がった。

 かなり高いところまで登った水の龍は、大きく広がるようにぱっと散り、無数の滴は瞬時に微少の氷の粒となって、キラキラと子どもたちの上にやさしく降ってきた。


「わ、涼しいー!」

「綺麗……!」

 

 ユキは、カイルのあまりの技術の高さに再び度肝を抜かれ、その場に立ち尽くした。

 

「真夏に氷の魔法だなんて……」


 この気温を跳ね返すほどの冷気を発生させるには、相当な魔力を消費する。

 眉ひとつ動かさず何度も行っている様子のカイルを、ユキは信じられない思いで見つめていた。


「あ、ユキ先生!」


 唖然とした様子のユキを、サナが見つけて声を上げた。

 すかさずこちらに顔を向けたカイルは、ユキを確認すると柔らかく微笑んだ。ユキは自分の頬が少し熱を持つのを感じた。

 

「ユキ。勝手をしてすまない。もしかして、仕事の邪魔をしてしまっただろうか」


 近寄ってきたカイルは手を伸ばし、ユキの髪に触れた。


「い、いえ。むしろ逆です。炊事場に加えて、中庭のお掃除までも手伝ってくれたんですね」


 二人の甘い雰囲気を感じ取ったのか、子どもたちはニヤニヤしながら寄ってきた。

  

「先生、お顔赤いよ?」

「先生やっぱり魔聖さまのこと好きなんでしょ」


 彼らの発言に、ユキはさっと青ざめた。  

 よりによって教え子たちに冷やかされるのは、教師として少なからずショックであり、居たたまれない思いだった。 

  

「こら、やめなさいよ!……ごほん、あなたたち、ちゃんとお礼は言ったの?」

「もちろん」

 

 レイが、当たり前だろといわんばかりに首を縦に振った。


 と、その時バタバタと慌ただしい足音が響いた。


「これはこれは魔聖さま。こんなところにいらっしゃったのですね」


 背後に魔道士たちを引き連れた村長が、胡散臭い笑みを浮かべながら立っていた。

 

 

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