第8話


「ああ?」

 

 威嚇するように唸ったタツキは、自分の腕をつかんだ人物を確認すると、目を見開いて固まった。


「ま、魔聖さま……」


 カイルの冷たい視線がタツキを射貫いている。タツキの腕を抑えていない方の手が、ちゃっかりユキの腰に置かれているのが視界の端に映った。


「何をしているのか聞いている」

「俺、いや、私は……」

 

 真夏のはずなのに、その場の空気は零度を下回ったように思えた。

 タツキの額には冷や汗が浮かんでいる。

 助けを求めるようにユキへ視線をやったが、当人は腰にまわされた手が気になってタツキの事など頭にないようだった。よくみると、耳まで赤く染まっている。


 (ユキ、てめぇ……!)


 万事休す、タツキが天を仰いだその時、軽い足音と共に勝手口の戸が軋む音が響いた。


「ねー!ユキ先生!味噌まだー?」 

 

 腰の温もりに神経を集中させていたユキが、はっと顔を上げ、素早く屈んでタツキとカイルの間をすり抜けた。


「はーい!その声はジュンね。ここよ、ちゃんと貰っといたわ」


 ユキがカイルの背後に桶を振って見せ、カイルの注意もそちらに向いた。タツキはこの隙を見逃さなかった。


「じゃ、忘れないうちに親父に仕入れの件伝えとくぜ!魔聖さまも、どうぞごゆっくり!」


 言うやいなや、スルッと酒屋に戻ったタツキは戸をバタンと閉めた。

 油断なく錠の回る音が聞こえた所で、頬を上気させたジュンがユキのもとへやってきた。


「先生遅いよ!なにして……あれ、魔聖さま!?」


 目を真ん丸にしたジュンに、カイルが軽く頷いた。 


「す、すごいや!魔聖さまがこんな近くに……!」


 感極まった様子のジュンを、ユキは肘で軽く押した。

 

「じろじろ見ては失礼よ。ご挨拶は」

「あ、先生ごめんなさい。えっと、魔聖さま、こんにちは。ジュンといいます。父がお世話になってます」 

「ジュンは村長のとこの息子なんです」


 ユキが補足した。

 

「そうか、父上にはこちらも世話になった」 

 

 カイルが差し出した手を両手でぎゅっと握ったジュンは、信じられないものを見るような目で自分の手のひらを眺めた。

 

「うわぁ、魔聖さまと握手しちゃった」

「さ、ジュン、夕食の準備中だったわね。お味噌は急ぎじゃなかった?魔聖さまもお忙しいから、先生と一緒にお暇しましょう」

「そうだった!みんな、味噌が手に入らなかったらどうしようって心配してたんだよ」


 二人でカイルに頭を下げ、その場を去ろうとしたところ、カイルがジュンの肩に手を置き二人を引き留めた。

 

「いや、水路の確認はもう終わって、さっき村の案内の途中で抜け出してきたんだ。私はもう把握しているから……」

「はぁ、そうですか」


 カイルが何を言おうとしているのか理解できず、ユキは首をかしげた。ジュンは肩に置かれた手を凝視している。


「先程、食事の準備中と言ってたな。どうだろう、私が手伝っては迷惑だろうか」


 ジュンの顔がパッと輝き、ユキはおそれ多いと言いたげな、複雑そうな顔をした。


「養育院の視察も、今回の任務に含まれている。炊事場の様子を見せてくれるだけでもいいんだが、それだと私も退屈なんだ」 

「ね、ね、先生、いいでしょ。魔聖さまのお願いだよ。断る方が失礼だよ」


 二人に見つめられ、ユキはしぶしぶ頷いた。


「ありがたい」


 嬉しそうにカイルは微笑んだ。


  

―――― 


 炊事場では、11~14歳までの金剛組三人と、ハイナという名の中年の女性教員が一人、そしてユキとカイルが調理台を囲んでいた。

 一同が緊張した面持ちのなか、カイルだけは辺りをしげしげと眺め、どこか楽しそうに見えた。

 夏外套を勝手口の戸に引っかけ、たすきで袖をまくって、ご丁寧にほっかむりまで被って、やる気まんまんといった御様子だ。

 カイルが袖をまくった時、左腕に黒くて重そうな腕輪をはめているのを見つけてジュンが何事かを聞いていたが、ユキの方までは何を話しているかまでは聞こえなかった。

  

「さ、さて、青菜のおひたしと根菜の煮物は下拵えが終わってるので、鯉の味噌煮と香の物、汁物と米の準備ですね」


 ハイナがかすかに震える声で仕切りはじめる。


「ジュンには鯉の下拵えをしてもらいましょうか。ミキは向こうの糠床から茄子と胡瓜を選んで持ってきて。私と一緒に切りましょう。サイカは汁物。出汁をとって、干しわかめを戻してる間に中庭の畑で三つ葉を少し採ってくること。ユキは米を洗って水に浸けるまでをお願いしていいかしら」


 各々が頷いた。


「魔聖さまもお手伝いいただけるということで……えー、そうですね、魔聖さまには……えーと」


 ハイナは、下手な仕事をふって無礼があってはならないと、ひどく迷っている様子だった。

 みかねたユキが助け舟を出した。

  

「ジュンを手伝っていただくのはどうですか。一人で鯉を捌ききるのは難しいでしょうし。いかがですか」


 ユキがカイルに顔を向けると、カイルは心得顔で頷いた。

 

「問題ない。鯉を捌くのは久しぶりだが……昔はよくやっていた。安心してくれ」



 それぞれが作業に散り、ユキは炊飯の準備にかかった。

 

 普段は三分づき米を使うが、今日はお客様が来る日なので贅沢に白米を使う。

 大きなザルに白米をどさっと入れ、十分に米をといだらこれまた大きな羽釜へうつす。とぎ汁は清潔な壺へ捨てた。これは夜の湯浴みに使うのだ。

 三度ほど作業を繰り返して、最後に羽釜へ適量の水を注いだ。

 

 たまに魔法の力でちょちょいと済ませながら、一連の作業をさっさと終えると、ユキはふうとひと息ついた。

 そこではじめて、トトトト……と料理にしては規則的すぎる音と、時折感嘆の声が背後から聞こている事に気付いた。


「す、すごい」

「さすが魔聖さま……!」


 見ると、なぜかジュンと魔聖さまコンビの周りに、ユキ以外の炊事場メンバーが集まっている。

 何事かと覗いたユキは、あっと声を上げた。


 集中した表情のカイルが調理台に向かい、指先をヒョイヒョイと動かしている。

 その視線の先では何本もの包丁が等間隔に並んで宙を舞い、規則的に鯉を捌き続けていた。

 

 ジュンはというと、驚異の速さでどんどん山積みになっていく鯉の切り身に、一生懸命臭み消しの塩と酒を振っている。

 

 魔法で魚を捌く、と一言にいっても簡単にできることではない。

 包丁を浮かす高さに、鯉に刃をあてる角度、刃を引く力加減など、ひとつひとつの動作を取っても、気の遠くなるほどややこしい魔法式を全て組み立てる必要がある。

 その上、このスピードとなると……


 ユキは身震いした。改めてカイルという人間が、国内の魔法の極致に至る人物であると再確認したのだった。


 (そんな大層な人が今……)


 辺境の村の、傾いた養育院でせっせと鯉を捌いている。

 あまりにも勿体ない才能の使い道に、ユキはこっそり笑みをこぼした。


「ハイナさん、米をかまどに準備しておいたわ。他の子達も見て回りたいから、ここは任せてもいい?」


 ユキが声をかけると、振り返ったハイナは鷹揚に頷いた。


「どうぞどうぞ。魔聖さまのおかげで、予定よりずっと早く終わりそうだわ」


 

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