第7話


 ユキとカイルが広場に戻り、蜂の巣をつついたような大騒ぎが一段落して、村人たちは三々五々に散らばっていった。

 村の水路の視察に向かうカイルと魔道士達(こちらは揃って最後までユキを睨めつけていた)を見送り、ユキは質問の間欠泉のようになった子供達と一緒に、魔道士から預かった馬を引きつつ養育院へと戻った。


「魔聖さまがユキ先生を追いかけてったの、素敵だった!こないだ読んだ、フジ物語みたい!」

「ユキ先生、魔聖さまのお嫁さんにならないの?」

「どうして断っちゃったの?」


「簡単に決めていいことじゃないからよ。ほら、みんな、お仕事お仕事!真珠組は中庭のお掃除ね、瑠璃組は裏で干してある布団を取り込んで寝所の準備。金剛組はお夕食の下ごしらえよ。はい解散!」


 ユキがパンパンと手をたたくと、子供たちはブーブーいいながらもそれぞれの持ち場に去っていった。

 ふう、と大きくため息をついたユキに、同じく馬を二頭ずつ引いてきた両親が肩をたたいた。

  

「ユキ、気にしなくていいよ」

「母さん」

「ま、あたしがユキの立場なら受け入れたけどね」

「お、お前……」

 

 ユキの母に、父は情けない声を挙げた。


「あはは、冗談冗談。あんたの父さん以上のいい男なんてそうそういないんだから」

「お前……!」

「ねえ、娘の前でいちゃつかないでよ。みっともない」


 いまにも母に駆け寄ってキスしかねない素振りを見せていた父は、赤くなりながら誤魔化すように馬の手綱を持ち直した。


「父さんも、魔聖さまは悪い人じゃないとは思うんだが……出会ったばかりであんな風に婚姻を申し込むのは、確かに怪しい。なにか裏があると考えた方がいいと思うね」


 ユキは一瞬、あの土手でのカイルの発言を相談しようかと口を開きかけたが、内緒にしてほしいと言われたのを思い出し、口を閉じて頷くのみにした。


 院の東側の厩舎に馬を入れると、夕食の準備をしていた内のひとりがこちらへ走ってくるのが見えた。


「先生ー!味噌が全然足りないよー!」

「味噌?」

「あ」


 ユキの父が首をかしげ、母はユキを睨み、ユキはしまったと手を口にあてた。


「ユキぃ?」

「あははは、ごめーん母さん、忘れてた。ちょっと行ってきまーす!」


 炊事場からここまで走ってきて息を切らしてしまった子に、少し休んでから戻るよう言い含め、ユキは母の視線に押し出されるように駆け出した。



 ――――


 風のような速さで酒場の裏口にたどり着いたユキは、ゼエハア言いながら戸を思いっきり叩き続けた。


「ハァ……ちょっと!誰か!ハァ、開けてー!……オェッ」

「うるせぇ!ユキてめぇ、力加減って言葉は授業で教えてないのか?」


 文句を言いながら戸を少し開け、顔だけをひょこっと出したタツキは、汗びっちょり、息も絶え絶えのユキを見てあからさまに嫌そうな顔をした。


「うわ、汚……用はなんだ、忙しいからさっさと言え」

「労働の汗は汚くないのよ!あ違う、えっと、そっちで味噌余ってない?足りなくなっちゃったから二貫ほど分けてもらえると嬉しいなーって」

「二貫!?ウチにもそんなにあったか……ちょっと待ってろ」

「あ!まって、あとカンライさんに赤ちゃんのお尻の軟膏仕入れてくれるようお願いしといて」

「はいはい、親父に赤んぼの軟膏ね」

「あと冷たいお水も一杯!」


 ユキの最後の一言には返事もせずぴしゃりと戸を閉じたタツキは、しばらくして味噌をたっぷり入れた桶と、なんだかんだ椀に注いだ水も持ってきてくれた。


「さすが!助かるわぁ」


 渡された水をごくごくと飲み干し、味噌の桶を笑顔で受け取るユキに、タツキは複雑そうな顔で言った。


「ますます分かんねーな。魔聖さまはコレのどこが気に入ったんだ……?」

「やめてよ、その話は」

「村中その話ばっかだぜ。年頃の女達なんか、お前が魔聖さまを落とせるなら自分にも機会があるかもつって殺気立ってるし」


 タツキの話に、ユキはぞっと寒気がした。


「モテる女は辛いわね……ハハ……ねえ、タツキは魔聖さまのこと、どう思う?」

「どうって……国中の恩人だろうが。都の龍退治の方がでっかくもてはやされてるけどよ。街道の整備を言い出して物流を改善したのは魔聖さまだって言うし、いま見に行ってる水路だって魔聖さまの設計だろ?こうやって末端の村まで気にかけてくれるんだ、相当できた人間だと思うぜ」

「そうじゃなくって、えっと……」

「なんだよ、今になって振ったのを後悔してんのか?」


 タツキのからかうような口調に、ユキは真面目な顔をして首を振った。

  

「違うの。あのね、魔聖さまって、カイに似てると思わない?」

「……カイ?」


 タツキは眉をひそめた。


「そう。魔聖さまを間近で見たとき、カイにすごくそっくりでビックリしたの。あり得ないんだけどさ、もしかしたら……」


 ユキは言いかけて、タツキの笑い声に驚いて口を閉じた。


「ハハッ……んなわけないだろ?俺もさっき近くで見たけどよ。色が一緒ってだけであとは全然別人じゃねえか。だいたい魔聖さまほど高貴な方と……あ、すまねぇ。そういう意味じゃないからな。やめろよ、お前のそういう目付き、怖いんだよ……とにかく、お前の思い過ごしだよ。カイを知ってる誰に聞いたって、魔聖さまに似てるとはとうてい思えないさ」 


「そうかな……」


 でもそっくりに見えるんだけど……とモゴモゴ続けるユキの頭に、ぽんとタツキが手をのせた。

 

「まぁ、それだけ、お前はずっとカイの事を引きずってたって事だな」


 彼なりの励ましなのか、タツキは手をのせたままガシガシとユキの髪をくしゃくしゃにかき回した。

 やめなさいよ!とユキが声をあげようとしたその時、タツキの腕を何者かが強い力で押さえた。


「おまえ、何をしている……?」

 

 地を這うような低い声が、ユキの背後から発せられていた。

 

 

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