第5話 帝国を目指しましょう

 ケンサはふと視線を切って、海のほうへ目を遣った。うちつける波は荒く、あぶくを立てては、暮色を弾いていた。

「少し言い過ぎましたね」

 ケンサの声には多分に反省が含まれていた。これは私も反省しなくてはなるまい。私のひと言で喧嘩になったのだ。

 それになにより、私のほうが年上なのだから。

「そうだね。お互い間違ったことは言ってないけど、言葉が過ぎていた」

 頭が少しずつ冷えていくのを感じて、ようやく血が上っていたことに気がついた。私たちは頭を下げることも、握手することもなく、反省し合って仲直りした。

 でも、これだけは言っておきたかった。

「忠告だけさせて」

「いいですよ」

「君がどのくらい本気で信仰しているか分からないけど、ミカエリス教はきっと失敗するよ。統一を強制した宗教なんて上手くいくはずない。きっと別の宗教が擁立されて、争いになる」

 また言い合いになるかと気を揉んだが、ケンサは動じなかった。ゆったりと頷いて、

「そうかもしれません。事実、敵対組織もありますから。でも、種族のまったく異なるひとたちと、ひとつの社会生活を送るには、ひとつの宗教で縛ることがいちばんの近道なんです」

「それも上司の教え?」

「はい、その通りです。日本では違いましたか?」

 私は答えなかった。ケンサも問い返してはこなかった。

「……ケンサ。妹を探すため、私はこれからどうしたらいい?」

「そうですね……」

 ケンサは指輪に触れると黙り込んだ。その思案顔からは、年不相応な落ち着きが見て取れた。

 やがて考えが纏まったのか、すっと水平線の向こうを指さした。日本と同じように太陽が動くなら、その方角は北だった。吹き上げた潮風が、ときどきすすり泣きのような音を立てている。

「……ここをまっすぐ行くと、ユスオア中枢国に到着します。この世界を治めている、多文化主義で平和主義の国です」

「ケンサはそこの出身なの?」

「出身は違いますが、本部はそこにあります」

 雇い主は、いったい何を思ってこんな年端もいかない子どもを、案内人に選んだのだろう。奇しくも仕事をまっとうしているが。

「ユスオア中枢国はこの世界でいちばん――これは贔屓でも何でもありません――いちばん力を持っています。理由は省略しますが、現時点で、どの分野でも比肩する国はありません」

 この話がどう帰結するのかなんとなく予想がついたが、口は挟まなかった。

「ユスオア中枢国なら、ヨトギさんの目的を叶えてくれます。禁足地に妹さん――コクヒさんがいるとは限りませんが、それでも行きたいのなら、おそらくいちばん、蓋然性の高い方法です。あれを見てください」

 ケンサは北北西のあたりを指さした。目を凝らすと、水平線にうっすらと山の天辺が見えた。

「あれは?」

「あそこがヨトギさんの行きたがっている禁足地です。ユスオア中枢国からなら渡航できます。手がかりを探すこともできるでしょう。ただ……」

 ケンサはそこで言葉を切ると、こんな質問をしてきた。

「ヨトギさん、この村でおかしいと思ったことはありませんでしたか?」

 少し考えてみた。

 魔物がいる世界、魔法を使える世界、日本と同じような世界。確かにおかしいがこれは取り立てるほどのことではない。

 では、なにがおかしいのか。

 もたれかかった柵を揺らすと、ガシャンと音を立てた。頑丈なつくりのようだ。

 これは王都との貿易で手に入れたと言っていた。特産が石だとも。どのように運ばれてきたのだろうか。

「質問があるんだけど、この村には厩があったよね。馬がいるのかな。移動用の馬でも、農耕用の馬でもいいんだけど」

「一頭だけいます。荷物を運ぶための馬です。もうずいぶん痩せていますが」

 荷役馬のことだろう。乗用馬のように速く走れるわけでも、農耕馬ほどの馬力があるわけでもない。駄馬だ。

「厩にいなかったのは?」

「バンザイさんのお弟子さんが使っているんでしょう。森まで仕事に行っています」

「鉱石を採取するため?」

「よく分かりますね」

「鍛冶屋だもんね」

 つまり、石が採取できなくなったわけではない。いや――

「森には魔物がいるんだよね。石の採取量が極端に減ったことはない?」

 ケンサは首を振った。

「森には二種類の魔物が生息しています。人間にとって有害なのは、このうち、石を主食にしている〝グレイヴ・ウルフ〟です。ただ、こちらから近づかない限りは温厚で、犬と大差ありません」

 バンザイさんのお弟子さんとやらが採取に行っているくらいだ。

 ということは、この村は――

「この村は、今でも特産を採取できるのに、もう貿易をおこなっていないんだね」

「はい、三年前からです」

 自給自足できているのも、荷車が使われていなかったのも、そのためだろう。小さな村の鍛冶屋が使うぶんの鉱石をとるだけなら、荷車はむしろ邪魔になるだろうし、痩馬には引けないだろう。

「どことも貿易してないの?」

「もともと取引相手はハルトラカン王都だけでしたから。貿易を止められてからは、ユスオア中枢国の船が気まぐれに寄るようになりましたが……それは――」

 言いづらそうにしていたので、先回りして答えた。

「ケンサがここに来たのは数日前だったね。そのときに乗ってきたんだ。そして次にいつ船が来るかは分からない。ちがう?」

「……そうです」

 責任を感じることでもないのに、ケンサは肩を縮こめていた。

 さて、今までの話を総合するとこういうことになる。

 ユスオア中枢国に行くことで、コクヒに会える蓋然性が高まる。しかしユスオア中枢国に行くことは物理的に不可能だ。そして、貿易をおこなっていないということは、そもそもこの村を出るための足もない。別の村の話が出てこないということは、距離があるのだろう。そちらも望めない。

「魔法で海を渡ることはできないの?」

 ケンサは申し訳なさそうに首を振った。

「短い時間なら、宙に浮くことはできますが、さすがに海を越えることは、現代の魔法ではできません」

 意外と使用できる範囲が限られているらしい。

「じゃあ、魔法道具は? 空飛ぶほうきとか、絨毯とか……」

「どちらもありません。というより、魔法道具というものがないんですよ」

「そうなんだ」

 てっきり、言葉を喋る帽子や、透明になれるマントのようなものがあると思っていた。

「魔法を固定しておく技術がまだありませんから。今もっとも研究されている魔法のひとつでもあります。……すみません、そろそろ本題に」

 ケンサは咳払いをした。

「妹さん――コクヒさんを探す手助けをすることは、お約束したとおりです。ただ現状、ユスオア中枢国に行く手立てがありません。なので――」

 ケンサは海とは正反対の、村の入り口を指さした。南だ。

「このままハルトラカン王国の王都まで行きます。そこからいくつかの国を経由して、最終的に、〝新ウェドルズ西部統一帝国〟を目指しましょう」

「新……?」

「新ウェドルズ西部統一帝国です。〝統一帝国〟や〝ウェドルズ帝国〟と省略されることもあります。現在も戦争中で、安全な国とは言い切れませんが、異世界人を探す手助けくらいは望めるでしょう」

 妹を探すためなら、どんな危険も侵すつもりだった。

「でも足がないんだよね」

 荷役馬に乗っていくわけにはいかない。村の資産だろうし、何より到着がいつになるか分からない。まさか車があるわけでもないだろう。

「それなら大丈夫です。明日、王都から憲兵隊がやってくるので。目的は監査ですが、交渉次第では王都まで乗せていってもらえるでしょう」

「交渉次第って……」

「僕も協力しますから、きっと上手くいきますよ」

 不安はあったが、どのみち他に方法はないのだ。賛同すると、ケンサはにっこりと笑って握手を求めてきた。

「王都までしかついていけませんが、必ずウェドルズ帝国まで辿りつけるようにします」

 心強い言葉だった。しかし、すぐにケンサの顔は曇った。

「……ただ一点、懸念があるとするなら――」

 そこで手を離すと、きびすを返した。

「――いえ、これは実際に会ってもらった方がいいかもしれません」

 そう言って、柵の外に足を向ける。私はケンサの踵を踏まないように後に続いた。

 子どもらしい身長と、子どもらしい歩幅。しかし、彼の佇まいには老練の騎士のような雰囲気があった。

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2025年1月10日 20:00
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夜伽話 冬場蚕〈とうば かいこ〉 @Toba-kaiko

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