第4話 ミカエリス像と天命

 ミシヤ村の中心には、女性の像が建てられていた。肢体は白く、なめらかな曲線を描いている。建材はおそらく大理石だろう。

 女性の大きさは二メートル程度だが、菱餅のように重ねられた台座がさらに百センチほど像を高くしていた。

「これは……?」

 ケンサに聞くと、すぐ答えが返ってきた。

「ミカエリス様のご本尊です。この村の信仰の要ともいえます」

 紹介されたミカエリスの表情は、優しげにも悲しげにもうつる、アルカイックスマイルだった。顔の半分をフードで隠し、身体はワンピースのような服で覆われている。肌のやわらかさや、服の質感まで精緻に表現されていた。

「すごいね……」

 ケンサは自分が褒められたように頷いた。

「職人がいたんですよ。それに、石が特産なんです。森には珍しい鉱石もあって、貿易では重宝されていました」

「そうなんだ」

 どれも過去形だった。ここも訳ありなのだろう。

 だが、見事な石像だ。像だけではない、台座にも意匠が凝らされている。造像銘というには大袈裟だが、銘の彫られたプレートも固定されていた。

 

 ――ミカエリス教像 ミシヤ村へ感謝を表して

 

 急ごしらえで彫ったのか、それともこの村の技術の限界か、その字は子どもが彫ったように鋭利で、とがっていた。

 視線に気づいたケンサが言う。

「この像の造像者はナティエという女性です。ちょっとした事情で名前は彫っていないんですが……」

 あえてその事情を聞くこともなかった。

「そのナティエっていう人が職人? この村にいるの?」

 今度のケンサは返答までに間があった。

 少し考えてから、こう言った。

「ナティエさんは、村長の娘さんなんです。今ヨトギさんが着ている服の持ち主の」

「そうなんだ。じゃあ――」

 聞いた私から言うべきだろうと、考えを口にした。

「この像が素敵だって、伝えられないね。亡くなってるんでしょう?」

 ケンサは目を大きくした。

「気づいていたんですか」

「うん、さすがにね。カルナさん、娘のことを話題に上げたがらなかったし。……答えられないならいいんだけどさ、どうして亡くなったの?」

 ケンサは私のこと窺うように見て、短く教えてくれた。

「魔物に襲われたんです。石探しのため、森に入っていって……」

「そっか」

 それ以上の質問は自重して、話を代えた。

「この銘もナティエさんのもの? 彫像は上手いけど、字は下手みたいだね。私も得意じゃないけどさ……」

「そのプレートはバンザイさんの作ったやつですよ」

「バンザイさん?」

「この村の鍛冶屋です」

 ああ、腕利きの。

「その人に、剣を作ってもらいたいんだけど」

 意を決して言ってみるが、あまりいい反応はもらえなかった。

「そんなにほしいですか? 村の中では危険もないと思いますが……」

「長居するつもりはないって言ったでしょ。はやく妹を探しに行かないと」

 ケンサは真意を測るように目を細めた。灰の目は相変わらず考えが読めなかった。

「――それに、私はどこまでいっても余所者だからね。自分の身は自分で守らないと。……大丈夫、ケンサが心配しているようなことはしないよ」

 少なくとも、危害を加えられなければ。

「疑っているわけじゃないんです。ただ問題があって……」

 ケンサは言葉を探すようにして、

「ヨトギさん、お金は持っているんですか?」

 たしかにそれは大問題だ。


 その後、村を一周しながらケンサに案内してもらった。村の端から端を見渡せるほどではないが、やはり狭い村だった。道は舗装されておらず、ナティエのブーツが役立った。

 自給自足はしているようで、家畜を飼育していたり、畑をやってたりしていた。動物や植物の姿も日本とあまり変わりなかった。

 出払っているのか厩に馬はおらず、うち捨てられた荷車があるだけだった。

 実際にバンザイの元へも行ってみた。がたいがいい割に、身長の低い男性で、豊かなひげを蓄えていた。聞くと、どうやらドワーフ族らしい。

 ドワーフも日本のファンタジーの名作に出てきた。ケンサに自分の想像どおりか聞くと、概ね合っていると言った。エルフとはあまり友好的ではなく、石工や鍛冶屋になることが多い。もしかしたら、トールキンも異世界人だったのかもしれない。

「でも、ホビット……ですか、そういう種族はこの世界にはいませんね。あとドワーフのなかには毛を生やさないひとも多くいます」

「毛なんてないほうがいい。毛量が多くて、獣人に間違われちまうんだ」

 バンザイは、がはは、とひげを撫でながら、しこぶちな身体を揺らした。ドワーフ流のブラックジョークらしかった。細かいことには拘らない性格のようで、私がナティエの服を着ていることについては、

「ナティエちゃんも着てもらえて嬉しいんじゃねえかなあ」

 やっとこをいじりながら、そうしみじみと言うだけだった。

 店には、武具が一通りそろっていた。鍛冶場には火が焚かれ、熱波が店先にまで届いてきた。しかし、当然のことだが、どれも金が要る。

「どんな剣だろうと防具だろうと、望みのものは大抵作ってやれるが……金がないんじゃ、話にならねえなあ」

 バンザイは仏頂面を隠しもしなかった。

「金を持って出直しな」

 私たちは追い出されるようにして店を出た。

 鍛冶屋以外にも店はあった。服屋や八百屋、魚屋が、店先に商品を並べている。こちらも金が要った。冷やかしは御法度なのか、どの店でもいい顔はされなかった。また、ナティエの服を着ているのを見て、睨んでくる者もあった。カルナから借りたと説明するとようやく眉根が解かれた。ケンサには愛想良く対応しているが、私にはすげなかった。

 三軒目を追い出されたところで、聞いてみた。

「この国の通貨は貨幣? 紙幣?」

 ケンサはこれにもすぐ答えた。打てば響くようだった。

「この国……というより、この世界では〝ユスオア貨幣〟という通貨が使われています。国ごとの通貨を発行している国もありますが……ユスオア貨幣ほど価値は一定ではありません」

「どの国でも使えるの?」

「ええ、一部の国では使えませんが……おそらくヨトギさんの行く国なら、どこでもユスオア貨幣だと思います」

 要するに、金がないと何もできないということだ。

 私は疲れを感じて、村を囲う柵にもたれた。柵の向こう側には草原が、さらに遠景には鬱蒼とした森がひろがっている。左手は切り立った崖になっていて、波がうちよせては岩壁に砕かれ、潮のにおいがたち上っていた。

 すっかり日は暮れかかり、森の中に夕日が沈んでいこうとしていた。ケンサの左腕のブレスレットが輝いている。

「……どうですか? 村を回ってみて。役に立ちました?」

「うん、助かったよ」

「それはよかった。郷に入りては郷に従え、ですからね」

 これには驚いた。ことわざまであるのか。

 私は少し確認したくなって、

「ねえ、ケンサ。『子、曰く』から始まる言葉は分かる?」

 ケンサは戸惑いながらうなずいた。

「もちろん。たくさんありますが……有名なのは、『子、曰く、故きを温めて新しきを知る。もって師為る可し』でしょうか」

「じゃあ、その『子』って誰のこと?」

 これには言葉を詰まらせた。

「……漠然と、『先生』という意味だと思っていました。違うんですか?」

「私のいた世界だと、実在した偉人のことを指していたよ。まあどっちが正しいというわけではないと思うけど……」

 日本ではそうだったというだけだ。この世界が合わせる必要はない。

 ただ、分かったことがある。この国の言語はほとんど日本語と変わらず、あちらの世界特有の文化や人物が関わる場合は、別のものに置き換えられるのだ。

 試しにガッツポーズをして見せて、なんという動作か聞くと、ケンサはガッツポーズだと答えた。でも語源を聞くと首を振った。この世界にガッツのあるボクシング選手がいるわけではないらしい。ちなみにボクシングという競技はなく、言葉としても存在していなかった。スマホや飛行機などの高度な科学技術も同様だった。

 質問をつづけた。

「いま話している言葉は、私のいた世界だと日本語といわれていたけど、この世界ではなんていうの? ハルトラカン語?」

 ケンサはくすりと笑った。

「〝ユスオア中枢語〟と呼ばれています。みじかく〝ユスオア語〟とも」

 嫌な予感がした。

「……もしかして他の国でも同じ?」

 ケンサは質問の意図に気づいたのか、まとめて答えてくれた。

「ユスオア語も、ユスオア貨幣と同じように、どの国でも使われている言語です。他にもドワーフ語やエルフ語などがありますが、話者はほとんどいません」

 これで、言語の壁は完全に取り払われたことになる。だが――

「ミカエリス教も統一された宗教です。宗教はミカエリス教のみが認められていて、他の信仰は禁じられています。司法は土地によって事情も異なるので、分けられていて、あとは……」

「ああ、もう大丈夫」

 めまいがしそうだった。言語も宗教も貨幣も、この世界では統一されているのだ。自由意志をはなから制限するようなものだった。

「この世界の統治者は、悪趣味だね。排斥するのがよほど好きらしい」

 溜め息を零して言うと、ケンサの顔がこわばった。夕日が彼の表情を明暗に切り分けている。右薬指で指輪がきらっと光った。藪蛇だったかもしれない。

 私は話を代えた。ずっと気になっていたことだ。

「……ケンサはこの世界のことにずいぶん詳しいよね」

「仕事の関係で、詳しくないといけませんから」

 ケンサは疑われていることに気づいただろうが、品よく微笑んで質問を躱した。

「私よりぜんぜん若いのにすごい」

「年齢なんて関係ありません。ひとは天命に動かされるだけですから」

 カルナは村長、ナティエは造像、バンザイは鍛冶、ケンサは案内人が、生まれながらの使命ということだろうか。

 まったくすばらしい。

「それもミカエリス様の教え?」

「いえ、これは上司の教えです。そして僕の天命は、きっとヨトギさんの考えとは違って、他にあります」

「なあに?」

 だが、詳しく話すつもりはないらしかった。ケンサは笑顔のまま、

「そういうヨトギさんこそ、若く見えますが」

「見た目だけだよ、もう身体はボロボロなんだから。身体だけ老いている感じだよ」

 あながち嘘でもなかった。度重なる転移で身体はずいぶんガタが来ていた。もう数回も転移できないだろう。

「年齢なんて関係ありませんよ」

 ケンサは気遣うふうでもなく言った。

「ひとは天命に動かされるだけだから? じゃあ私の天命って何だと思う?」

 からかった質問だったが、ケンサは真面目な顔で考えて、こう答えた。

「やさしい人間になることですかね」

 思わず笑ってしまった。コクヒの性格を考えるとそのほうがいい。

 当たらずとも遠からず、だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る