第3話 もう着ない娘の服
ミシヤ村は小さな村だった。
目に見える範囲には十軒程度の、木とレンガで出来たこぢんまりした家が建ち並んでいるだけだ。どうやら人口も百人にも満たないらしい。日本でいえば過疎地域だが、この世界では珍しくないという。
「もともとハルトラカン王国自体、そこまで大きな都市がありませんから。王都とその周辺が栄えているだけで、外れはそうもいきません。自然も豊かですしね」
言葉のとおり、村の背景には山岳や草原、森林が見えた。海が近いのか、潮の匂いがした。
村は柵で囲まれているらしく、私たちが入ってきたのも、幼稚園や動物園で使われていたような、鉄製の門扉だった。そこから私の身長の二倍くらいある鉄柵が両端へ伸びていた。隙間が空いているからか、あまり閉塞感はなかった。
「この村では鉄が取れるの? それに加工技術も優れてるんだね」
門扉には鈎型のパターンまで設えられていた。それに村の敷地が小さいとはいえ、囲うほどの鉄柵をつくれるものだろうか。ケンサは考える間もなく言った。
「あれは王都から輸入したものですよ。魔物除けです。さすがにこの村にそこまでの技術はありませんから」
「そこまでのって、どこまでならできるの?」
「刀剣や防具をつくる鍛冶屋がいます。腕利きですよ」
僥倖だった。いずれ魔物と戦うことになるなら、武器のひとつくらい持っていなければならない。
「剣は久しぶりだな……」
日本で握ることはなかった。他の世界で経験はあるものの、ずいぶん昔のことだ。魔物と渡り合えるだろうか。
と、そこで足音が聞こえた。
目を遣ると、一人の女性が立っていた。年の頃は四十代半ば、やや肉付きはよく、人の良さそうな感を受けた。
「ケンサさん? そちらの方は……?」
女性はどこか薄幸な雰囲気をまとっていた。
「ちょうど良かった。カルナさん、紹介します。こちら異世界人のヨトギさんです」
「えっ!」
思わず大きな声を出してしまう。異世界人だとバラすなと言ったのはケンサだったのに。
「ちょっと……」
肘で小突くとケンサは笑顔のまま言った。
「大丈夫ですよ、カルナさんは触れ回るような人でも、差別するような人でもありませんから」
カルナという女性は一揖するように頷いた。それから、
「ようこそ、ミシヤ村へ。村長のカルナと言います。異世界はご不安でしょう。滞在している間、ぜひうちに泊まってください」
歓迎されている、というだけではないのだとすぐに分かった。監視が目的だろう。余所者が来たのだから当然だが。
「ありがとうございます」
私は素直に頭を下げた。ここで悶着を起こすべきではない。たとえ疑われていても、怪しい行動さえしなければ手ひどい扱いは受けないはずだ。
挨拶もそこそこに、私は村を見て回りたい旨を申し出た。
「長居するつもりはないけど、なにぶん不案内だから」
どのような異世界であっても、生きていくのに重要なのは、壁を取り除くことだ。言語の壁、文化の壁、環境の壁……。
そして、壁を取り除くのに重要なのは、情報を得ることだ。
これまで行ったどの世界でも、情報不足で損をしたことは多かった。日本では戸籍制度を知らず、初めのうちはずいぶん苦労した覚えがある。
だからこの村で基本的なことは学んでおきたかった。言語と環境の他は、文化、宗教、歴史、そして差別だろうか。
しかしカルナから、いちど家に来るよう勧められた。
「娘のものですが、服をお渡しします。いつまでもケンサさんのローブを借りているわけにもいかないでしょうから……」
至極もっともな意見だ。日本の服ではさすがに浮いてしまうし、ケンサに借りを作りつづけるわけにもいかない。郷に入りては郷に従え、だ。
案内されたのは村でいちばん大きな一軒家だった。どうやら客人は村長の家に泊めるしきたりらしい。今回の私は監視対象なのだろうが。
建材は他の家と変わらず、外壁はレンガ、屋根は木材だった。一階よりひと回り小さな方形がのっている二階建て。日本の童話でよく見た家だった。
「どうぞ、上がってください」
促されて扉をくぐった。
広い部屋だった。床は木板張りで、壁は白く塗られている。リビングとダイニング、キッチンは家の柱によって仕切られ、開放感がある。入ってすぐ、天板の広いダイニングテーブルが目についた。これなら十人程度を招いても問題ないだろう。さすが招客兼用なだけある。
「大きな家……ここにはカルナさんがひとり?」
世間話程度のつもりだったが、カルナは視線を落とし、曖昧に頷いた。
「ええ、今は……」
込み入った事情でもあるのだろうと、それ以上突っ込むのはやめた。よく見ると、食器類には二組一揃えのものが多かった。
「ヨトギさんも二階をお使いください」
ケンサは数日前から滞在しているらしく、二階の角部屋を使用してるそうだ。私はその隣の客室を使わせてもらうことになった。部屋にはベッドと、木材でできたこぶりなチェスト、かさつきのランタンと、大きな姿見が置かれていた。
「服を持ってきますので待っていてください」
パタパタとカルナは部屋を出て行く。ケンサも自室に戻っていたから、ひとりだった。
何の気なしに、姿見の前に立った。
どこか眠たげなまぶた、睨むような瞳、それらを強調するまつげ。すっと通っていて生意気に見える鼻筋、酷薄に見えるうすいくちびる。鎖骨が浮き出るほど痩せぎすの身体。
私はほっと胸をなで下ろした。日本での容姿とほとんど変わりなかった。
コクヒの容姿が変わっている可能性は捨てきれないが、ひとまずコクヒが私を分からないことはないだろう。
それに案外、この見た目は気に入っているのだ。
この世界でどうかは分からないが、日本では美人の部類だった。うつくしいもの好きの同居人に見初められたから、過大評価でもないだろう。
唯一、同居人の趣味で染めていた真っ黒な髪は、大部分がグレーに染まり、ブルーのインナーカラーが入っている、元の色に戻っていた。ケンサやカルナが驚いていなかったところを見ると、この世界では普通なのだろう。
コンコンと部屋をノックされ、返事をするとカルナが入ってきた。手にはケンサの着ていたような、色味の落ち着いた服を持っていた。
「娘の服なんですが、ヨトギさんなら着られると思うので……」
言われるまま着てみると、身体に馴染んだ。私のために作られたよう、とまではいかなくても、パーカーやスキニーよりはずっと軽く、動きやすかった。露出の少ない格好というのもありがたかった。重たいショートブーツを履き、ケープを羽織ると、一気にそれらしくなった。
「似合いますね」
ひょこっとケンサが顔を覗かせた。カルナもしきりに頷いている。鏡の中の私は満足げに笑っていた。
「その服はもう着ませんから、そのままお使いください」
「いいの?」
娘に許可を得ているのか、という質問だったが、カルナは同じことを繰り返すだけだった。
「ええ、もう着ませんから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私は襟にわたされたブローチを正し、
「あとは剣でもあればいいんだけどね」
とさりげなく言った。自分の立場を試す質問だった。
「娘の短剣はありますが……」
カルナはちらりとケンサに目配せした。ケンサは誤魔化すように笑った。
「村を見て回るだけなら、剣なんていりませんよ。僕も行きますから、日が暮れるまでに終わらせましょう」
警戒されている。まだ剣を持たせていいものか見定めている段階なのだ。
そしてやはり監視がつく。村の説明をしてもらえるのは、私としてもありがたいのだけれど。
私は大人しくケンサに従って家を出た。
ふと、部屋の隅のチェストに、緑色の石が置かれているのに気がついた。
いやに目を惹く輝きを持っていた。
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