三
日の昇らぬ床夜の外出には、光源となるのは眸の不気味な光くらい。手持ちの火でも無ければあとは、それぞれの島に並ぶ灯籠やら建物に吊るされた無数の提灯やらを頼りにするしか術はない。
「オジキ、本当に良かったんで?」
「いいんだ。俺がいちゃああいつらも好き放題できねえだろう」
彼岸も居ないことだし、とは蓮華は口に出さなかった。宴もたけなわの騒ぎに乗じて会場を後にした彼は、手下共に連れ添われ、舟に揺られていた。波の立つような風もなく、蓮華の心持ちを表しているようであった。
「オジキ」
「あん?」
手下の一人が神妙な顔をして、右手側の島を指した。蓮華とは勢力を分かっている、別の組のシマだ。
「あそこがどうかしたか」
「変に静かですぜ」
含みのある言い方をするものだから、蓮華は鋭い視線を島に送った。赤提灯に彩られた豪奢な邸は、確かに明るいわりに人の息遣いがしない。三味や琴の音は遊廓でもない限り響きはしないが、それにしても静まりかえっている。異様な雰囲気だ。蓮華の目つきは更に険しくなった。盛えを見せる邸と、静かな島の状況がかなり不均衡で、彼の背筋に冷やりとした感覚があった。
手下は耳打ちのように小さく言った。
「あそこの組長、彼岸太夫の得意だったはず」
「ははは、それがどうした」
「どうしたって……有名でしょ、オジキ。あの太夫がなんで彼岸と呼ばれるか」
「勿論、知ってる。じゃあなんだ」
蓮華が邸を顎で示した。
「あいつの仕業だって言いてえのか?」
「だって、あの太夫と懇意になった奴らはみぃんなもれなく……」
「それだけで決めつけるなぁ良かねえぞ、あの島で起きてるのが、俺らの考えたこととは全然違う可能性だってある」
「でも、そうかもしれないじゃあないっすか」
「彼岸は」
彼は馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「さっきまで俺たちと居たんだぜ」
「もうだいぶ経ってます」
「あの重たい身なりで舟漕いで、単身で島に乗り込んで、島ごと制圧したって?」
「着付けなんて落としちまえばいいんです」
「まさか」
蓮華は顔の前で手を振った。
「考えすぎだよ、お前。まず理由がねえじゃねぇか、彼岸が太客を、わざわざ切る理由が」
「けど」
手下も食い下がり、しかし何を言えばよいのやらといった様子で、口をぱくぱくとさせた。蓮華の身を案ずるが故の反応だろう。それを分かっているのか、蓮華も強くは出られなかった。舟に静寂が訪れる。
「オジキ」
「ん?」
櫂を漕いでいた別の手下が、蓮華を振り返った。それから傷跡だらけの腕を進行方向に延ばす。蓮華はその先を、上体を傾け舟から乗り出すようにして見た。
手下が声を落とした。
「誰か来ます」
直前の会話も相まってか、誰もが顔を強張らせる。舟に緊張が走った。前方の暗闇から、水を掻き分けて進む舳先の気配を感じ取った。蓮華はわずかに、そこから現れた人物が、手下の想像通りの人物であることを恐れ、瞼に力を込めた。
だが、対向してやって来たその一艘に乗っていたのは、彼岸太夫とは似ても似つかない、浪人まがいの風体の、男だった。正確には、そのように見えた。というのも、菅笠をかぶっており、顔までを窺い知ることは叶わなかったのだ。蓮華は、舟がすれ違う合間を見計らい、その男を呼び止めた。
「お前」
「……」
菅笠の男は、大きくは動かずにただ首を蓮華に向けた。蓮華はその刹那、何か。悍ましい何かを感じた。身体がぞくりと震えた。人斬り、という言葉が、彼の頭を過った。
「あのシマ」
彼が先ほどまで話題にあがっていた背後の島を指す。
「やったの、お前か」
「……」
しばしの沈黙が場を支配した。蓮華はじっと、男が答えるのを待った。答えるまで逃さない、と彼の瞳が語っていた。
「……そうだと言ったら?」
男は何故か、試すような口ぶりをした。相手が蓮華であることを、分かっているかのようだった。手下が肩を怒らせる。
「おいテメェ、誰に口利いてるか分かってんのか!」
「やめろ、みっともない」
蓮華が窘めた。
男の乗った舟がそのまま行こうとするのを蓮華の腕が引き留める。
「まだ何か」
菅笠の下で、どんな目で蓮華を見ているのかは彼には知り得ないことだった。かすかに鬱陶しそうな視線を感じた。しかし蓮華も蓮華で、引き下がるつもりは毛頭なさそうであった。
「なあお前、相当な腕利きのようだ。どうだ、俺のとこに来ねえか?」
「オジキ!?」
手下共が舟を揺らした。
「ななな、何言ってるんです、どういうつもりですか!」
「どうもこうもねえ。琴線に触れた」
蓮華は興味深げに男を見つめる。
「幅効かせるのに使えそうだ、お前は。俺の下につけ。好きにしていい」
「…………あっしは流れの一本独鈷」
菅笠の男はそう告げると、首を戻し、それきり蓮華を見ることはなかった。すると彼の乗った舟は、舟同士を繋いでいた蓮華の腕を嘲笑うように、途端に進み始める。漕ぎ手も居ないのに、驚くほど滑らかに。
「あ、おい」
蓮華が声をあげる頃には、男の舟は手の届かないところまで行ってしまっていた。背中を見送るしかできなくなった蓮華は、拳を握った。
「なんだ、惜しいことをした」
「酔狂もほどほどにしてください、オジキ」
眉尻を下げる間もなく、手下共が口々に文句を垂れる。
「何を言い出すかと思ってびっくりしちまった」
「悪い悪い。だが、気に入っちまったもんはしょうがねぇだろ」
「はあー、さっすがはオジキ。そうやって彼岸太夫をオトしたんでしょ」
「はは、なんだか今日はフラれてばっかりだけどな」
「遊女が連れないのは普通のことだと思いますがね」
「だけじゃねえ、今の浪人もだ」
ただならぬ雰囲気を纏っていた、菅笠の男を思い返す。
「ありゃあ相当の手練れだ、ただもんじゃあない」
蓮華は顎をさする。
「うちに欲しい」
「手掛かりなんてないようなもんですが」
「それをどうにかすんのがお前らの役目だろうが」
「おいおいおい、いきなりおれらかよ、そりゃねえぜオジキ!」
「ははは」
彼の乾いた笑いが発されたのとほとんど同時に、舟は再び加速した。
蓮華は上を睨めつける。浮かぶ眸に憎悪を向ける。なんの足しにもならないような、ぼんやりとした光を注いでいた。
「ああ、忌々しい」
それは、蓮華の一番嫌いなものだった。
蓮華は床夜が嫌いだった。
地獄道 歹 山城渉 @yamagiwa_taru
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