人口保護区

宇多川 流

人口保護区

〈照準確認。ターゲット・ロックオン〉

 頭の中に声が響いた瞬間、僕は遅れることなくトリガーを引いた。

 狙いはゴーグルとビームガンに接続されたリストユニットで自動的につけられていて、自分ですることはトリガーを引くことだけだ。訓練は受けてきても最初は敵のグロテスクな。外見に腰が引けていたくらいだけれど、三ヶ月目ともなれば慣れたもの。

 細長いイボのような突起を全身に生やした芋虫のような怪物は一撃で活動を止める。するとすぐに白い掃除屋が現われて怪物を食い尽くしていく。

〈規定の討伐数へ達しました。サポートシステムは帰還します〉

「ああ、お疲れさん」

 相手はAIの自動音声だが、つい習慣で労いの声をかけてしまう。

 でも、いつものことだからか周りも気にしない。

「お疲れさま。昼食がてら、昨日の続きといかない?」

 ビームガンをホルダーに戻しながら、栗色の髪をポニーテールにした戦友が声をかけてくる。彼女とは同期で、ここ数日、僕らはチェスにはまっていた。

「いいね。ミサ。その前に少し、ニュースを見る時間がほしいけれど」

「いいわよ。もう少しでコツがつかめそうなの」

 規定の討伐を終えて歩いて――正確には僕らは少しだけ常に浮いており、この湿った通路とは接していないが、とにかく歩いているようにして移動した。任務中にサポートしてくれる銀色のプローブがいくつか護衛のために残っており、移動に合わせて前後を守ってくれる。角が丸みを帯びた台形に直線の溝があり、溝の中で目のように水色の光が瞬く。見慣れるとなかなか愛嬌もあるし、任務では頼もしい。

 この現場で働いているのは二〇人余り。基本的に十人の交代制だ。僕らがルームに着くと残る十人が見回りに出る。

 ルームは例えるなら、普通の構造物のホテルだ。白い天井に壁、上質なカーペットの敷かれた床、木目の見えるテーブルに椅子、奥にカウンターとキッチン、大きなモニターと個室の並ぶ廊下への入口。観葉植物が飾られていたりもする。入ってすぐのこの空間はホテルのロビーといったところか。

 僕らは自室で装備を外し着替えると、次の当番までは思い思いに過ごす。寝ていようがゲームをしていようが、家族や友人と通話したりVRシステムで一緒に仮想現実旅行に出るのも自由だ。実体を持って外へ出ることはできないが。

 とりあえずのところ、僕のように共有スペースへ戻り食堂で昼食を取る者が多かった。カウンターの向こうにロボットシェフがあり、何でも注文したものを作ってくれる。一応調理場や調理器具もあるので、料理したいという欲求を満たすこともできる。

 どこかの現場で本職はシェフだと言う者が創作料理を振舞ったこともあるらしいが、今のところ僕らの班で利用されたことはない。

「どう、ここの生活は? 早く出たいと思う?」

 パエリアを一口確かめるように味わってうなずくと、向かいの席のミサが問うた。

 僕は今日の昼食に、いつかどこかの資料で見たヨークシャープディングとローストビーフという組み合わせを注文していた。ローストビーフのソースが濃い目で、プディングとよく合っている。

「来る前は不安だっただけに拍子抜けというか、思ったより快適だね。あと三ヶ月と言わず、一年くらいいてもいいかもしれないな」

「そうね、少なくともあたしのアパートより快適だわ。当番期間より長くいたり何度も受け持つと褒賞が出るらしいし、普通の生活に行き詰まったらまた来てもいいかも」

「ああ、外界にこだわりがない者はずっと留まり続ける場合もあるみたいだね」

 べつに外界にいても本気で食うに困ることはない。エネルギー問題は解決し、普通に生活するだけなら労働の必要もない。ほとんどの病は治療できるし、今や人は重力を従え老化も克服した。だからこそ、僕らは問題と向き合ってるんだが。

「どちらかと言うと、宿主になる方が嫌だね。僕には耐えられないよ」

「健康が保てるし――」

 本音を言うと彼女が苦笑するが、それは誰かがつけた大型モニターからの音声で遮られる。

『次のニュースです』

 つられて振り返ると、壁にはめ込まれた画面の中で、女性アナウンサーを模したAIホログラムがニュースを読み上げるところだ。

 僕はニュースを極力見聞きすることにしているが、他の戦友たちも大半がそうだろう。元の外界に戻ったときに社会の仕組みに変化があっても置いて行かれたくはない。

『宇宙開発総合センターは、木製の第三衛星ガニメデのテラフォーミングの初期実験が成功したと発表しました。来月には二千人のテスト参加者が募集され、実証実験が開始されます。成功すれば最大で第一期の移住者を二千万人、三年内に募る予定です』

 アナウンサーのことばに従い、映像が移り変わる。氷の世界に浮かぶような大きなドーム状の建造物、ドーム内らしき場所で動く大型機械。ガニメデから送られてきたらしい、開発作業の様子だ。

『続いて、第五宇宙コロニーの現在の開発状況です。当初の計画の六割ほどさらに巨大となった第五コロニーですが、二度目のシミュレーションテストをパスしました。来月にも十人の募集がはじまり、トラブルがなければ三億八千万人が居住することになります』

 映像は建設中のコロニーのものに変わる。巨大なリング状のものをいくつかに分割したようなパーツが、工場らしき広大な空間に吊るされながら造られているところだ。

 何人が住める、という情報が流れるたび、共有ルーム内で「へえ」、「ほう」、と感心の声が洩れていた。

「どうする、コロニーの住人に応募してみる?」

 興味本位だろうけれど、ミサはそんなことを尋ねてきた。

 こういった募集にエントリーした場合、僕らのような当番期間を終えた者が優先して当選するようになってはいるが、それだって同じように当番期間を終えた者はいくらでもいる。倍率は宝くじを当てるようなものだ。

「あのコロニー、それなりに遠い小惑星の近くに建設するんだろう。狭くても、もう少し地球での生活を楽しみたいね」

 廊下を克服しほとんどの病気が完治できるとなれば、当然人類は増える一方だ。自然の摂理として長命な生物の出生数は少なくなるがそれでも〇にはならず、一定の年から配布クレジットが一世帯単位に変更されたり、使用住居スペースが小さいほどクレジット額が上がることで抑制はされている、というくらい。完全に禁止することは生命の倫理に反する、という感覚は人々に共通していた。

 その結果、一部の保護区を覗く居住域はかなりの人口密度となった。田舎はまだマシかもしれないが、それでも高層ビルが増えて景観や環境について揉めているところもあるという。

 都会はもっと悪いかもしれない。ハニカム構造の集合住宅に住めているのはまだマシで、独身者には地下深くの小部屋、あるいは共用スペースとカプセルベッドの個室、なんてスタイルも増えているとか。

 僕はハニカム構造の集合住宅の大きめのところを住居にしていた。独身者としては破格かもしれない。なんでも、何世代も前の爺さんがそれなりの土地を自治体に寄付して優遇されているという。持つべきものは先祖、だ。

 田舎の両親はもっと大きな家に住んでいるが。歴史的、美術的価値のある家はこの人口過密の中でもある程度保存されている。体裁のために空き部屋を使い〈預り所〉を営んだりもしているが。

「まあ、わたしも地球を離れるよりはここに何年かいる方を選ぶでしょうね。徴兵だなんて批判されたころもあったらしいけれど、単純作業でもないし、多少のスリルも感じられて、上手くできてると思わよ」

「ああ、少なくともここにいる間は人の役に立てていると思うことができる。生活の場としてなにも文句はないね。仮想空間じゃない大自然と触れ合いたいとか、他人の体内に住むなんてとんでもない、という連中には違うのだろうけどさ」

 僕は心から彼女のことばに同意する。

 増え過ぎた人類が住居のひとつにしたのが人体だ。全人類の三割以上が常に他人の体内にいる。住居と言っても多くの人は半年の当番期間を任務をこなしなら過ごすだけだ。当番期間の者、期間が過ぎても再度志願した者や長期居残りを選んだ者、そして法を犯した者は罪の重さに従い人体の中で働く懲役刑が主流になっている。任務は体内からの宿主の健康管理。損傷の修復、任意の菌の数の調整、外敵の排除の手伝いなど。

 こうして他人の体内にいる僕らは肉体ごと来ているのではなく、本体は貸与されたカプセルベッドで寝ている。五感は相応の質量を持つ立体ホログラムの仮の身体に受けた刺激を脳に受信している形だ。体感としては、そのまま小さくなってここにいるのと変わりない。

「それにしても、人間って欲張りよね。若返りも老化停止も実現して、病気もほとんどなくなったのに、内臓をさらに健康に保つのを人間の義務にするなんて」

「ああ」

 食後のコーヒーを手に、ミサの何気ないことばに相槌を打って、僕はふと引っかかるものを感じた。

 病気を克服したということは、内臓の環境も整えられているはずだ。ということは、いったい何のために僕らはこれをやっているのか?

 あらゆる病気を克服はしても、ウイルスや病原菌を根絶したわけではない。予防の一環だろうか。それとも、この任務の必要性は人体には低いが人口抑制のためを主な目的としているのだろうか。これだけ人口密度が問題になっているんだ、地球上を動き回る人間を減らすためと考える方が論理的だろう。

 待てよ、とさらに頭に浮かぶものがある。

 以前、歴史を調べていたことがある。不老を得る薬剤が開発される数年前、懲役刑を受けた罪人たちが数百人規模で特殊な実験のために駆り出され、その実験の参加者は出所が早まるのだというニュースが流れたが、後続の情報や実験の内容は機密だとして出てこなかった。研究記録も調べても存在しない。〈情報が削除された可能性があります〉――調べるのを手手伝ってくれた検索AIはそう言っていた。

 いや、気のせいだ。僕は自分の腹の中を見知らぬ人間たちが動き回っているところを想像してしまい、かすかな腹痛を覚えながら味のしないコーヒーを喉の奥に流し込む。

「約束通り、チェスの相手を頼むね」

 食器の載ったトレイを片付け、ミサは挑戦的に笑う。

「ああ、何局でも」

 頭に浮かぶ不老の薬の正体を追い払おうとする一方で、僕は、自分の体内に何かが住んでいるならせめてナノプローブだけであるように、と祈った。



                                       〈了〉

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