オレと逢ったことを二度と忘れるなよ?

中西ユウ

#1 いつ消える?

 きっかけは頭痛に発熱、嘔吐といった風邪や胃腸炎のような症状だった。復調まで1週間ほどだろうか──行きたくない学校も休みを貰えたし、楽になったら昨日買ってもらった新作RPGでもやるか──そのときはそう軽く考えていた。異変が訪れたのはその4日後──苦痛が和らぎ、布団にもぐりながらゲームを起動しようとした矢先のことだった。


慧流える! 慧流くん! 慧………………」


 フィルター越しに聞こえてくる母の叫び声──。何があったかは分からないが、これが己の最期であるということは本能的に理解した。あまりに唐突すぎて戸惑いこそしているものの、不思議とそれに対する後悔はない。人はいつか死ぬという絶対的真実を物心ついたうちから受け入れているからだろうか──、それが思ったより早かっただけのことだ。唯一心残りがあるとすれば、なぜ買ってもらってすぐにゲームをやらなかったかという己に向けてのものである。仮に中途半端に進めて先が気になるところで一生を終えたら、それはそれでやはり無念だったのだろうか──。いずれにせよ、半年も前から楽しみにしていたものをこのような形で取り上げられてしまったことについてはあな口惜しや──もし来世というチャンスがあったら、次こそはプレイできるといいな──。


 そんなことを思いながらうっすら目を開けると、なんとも眩しい光が差し込んできた。

これがいわゆる永遠の夢世界か──。見たこともない木々──色とりどりの草花──何もかもが新鮮な景色を前に、つい視線があちこちへと泳いでしまう。


「ん? あれは……?」


 ふと、遠目に人影が見えた。同世代の女性らしく、ドレスの裾を持って走っている。鬼気迫る様子から察するに誰かから逃げているのか──などと考えていたのも束の間、


「お願いします! 助けてください!」

「えっ……? あっ……」


 どういうことか尋ねるまでもなかった。彼女が背後にまわった瞬間、眼前には巨大な斧が飛んできた。


「──おや、こんなところに彼氏サンが駆けつけるとは──ずいぶんと運がいいじゃねぇか。なぁ、お姫サンよぉ」

「…………」「……えっ? 『彼氏』?」

 

どうやらこの追っ手はこの女性と自分が恋仲にあると思っているらしい。互いの名前すら知らないのに──と弁明したところで、空気が読めていないことはもちろん、相手が「はい、そうですか」と引き下がるはずもないわけで──。どうしたらこの状況を打破できるか──そればかりが戸惑いだらけの思考回路を駆け巡った。


「ここは僕に任せて早くお逃げください」


 無意識にその一言が口を突いて出た。彼女が戸惑ったことはいうまでもなく──、


「……えっ? でも……」


このとおりさも申し訳なさそうな反応を見せた。だったらなんで「助けてください!」と縋りついたのかという話になるのだが、


「──大丈夫、なるようになります」


 そんなことを突っ込むより先にやるべきことがあるわけで──とりあえず今は敵と距離をおくことに全集中を傾けた。


「このお礼は後で必ずいたしますわ」


 彼女は軽く頭を下げると、こちらの視界から姿を消した。


「へぇ、ずいぶんと勇ましい彼氏サマなことで」

「…………」


 敵は鼻を鳴らし吐き捨てるように言った。飛び道具があるのに、よく数メートル先の彼女の背後を襲わなかったものだと意外に感じつつも、そのぶんこちらに向く殺気はより強まった気がする。

水色の長髪に陽に焼けた肌──。自信の表れとばかりにさらされた筋肉質の腕──割れた腹筋──。モデル体型のような痩身ゆえより逞しく感じてしまう。恰好もゲームに出てきそうな戦士のそれだし、ルックスもおそらく眉目秀麗の部類に間違いなく入るであろう。


「このユミシェル様を前に逃げださねぇとは大したもんだ。よっぽどの命知らずかバカかその両方か──」


 相手は高笑いを響かせて足元の斧をこちらへ向けてきた。


「──今そうしたところで、あなたはそれを許さないでしょう? 無駄なことはしない主義なんです」

「──なるほど、よく分かってんじゃん。あんたの名前は? 愚かな人間どものうちの1人として覚えといてやる」


 その言い回しから察するに、どうやらこのユミシェルは人間じゃないらしい。いったいどんな種族でどういう位置づけなのか──なんとか乗り越えられたら聞きだしたいところだ。


「慧流──樹慧流いつきえるです。周囲からは『いつ消える?』と揶揄われていました」


「クハハ、『いつ消える?』ってか? 今消えろ──」


 切れ長の目で睨まれた次の瞬間、投げつけられた斧はこちらの胴に食い込み、その刃は真紅に染まっていた。


 あぁ──、ここでもまた死ぬのか──。


 まるでゲームオーバーとでもばかりに視界は一瞬にして真っ暗になった。

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