第4話 砕かれた絆、訪れる静寂
「うーん」
健一は早番の仕事が終了し、詰所の隅にある誰も使ってない電カルを使って担当患者の評価をしていた。計画の追加や内容変更もあり、めんどくさい。でもしなければ、と自分を奮い立たせる。これ終わったらラーメンでも食いに行こうかな。そんなことも考えて。
「ようよう、ぽんぽんぽォォんッ!健ちゃーん、ナァーにしてーんのぉ」
奇声と共に健一の背中に誰かが寄りかかってくる。リハビリスタッフの和泉涼くんだ。彼はとても有名で、ほかの部署でも知らない人がいないといわれるぐらい変な奴なのだ。ちなみに主任である。
「う…涼くん重いよ」
「んんー君にはデリカシィが無いらしぃなぁ」
こいつのこういうところは苦手。変わってるけど、本当はいいやつなんだけど、まじでうぜえ。
「患者のとこ行ってこいよ」
「二単位やってきたから大丈夫。てかお前、仕事しろよォ」
「仕事してるわ、つか俺早番で時間過ぎた上でこれやってんだよ。」
「ほう、なら俺っちがかわりに評価してあげる。」
「やーめーろー」
リハの和泉くんは健一のことが大好きでかまちょな人間であった。ちなみにみためはごりごりの筋肉マッチョである。スクラブがパンパンである。そんなマッチョが至近距離で密着してくるとか…もう密です、ギブです。
「つかよォ、健ちゃんの妹さァ、さっきベッドの位置どうしようとか騒いでたぞ。入院くんの?」
和泉は健一の横の椅子に座りなおす。健一は隅っこだし窮屈だなって思っていたが、さらに窮屈なった。物理的に。ちなみに和泉のいう妹は桃子のことである。妹ではない、健一の近くをよくチョロチョロしてる為、和泉に妹など言われているのである。
「転院でくんだって、ここ消化器だけど脳疾患の人みたいでさ」
「マヂ?」
「うん、まあベッドコントロールしないといかんしね。脳外のほうベッドいっぱいなのと感染部屋もあるしこっちに回したんだって。」
「ありゃァ、だから騒いでたのか。今日のリーダーって相原ナースだろぉ、桃ちゃん終わったな。すでに相原ナースキレてるぞ」
健一はふと相原さんの様子をチラッとみる。……ノートパソコンで見えないがキーボードを打つ音が激しい。しかもコール対応のピッチをテーブルに置いてる、これ苛立ってるな。
「俺はもう帰るわ、飛び火しそう。」
「俺っちも戻るワン」
健一は静かに片づけ始める、だが和泉のでかい体のせいでまともに片づけられない。マジで邪魔。そういやなんでこいつ詰所に来たんだろう。
「てか涼くん、なんでわざわざ理学療法室からこっちまで来たの」
「いやさあ、健ちゃん俺っちのパイン返信してくれないじゃん、だから来ちゃった」
「来ちゃったって…」
マッチョから来ちゃったなんて言われたくない。まあ腐っている人ならまあ違うのかもしてない。だが健一にとっては気持ち悪いものである。
「健ちゃん、今日飯食いに行こうぜ、積もる話もあるしさ」
「いや今日は無理だ、美咲うちに来てるんだ」
「は、あいつとまだ続いてんの?マジで?」
和泉は健一の言葉に驚く。一度立ち上がろうと中腰になったが、また座りなおした。
「ああ、うん…まあね。」
健一は口籠もりながらも答える。和泉の話すことも分かっているのだ。健一としてはいくら冷めた冷めたと思いつつも、家族から見捨てられ、取り巻きからも見捨てられた美咲の近くにいてあげたいというのも本心なのだ。
「マァヂかよォ、いい加減あきらめて別の女にいけよ」
「いや、あいつ一人ぼっちになっちまうもん」
「一人にしとけぇ、んなもん知るかってなれ」
「いいところあるぞ、優しいしさ」
健一の返した言葉に頭を抱える。一見優しく見えるがそうではないのだ。病棟のスタッフよりは健一と親しく付き合っているため、和泉には分る。
「いいか健ちゃん、優しいやつは彼氏の腹ァ殴ったり、物に当たったりシネェンダワ」
「う…」
「おめえ美咲ちゃんのためを思うなら一度身を引いて成長させるべきだぞ。」
「でもな…」
「お前が別れたくないだけだろ、よく考えろよ健、それは優しさじゃねえお前のエゴだ」
「……わかったよ」
痛いところを突かれた、健一は胸に刺さった言葉を思い返す。自分だけになっていた。
「ももこオオオーーーー!!!!!」
「す、すみませえええええん」
詰所入口から声が轟く。詰所の中にいるスタッフは驚き声のするほうへ顔を向ける。なかには声の近くに行こうと立ち上がる人もいる。
「あ、噴火した」
「うわあ…」
ここ病棟だぞ、患者さんのこと考えろよ静かにしろよ、と少し苛立っていた健一は心の中で毒づく。
急に雨模様になってきたため和泉と健一は片付けをし始める。すると近くへ師長が静かにやってきた。
「お二人さん、いい加減帰りなさい」
師長の静かな圧が二人を襲う、怖い。
「あ、すみません師長」
「師長帰りまあス。その…桃子ちゃんメッチャ怒られてますけど」
和泉は声のほうが気になっているためか、師長の圧から気を紛らわそうとしたのか、桃子のことについて話した。
「ああ、左麻痺患者さんなのにベッドを左乗り降りにしちゃったみたいよ。」
師長はバインダーを胸に抱き、左手の指でこめかみをぽりぽりと搔きながら話す。困ったような表情をしていた。
「「あちゃァ…」」
健一と和泉は同じタイミングで声が出た、そしてため息も。
「ずみまぜんんん相原ざんんんん」
「もう患者さんと家族来てるでしょ!!あんたは!アナムネでもしてきなさい!!」
♱ ♱ ♱
あの病棟の一件のあとアパートに戻った。アパートに帰ると美咲の脱いだ衣類や食べたごみとかが床に落ちている。衣類はかごへ、ごみはゴミ箱へと部屋を歩きながらすぐ片付ける。美咲はベッドに横になりスマホで何かをみていた。
「ただいま」
「おかえり、お腹すいたんだけど。早く作ってよ。」
「あ、それなんだけど」
無言で健一のほうへ振り返り見つめてくる美咲に圧を感じる。美咲も何かを感じ取ったのだろう。
「……女?」
「違う、リハビリの和泉くん。和泉涼っていうの。その人にご飯誘われてるんだ。付き合いだし大事にしたいから行ってくるよ。」
「ふーん、どうぞ、ご勝手に。」
なんか言い方に棘がある。今日はまだいいほうなのかな。
「…美咲はどうするの?ご飯だけでも俺作ってくよ」
「あ、別にそういうのいいから。私も男友達と外で食べてくる。」
「……そ、そう」
「うん、健一とは違って、私のことを、たーいせつにしてくれる男の人。健一は私より付き合いのほうを大切にしてくるんでしょう、私は私で大切な付き合いを大事にしてきます。」
「…わかったよ、楽しんできておいで。」
健一と和泉は飲み屋街を歩いている。
「健ちゃん、どこに行く?」
和泉が声をかけてくれているが健一は先ほどの美咲とのやり取りで頭が一杯であった。なんで美咲はなんなことをしたの。何が気に入らないの。面白くないからって言っても男友達なんて、なんでそんなやり方するの。
「おーい、健ちゃん、大丈夫か?」
和泉はポケットに手を突っ込みながら健一を振り向いてた。健一はいつの間にか立ち止まっていたようだ。
「ああ、ごめん」
「こりゃあ相当だな、話聞かせろよ。」
「うん。あ、ここの店にする?」
健一は少し疲れたような声で横にある飲み屋を指さす。和泉も気に入ったのか健一の方に腕をのっけてともに入っていく。近くのカウンターに座るとお冷が出てくる。和泉はお冷を少し飲んでから健一に向き合い口を開いた。
「で、何があったのよ。まあ大方予想はつくけどよ。」
「実は…」
健一はアパートに帰った時の状況と美咲とのやり取りについて話した。和泉は呆れと苛立ちの混ざった何とも言えない顔で最後まで話を聞き、深くため息をついた。
「はあ……なんかよ。何度も言うけどよ、おめえほんと別れろって」
「うん、今回ばかりはあんまりだな…て思う」
「いや今回もなにも最初からやべえだろ。てかさっきからパインパインってうるせえな通知きてんぞ」
「え、ほんとだ。」
スマホの画面にパインの通知でうまってる。こんなにきてたのか。わからなかった。
「最近多いんだ。通知気が付けなくて。」
「疲れてんじゃねえのか、美咲ちゃんのせいで」
「そうなのかもね…この前、朝起きたら眩暈してさ、立てなかった。」
「おいおい、病院行って来いよ。明日は休みか?何ならついてくぞ。」
和泉は心配そうに健一に話す。和泉にとって真面目に真摯に仕事をする健一のことが好きなのだ。優しいところもある、ただその優しさで身を滅ぼしそうになるからこそ和泉は健一のことを弟みたく気にかけてしまうのだ。
「一応、明日は日勤だし、課長に休みとれるか確認してみるよ」
「そうだな、そのほうがいい。ところでその通知はまさか美咲ちゃんか」
健一は恐る恐るスマホのロックを外し通知を確認する。内容をみて食べたものがせりあがってくる。和泉も少し顔を近づけて。内容を見てみる。
≫ [美咲]
いまご飯食べてるよー。健一と違って優しい男の人だった、健一もこうなりなよ、だからダメなんだよ。
≫ [美咲]
わたしの髪綺麗だってー、ほんと見る目ある人。今日は奢ってくれるって、誰かさんと違ってほんと優しい。かっこいいわ。
≫ [美咲]
夜景綺麗でしょ、写真送ってあげるから楽しみなよ。
あんたのためを思っていつも私が奢ってるけど、奢ってもらうのはほんと気持ちがいい。私の価値をちゃんと知ってる。
健一は顔が青白くなっている。和泉は皺の酔った顔で見ていた。
「なんなんだろうね…おれ頑張ってきたのにね。なんでこんな……お金のことか本当に……」
和泉は健一に「すまんスマホ触るぞ」と声をかけ、最新の通知を確認する。そこには嫌悪する内容が書いてあった。
≫ [美咲]
今日は彼とお泊りしてくるから。
ちゃんと部屋片づけておきなよ。私の服高いんだから、帰ってきたときそのままだったら絶対に許さない。
和泉は声が、健一にかける言葉すら出てこなかった。
健一はスマホを握りしめ、テーブルに顔を伏せている。
(……少し、疲れた…)
そう、心の中に呟いて。
静寂の中で響く愛 平岡夏子 @natsuko1125
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