第3話 高嶺の花弁、ヒビ割れた花瓶




 あれから二週間ほど、経過した。


 あの後、桃子は健一と食事に行くことができた………そう、4人で。それも健一からの提案で、リハビリの和泉くんと佐々木さんを混ぜてでの食事となってしまったのだ。


 なぜだ…、桃子は心の中で泣いた。あれか、お誘いの時間違えてしまったからなのか。なぜ…。


「どうしたらいいんですかね…」


 桃子はメンタルが崩れていた、それはもうオーラで見えるくらいに。いまは遅休憩で病棟の頼れるヘルパーの森田さんとご飯を食べている。森田さんはいつもの豆腐バーをかじっていた。


「なんだい男に振られたのかい」


「いえ!決して振られてません!断じてそれはもう!」


 桃子は森田さんに弁明する、違うぞ、絶対に違うぞ、と願望を織り交ぜて話した。森田はその姿を見てあきれた様子で話しかける。


「あんたもねえ、いい年なんだし見向きもしてくれない男なんて捨てといてさ。もっといい男探しなよ、ゴロゴロいるよ。」


 桃子は森田の言葉には揺らがなかった。たかが少しだけ失敗しただけ、これから挽回できる。そう思いながらカップラーメンを思いっきり啜った。


「そういやさ健一いるだろ、あいつまあだ例の彼女と付き合ってんだわ。」


「ブッ……!え、例の彼女?」


「うん?あんた知らなかったの?ああ、まあ昔からいる人じゃないと知らないか。あいつの彼女さ、それがまたやべえんだ。」


「……やばい?」


 桃子はついこの前存在を知った健一の彼女の話になり驚く。


 めちゃくちゃ知りたい。


 すっっごっく知りたい。


 なんかプロフ画は仲良くツーショットだったけど……あ、結構前とか話してたっけ。確かあまり好きじゃないとか言ってたし。


「……すんごく知りたいです」


 桃子は食い気味で答える。それはもうマスクを着けて斜め後ろのソファーにいる森田さんに振り向いて身体を近づくぐらいに。


「お、おう……、昔な健一が夜勤で来た時があってな、めちゃくちゃ元気ないことがあったんだけどよ、よくよく聞いたら健一、彼女からDV受けてんのな。」


「……は?」


 え、あのDV? なんで男の人なのに? え?


「あんたDVって男がするもんだと思ってるだろ、世の中ってそういうもんじゃないんだな。健一の胸と太もも背中とかに内出血すんげーあったんだよ。」


 え、なんでこの人、健一さんのそんなところ知ってんの?

 

 え? ちょ、え? もしかして、え??


「夜勤中にトイレ誘導してる健一がさ、すんげえ変な姿勢でやってっから変でさ。腰痛いとか言ってるから、一緒に手伝ってたら服の隙間から見えたんだ。どしたそれって聞いたら話してくれてさ、そんとき見せてくれたんだ、ありゃあ酷かったわ可哀想だった。」


 森田は話し終えた時にため息つく、顔はすこしばかり曇っている。打撲痕を思い出して不快になっているのだろう。


「そんなに、すごかったんですか」


「んだ、さっさと別れるよう話したんだ。でもあいつ頑なに別れないって話すのよ」


「好きとか、なんか情とかなんでしょうか」


 桃子は真剣な顔で聞いてるため森田はふと気になって聞いてみる。


「何、あいつのこと気になんの?」


「な、ちょ、違いますよ森田さん、もー、やめてくださいよーあははは」


 …これはまた。

 確か、普段からの接し方や距離や、何よりこの話の食いつきと反応……ああ、こいつ健一のこと好きなのか、と森田は思った。しかし同じ病棟の男をねえ、トラブルの種発見しちゃったわ、芽が出る前のやつ。


 森田は少し考えるようなそぶりをしてから桃子に思い出したかのように話す。


「そういや…あいつ言ってた言ってた『俺がいなくなったら美咲は一人ぼっちになっちゃう』って。美咲ちゃんっていうらしいよ桃子」


「……」

 桃子はすごい顔をしている、こいつ梅干しでも食ったの?すんごく顔中皺だらけなんだけど。


「そんなに気になんならさ、離れてついていったら。愛しの健一は今日その美咲ちゃんと会う約束してるみたいよ。」


「い、い愛しとかそんなんじゃありません!!違います!!ていうかそれじゃストーカーじゃないですか!」


「はいはい、はいよー」


 森田は苦々しい顔をしながらほうじ茶を啜う。

 おーあちいーあちいーッ…おぇッ、と心の中で呟いて。






           ♱ ♱ ♱






 健一は自室のソファーで横になっていた。今日は夜勤明け、草臥れた体はスライムと化した。


「……いてぇ」


 あの電話の後、美咲は健一のアパートに乗り込んできた。泣きながら話す美咲を宥めていたが携帯に職場のスタッフからのメールが届き、通知を見た美咲は暴れ始めた。


 こうなると美咲は止まらない、健一は美咲の気のすむまで寄り添い続けるしかないのだ。健一も最初も今も嫌な気持ちを抱くが、唯一違うのは慣れたということだろう。


「あの通知、女じゃない、なんなのよ」


「うんごめんね」


「ごめんねじゃないわよ、私のこと一人にするんでしょう」


「違うよ、一人になんかしないよ。それに職場も殆ど女性が多いし」

 健一はたまに余計なことを言う。その後、鈍い音と共に痛みが走る。


「何よ、何なのよ」


「……ごめんね、大丈夫だよ。一緒だから」


「大丈夫じゃないわよッ」

 後ろの方で何かが割れる音がする。リモコンか何かを握っていたから、投げたのか。


 健一にとって何もこれは異常ではない。健一の記憶の中の家族というのはこういうものだ。だから慣れている。慣れてしまっているのだ。だが多少は苛立ちもある、ただ美咲の生い立ちも知っているため、健一は寄り添うことはできても見捨てることは絶対に出来ないのだ。







 美咲は小さい頃から育児放棄を受けてきた。


 美咲の両親は仕事や職場の付き合いを理由に、祖父母に美咲を預け続けていた。両親達は休日になると自分たちだけで楽しむことが多く、美咲と遊ぶこともなかった。自分のことを迎えに来た両親と祖父母達はよく口論になっており、その騒ぎ声がとても辛かった。唯一救いだったのは、祖父母達が献身的に美咲の面倒を見てくれていたことだ。


 美咲は中学生の時に父親からあるものを渡された。金色でとても軽くて薄く、変な鎧兜を被った男の横顔が印字されている。その綺麗なカードは父親名義のクレジットカードであった。当時の美咲は何を渡されたかも理解出来なかった。美咲の好きなだけ使っていいと言われたが、父親と母親に対する憎悪が大きく最初は反発するように部屋の隅に投げ捨てていた。


 何日かして、そのカードが自分の好きな物がたくさん買えるすごい物だと知った。友達に奢ったり、高い服や化粧品、身の回りをブランド品で揃えたりなど、気がついた時にはショッピングに明け暮れて祖父母の元に帰るのも深夜になることも多かった。祖父母は心配をしていたが、美咲はその声にも反発をするようになっていく。なぜなら心の隙間が埋まっていくのを邪魔をしてくるような気がして。


 月日が経つと美咲を中心としたグループができており、美咲に嫌われないように、美咲のおこぼれを貰うような人たちで埋め尽くされていた。健一に出会う頃には、美咲にとってそれが日常であり、周りの人たちは自分の心を埋めてくれる大切な存在となっていた。








 健一と美咲の出会いは偶然のようなものだった。


 健一は看護学校に通っていた時、同級生の女子から飲み会を誘われた。実習明けということもあり溜まったストレスを発散するべく、はしゃぎながら皆んなで飲み屋へ向かった。飲み会の最中、無邪気な笑い声と騒がしい話題に囲まれていた。しかし、突然後ろから水のような液体がかけられた。彼の背中が冷たく感じられ、喧騒の中で一瞬の沈黙が広がった。


「もうあんたなんか、こりごりなのよッ…!!!」


 振り向くと、後ろの女子グループの一人が、激しく言い合いをしながら相手の女性(健一の背中合わせに座ってる女性)へ水を浴びせたようだった。だが大部分は後ろにいた健一にかかってしまう。


 水をかけた女性は、濡れた健一と周りから鋭い視線に気がつくと慌てて荷物をまとめて帰っていった。緊張感が漂う中で、健一は黙ってその子を見送る。


 水をかけられた女性は黙っていた。他のグループの人たちも気不味そうに少しずつ帰っていく、水に濡れた女性だけを残して。


「大丈夫ですか?」


 健一は彼女の濡れた服を見て心配そうに声をかけた。声を掛けられたと気づき、彼女は健一の方へ視線を寄越す。


 切れ目で冷たい瞳、濡れた髪と服が目に付く。少し威圧感があるが嫌な感じはしなかった。むしろ健一は、なぜかは知らないがその女性が心配になってしまった。


「貴方もかかったんですね……はぁ、あいつ……。これ、クリニーング代としてとってて下さい。それじゃ。」


 健一は1万を手渡される。驚いた健一は慌てて、立ちあがろうとするその子に1万を返す。


「いや受け取れないよ。んなことよりも服濡れてるし…これ羽織なよ、迷惑ならごめん。店員さーん!」


 健一は飲み会に来てきたジャンバーをその子にかけて店員を呼ぶ、静かだった喧騒も少しずつ取り戻してきた。その子と店員とのやりとりに付き合い、ある程度して席へ戻ってくるとクラスの女子と他校の子達から話しかけられた。


「健一くん大丈夫?」

「何あいつ感じ悪ッ」

「てかあんたもさ、あんな奴に付き合ってないで座ってなよ」


 健一は吐き気を少し感じる。


「空気悪くなるんだけど」

「あのさ健一くんこっちきなよ濡れてるでしょ」

「次の店どうするー?」

「今度の課題終わんなくてs……」

「……あかまつ先生妊娠したんだって」

「え……あの年でとか笑えるんですけど…」

「次、統合……国試…」

「………に出る…」


 不快な音に耳を閉ざして、唯々時間が過ぎ去るのを健一は待ち続けた。





………


……





 これが美咲と健一が出会った最初の出来事だった。健一は入り口まで送った際に美咲から連絡先を交換して欲しいと言われ交換をした。


 後日、美咲からお詫びに喫茶店でお茶の誘いがあった。あれから大丈夫かと少し気にしていた健一は、美咲に会いに出かける。


 それからも何度か会うたびに健一は美咲の中に、自分と同じ共通点をみつけ次第に惹かれていく。美咲も健一に対して取り巻きの女性たちとは違う、暖かくて気持ちの良い優しさに触れ、自分を深く受け入れ包み込んでくれる初めての感覚に惹かれてしまった。



 気がつくと、健一と美咲は恋仲となっていた。

 


 周囲の強い反対を押し切って。








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