第2話

 そう言って玄関を出ると、白く滑らかな地面から直径一メートルくらいの円筒形が現れた。それは俺の背丈より少し高く、透明な物で出来ていて中は空洞だ。スライド式のドアが開き、それに乗り込むと、そのまま垂直に空へと上がっていく。これは個人用移動カプセルだ。中に制御盤があり、出勤ボタンを押すと登録されている会社へとダイレクトにつながる。移動の仕方はシンプルで、空には無数の透明な管が見える。その中をカプセルたちが通って行くのだ。すべてがコンピューターで制御されているから、渋滞も事故も皆無だ。時々不具合が生じ、アラームと共に停止することはあるが、すぐに復旧する。素晴らしいシステムと管理体制だと、常々感心している。

 ピーッ。キュルキュルキュル。到着すると、小さなブザーとブレーキ音が鳴る。そのまま垂直に降下すると、そこはもう会社の正面玄関だ。

「おはようございます」

 受付の山名加奈子が、いつもの作られた可愛い笑顔で挨拶してきた。

「おはようございます」

 俺も営業スマイルで返してやる。お互いの腹を探られない程度の距離を置くのが人と付き合うのにベストだ。そういうことを、この仕事に付いてから学んだ。こんな時代だから、俺の商売も上がったりだ。客が望むものを売るようにしているが、それじゃあ、あまりいい成績がとれない。三階の営業部へ行くと、みんな始業のラジオ体操のため、立って柔軟をしていた。

「おはようございます」

「おっ、十日連続で無遅刻だな。あの目覚ましが効いているんだろう」

 営業部長の高田がいつもの良く通る声で言うと、みんなが大笑いだ。

「そうですよ。おかげ様で遅刻はなくなりましたが、知ってますか? あの目覚ましの機能」

「いいや。それはシークレットって、表には書かれていたからな」

「はあ、そうですか。まあ、いいですけど」

 事務担当の若杉さんがコンパクトオーディオ機器のスイッチを入れると、ラジオ体操の音楽が始まった。ここに来ると、ちょっとほっとするのは、こんなアナログなことがまだ残っているんだと安心するからだろう。朝礼では、昨日までの個人の成績と、これからの目標と、今月達成しなければならない事についてと、営業方針を全員で暗唱する。それから、それぞれが自分のペースで出かけていく。

「それじゃあ、行ってきます」

 俺も今日は、割と大手の会社にアポを取っていた。法人向けの保険でちょっと大きな物を提案中だ。納得が得られるまで、時間をかけてきたが、今日が正念場。決算まで時間が迫ってきている中、他の保険屋に持っていかれないように、決着をつけたいところだ。

「早瀬、ぬかりはないな? 決めてこいよ!」

 部長がそう言って、軽く肩をたたいた。

「はい。もちろんです」

 決め時はここだという俺の判断に鈍りはない。ただ、客側も損の無いようにできるだけ有利な契約を望んでいる。どこの保険屋でも、大体同じような保険を扱っている。今回提案中の法人向け逓減定期も返戻率が似たり寄ったりの中、うちの商品が若干高い。それが売りで押してきた。だが、大手の会社だけに、付き合いの長い保険屋はいくつかある。

 会社を出ると、個人用移動カプセルが地面から出てくる。移動先を指定すると、即座に動き出し速やかに移動する。今回の客は、土木建築用機械の販売レンタル等の会社の社長だ。敷地内には重機がいくつもあり、大型トラックが一台、クレーン車を載せて出かけるところだった。運転手に軽く会釈して、事務所へ行くと、受付謙事務の女性が俺の顔を見て、

「早瀬様、お待ちしておりました。社長は奥の部屋におります」

 といつものように、愛想のない地味で事務的に案内してくれた。

「やあ、どうも。お待ちしていましたよ。さあ、座って。斎藤君、コーヒーをお持ちして」

「あっ、いえ。お構いなく」

 これもまた、いつものお決まりだ。

「相変わらず、お忙しいようですね」

「いや、いや。貧乏暇なしってな」

「いえ、いえ。ご謙遜を」

 面白くもない無意味な会話を軽くした後、本題を切りだす。それが、営業の基本だ。

「早速ですが、先日から詰めていた逓減定期の件について……」

 もちろん、この件についての商談は成立した。サクサク仕事をこなし、あとはのんびり日暮れまで、喫茶店の香り高いコーヒーと、時代において行かれた古い紙で出来た本とインクの匂いに酔いしれていた。テクノロジーに囲まれたこの世界に、こんな場所なんて、本当はありはしなかった。ここは客の望む仮想空間を楽しむプレイランドだ。現実に返ると虚しさだけが残る。けれど、まるで中毒のように止められないのだ。いったん帰社すると高田部長が、

「早瀬、成果はどうだ?」

「もちろん成立ですよ」

 部長も満足そうな笑顔だった。日報をPCに入力して、カプセルで家まで直帰。いつもと変わらない健全で平和で何も起こらない毎日。そのマンネリ化から、退屈さを感じる時、現代の人々はやはり仮想空間へと逃げ込むのだ。家に帰れば、遠く離れた会ったこともない人々とネットでつながる。

「ただいま」

 俺が帰ると、家事ロボットが小さな車輪の音をさせながら出迎える。

『お帰りなさいませ健人様』

「ああ」

 上着を脱ぎ、靴下を脱ぐとそれらをロボットが受け取ってくれる。

『お疲れさまでした、お食事の用意ができております』

 ダイニングへ行くと、スレンダーな体つきのヒューマノイド型ロボットがいた。

『お帰りなさいませ、ご主人さま。お食事のご用意ができております』

 より人に近い、アンドロイドというやつだろう。

「どういうことだ?」

 俺はおばちゃんロボットに聞いた。

『はじめまして、わたくしはPRS1933678です』

「お前に聞いてない。おばちゃんに聞いてるんだ」

『私はM536958です。私は古くなりましたので廃棄ということです。これからはこの新しい型の家事ロボットが配置されます』

「だめだよ。俺は認めねえぞ。このロボットは返す」

『それはいけません。ご主人様の意思は受け入れられません。M536958は廃棄処分と決まっています』

 そう言って、新型ロボットはおばちゃんの後ろに回り、背中を開けると、スイッチを切った。小さなモーター音が消えた。

「何するんだ!」

 俺はロボットをはねのけようとしたがビクともしなかった。見た目は普通の女性のようだが、質量はものすごくあるらしい。

「どいてくれよ」

『はい、ご主人様』

 おばちゃんの背中を開けて、スイッチを入れたが、まったく反応がなかった。

『もう、動きません。マザーとの通信を切りました』

「何だって? 俺にはこいつが必要なんだ。お前じゃない」

 新型ロボットの後ろに回ったが、おばちゃんのように背中に扉は付いていなかった。

『何か、お探しでしょうか?』

「ああ。お前を止めるスイッチだ」

『そんなものはありません』

「じゃあ、どうやって止めるんだ?」

『止めることはできません』

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未来型生活 白兎 @hakuto-i

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