夢ふたつ:ハートキャッチ・デュオ

  ・外。住宅街の歩道。


  〇蝉の鳴き声。

  〇靴音。


 咲仲、あなたの左側を歩く。


「あつーい。夏って年々暑くなってないー?」


「えー、ずっと部屋にいてエアコン浴びてたら、弱くなっちゃうじゃん」


「んー、まあ、戦うなら社会とか?

 やっぱ、最後にものを言うのは体力だよ」


「そりゃ、涼むためにエアコン借りにきてるけどさ。

 べつに、だれの部屋でもよかったわけじゃないんだよ……」


「数年ぶりに会えたんだ。

 部屋で記憶を振り返ることもできるけど、せっかくなら、思い出をなぞってみたいじゃん」


「それとも、さ」


 咲仲、駆け出して、あなたのほうへ振り向く。


「忘れちゃった、わたしとの思い出なんて?

 ……いーよ、答えなくて」


 咲仲、追いついたあなたの左隣を再び歩く。少し距離が近い。


「憶えていても、憶えていなくたって、今日は、なくならないから」


「あの日と変わらない思い出を、一緒に作ろうね」


  〇一瞬、近づくように大きく聴こえる蝉の鳴き声。

  〇風鈴の音。


「風鈴だ。こんな暑いのに、窓開けてる家なんてあるんだ」


「涼しいね。暑いけど……なんか、涼しい。

 家につけたらエアコンなくてもさ、夏、越せるかな?」


「ん、わかってる。熱中症になっちゃうよね。

 ちゃんと、きみの部屋にお世話になるよ」


「でもさ、いいなって思うよ。暑いのに、涼しい。そう、感じられるって。

 さわれるものだけが、わたしじゃないことが、とてもいいって思う。

 きみはどう?」


「そっか。うん、この夏がきみの答えを聞かせてくれた。

 暑いけど、感謝だ」


「あは、そうだね。夏じゃなかったら、再会してないよね。

 暑くて呪わしかったけど、好きになっちゃいそうだ……この夏が、忘れがたい。

 きみにとっても、そうだと嬉しいな」


「ん、なんでそんなふうに言うかなぁ。

 そりゃ、エアコンの魅力は、今この瞬間だからこそ輝いているよ。お姉さんもそう感じてる。

 でも、せっかくお休み重なって、いっしょにお出かけしてるんだよ。少しは楽しむふり、だけでもしてくれないかなぁ」


「正直は美しいけど、美しいものはときにひとを傷つけるんだよ」


「ん、よろしい。(満足げに笑う)。

 ほら、目的地までもう少し。がんばって」


  ・公園。


「んー、やっぱりこんなに暑いと子供も遊んでないか。

 ほら見てみてよ、あのブランコ。持ち手のとこあつそー」


「まだ帰らないよ。なんのために汗だくになりながら公園まで来たと思ってるの?」


「まずは水分補給。(水を飲む音)。

 ……はぁ。ちょっとぬるくなってるね。ほら」


 咲仲、あなたの右頬にペットボトルを当てる。


 〇水の揺れる音。


「冷たくないでしょ? ……ん、わかってるって?

 それもそっか。一緒に買ったもんね」


 咲仲、ペットボトルを離す。


「ほら、きみも飲んだ飲んだ。倒れても、お姉さん運んであげられないよ。

 きみが重いとかじゃなくて、非力だからね! ほら、んにゅ」


 咲仲、力こぶを作るジェスチャー。白い細腕に変化はない。


「知ってるって? それならよし。えらいえらい。

 じゃあ、はじめよっか」


「うんやるよ。わたしたちの夏と言えば、これ」


 咲仲、もう片方の手に握っていたゴムボールを胸の前に掲げる。


「キャッチボールなんだから」


「ゴムボールだからグローブはなくても平気……あのときといっしょ」


 咲仲、駆けて距離を作る。


  〇足音。


「このくらい離れてた……今は、少しは成長したから、あのときと違って、届くはず……!」


 咲仲、ボールを投げる。山なりの軌道を描いてあなたの手のなかに届く。


「ほら!

 違ってることも、悪いことばかりじゃないね!」


 あなた、投げ返す。咲仲、慌てながらキャッチする。ボールのやり取りが続く。


「懐かしいね。体育祭でさ、わたしこんなだから、ぜんぜん活躍なんてできなくて……ほとんど見学みたいなものでさ」


「もどかしくて……あんなふうに速く走れたら、もっと力があったら……そう、毎年思ってて、三年になっても変わらなくて」


「後片づけも終わって、部活が始まるグラウンドを見て、思ったよ。

 自分のチームが勝ったのか、負けたのか。そんなことすら忘れて。

 このもどかしさと、これから一生付き合っていくしかないんだって」


「そんなことを賢しげに、中学生のわたしは、さも世の真理を受け入れたように考えてたんだよ。思春期って怖いね。

 ま、あながち間違いでもなかったんだけど」


「そんなときだよ、きみに声をかけられたのは。

 その頃には親密なお付き合いを……ん、わかったわかった。語弊を生む表現は控えるよ。だから球を強く投げないで。

 ま、なんだ。どう言い表せばいいのかな、きみとの関係は」


「友達と呼ぶには、お互いのことを知らない。けど、他人と呼んでしまうのは寂しい」


「ま、呼び方はともかく、知らない仲じゃなかったわけだね。

 顔も知らない相手ならともかく、きみ相手なら、むしろわたしの受け入れた答えを聞いてほしいくらいに、清々しい気分だった。

 疲労なんて気にせずに、振り向いたのを憶えているよ」


「そしたらきみ、なんて言ったか憶えてる? いやいい、わたしに言わせて。今でも耳に残ってるんだ」


「体育祭を始めましょう、だよ」


 咲仲、あふれ出る笑みをこらえられずに笑う。


「震えたね。わたしはなんて小さなことで悩んでいんだって思ったよ。

 あの日ほどきみに、先輩と呼ばれて恥ずかしかったときはない」


 咲仲の投げたボールがバウンドしてあなたの足元に転がる。


「肩が疲れてきたみたい……距離を、縮めてこ」


 咲仲とあなたはわずかに歩み寄りながら、ボールを投げ合う。


「きみがテニス部から借りてきたソフトボールで、体育館の裏でキャッチボールをしたね、今みたいに……今が、その思い出をなぞってるんだけどさ」


「どうするか、でしかなかった。できないなりに、できることはある。

 それは小さなことかもしれないけれど、そうして生まれる幸せがあるって、きみに教えられたよ」


「だから言いたかったんだ。

 ありがとうって。

 あの日にも言ったけど、今も、きみに感謝してるんだ」


「……へ?」


 あなたの言葉に、咲仲はボールを取りこぼす。


「あの日と同じ距離で投げたから、言葉にしなくても、伝わってる……?」


「ずるい言葉だね。ずるいや。きみが思い出したのか、憶えていたのかわからないのに。

 ……いや、違うね。大事なのは、そうじゃない」


 咲仲、落としたボールを拾い上げる。


「伝わって、嬉しいよ」


 咲仲、あなたの胸元にボールを押しつける。ふたりの距離は、手を伸ばせばふれられる近さ。


「帰ろっか。汗だくも汗だく。ここ来るまでも服べたべただったけど、キャッチボール初めてからもう止まんない止まんない。

 え、シャワー先使っていいの? その間に買い物行っててくれるんだ。

 んー……じゃあ、ま、甘えようかな。

 かわりにご飯はわたし、作るよ。まかせて」


「じゃ、行こっか」


  〇足音。


 咲仲、数歩先行して、振り返る。


「キャッチボール、どうだった?」


「言葉にしなくても伝わってるはずだって?

 そりゃ、そうだね。きみはそういうひとだって、知ってる。わたしときみの関係は、そういうものだ」


「でもね、ちゃんと言葉にして聞きたいの」


「このキャッチボール、きみの思い出になった?」

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