草原の魔女
風鈴はなび
草原の魔女
"魔女"
それは、この世界における絶対的な存在、魔術を極め魔法へと至った者の総称である。
ここ数万年の歴史で"魔女"と呼ばれた者は幾人かいるが、その中でも特異な者が一人。
遥か西にあると言われる"落陽の丘"を目指し続ける"魔女"。
人々はその者を…
"草原の魔女"とそう呼んだ。
これはそんな"魔女"と"一人"の青年のどこにでもある様な寝物語。
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「…ん?どうした、眠れないのか?」
こくりと頷くと彼女は椅子から立ち上がり、メガネを机に置きこちらに歩み寄る。
「そこに座って待っておれ。温かいミルクを作ってきてやる」
そう言って彼女は自分の使っていたマグカップを手に部屋から出た。
それからしばらくして…
「ほらミルクだ。舌をヤケドするなよ」
コト…
ほのかに甘い香りのするミルクが目の前に置かれる。マグカップを手で包んでみるとじんわりと手のひらに温もりが広がるのがわかる。
「まったく、だから言ったろう?昼寝なぞしたら夜眠れなくなると」
椅子を引きながらため息混じりで彼女は目の前に座ってくる。
そしてメガネをかけ直し、栞を挟んだ本を読み始める。
ミルクを冷ます息とページをめくる音が静かに部屋へと消えていく。
「…どうだ?多少は眠くなったか?」
ミルクを飲み終えると、そう問いかけてきた。
少し間を置いて、首を横に振る。
「ミルクごときで眠くはならんか。はぁ…仕方ない私も少し休むとするか…」
彼女が本に栞を挟みパタリと閉じ立ち上がり、こちらもそれに合わせ反射的に立ち上がる。
「ほれ行くぞ」
隣の寝室へ行くだけなのだが、部屋の外の寒さが嫌でもじわりと身体に染み付いてしまう。
彼女がドアノブに手をかけて捻るのを後ろで見つめる。
ライトの光にぼんやり照らされたベッドにはもう温もりなどは無いように見える。
「今夜はやけに寒いな」
はぁ…と吐いた息で手を擦ると、彼女はベッドに向けて人差し指を向けひょいっと動かした。
その瞬間にまるで毛布が意志を持ったかのようにベッドの上が整う。
「ほれ、早う来い。一人ではお前も寂しかろう、私も一緒に寝てやるさ」
毛布に入り込みポンポンとベッドを叩いてから彼女が毛布の端をつまみ上げる。
「人間というのは人肌に触れていれば不思議と眠くなるものだ。"昔のお前"もそうだったぞ?
まぁ…"今の私"を人と呼ぶのは些か変だがな」
一連の発言に少し戸惑いながらも毛布の中へ誘われていく。
数刻前には確かにあったはずの自分自身の温もりは感じないが、彼女の体温は感じることが出来る。
「どうじゃ温いか?…それはよかった。これならお前も眠れよう。子守唄でも歌ってやろうか?」
先程まで毛ほども眠くなどなかったのに今は眠くて仕方ない。
まるで子供をあやすかのようにポンポンと掌を腹部に当てられる。本能的な安心感と人の温もりが合わさりベッドに入ってものの数分で、夢の世界へと誘われていった。
「まったく…まるで赤子よな。
────私も眠るとするか」
瞼を撫でる朝日と顔に感じる柔らかな感覚が今日という日が始まったことを知らせてくれる。
しかし困ったことに身動きが取れない。
だが幸い原因は明白である。
「すー…すー…」
今も尚こうして寝息を立てて夢を見ている彼女のせいだ。
頭は胸に押し当てられ、足は彼女の足に絡め取られているため、動こうにも動けない。
かといってこのまま無理に引き剥せるほど魔女の身体はヤワじゃないのだ。
だが最低限の抵抗はしなければならない…なぜならこのままだと彼女の胸で窒息しかねないからである。
「んむぅ…」
少し動いたことでなんとか足を自由には出来たものの、依然変わりなく息は苦しい。
あと三十秒もすれば気絶しかねない…ここは少し荒っぽくなるが身体を動かさなければ。
「ん…なんだぁ…おまえかぁ…」
なんとか目を覚ますことには成功したが寝惚けていては始まらない。
身体を離しベッドから出てパタパタと服を払う。
「もう…あさかぁ…」
彼女もそれに釣られてベッドから出る。
まだ夢うつつな彼女の手を引きながら部屋を出ると昨晩の寒さが残っていた。
「そういえばお前、よく寝れたか?…それは結構。また寝られない時は言うといい、私が一緒に寝てやろう」
暖かなコーヒーの匂いと冬の朝が混じり合う中、彼女は優しい声でそう言ってきた。
「さて、その一杯が飲み終わったらいつも通り私の部屋に来てくれ」
彼女はコップを片手に部屋を出ていった。
それを少し寂しく思ってしまうのは何故なのだろうか?
コーヒーのそこに溜まった砂糖を少しばかり残して部屋を後にした。
「来たか…では今日も今日とてそこに座って読書でもしていろ。下手に動くなよ?魔術の連鎖反応でこの"魔動式移動型在住機・アガペー"が壊れても困る。これを創るために百年はかかったのだからな」
彼女はドアに背を向けたままこちらに言葉をなげかける。
机には夥しい程の魔導書が置かれ、その全てに付箋が貼り付けてある。
「うーむ…これもダメか…魔術基盤を意図的に乱しそれを元に新たな魔術基盤を創ることはできる…だかその乱れた魔術基盤を乱す前の魔術基盤に完全修復することはできない…それは何故?基盤を乱した後にぐちゃぐちゃに成った配線が自動的に結合するからだ。でもそれでは焼失と修復の法則に反している…やはり乖離と結合には限界があるのか…?いやしかし───」
実験になると彼女は自分の世界に入り込む。
魔導書を宙に浮かせ片手でページをめくり、空いている手では実験結果などを書き記す。
そして極めつけは目を使った魔術により自分の行動を視界内でできる範囲で実現させ、手を使わずとも実験を行えるようにしてしまっている。
「やはりこれもダメか…」
またダメだったのか彼女はペンを置き頭をポリポリと掻いている。
そして再びペンを持ちスラスラと何かを書き始めた。
そんな彼女をじっと見ていると何故だか少し懐かしい気分になってくる。いつもこうやって部屋に呼び、呼んだのに何もせずただ座らせる。
彼女曰く"お前は居てくれるだけでいい"とのこと。
「むぅ…だがこれなら…」
自分の世界に入り込んでいる彼女と違い、自分以外の世界を見渡す。
いつもとなんら変わりのない彼女の部屋。
散らかったノートに破れた紙、積む度に元の位置に戻る不思議な魔導書…そして頑張る彼女の背中がある。
「そんなキョロキョロしなくても良かろう。初めてでもあるまいし。借りてきた猫かお前は」
その言葉にハッとする。
恐らく視界分離で魔導書の題名を確認していたのだろう。
「…お前は何もしなくてよいのだ。特段お前には望まぬ。お前にできることなぞたかが知れておるからな」
…心が冷りとする。
彼女の言葉は本心なのだろう。確かに出来ることは少ない、完璧である彼女を支えることなど出来るわけが無い。
そんな事実は知っている…だが彼女の実験が終わるまで心の痛みは消えなかった。
「お前…何をそんなにしょぼくれておるのだ」
夕食を食べ終えると彼女はそう言ってきた。
別にしょぼくれている訳では無いのだが、朝のあの言葉がまだ心に引っかかっている。
「朝のあれか…あれは事実だとも。お前にできることなぞ無い」
二度目なのに心には面白いほどに響く。
なんら間違いのない正論が突き刺さる。
「…だが一つだけあるぞお前に望むことが」
彼女は本を閉じ目を見据えはっきりと伝えてくる。
「その命尽きるまで、私の傍にいておくれ…それがこの世界でお前にしか果たせない私の望みじゃよ」
…魔女というのはよくわからない。
突き放してみたり、抱きとめてみたり…どちらの行為も偽りではないのだから困ったものだ。
ただ心に残った痛みはどうやら消えてくれたらしい。
「お前も物好きよなぁ?魔女にこんな事を言われて嬉しいそうにするとは…私は部屋の掃除と明日の準備をしてくる」
彼女のことだ、どうせ暫く戻ってこない。
自室に入ると絶対に一時間は出てこなくなる。
その間は読書でもして待つとするか…
「───望み、か…何処までいこうと魔女は魔女よな…その望みを自ら壊すため、こうして生きているのにな…」
空を流れる雲とは不思議なものである。
じっと見つめていると変化は見られないが、ふと目を離した時には既に形を変え流れていく。
「出来た…遂に…出来たぞ…」
時間という概念にも同じことが言えよう。
ただ時間に縛られ漠然と過ごすのと、時間に縛られずに行動するのとでは、時間の流れはかなり違ってくる。
「完成だ…」
この二つに共通していることは"終わりがある"ということだ。
どれほど大きい雲だろうといつかは空へ還り、どれほど永い時間だろうといつか終わる。
「これで…ようやく…」
だが物事や事象には例外がつきものだ。
それこそ世の理から逸脱した才を持つ"魔女"などその最たる例だろう。
終わりを拒み、その先へ至ろうとする者。それこそが
「頼む…成功してくれ…」
─────"魔女"なのだから。
「少し用ができた…今から私の部屋に来てくれぬか?」
本を閉じ、彼女の呼びかけに応えて部屋を出る。一体なにがあったのか…
ガチャリとドアを開けるとそこにはカーテンから零れた微かな明かりだけの部屋が広がっており、彼女はその中で佇んでいた。
「来てくれたのか…いや、私から呼んでおいてそれは変か…まぁどうでもいい」
部屋の空気が変わる。
いつも過ごす彼女の部屋だと思えないほど圧を感じる。
息が段々と荒くなる。
「私もお前を傷つけたくない…わかってくれ」
まるで四肢を切断されたかのように感覚が飛び、倒れ込んでしまう。
手足は動かない、息が整わず喋れない、暗くて見えない、混乱し理解できない。
足音が近づいてくる、腰の辺りに彼女が乗っかってくる。
恐怖で今にも意識が飛びそうな中、鼻をすするような音が聞こえてきた。
「ごめんな…ごめんなぁ…でもお前のためなんだ…お前に…もう苦しんで欲しくないんだよ…」
彼女は泣いていた。
まるで許しを乞うように、自らの過ちを悔いるように、彼女は泣いていた。
初めてだった、彼女が泣いているところを見るのは。
初めてなのに何故だろう、それを初めてだと思えなかった。
「これがもし成功したら…お前は"死ぬ"。でもお前が拒むのなら…私は今すぐにこんな行為は辞めよう。…さぁ選べ」
ポロポロと涙を零しながら声を震わせ彼女はそう問うてきた。
死ぬ、生命が終わる、意識が飛び、何も感じなくなり、やがて土に還る。
死ぬのは嫌だ、まだ彼女に恩を返せていない。
だけど…だけど彼女がようやく掴んだ成功を否定することなど出来ない。
「…どっちだ」
暗闇の中にある彼女の顔を見据える。
深呼吸をし、彼女と目を合わせる。
「お元気で」
「………」
答えは返ってこなかった。
死ぬのか…でも最後に見るのが泣き顔なのは少し寂しい。
どうせなら笑っていて欲しかった。
だって"アベリア"の笑顔は世界で一番綺麗なんだから。
あれ…アベリア…って…だ、れ…
「…外の風は気持ちがいいな」
"魔女"は空を見上げていた。
春の訪れを感じる風、揺れる木の葉、辺り一面に広がる草花。
寒さを残した春空の下に佇んでいる。
「結局また失敗だったか…」
魔術を極め、魔法へと至った"魔女"にはそれぞれそうなった経緯が存在する。
世界を救おうとした者や世界を滅ぼさんとした者などの様々な者がいる。
そしてこの草原の魔女と呼ばれる者にも"魔女"になった経緯はもちろん存在する。
「だが何故だろうなぁ…それを安堵する気持ちがあるのは…」
彼女は遠い昔、とある町に住む魔術師だった。
天才とは言えぬも凡夫と侮るとこもできない、そんな魔術師。
それがこの"アベリア・ステラ"である。
…しかし"アベリア・ステラ"という名前は彼女本来の名前では無い。
この名前は彼女が"魔女"となり五百年が過ぎた頃にとある人に付けてもらったものである。
「私は…やはり我儘だよ…なぁ?"アシカ"…」
空を仰ぎ、彼女は呟く。
"アシカ"、それは彼女の生きる意味であり彼女の死ぬ理由である。
しかしそれを語ることは彼女にしか出来ない。
なぜなら彼女と彼のことを知る人間はこの世にはもう一人しかいないのだから。
「これでもう何千回目になるのだろうな。あの時お前にあんな事をしなかったら…」
始まりはただの我儘だった。
初めて私に優しく接してくれた、初めて私を愛してくれた、そんな人を手離したくなかった。
親に捨てられ、魔術迫害の浸透した地域に運悪く流れ着き、殺されそうになりながらもなんとか逃げ、ようやく辿り着いた村では奴隷として使われた。
その後奴隷としての価値が無くなった私はまた捨てられた。
そしてとある町の町長に拾われて何とか生き延びることが出来た。
「ダメだな…私は…」
その町で過ごして半月が経った時に、アシカと出会ったんだ。
最初はただの隣人だったが、工房に入り浸る内にいつしかアシカといるのが楽しくなった。
そして私が"魔女"になったのと同時期に、アシカは病魔に襲われた。
「お前を思い出すと…涙が止まらないんだ…」
失いたくなかった、死んで欲しくなかった。
だから私はアシカの魔術基盤を弄って病気を治そうとしたんだ。
でもそれが間違いだった。
アシカの基礎魔術の特異性に気付いていない訳ではなかった、しかし私が想像していた物よりも"それ"は遥かに特異な物だった。
「許される罪じゃない…それは理解しているさ…でもお前はきっと私の事を許すのだろうな…」
"転命輪廻"(リザレクション)
寿命や自殺などの避けられない死や、自らの意思で死を迎えることを除く"死"が訪れた際、一度だけそれを無かったことにできる。
それがアシカの基礎魔術だった。
基礎魔術とは魔術基盤を構成するもの、それを私が無闇に弄ったせいで基礎魔術の特性が暴走してしまったのだ。
「お前という肉体が死んだとしても、その魂と狂った魔術基盤が死ぬことは無い…無限の死と無限の生を繰り返す…」
私のせいで"転命輪廻"という魔術が狂い、"どんな死に方をしようとも記憶を消去し生まれ変わる"魔術になってしまった。
「死ぬ事を運命づけられ、どれほど生を謳歌しようともその一切を忘れ生き続ける…私のせいで…お前に計り知れない苦しみを与えてしまった…すまない…すまない…!」
アシカはその後一週間もしないで死んでしまった。
しかしその時の私はまだ知らなかったのだ、アシカの運命を。
「…初めてお前の生まれ変わりを見た時の事は今でも鮮明に覚えておるよ。魔女と呼ばれ数年が経った時、私は町を出て旅をしていた。困った人を助けたかった、それがお前の望みだったからな…そんなことを数年続けていた時、崩れた教会の中で赤子を抱えた母親の死体を見つけたんだ」
魔物によって滅んだ村にその教会はあった。
恐らく身を呈して自分の子どもを守ったのだろう、蹲るように倒れた背中にはたくさんの傷があった。
「…その母親が守っていた赤子がお前と気づいたのは顔を見た時だった。すぐに理解したさ…この子がお前であること、お前の魔術を私が狂わせてしまったことを」
それからはその赤子を育てながら旅をした。
その赤子が成長し青年と呼べるまで時が過ぎると、青年は災害により命を落としたのだ。
「そこからだよ…私の旅が本格的に始まったのは。私は自らを不老不死に改造し、お前を確実に"死なせてやる''ために魔術の研究に勤しみながらお前を探す旅をした。不思議なことで行く先々でお前を見つけるんだ、私に刻まれた呪い…というより私に課された使命のようなものなのだろうよ」
戒めとして死を禁じ、罪を忘れぬために忘却を禁じ、罰として落陽を目指す。
そのどれもが自己満足でしかない、それはわかっている。
少しでも罪悪感を和らげたいという醜く浅はかな考えである。
"魔女"というのはそういうものだ、我儘で傲慢で醜悪で浅慮な者なのだ。
「………さて行くか」
風に靡く草花に背を向けて歩き出す。
するとアガペーの近くに人影のようなものが見えた。
「……どうした、それに興味があるのか?」
「………」
「これはな、私と……私が創ったものなんだ」
「………」
「坊や、お母さんはどうした」
「……いない」
「お父さんは?」
「……きらい」
「そうか…じゃあ私と一緒に来るかい?」
「……うん」
「本当に?私は"魔女"だぞ?怖くないのか?」
「……なんかおちつく」
「…そうか、ではわかった。ほら私の手を握れ、少し揺れるが我慢しろよ?」
この子もまたお前なのだろう?わかっているとも、だからこうして私の元へやってきた…そうだろう?
「…なまえ」
「名前か…そうさな…」
またこうやってお前を連れて旅に出て、またお前の死を見届ける。
果てしなく、終わりのない旅。
いつかこの物語が終わるその日まで
「────"草原の魔女"と、そう呼ぶといい」
─────私はお前の傍に居続けるとも。
草原の魔女 風鈴はなび @hosigo_s
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