第13話 永峰さんもサキュバスだった
「うぅ……」
俺は何かに押し潰された。
ガランガランという音だけが体育倉庫に
代わりに感じるのは何か柔らかい感触。それはどこか温もりまで持っていた。恐らくは人のものだろう。ゆっくりと目を開くも、それに顔をムギュッと押し潰されていたようで、視界は真っ暗闇だった。
次にやってきたのは柑橘類のような、爽やかでかぐわしい香り。それが人のものであるならば、これまで動いていたとは思えないほどの不快感の無さ──。
いや待て。二人はどうなった!? 聖城は!? 永峰は!? 万が一あの鉄パイプで怪我でもしていたら……!
「大丈夫!? 薫ッ!」
緊迫した声とともに、覆い被さっていたそれも離れ、ようやく視界が開けてくる。
目の前には心配そうにこちらを見つめる永峰、そのすぐ後ろには四つん這いの体勢のまま、こちらを見て固まる聖城。
取り敢えず二人に怪我が無さそうで何よりだが、目の前に居るのが永峰だとすると、先程まで覆い被さっていたのは彼女の──!
……なんて驚きも、目の前に広がる光景の前ではほんの些細なものでしかなかった。
彼女らの背中から生えている、異形なモノと比べれば。
「な、永峰!? お前、それ──!?」
「…………」
一つ瞬きをしても、それは依然として視界にベットリと張りついたまま。この目が幻覚ではないのだぞと訴えてくる。
翼だ。
それは両手を広げるよりさらに大きな、コウモリのような形式の翼だった。
これが
俺の声を聞いた途端、永峰はそのままシュッと何事も無かったかのように翼を隠し、おもむろに俯き始めた。
そんな異形のモノを見たのが初めてだったなら、あまりの情報量の多さに、俺は言葉を失っていただろう。そこでなんとか平静を保てていたのは聖城という前例があったからと言う他ない。
彼女も
だとしたら、今永峰に掛けるべきは彼女を拒絶するような言葉じゃない。掛けるとしたら……そう。
「ありがとう」
他に言いたかったことを全て押し殺し、俺は彼女にそれだけ告げた。
ごめん聖城。昨日の今日で永峰に礼を言うのは
今この瞬間、命の恩人になったかもしれない人に礼も言わずに去るなんて、そんなこと俺にはとても出来なかった。
案の定、聖城は何か言いたそうに口をもごもごさせていたが、それでも決して口を開くことは無かった。
対し、永峰はハッと驚いたような顔をして、俺の顔をまじまじと見つめてきた。
その強い瞳は俺に何かを求めているようで、彼女は何も言わず、ゆっくりと、ごく自然に顔を近づける。それはもはや息遣いまではっきりと分かるほどの距離で──。
「っ……!」
彼女の垂れてきた青髪がこちらの頬に触れようとしたその瞬間、俺はほぼ仰向けの体勢になりながらも、彼女の両肩を手で押さえた。
「そ、それは……出来ない。永峰」
覆い被さる永峰に、俺は声を震わせながらそう言った。
幾ら彼女に命を助けて貰ったとはいえ、なし崩しでキスまで受け入れる訳にはいかない。
永峰とキスをするなんてことは、明確に聖城を裏切る行為。それだけは絶対しちゃダメだ。
よく見ると視界の隅には、今にも永峰の喉元に飛びかかってしまいそうな聖城の姿が映っていた。
聖城が暴走するのを止めるという点においても、この選択は間違いではないだろう。
「先生、あっちです! なんかすごい音が!」
「ね、なんか今、聖城一瞬羽生えてなかった?」
「は? なに言ってんの?」
三人が硬直したまま暫くすると、体育倉庫の外の方からそんな女子達の声が聞こえてきた。
入り口付近に立っていた聖城は、もしかしたら他の生徒に翼を展開したところを見られていたのかもしれない。
俺に覆い被さっていた永峰も、その声を聞いてようやく拘束を解いてくれた。
「あんた、
永峰は四つん這いのまま睨む聖城の姿を見てそれだけ言い残し、急ぎ足で体育倉庫を出て行った。
*
「……どうした? 聖城?」
放課後。帰り道。午後四時半。
いつものように一目につかない子道を、聖城と二人で歩いていた。途中の駅までは彼女とも一緒なので、それまではこうして二人で話す時間があった。
だが今日は、いつにも増して言葉数が少ない。やや俯きがちに歩く聖城を、俺は疑問に思っていた。
「……二人の時は百合って言って」
「ああ、ごめん。百合……それで?」
「……なんて言うか、体育倉庫のこと。ちょっと悔しくて」
聖城は歩きながら、少し空を見上げてそう言った。
体育倉庫でのこと、か。
結局、あの時無理やり翼を出してしまったせいで体操着に穴が空いたりもしたらしいが、それでも二人が人外であるとバレることは無かった。
あの一件に関しては怪我も無くて良かったで済んだつもりだったのだが……。
「私は薫君の彼女なのに、あんな女なんかに遅れ取っちゃったのが……」
「だとしても百合は悪くないだろ」
「それは……そうかもだけど」
確かに俺が助けて貰ったのは永峰だ。
だがあの状況だと明らかに永峰の方が俺と近かったし、そもそも聖城は体育倉庫の入り口付近だったので第三者に翼を見られてしまうというリスクもあった。
そこに負い目を感じる必要などないと思うのだが……。
「ねえ薫君、ほんのちょっとだけ
「え? な、なんで?」
「いいから」
唐突に立ち止まって聖城は言う。彼女の意図が分からず困惑したが、取り敢えずは彼女の言うとおり、ほんの少しだけ膝を折り曲げ──。
「!?!??」
突如、マシュマロのように柔らかい何かに顔を押し潰され、視界が暗転……いや、もうそれが何かなんて明白だろう。
胸だ。それも永峰以上に豊満なデカパイに、ムギュゥゥ……っと顔を
「ゆ、百合!? 何して──!?」
「悔しいから。あいつの匂い、私のおっぱいで上書きしてんの」
背中に手を回される。少し苛立ったような声色だったが、むしろそこが可愛いと感じた。
永峰とはまた違う、桃のような甘い匂いに包まれる。
というかそろそろ……息が!
「あ、ごめん。ちょっとキツかった?」
つい荒くなってしまった息から察してくれたのか、聖城はそう言ってスッと身体を離す。
危ない。
危うく窒息するところだった。もっともそれで死ねるなら本望だが……それにはまだ、早すぎる。
「でも私の方が気持ち良かったでしょ?」
「それは、まあ、そうだけど」
「……♪ やっぱ薫君大好き♪」
そう言って聖城はまた身体を寄せる。こんなのまともに顔なんて見れない。学校ではあんなにそわそわしていたのに、二人きりだとこうもあざとくなれるなんて。
こういった振る舞いが今の幸せを逃すまいと、必死にしがみついているようにも見えて……そんなところがどこか儚げでもあり、堪らなく愛おしいと感じるのだった。
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