「第二十話」虚空に消えゆく灰燼
速度を増していく機関車。
客室車両という重荷を切り離され、煙突から蒸気を噴き出しながら線路の上を走り続ける。
『フォルクトォおおおおっっ!!!』
「ぉぉぉぉおアァァあああ!!!!」
交叉。すり抜けた互いの拳はお互いの顔面に突き刺さる。威力もタイミングも何もかも、全てが互角に等しく拮抗し合っている。──ただ一つ、攻撃を受けた直後の行動はフォルクトの方が早かった。
「らぁッ!」
『ぐっ、ぶぅ』
先程切り捌いた腹。今も内臓が零れ落ちるその傷口に、俺は容赦なく拳をねじ込む。ズブリ、ずぶずぶ。温い体温と血肉の感触がよーく伝わり、そのまま拳を捻りながら殴り飛ばす。
『がっ、あっ、ぁぁぁあああああああああああ!!!!』
(畜生、まだ来るか!)
徒手空拳の質自体は確実に下がっている。だが、死なない! 怯みはする、痛がり苦しみはする……だが、だが死なない! こいつは、まるで不死身のゾンビのように何度でも立ち上がり俺を殴り殺そうと迫ってくる!
迫る拳。容赦なく俺は、右フックを顎に食らわせる。──だが。
『ころ、さなければ……』
「っ!?」
倒れず、怯まず。
魔女は俺の腕を掴んできた。
『【業火の魔女】は、人間には倒せない……!』
それは純粋な執念だった。ある意味、愛とも言える。
悔しいがこのクソ野郎は、こいつなりの倫理と道徳を以て”人間”を守ろうとしているのだろう。今度は全ての人間を殺そうとしている【業火の魔女】を殺すことで、人間に迫る悪意を未然に排除することで。
「……もう、いい」
認めざるを得ない。
この魔女は真実として、俺達人間を心から愛し、迫る絶望の未来に立ち向かってくれていたのだろう。それが善か悪かはさておき、その想いだけには敬意を払わねばなるまい。──だが、それとこれとは話が別だ!
「お前みたいなやつに助けてもらわなくても、俺達人間は明日を生きる!」
『!?』
俺達はこいつらのペットでも愛玩動物でもない。
各々の意思を、誇りを、目的を以て行動する人間だ!
「だから……部外者は引っ込んでろ!」
ぶん殴る。
まっすぐな鼻っ柱への一撃。美しく、そして確実な一撃は、たった今初めてこの魔女に膝を突かせた。
『……ぁぁ』
「……」
『これでも、人間と……仲良く、してきたつもりだったんだけどね』
出血量から見て、もう死んでいてもおかしくない。
膝を突いた。敵意はあるが、戦意はもう無い……こいつは、間もなく普通に死ぬ。
俺は屍になりつつある敗者を横目で睨み続けながら、機関車のブレーキレバーを捻った。鉄と鉄がこすれるような音が響くと同時に、緩やかに速度が減衰していく……大丈夫、このままいけば駅に突っ込むことなく止まってくれるだろう。
『一つ、死ぬ前に聞かせてくれ……』
安心しきった俺に、敗者が縋るような声で聞いてきた。俺は先程投げた自分の剣を握り、とどめを刺そうかとも考えたが……何故か、聞き返すことにした。
「……なんだ」
『君たち人間に、【業火の魔女】をどうにかする手段はあるのかい?』
この野郎。
俺は舌打ちをしたくなった。魔女の死ぬ間際なんだからてっきり本性を表してくれると思ったが、どうやらこいつは最後まで人間の味方だったようだ。
「……ああ、ある。確実で、お前が未練も思い残すことも何もなく地獄に行けるような、最高の解決策がな」
『それは、ありがたいね……なんだい? その解決策とやらは』
あまりにも純粋な死を悟った者の目に、ため息を付かずにはいられなかった。
俺は、俺自身を指差す。
『……?』
「【業火の魔女】は、俺が殺す」
『……は、ははっ』
ぽかんとした顔をして、魔女は少しだけ笑った。
『……それなら、大丈夫そうだね』
そう言って少しだけ目を閉じる。崩壊していく自分の体を見ないためか、それとも少しでも安らかに死を迎えるためか。いずれにせよ、死につつある魔女は最後にこう言い残した。
『さようなら、フォルクト。私の長い長い二百年の人生で唯一の……人間の友人よ』
唇は灰燼と化した。あの恐ろしく、歪に優しかった魔女は消え去った。
「……魔女め」
俺はその灰を握り、減速しつつある機関車の横からさらさらと流していく。
灰は風に靡き、揺れ動きながら流れていき……煙突からの煙と共に昇っていき、やがて虚空へと消えていった。
断罪のフォルクト キリン @nyu_kirin
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