第46話


「ねぇ」

「はい、アデ様」


寝台の上で果実酒を片手に寝そべりながら、アデは足元に声をかけた。


「あなた、こんなに私の元に来ていて、レナードは何も言わないの?」

「あぁ、それは大丈夫でございますよ」


連日ケイトを呼び寄せているのはアデ本人だが、まるで自分のせいではないかのような口ぶりで、アデは問いかける。そしてケイトも、まるで当然のような顔で頷いた。


「私はアデ様に気に入って頂けて、しておりますとお伝えしておりますので。まぁ、潔癖な殿下には汚物を見るような目で見られましたが、ご納得いただけました」

「あらまぁ!ほほほほほっ」


アデの真っ白な素足を香油を纏った手で揉み解しながら、悪戯っぽい顔で述べたケイトに、アデは目を丸くした後で高らかに大笑いした。


「本当に失礼な子!されてしまうではないの」


めっ、と幼子を叱りつけるような顔をして、アデは愉快そうに唇を綻ばせる。艶めいた噂は歓迎する性格らしい。レナードよりよほど冗談が通じる御仁のようだ、とケイトも笑いを浮かべながら言葉を続ける。


「ふふ、言葉を素直に受け取れないのは、受け取る側が心にやましさがあるからでは?きっとアデ様の美貌に惑ったご経験があるのですよ」

「そうかしらねぇ?あなたの言い方の問題だと思うけれど」


クスクスと笑い続けるアデに、ケイトは静かに笑いながら首を傾げてみせた。


「ふふ、さぁ、どうでしょう?けれどご側近の方は元からで私を連れてこられたのではないかと思いますよ」

「え?まさか!皇家に下賤の血を入れるなど、皇族に仕えるものであれば考えられないことよ?」


ケイトに向かって下賎な血と言い切りながら「そんなことはありえない」と不快そうに眉を顰めるアデに、ケイトは薄く笑う。本当にこの女性が、分かりやすいおひとで良かった、と思いながら。


「きっと『血は入らない』と思ったのでしょう」

「どういうこと?」

「ふふっ」


不可解そうに片眉を上げてみせるアデにケイトは大輪の牡丹の如く、華やかに笑ってみせた。


「なに、簡単なことです」

「……っ」


ほんの一瞬だけ閃いた、ケイトの本来の美貌と威圧に、アデが気圧されて息を飲む。仮にも皇妹でありながら容易に己に振り回されるアデを内心で嗤いながら、ケイトは皇国の憂いである女狐を手中にするために新たな布石を打った。


「私は宦官の処理を受けているとお伝えしておりますので、には向いているとご判断なされたのでしょう」

「宦官!?」


宦官制は大陸広しと言えども帝国でしか見ない、他国からは残虐非道と言われる制度だ。帝国ほど医学が発展していない他国で行われたら死者が九割を超えるだろう。帝国ですら一割は死に、三割は半死半生で早死にすると言われる無茶苦茶さなのだから。


「実物は初めて見たわ。ねぇ、くれない?」


大陸一残酷な施術を施された人間を目の前に興味を抑え切れず、アデは目を煌めかせて強請る。しかしケイトはあっさりと否定した。


「ふふふ、残念ながら、一般的な成人男性に比べれば小ぶりではありますが、まだよ。殿下御自らご確認なさったわけではございません。私は侍従長からそのように伝えて頂いただけですので」

「あらあらまぁまぁ、嘘をついたの?彼らはそれを信じたと言うの?愚かねぇ」


つまらなさそうに不貞腐れるアデを、ケイトはクスクスと笑いながら宥めた。レナードを馬鹿にして貶めるための、愉快な話を作り上げながら。


「真偽を問われ、見せてみろと言われましたので、涙目で『承知いたしました、今宵殿下の寝室に参ります』と申し上げましたら、ギョッとしたレナード様に即答でお断りされました。残念なことで」

「まぁまぁ」

「ですので、わたくしののお披露目はしておりません」


茶目っけたっぷりに片目を瞑ってみせるケイトに、笑みを湛えたアデが目を細めて首を傾げる。立場を弁えぬような振る舞いでも不快には取られていないようで、己が着実にアデの内部に踏み込んでいることを確認し、ケイトは笑みを深めた。


「強気ねぇ、もし見せてみろと言われたらどうするつもりだったの?」

「それはまぁ、でなんとかするつもりでしたよ」

「え?」


思いがけない返答だったようで、アデは表情を取り繕えずに困惑をあらわにする。どうやらこの女性の飼い犬の中に、その手の者はいないらしい。もしくは、この皇国にはその方面に長けた者がいないか、だろう。そう察しながら、ケイトは余裕をちらつかせながら、飄々と首をすくめた。


「お察しの通り、私は、ですので。アサド様にも太鼓判を押された帝国仕込みの房中術の手練手管で、彼の王子様を骨抜きにして差し上げようかと」

「まぁ……!ほほほほほっ、あの堅物な子に色仕掛けを仕掛けようなんて、本当に不遜で生意気なこと!」

「おや、その方面に精通していないレナード様であればこそ、赤子の手をひねるようなものかと思いまして」


しれっと言い放つケイトに、アデは愉快極まりないと言わんばかりの高笑いで笑い転げた。


「まぁ、それはともかく、そのような身だと思われておりますから、アデ様をお慰めするためのお役目も、『があったとしても種を撒かずちょうど良い』と、ご側近の方が殿下におっしゃっておりました。いたいけで罪のない皇国の少年を去勢するのは心が咎めても、帝国生まれで皇国に流れ着いた棒無しの根無草であればちょうど良いとお思いなのでしょう」

「あら、そう?」


あっさりとそうまとめたケイトに、アデは流し目で見やり、挑発的に口元を歪めた。


「信用のない人間を寄越すほど、あの子達は愚かでもないと思うけれど?」

「私には大した情報を与えていないから、アデ様と通じて、知られて困ることもないとお考えなのでは?」

「本当に失礼な子達ねぇ」


ケイトもレナードも、そしてレナードの側近も全てまとめて子供扱いしながら、アデは深々と息を吐く。笑い疲れたのか、細い指先でするりと頬を撫でている。皺が出来ていないか気になったのだろう。ケイトは内心で美しさに固執する年増の女狐を嘲りながら、口ではレナードを愚弄する言葉を流暢に続けた。


「まさか私が、レナード様達を単なる橋渡し役として利用していたとは、思いつかないのでしょう。己を賢いと思っている者たちが陥りがちな罠でございますね」

「ふふ、本当に小気味の良い、愉快な子だこと」


ケイトは高慢な微笑みとともに言い切る。アデは満悦の笑みで、跪いたままのケイトを見つめながら、もう片方の脚を伸ばした。そして、華奢で形の良い爪先でするりとケイトの頬を撫でる。


「ねぇ、……あなた、なぜ最初から私の元に来なかったの?」


扇状的で蠱惑的な流し目。

するりするりと頬を上下する艶かしい足。

動くたびに閃く夜着の隙間から覗く秘密の蜜壺。


普通の男ならばむしゃぶりつきたくなるであろう、極上の誘惑だ。しかし。


「ふふっ……それは、簡単な話でございますよ」


そんなあからさまな誘惑にも全く動揺せず、ケイトは淡々とした笑みを浮かべたまま、冷静そのものの顔で答えを返した。


「品定めのためです」

「え?」


ぴくり、とアデの眉間が痙攣し、眉が上がる。その表情の変化を見つめながら、ケイトはわざと見下すような色を夜色の瞳に浮かべてみせた。


「レナード様とアデ様、どちらが我が主人にお喜び頂けるか、私は見定めねばなりませんでしたので」

「……なんですって?」


ぴきり、とアデの眉間に深い皺が刻まれる。せっかくご自慢の美貌を翳らせてしまう皺に憐れみつつ、ケイトは薄笑ったまま言葉を続けた。


「レナード様の元は潜入する方が困難でしたので、そちらを先に」

「な、んて無礼な!」


身を起こして激昂し、扇子で頬を張ろうとするアデに、ケイトは嘲笑を浮かべたまま軽々とその動きを封じた。


「く……っ、離しなさい!」

こそ、貴婦人が手を上げるなどおよしなさいませ」


アデをあえて「貴女」と呼ぶことで、ケイトは立場を明確にする。アデが求めるものを手に入れるためには、ケイトの協力が不可欠なのだと。どちらが手をのか、と。


「おや、紅薔薇の化身にして数多の信者を擁する高名なる女伯爵様?まさか、帝国の脅威と呼ばれるほどの男に信を置かれるこの私が、噂だけで判定するほど愚かな人間だとでも?」


簡単に両手を押さえ込まれて、アデはふるふると屈辱と怒りに打ち震えている。懲りずに二度も劣勢に陥ってしまったアデを揶揄するように、けれどこの上なく甘やかにケイトは囁いた。そしてにんまりと笑う。まるで人を誘惑する魔物のように。


「私はきちんとお二方を調査し、観察し、そしてのですよ……貴女に」

「……わたくし、に?」

「ええ、そうです。貴女に」


黒い瞳でじっくりと瞳の奥を覗き込めば、アデは目を見開く。ふっと力が抜けた体を支えて、ケイトは耳元に唇を寄せ、囁いた。


「アデ様に、この国を獲って頂こうと」


早く堕ちろ、と嗤いながら。

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