第43話

「さて、成果はどうだ?」

「さてさて、どうでしょうか」


 寝台にうつ伏せに寝転んだレナードの囁き声に、ケイトは寝かしつけの子守唄でも歌うように答えた。


「まぁ、また明日にでも分かるのでは?」

「くくっ、食えない奴だなぁお前は」

「ふふふ」


 アンは既にレナードに与えられた部屋から下がっていて、寝室にはレナードとケイトの二人だけだ。

 アンは随分と後ろ髪を引かれる様子で、眉を下げながら退室して行った。おそらくは、帝国の後宮でも皇国の後宮でも傅かれて暮らしているはずのケイトに、レナードの就寝前の世話を丸投げするのは不安だったのだろう。

 しかし、アンの心配をよそに、ケイトは完璧な侍従として振る舞ってた。

 今はうつ伏せに寝転ぶレナードの肩から腰にかけてを丹念に揉みほぐしている。どこから見ても立派な侍従だ。とても妃とは思われまい。


「あぁ、……うまいな。身体中の筋肉が解けていくようだ」

「お気に召して頂けたようで何よりでございます」


 鍛えられた肩や背中を帝国後宮仕込みの見事な腕前で指圧しながら、二人は密やかな会話を続ける。肌に触れて小声で語り合うこの秘めやかさが、ケイトの心を密かに浮き立たせていた。


「なぁ、お前がのは叔母上にはバレバレだろうに、どう誤魔化すつもりなんだ?」

「おやおや、こんなに完璧な侍従に対して、なんという失礼な」

「お前は何もかもがおかしいんだ」


 うつ伏せのまま声を殺して笑うレナードは、チラリと窓の外に目をやった。


「あちらこちらから気配がするぞ?お前、よほど何かきたのか?」

「いえそんな。私はただをしてきただけでございますよ」


 レナードへの監視なのか、ケイトへの監視なのか、幾つものを感じる。もはや隠す気もないようなあからさまさだ。


「まぁ、女神の気をひけたということで、成功でしょう?」

「いやぁ、お前が何を企んでいるのか楽しみだ」

「ふふ、そうでございますか。さて、おみ足でもお揉みしましょう」

「あぁ、頼もう。本当に、お前は何をさせても一流だなぁ」

「嬉しいお言葉ですね」


 心地良さそうに目を瞑りながら足を投げ出すレナードに折目正しく笑いかけ、ケイトは床に跪いた。

 既にアンは夢の中だろうが、万一こんなところを目にしたら、ケイトを妃として遇したいと考えて日々努力しているアンは気絶しかねないのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、ケイトは笑みを噛み殺してレナードの硬い脚を揉む。アンの心も嬉しいが、レナードに躊躇いなく触れられる侍従の立場は、ケイトにとってなかなかに楽しいものであった。


「殿下はこのまま、いて下さいませ。……その方が都合も良うございますので」

「ははっ、有能な部下のおかげで楽をできそうだ」

「ふふっ……恐れ入ります」


 ケイトがアデと通じて裏切るとは欠片も思っていないらしい。レナードから寄せられる信頼に、ケイトは面映い思いで顔を伏せた。


「でも、楽などなさっていないくせに。……筋肉がガチガチに強張っていらっしゃる。私の知らぬところで何をしてらっしゃるのやら」

「なに、少しばかり城の騎士たちと手合わせをしただけだ。武人とは剣で語るに限る」

「最強と名高い辺境騎士達と剣を合わせるとは、まったく、恐れ知らずのお方ですね」


 呆れたように呟きながら、ケイトは筋肉の疲れを吸い取ろうというように、優しく掌で撫で摩る。レナードの体の傷みなど全て自分に移ってしまえばよいのにと無意識に思って、そんな自分に苦笑した。こんなに健気な願いを抱くとは、自分も可愛いところがあったものだ、と。


「……ご婦人は、アサハ・サレドの名に反応されていらっしゃいました」


 己の中の照れを隠すように、ケイトはさらりと重要な情報を告げた。


「……ほぅ?また凄い名を出したな。うまく扱えるのか?」

「ご安心を、問題のない範囲です」

「ふふ、あのアサハ・サレドに対して、随分と強気なことだ」

「もう一度私を抱けるなら死んでも良いとか世迷言を述べていた耄碌爺など、恐るるに足りませんよ」


 彼の老人と夜を過ごしたことがあるのだとあっさり暴露したケイトに、一瞬レナードの体が強張った。しかし、ケイトは気が付かない振りをする。ケイトの過去はやはり、レナードにとっては触れてはならない、いや、触れたくないものなのだろう。彼の正義と道徳に反した世界に、ケイトは長く身を置いていたのだから。


「私は会場に戻らねばなりませんでしたので、あまり深くはお話出来ず……明日あたり、お誘いがあるのではと思っております」

「……そうか」


 淡々と続けるケイトに、レナードも静かに相槌を返した。どうやら聞かなかったことにしてくれるらしい、と思い、ケイトは苦笑する。平静を装ってはいても、レナードの声は少し沈んでいたから。

 レナードはケイトがこのように己の身をような言動をすると、憐れみこそしないものの、ひどく悲しげに表情を曇らせるのだ。

 別にケイトにとっては、あらゆる大物達を閨房の手練手管で手玉に取ってきた過去は、恥じるべきものでもない。だが、レナードからの向けられる感情も、疎ましくは思えなかった。むしろ自分がレナードから大切に思われているからこそだと感じられて、くすぐったくすらあるのだ。

 そんな自分の心持ちに、随分と焼きが回ったものだ、とケイトは自嘲する。いつかこの生温い感情のせいで、足を掬われてしまいそうだ、と。


「アデ様よりお声がけを頂けましたら、レナード様は、きちんとなさってくださいね?」

「あぁ。分かっている」

「大丈夫です。……この地をさるまでに、必ずや確かな証拠を手に入れ、彼の女傑を地に沈めてみせましょう」

「おい、あまり危ない真似はするなよ?」


 心配そうに掛けられる言葉に、ケイトはひっそりと目を伏せて幸福感に頬を緩める。


「どうかお心安くお過ごしくださいませ。殿下がお心を痛めるようなことは、何一つ起きませんので」


 ケイトが、レナードに言わなければ良いだけの話だ。


「……ふふ」


 既に汚れたこの身だからこそ、レナードの役に立てることがある。その事実に、ケイトはとても浮かれているのだ。

 そう認めて、心から笑みをこぼす。自分の意思で誰かのために行動するというのは、ちっとも悪い気分ではなかった。







 翌朝。

 ケイトの予想通り、レナード宛にアデから使いがやってきた。


『帝国から来たという侍従を貸してもらえないか』と。


「……ふん。おい、リー」


 ひとつ鼻で笑ったレナードは、ぶっきらぼうにケイトを呼びつけた。


「いつの間に叔母上にとりいったのだ」


 アデの侍女の前であからさまに嫌そうな顔をして不快そうに囁くレナードに、ケイトはさも怯えた様子で、身を縮めてひれ伏した。


「まさか!アデ様は流行に聡く他国の文化にも深く関心がおありのお方とお伺いしております。であれば、帝国の文化にご興味がおありなのでは?私をお召しになるなど、それくらいしか思い当たりませぬ」

「ほぉ、なるほど?その奇妙な帽子の下で色目を使っていたわけではない、と?」

「とんでもないことでございます!私のような木端にも満たぬ者が、殿下の敬愛する叔母上に、そのような身の程知らずな……純粋に帝国から皇国へやってきた私に興味と同情をお抱きなのでは?」


 必死に潔白を訴えんと言い募る惨めな姿を不快そうに見下ろして、レナードは一つため息を吐くと吐き捨てた。


「ふん。……ならば、叔母上にご満足頂けるよう、十分にくるのだな」

「はい。……ご満足頂けますよう誠心誠意、とっておきの『帝国のお話』を披露して参ります」


 ケイトはさも震え上がっているかのような声で答える。下げた頭の下で、レナードを嘲るようににんまりと笑いながら。

 そしてそのケイトの笑みを目にしたアデの侍女が、微かに眉を動かすのを確認しながら。

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