第41話
「いやぁ、お前は本当に役者だな」
「お褒めに預かり光栄です」
案内された客室で、レナードはソファに腰掛けて笑みを浮かべた。
外に控える者たちに聞かれないよう、声は落としているが、表情にはさも楽しげで、レナードは、ケイトがアデの気をひいたことにご満悦のようだった。
「……私は不安でございますわ。ケイト様、あまり危険なことはなさらないで下さいませね」
「ご心配頂きありがとうございます、アン殿。けれど私のことは、どうかリーとお呼び捨て下さいませ」
眉尻を落として告げるアンに、ケイトは苦笑を返す。
うっかり呼び間違えたところで、下の名がケイトだと知られるだけだが、避けるに越したことはない。
「今夜は歓迎の宴を開いて下さるらしい。アンは部屋に控えていなさい。食事は後で厨房へ貰いに行く方がいいだろう。リーは俺と共に宴に。食事にも酒にも、十分『気をつける』ように」
「御意にございます」
妙なものを食わされないようにな、と暗に告げたレナードに、ケイトは優雅に頭を下げて承知する。
アデが手を出してくるとすれば、おそらくケイトだろう。
それがどのような『手』なのかは分からないが。
日が沈み始めた頃から、城へはエインズワース地方の有力者達が続々と集まり始めた。
「いかがかしら。田舎の者なりに頑張ったのだけれど、皇都で育ったあなたには物足りないかもしれないわね」
「とんでもない。さすが皇都の宴を知り尽くし、流行の創り手と呼ばれた叔母上と感服いたしております」
開かれた宴は、地方の一貴族とは思えないほど華やかなものだ。
武骨な造りの広間を、色とりどりの花や布が美しく彩っている。
一分の隙もなく飾り立てられ、皇国の伝統を汲みながらも古臭くはない、見事な仕上がりだった。
「ふふ、ありがとう。食事とお酒には凝っているから、きっと皇都の方にもご満足頂けると思うわ。楽しみにしていてね」
「美食家と名高い叔母上ご自慢のお料理、楽しみにしております。香ばしい匂いだけで、空腹が刺激されますね。お客人の方々も皆、早く食べたそうだ」
そう話しながらレナードは用意された料理に目を向ける。
数多くの客人をもてなすため、テーブルの上には数々の趣向を凝らした料理が並び、食欲をそそる匂いで満ちていた。
招待された客たちは物干しげな顔をしないよう気を付けながら、皿の上のご馳走を眺めている。
「急な話であまりお客人も招けなかったのだけれども、来て頂けた皆様はこの地を盛り立てて下さるご立派な方ばかりよ。よくご挨拶しておくといいわ」
「はい。様々な方とお近づきになれて、嬉しゅうございます。お心遣い感謝申し上げます、叔母上」
「楽しんでいってちょうだいね」
艶やかに片目を瞑ってみせたアデは、新たに現れた客の元へ、蝶のように軽やかに挨拶へ向かった。
アデに声をかけられて舞い上がり、年甲斐もなく顔を赤らめる男達。
そして、三十路すぎてもなお若々しく薔薇の化身のように美しいアデを、崇拝の目で見つめる女達。
「……本当に、素晴らしい宴ですね」
エインズワースの縮図のような人間模様を眺めながら、レナードは冷ややかに呟いた。
宴もたけなわの頃。
人々からのご機嫌伺いと挨拶回りがひと段落つき、レナードは小さく息を吐いた。
「席に戻ろう」
「御意」
ケイトを従えて人の海をすべらかに泳ぎ、レナードは広間の上座に用意された席に戻る。
アデは女主人としての務めを果たしているのだろう。
戻ってくる様子はなかった。
少しだけ高い位置から、レナードは有象無象の人々をそれと分からぬように、注意深く眺める。
その目には微かな苛立ちと焦燥が浮かんでいた。
「この地をどう思う、リーよ」
「はい。アデ様のもと、見事に統率された、栄えた地であると感銘を受けました」
「ふふ、私も同意見だよ。驚くべき求心力だ、……見習いたいほどにね」
片方の口角を上げて、レナードが聞き取れぬほどの声で嘆いた。
表情には見せずに気配で同意しながら、ケイトも広間の人々に視線を走らせる。
レナードの後について人の海を泳いだケイトは、エインズワースの違和感にすぐに気がついた。
この地の人々は、皇妹アデを信奉している。
まるで、生きる女神のように。
崇拝の対象は、皇族ではなく彼女だ。
それはとても危険なことに思われた。
ちらりと後ろからレナードの横顔を窺えば、さも機嫌良さそうな顔で微笑みながら葡萄酒を煽っている。
先ほど、瓶ごと受け取り、密かにケイトが毒味した後のものだ。
レナードの隣には、バートンがひっそりと控えている。
レナードの護衛騎士として出席しているバートンは、腰に一振りの剣を差していた。
突然入り込んだ暴漢に襲われる、なんてことはまさかないだろうが、たとえそんな『不運』があったとしても、バートンがいれば大丈夫だろう。
気配を消して立っているバートンを後ろに意識しながら、ケイトは細々とレナードの世話を焼いていた。
給仕の真似事までしようとするケイトに、城の者は多少不快そうな様子を見せたが、「殿下は実は食材の好き嫌いが多いので」と申し訳なさそうに謝れば、仕方ないという顔で皿をケイトに渡してくれた。
銀のナイフとフォークが黒ずまないことを確認しながら、ケイトは取り皿へと綺麗に盛り付ける。
食事におかしなものが混入している様子がないことを目と鼻で確認し、ケイトはレナードの前に皿を差し出した。
この場では悪目立ちするだろうと、毒味は敢えてしなかった。
しかし。
「……リー、お前は食べたか?」
「いえ、私はまだ」
「まずお前が食べなさい」
当然のように言うレナードに、ケイトは微かに瞠目した。
向けられた眼差しは、感情の篭らない冷たいものだ。
「皇族に差し出す料理に毒味もしないとは、侍従長に何を教わったのだ」
「……失礼いたしました」
その言葉に謝罪をし、新たなカラトリーを受け取って食事の毒味をする。
そして改めて差し出せば、レナードは冷たい声のままで後ろに控えるバートンに声をかけた。
「バートン、お前も食べてみろ」
「は?」
ケイトへの不信をあからさまに示すレナードに、バートンは戸惑いながらも言われるがままに皿の料理を一口ずつ味見する。
「特に問題はありません、が……」
困惑するバートンを視線で黙らせ、レナードはケイトに視線を戻した。
「ふむ、まぁ良いだろう。……リー、この場での給仕はお前の職務外のはずだ」
「……差し出がましい事をいたしました」
「不慣れゆえのこと、仕方あるまい。……もう今日は良いから、下がりるといい」
「殿下……!」
視線で縋りつこうとしても、レナードの眼差しの鋭さは緩まない。
立ち竦むように固まるケイトの後ろから、華やいだ声がかけられた。
「あらまぁ、レナード。慣れない子を虐めてはだめよ」
アデは軽やかに近寄ってくると、強張った表情で俯くケイトの顔を覗き込み、少しだけ背伸びをしてさらりと髪を撫でた。
「あなたに好かれようと頑張っただけよ。ねぇ、リー」
可愛い子、と笑みを含んだ声で囁いて、アデは持っていたグラスをケイトに渡した。
「私のグラスを片付けてくれるかしら?」
「……はい」
悄気返った声で返答し、ケイトは敢えてアデの細い指先に触れるようにグラスを受け取った。
避けることなくケイトの手を受け入れたアデは笑みを深め、流し目を送ってから立ち去っていく。
広間の片隅で行われたやりとりは、ケイトやバートン、宴に紛れたレナードの部下たちの姿に隠され、目立ってはいなかったようだ。
「……ふふ、手際が良いことだ」
広間を出たケイトは、うっそりと目を細め、手の中のグラスを揺らした。
飲み切られていないグラスの中には、四枚の薔薇の花弁が浮いている。
他の杯より一枚多い花弁を掬い取れば。
『暁の薔薇』
釣れた、と心の中で呟いて、ケイトは微かに唇の端を引き上げた。
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