第40話 女伯爵の城にて
視察と情報収集を兼ねた三日間の濃密な旅路を終えて辿り着いたエインズワースは、堅固な城壁に守られたな城塞都市だった。
優美でありながらどこまでも実用性を重んじられた堅牢な造りの城は、この地が国境という戦線にあることを実感させた。
「ようこそいらっしゃいました、我が愛しの甥御殿。すっかり立派な紳士になられましたのね」
広い玄関でレナード一行を迎えたのは、大輪の紅薔薇のような女性だった。
鼓膜で蕩けるようなアルトで挨拶を告げた皇妹アデは、白魚のような手を優雅に差し出した。
「ご無沙汰しております。叔母上もご健勝のようで何よりです」
にこやかに挨拶を返し、レナードはアデの手を取って唇を寄せる。
「相変わらず輝くようなお美しさで、いっそ年々若返っていらっしゃるようです。まるで叔母上は時間を操ることが出来るかのようですね」
「あら、あなたが世辞を言えるようになるとは、時の流れを感じてしまいますわ」
ころころと少女のように笑うアデは、上機嫌の猫のように目を細めた。
高貴な生まれの証のような曇りない金髪を高く結い上げ、唇には鮮やか朱を差している。
喪に服すための黒を纏ってはいるが、体に沿ったドレスは布の下の豊満な肉体を隠すことなく見せつけていた。
「ご傷心のところ押しかけてしまって申し訳ありません。けれど、思ったよりお元気そうでよかった」
「ふふ、久しぶりのお客人だから、年甲斐もなく浮き立っているのよ。夫が亡くなってから、訪れる人もいなかったから……淋しくて」
そっと伏せられた目蓋には憂いが宿り、かすかに開かれた唇には色香が香る。
どこかしっとりとした声の囁きの艶かしさは、並の男であればのぼせて頬を赤らめたことだろう。
もっとも残念ながら、色に惑うような者はこの場には見当たらなかったのだが。
「エルマー殿が亡くなって一年ですね……さぞお心細くお寂しいことと存じます。領主としてもご多忙でしょうが、どうかお体をお大事になさってくださいませ。少し痩せられたようでございますし」
「ありがとう。レナードは優しく育ったのね」
情の深い甥が、哀れな叔母を思いやり、慰めるという心温まる図だ。
レナードが警戒するように常にアデから半歩分の距離を保ち、そしてアデがレナードへ蠱惑的な流し目を送っていなければ。
実の甥をあわよくば籠絡しようとは、随分と大胆な御仁だ。
レナードの後ろに控えながら、アデの言動を静かに観察していたケイトは、胸の内で呆れと同時に驚きを感じていた。
皇国では、近親婚は良しとされない風潮のはずだ。
それでもレナードに科(しな)を作ってみせるのは、レナードを己の美貌で懐柔するためか、それとも男性にはそのように対応する女性なのか。
はたまた、敢えて物の道理も節度も弁えない愚かな女のように振舞っているのか。
ケイトは穏やかな表情を保ちながらも、内心でため息を吐いた。
なんにせよ、厄介な女性であることは確かだった。
「それにしても、見たことのない少年を連れているのね。新しい従者?」
するり、と自然に視線を流して、アデがケイトを見つめた。
侍従のお仕着せを纏いながら、頭に布を巻き、異国人のような装いをした人間だ。
気にならない方がおかしい。
「ええ、最近雇った侍従です。帝国育ちで、そちらで洗礼を受けているということで、このような身なりを許しております。……リー、ご挨拶を」
「はい」
レナードの言葉にスッと前に進み出て、ケイトは左胸に手を当てて、優雅に頭を下げた。
「お初にお目もじ致します。皇太子殿下の侍従としてお仕えさせて頂いております。どうかリーとお呼び捨て下さいませ。美しい紅薔薇の貴婦人」
「まぁ」
ただの侍従というにはあまりに洗練された身のこなしに、アデがわずかに目を見張った。
紅薔薇の貴婦人というのは、好んで赤を身につけていたアデの若き日の異名だ。
ぱちぱちと目を瞬かせながら見つめてくるアデに、かすかに頬を赤らめて見せながら、ケイトは喜びを押し隠したような声で続けた。
「伝説の美姫に見(まみ)える栄誉に浴し、幸甚の至りでございます」
「あら、おほほ、あなたの側近にしては、随分と口の上手な子だこと」
扇子で口元を隠し、機嫌よく笑うアデに、レナードは肩をすくめて苦笑した。
「私の元に仕えてくれるのは皆、少々生真面目が過ぎる者ばかりですからね。この者が侍従となってから、私の服装も堅苦しいものから垢抜けたような気がしております」
「あら、たしかに。あなたにしては洒落っ気があるわね」
レナードの装いをさらりと眺めたアデが首を傾げ、揶揄うように笑みを浮かべる。
「光栄です。まったく、私の無粋さを洒落者の皆様はいつもお笑いになるのですから。酷い話ですよ」
「あら、ごめんなさい。それにしても、あなた、こんなに可愛らしい子をどこで見つけてきたの?」
甥であるレナードと和やかな会話を交わしながらも、アデは興味深げにケイトへ視線を向けている。
ケイトは静かな微笑を浮かべたまま、瞳に憧れの光を煌めかせてアデを見つめ返した。
その様子を眺めながら、しかしレナードは特に気にした様子もなく言葉を続けた。
「最近皇城に雇い入れたのですよ。年の割に随分優秀で、センスも良いということで、私付きになったのです」
まだレナードとの信頼関係には至るまでもない新参者で、側近として遇してはいないと匂わせながら、レナードは何気ない話かのように続ける。
「東の生まれだそうですが、両親の都合で幼い頃から帝国で育ったとのことで、皇国の人間から見ると多少変わったところもありますが、よく仕えてくれる良い侍従ですよ」
「……そう。それはなによりね」
にこやかなレナードの言葉に余裕のある笑みを返しながら、アデはちらりとケイトに視線を送った。
ケイトは目の奥にゆらりと影を燻(くゆ)らせて、かすかに唇に笑みを掃いた。
「……また私にも、帝国の話を教えてくれるかしら?私、帝国へは行ったことがないのよ」
「ええ、もちろん。喜んで」
情欲とは異なる熱を帯びた瞳で見つめるアデに、ケイトはうっそりと微笑んだ。
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