第39話

「ときに、ケイ……いや、今からはリーと呼ぶか。リーよ、お前はアデ殿について、どの程度知っている?」


ケイトの名を、今しがた自分がつけたばかりの偽名に呼び直したレナードは、にやりと薄く笑いながら尋ねた。

いかにも年頃の少年然とした慎ましやかな表情で首を傾げ、ケイトは涼やかな声で答える。


「昔のことについて、多少はアン殿に伺いましたが、詳細や『裏』については存じ上げません。教えていただけますか?殿下」


侍従の『リー』として話すケイトに、レナードは満足げに頷く。

横ではアンが諦めたような顔で窓の外を眺めていた。

話している内容の血生臭さとは裏腹に、どこか言葉遊びじみた二人の会話に加わる気にはなれないのだろう。

貝のように口を閉ざしている。


「アデ殿は、先帝陛下と皇太后陛下の次子で、皇帝陛下と三歳ほど離れている。ちなみに、春の宴を褒めてくださったギルバート公爵は、アデ殿より二歳下だ。兄弟の中でもアデ殿の麗姿と聡明さは際立っており、貴族の中にもアデ殿の『信者』が多くいたと言う」

「信者、ですか」

「ああ」


ケイトが僅かに眉を寄せて問い返すと、整った美貌にかすかな嘲弄を浮かべながらレナードは肯い、わざとらしく口角を上げた。


「『アレ』は信者としか呼べまい。アデ殿を女神のように崇め奉る、信奉者がいるんだ。しかも、それなりに高位の貴族達に、な。……まったく、狂っているとしか思えないよ」


厭わしげに首を振り、うんざりと眉を顰める。

自分の叔母についてとは思えないほど冷淡な口調で、レナードはアデについて語った。


「まぁ、基本的に穏やかで、人を圧するような華美な装いや派手な言動をお厭いになる陛下と比べて、アデ殿は人目を惹きつけ、そして己を演出することが極めてお上手だ。生まれ持っての華があり、その場の主役になる天賦の才をお持ちだ。……今がもし戦乱の世であったら、さぞ大成されただろう」

「なるほど。……人を洗脳し、煽動するのがお上手ということですね」

「ケ、ケイト様っ」


遠回しなレナードの言葉を、無邪気そうな笑みを浮かべたケイトは、至極簡潔にまとめた。

ぎょっとした顔でケイトを振り向いたアンは、仮にも皇族に対するあまりにも不敬な物言いに、動揺を隠せないようだ。

目を白黒させているアンに、「私のことはリーとお呼びください、アン殿」と微笑んでから、ケイトはレナードに向き直った。


「英雄と悪党は紙一重。皇妹殿下は、どうやら大悪党の素質がおありのようで」

「ははっ、まぁ、そういうことだ。ただの見掛け倒しなら良かったが、秀でた能力をお持ちであるがゆえに、な」


困ったものだ、とため息をついて、レナードは頭が痛いと言わんばかりに眉間を揉む。

ケイトはレナードの言葉を受けて頷きながら、薄い笑みを浮かべて淀みなく言葉を繋げた。


「生まれが皇族でさえなければ、稀代の詐欺師として国を手玉にとれたかもしれませんねぇ。……いや、春の宴のお粗末な手口からいきますと、やはり大した悪事は行えなかったかもしれませんが」

「っく、あっはっはっは!お前、さては春の宴の成功に泥を塗られたことを、実は相当腹に据えかねていたんだろう?」


淡々と続くケイトの慇懃無礼な罵倒に笑いを堪え切れず、レナードは腹を抱えてケイトの怒りの原因を指摘した。


「さぁ、どうでございましょう。さて、その後はどうされたのです?」


レナードの揶揄いをあっさりと肩をすくめて受け流し、ケイトは話の続きを促した。


「くくっ、まぁいい。とにかく、取り巻きにおだてられて、良い気分で暮らしていらっしゃれば良かったのに、アデ殿は愚かにも帝位を望んでしまわれた。……陛下が皇帝になられる直前は、大変だったようだ。当時、俺は幼かったから内情はあまり知らされなかったが、今の数倍の護衛騎士に囲まれていたことを覚えている」


ははっ、と乾いた笑いをこぼしてレナードは軽い口調で話を続ける。

ケイトに影響されたのか、レナードの言葉に遠慮のないあからさま軽蔑が込められていた。


「陛下はもちろん、俺も命の危険があったということだ」


嘲笑にも似た笑みを浮かべて、レナードは皇家の醜い帝位争いの過去を、ケイトに教えた。


「先帝陛下が事態を憂慮され、アデ殿は先帝陛下の腹心だった前宰相の子息のエルマー殿と結婚され、辺境伯としてエインズワースに赴かれた。それからは、表面上は落ち着いていたのだが、……昨年エルマー殿が逝去されてから、喪に服すと言って中央に出て来ない。エルマー殿という抑えがなくなった今、再び帝位簒奪を目論んでいても不思議はないな」


先帝と今代帝の絶え間ない努力によって築かれた穏やかな治世を、己の欲のために血で穢そうとする愚者を、侮蔑を込めて語るレナードの目は、怒りに燃えている。


「俺の今回の役目は、伯爵領の視察と、傷心の叔母上のお見舞いだ。表向きは、な。だが、真の狙いは……」


好戦的に笑って、レナードは夜空のような藍色の瞳に、眩い意志の光を煌めかせる。


「『証拠』を、掴むことだ。そうすれば、いかに皇族といえども、もう二度と表舞台に返り咲けん」


強い決意を込めて発せられた言葉を受け、ケイトは静かな笑みを浮かべる。


「御意にございます。なんなりとお申し付けくださいませ。殿下の手となり足となり、必ずやお役に立ちましょう」


心臓に右手を当て、皇国の騎士の作法で頭を下げたケイトに、レナードは笑みを深めた。


「あぁ。アデ殿がどう出るか分からないが、リーには働いてもらうことになるだろう。悔しいが、今回の人員の中では、お前が一番如才なく立ち回れそうだからな」

「おや、随分と高く買って頂けているようで」


揶揄いと信頼を込めた目で見つめてくるレナードに、ケイトはにっこりと笑みを返す。


「嬉しゅうございますね」


皇太子と側妃の会話とは思えない奇妙な掛け合いに、無言を貫いていたアンが小さくため息をつく。

隣からの物言いたげな視線をさらりと流して、ケイトは「それにしても」と言葉を続けた。


「最終目標が幽閉とは、皇国の方々は穏和なのですね。帝国では、帝位争いを避ける為だけに、即位と同時に継承権のある兄弟は皆首を刎ねられた時代もあったと聞きますが」

「それは、……なんとも荒々しいことだな」


息を呑んで、いっそ呆れたように感想を述べるレナードには、帝国の苛烈さは受け入れ難かったようだ。


「……まぁ、皇国では、神の末裔である皇族を極刑とするのは、なかなかに難しいのだ。実際に皇帝へ刃を向けたのならばともかく。皇族の血が流れるのは凶事とされるから、我々としてはなるべく避けたい」


ふむ、と頷いてから、ケイトは小さく首を傾げた。


「では、万が一『事故』で不幸にも命を落としてしまう皇族の方がいらした場合はどうするのです?」

「ひと月の間国民は喪に服し、皇帝陛下は聖地へ禊に向かわれる。……なんでそのようなことを聞いたのだ?」

「いえ、気になっただけでございます」


どこか強張った顔でケイトの目を覗き込むレナードに、ケイトはあっさりと返した。


「ですがまぁ、根を絶やすというのは大事でございますよ。害虫は早めに、徹底的に駆除して殺し尽くしておかないと、どんどんと卵が孵って手に負えなくなるものですのに」


ケイトの淡々とした言葉を苦りきった顔で聞いていたレナードは、暫く押し黙った後に重い口を開く。


「……何が言いたい」

「いえ、別に。ただ、かつて『仕えていた家』で対処してきた害虫の話をしただけでございます」

「…………なぁ、お前、だいぶ性格が変わっていないか?」

「姿形に引きずられているのかもしれませんね」


随分と好戦的なケイトの言動に、幾ばくかの不安を覚えたのだろう。

レナードは言い淀みながらも、ケイトを牽制するように言葉を重ねた。


「あー、その、なんというか、お前なら大丈夫だろうが……あまり、無茶はするなよ?仮にも向こうは皇族だ。無用な怒りを買う真似はするなよ?」

「はい。私はレナード殿下のお心を貫くために在る者。無用な血を流したくないとの気高いお志、理解致しました。いかに汚れた血であろうとも、なるべく流すことなく終えたいと思ってございます」


にっこりと笑うケイトに、レナードはかすかに顔を痙攣(ひきつ)らせながら、躊躇いがちに口を開いた。


「まぁ、その……信用してるぞ?」


念を押すような眼差しに、ケイトは笑みを浮かべたまま頷いた。


「お任せ下さいませ。必ずやご満足頂ける働きを致しましょう」




レナードは理解していなかっただろうが、皇族が死ぬと国全体が翳ると伝えたのは、おそらく正解だった。

そうでなければ、ケイトは最短の時間で最大の成果を求め、躊躇うことなく『主人の敵』を暗殺しに向かったであろう。

それがレナードの為になるのであれば、ケイトは迷わず行ったはずだ。

レナードの役に立つことであれば、躊躇うつもりはなかった。

ケイトはその為にレナードの側にいるのだから。


かつての飼い主は、ごく稀にケイトに『邪魔者の始末』を命じることがあった。

どこぞの家に忍び込む、というほど大掛かりなものではない。

飼い主と同じ屋敷に住む『不要な者』を、夜に紛れて殺しに行くのだ。

楽な仕事ではなかったが、主人の身代わりとなり、何人もの凶手達から逃れるよりは容易であった。

ケイトにとってそのような仕事は『難しいけれど、やれないことはない』という程度の認識だ。

相手と同じ建物の中に入ってさえしまえば、警備を潜り抜け、辿り着ける自信がケイトにはあった。


命のやりとりをするということへの抵抗は、もとよりわずかだった。

ケイトにとって、命というのは、とても軽いものなのだ。

もちろんそれは、自分の命も含めて。


レナードに役に立ったと思ってもらえるのならば、ケイトにとってはそれ以上の喜びはない。

たとえ血に穢れた者と蔑まれたとしても、不要だと切り捨てられるよりは、遥かにずっと幸福なのだ。

身の危険など、些末な問題だと思っていた。


ケイトはおそらく、少々意気込みすぎていたのだろう。

この旅で、自分の存在価値を示して、居場所を手に入れたいと願っていたので。

願わくは、レナードの隣に。

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