第38話 伯爵領への途上にて

「さて、ケイト。数日ぶりだが元気にしていたか?」

「はい、おかげさまで。つつがなく」


カタカタと揺れる馬車の中。

皇宮から離れ、周囲に手を振る民衆の姿がなくなった頃。

凛々しい皇太子の顔を脱いで、レナードはやっと口を開いた。


「くくくっ、それにしても、見事ななりすましぶりだな。まるっきり、華奢な少年にしか見えないぞ。身のこなしも言葉遣いも、声すら違うとは。見事なものだ」

「恐れ入ります」


レナードはゆったりと背凭れに背中を預け、感嘆とともに「俺の方が恐れ入ったよ」と軽く両手を挙げてみせた。

侍従のお仕着せに身を包んだケイトは、揺れる馬車の中でもピシリと背筋を伸ばし、一部の隙もなく座っている。

優雅に返すケイトの声は、普段の甘さを孕んだ柔らかなものではなく、涼やかながらも艶のある少年らしい声音である。

話し方と発声を少し変えただけですが、と肩を竦めながらケイトは微笑んだ。






今朝、ケイトは『視察に同行する新しい侍従』としてエリックに連れられてレナードの部屋に挨拶に行った。


「新顔か。黒髪黒目ということは、東の者か。しかし言葉は帝国の訛りがあるな」


形式通りの挨拶の後。

あえて帝国訛りに話したケイトを訝しがることもなく、レナードは平然と尋ねた。

わずかに視線を上げてレナードを見つめ、ケイトは慇懃に答える。


「はい、生まれは東の国ですが、幼い頃から帝国で暮らしておりました。洗礼もそちらで受けております」

「なるほど、頭の布はそれゆえか」


人目を引く真っ白な頭巾に目をやり、もっともらしく頷くレナードに、「さすが皇族は演技が巧い」とケイトは内心で笑いを噛み殺しながら首肯する。

周囲に立っている見慣れない顔の護衛騎士達も、これまでの会話を聞いて、特に違和感を持ってはいないようだ。


「はい、どうか着用のお許しを」

「宗教上のものなら仕方あるまいな。我が国は国教以外の教えも許容している。お前が正しく国に仕える限り、横暴は言わぬよ。……さて、行くか」


寛大な皇太子らしく鷹揚に笑い、レナードはエリックに向かって告げた。


「エリック、それでは後は任せたぞ」

「はい。……この者は異国生まれではありますが、非常に有能です。存分にご活用くださいませ」

「エリックのお墨付きとは、随分じゃないか」


快活に笑いながら、レナードは面白そうに目を細める。


「まったく、いつの間に仲良くなったんだ」

「仲良くなどございませんよ。ただ、殿下の元にお連れする間に少々『お話』しただけです」

「ふふ、まぁいい。楽しみにしておこう」






「実に見事だな。天晴な役者ぶりに加え、頭巾に目を奪われ、顔への印象が残らない。……いや、お前、化粧で顔立ちを変えているな」


真正面からまじまじとケイトを見つめ、レナードは眉を上げた。

きめ細かい象牙色の肌はわずかにしみやそばかすが浮き出ており、紅を差さずとも薔薇のような鮮やかな色味を誇っていた唇の色はくすんでいる。

顔の色味や髪型に些細な手を加えた結果、ケイトはただの『端正な顔立ちだが記憶に残らない少年』に見えていた。


「変装まで達者とは、とんだ芸達者だな」

「お褒めにあずかり光栄です」


まるで侍従の手本のように振る舞うケイトを怪しむ者はなく、レナードの後に従い、ケイトは、そのまま馬車に乗り込んだのだった。


現在、いつも通り侍女の姿をしたアンとともに、レナードの向かいに座っている。

窓の外には、騎士団の制服を纏い、馬上の人となっているバートンが見える。

バートンはエリックとレナードに随分と言い聞かされたのか、ケイトを目にしても敵意を向けてくることもなく、無感情に視線を流した。


「まぁ、堅苦しい皇宮から出たのだ。到着まではお互い気楽にしよう」


レナード一行は、皇妹であるアデの治めるエインズワース領へ向かう途上であった。

南の王国との国境を一部預かるエインズワース領は、皇都から南西にある。

馬車で三日かけ、途中でもそれぞれの領を視察しながら向かう。

表向きは、まるで束の間の休息の旅のような、ゆったりとした行程だ。


「いろんな話を集めながら、ゆったりと、な」


にっこりと笑うレナードは、この視察で最大限の情報と成果を手に入れるつもりなのだろう。

敵地に乗り込む英雄に相応しいしたたかさで、貪欲な目をして笑っている。

いつになく楽しげなレナードを軽く肩を竦めてあしらい、ケイトは淡々と告げた。


「そうも参りませんよ、私は侍従の務めがありますから」


今回、『有事』のために騎士達は遠出に十分な数を引き連れているのに比べ、『皇太子の世話係』はアンとケイトしかいない。

きっちり働かなければならないだろう。


「真面目だな」

「……真面目だな、じゃありませんわ!殿下は気軽に難題を押し付けすぎですわ。ケイト様にもルイ殿にも」


澄ましてにっこりと笑って見せるケイトの横で、苦々しげに顔をしかめていたアンが口を開いた。

我慢しきれなくなったアンの苦情に肩を竦めて「いやぁ、急に悪かったな」と、レナードは飄々と告げた。


「あぁ、ルイはどうしている?」


思い出したようにルイの名を口にするレナードに、ケイトは探るように尋ねた。


「……新しくつけた衛兵達からご報告はお聞きでしょう?」

「ひどく『憔悴』して『引き籠もっている』と聞いたが?」


にやにやと笑いながら尋ね返すレナードに、ケイトは敢えて朗らかに頷いた。


「ええ、朝から晩までよく頑張っていらっしゃいましたよ。おかげでそれなりの形になりました。飲み込みの良い方で安堵いたしました」

「それはよかった」


さも呑気そうに会話を交わす二人に、殺伐とした北の宮での状況を知るアンが苦情を申し立てる。


「数日足らずで、ケイト様のこの雅やかで洗練され、かつ無駄のない立ち居振る舞いが習得できるわけないではありませんか!ルイ殿はもちろん、ケイト様とて寝る間もなく特訓されていたのですよ?」


憤懣やるかたないといった様子のアンも、目の下に隈が目立つ。

二人の『特訓』に付き合って、ほとんどまともな睡眠時間がなかったのだから、当然だが。


「……まぁ、そうだろうな、すまなかった。ご苦労だったな」


化粧でうまく隠しているのか、もとより疲れてもいないのか、判断しづらいほど平然としているケイトを見ながら、レナードは苦笑まじりに謝った


「いえ、それほどでも。ただ、人前で長い時間振る舞うには、言葉遣いも作法もまだまだでしたから、ひとまずお部屋に篭っているように伝えておきました」

「まぁ、『北の宮に送られた側室』だ。蟄居しているのが妥当だろう」


その発言についても思うところがあるアンは、恨みがましい目で、己が仕える主人を見上げた。

しかしアンとの付き合いが長いレナードは気にした様子もなく、あっさりと次の話に移る。


「さて、ケイト。名前はどうする?」

「どうする、とは」


当然のように投げかけられた問いかけに、真意を確認するために問い返せば、レナードは腕を組んで唸った。


「側妃『ケイト』の名は一部しか知らないとは言え、その名で過ごすわけにも行くまい」


偽名を考えねば、と真面目な顔をして、レナードは首を傾げる。


「ルイの名前を借りるにも、ルイの名もあまり表に知られたくはないしなぁ。察しの良いお前のことだから気づいているだろうが、アレには影の仕事をさせているからな」


あっさりと告げたレナードに、信頼されていることを感じながらも、ケイトは苦笑まじりに頷いた。

隣のアンは諦め切った様子で、『何も聞いておりません』とでも言いたげな顔をしている。


レナードから信頼の名の下に渡される情報は、裏切ってはならないという無言の圧のようだ。

少しずつ、けれど確実に、鉄の足枷を嵌められていく気がした。

もっとも、ケイトにはレナードから与えられるその重さが、嬉しくて堪らないのだけれども。


「……はい。それに、あの方は名前を大事にしていらっしゃるようですから、他人に使われるのは、嫌がられるかと」


他の人間が「ルイ」と呼ばれたら傷つくだろうと思い、ケイトはやんわりと止めた。

ケイトだって、他の人間がレナードに「ケイト」と呼ばれていたら、心臓が潰れるような気がするだろう。

きっと、本人には言わないだろうけれど、夜には無言で血の涙を流すような気がした。


ケイトの提言に「そうか」と一言頷いたレナードは、窓の外を見ながら考えに耽る。

しばらくの沈黙の後。


「あまり元の名前と近くても、逆に呼び間違えそうだしな……リーとでも呼ぶか」

「え?」

「いかにも東の果てらしいだろう?」

「名字だけ、ですか」


訝しげなケイトに、レナードはにやりと笑う。

楽しげな口調で言うレナードは、まるで秘密の悪戯の計画を練る少年のようだ。


「ルイは時折王城に来るからな。皇太子に東の人間が仕えていることは、一部の人間には知られている。そしてその中の一部は、ルイの『名前』も知っている」


レナードの計画を悟り、ケイトは思わず吹き出した。


「なるほど。くくくっ、私はその『ごく稀に皇太子に呼ばれて参上する東の人間』になるわけですね」

「そういうことだ。たとえどんな噂が広がっても、実際に『お前たち』の顔をよく見た者でなければ、同一人物かどうかなど判断できまい。思いたいように思わせておけばよい。手駒の数を知らせる必要はないからな」


笑うレナードの顔は研ぎ澄まされた刃のように鋭い。

それは、皇国の始祖と呼ばれる北風を従える戦神を彷彿とさせる、凶悪な笑みだった。


「……レナード、さま」


レナードは、ただの純真で潔癖な『おうじさま』などではないのだと、唐突にケイトは実感する。

彼は、狡猾な狐のように謀り、獰猛な狼のように屠る、北の武神の末裔。

ケイトはひそかにごくりと唾を飲んだ。


「俺の元に仕える『東の人間』は、一人だと思われていた方が、都合が良い。……人ひとり、消すのも増やすのも手間だからな」


あっさりと語るレナードの残酷さに、ケイトはぞくりと身震いした。

それは、めったに見せない冷徹な為政者の顔だった。

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