第33話

まるで「何事もなかったかのごとく」春の宴は幕を閉じた。


人をあげつらうことを好む皮肉げな紳士も、あることないこと噂するお喋り好きな婦人も、表面上は皆、穏やかに平和な宴を楽しんでいた。

事故のことを悪しざまに口にする者はなく、会話に上らせることも避けているようだった。

帝国の毒々しい駆け引きと神をも恐れない傲慢さに慣れたケイトにとって、皇国の人々の慎ましさと思慮深さは驚きに値したが、考えてみれば当然のことでもあった。


春の宴は無礼講ということになってはいるが、北の国に春の女神の恩寵が今年も降り注ぐことを祈り、確認し、感謝するものだ。

同時に、神聖な祭事でもある。

その意味を、貴族たちは理解していたから、騒がなかったのだ。

春の宴の「失敗」は、女神に祈りが届かず、女神に見捨てられたことになってしまう。

だから、春の宴は決して「失敗してはならない」。

去年も今年も来年も、「皇国には女神の祝福がある」のだから。

信心深く、実直で、皇家に忠実な皇国の者たちは、静かに「正しい選択をした」のだ。


広間の者たちは一様に、広間中に飾られた華やかな甘い花と、空から降る瑞々しい花と軽やかな菓子、そして健康的で美しい踊り子たちの躍動的な舞を賞賛した。

レナードは寄せられる賞賛の言葉に、穏やかに微笑んで感謝を述べていたが、時折静かに瞳の色を消した。

そしてすぅっと広間を見渡し、感情の読み取れない目を滑るように動かす。

まるで招かれざる客を探すかのように。





「ご苦労だったな」

「いえ、私は何もしておりませんので」


夜更けにケイトの私室へ現れたレナードは、さすがに幾分か疲れの見える顔に笑みを浮かべ、ケイトに労いの言葉をかけた。

苦笑してケイトが首を振ると、レナードは小さくため息をついて、肩をすくめた。


「すまなかったな。せっかく手伝ってくれたのに、あんなことになって」

「いえ、そんな」


柔らかく表情を緩め、ケイトはレナードをふわりと包み込むように見つめた。


「いつも申しておりますが、私に謝罪は不要でございますよ。……それに」

「っふ、それに?」


まるでもったいぶるかのように言葉を口の中で遊ばせたケイトを、レナードは可笑しそうに促した。


「あれは、『不可抗力』でございましょう?」

「ほぉ……不可抗力、か?」


悪戯めいた目で小首を傾げたケイトに、レナードはわざとらしく言葉を繰り返して、驚いてみせる。

それに微笑みを返しつつ、ケイトは優雅に頷いた。


「ええ。だって、設計も制作も、すべて完璧でした。……敢えて言うのであれば」

「くくくっ、なんだ?」


心底楽しそうにケイトの言葉を待つレナードの目は、驚くほどに生き生きとしていた。

まるでこれから起こることを心待ちにしているかのように。

そして、それを知る者として、ケイトがふさわしいか見極めようとしているかのように。

ケイトはそう察して、一つ大きなため息をついた。


「レナード様……分かっていて言わせようとしていらっしゃいますね?」

「さぁ?俺は、お前が何を『分かって』いるのか、知りたいだけだ」

「まったく、性格の悪い……」


呆れた声でぼやきながらも、ケイトはレナードに試されることが不思議と不快ではなかった。

レナードはケイトの返答いかんによって、態度を変えることはないだろうと思ったから。

使えないならば不要だとばかりに、切り捨てられることはないだろう。

おそらくはただ、ケイトの扱い方を変えるだけだ。

レナードがケイトに話す内容、頼る事柄、そんなものが、きっと変わるのだろう。


ケイトは、レナードの力になることを望んでいた。

だから、自分の能力を示すことを選んだ。

たとえそれで、警戒されたとしても、構わないと思った。

この真面目一本の皇太子の後宮で、何もすることもなくただ日々を過ごすよりも、刺激的なレナードの世界に踏み込み、レナードの隣で彼の助けとなりたいと願ったのだ。


「レナード様……楽団と、踊り子たちには、どのような処罰を?」

「ほぉ、なぜ?」

「今回のことは、彼らの仕業でしょう?」

「ふふ、お前は本当に、……侮れないな」


賞賛するように片目を眇めて両手を上げるレナードは、ケイトの答えに満足げだった。

期待通りの返答が出来たらしいと淡く悦に入りながら、ケイトはさも何でもないことかのようにニコリと口角を上げた。


「目端は効く方でございますので」

「バートンと同格の目の良さだぞ。お前はまったく、何者だ?」

「私も剣舞やら何やら嗜んでおりますので、分かりました。……彼女だけ、動きに違和感がございました」


軽いからかい混じりのレナードの賛辞と詮索を受け流し、ケイトは本題に話を戻す。


「あぁ。今回の件は、あの娘一人のやったこと、らしい」

「はぁ、その証拠は?」


あまりにも無理のある言い分に、呆れた顔で言葉を継げば、レナードはあっさりと肩をすくめて首を振る。


「ない。だが、捕らえ続ける訳にもいかない」

「なぜ?極めて重罪でございましょう?神に捧げる宴で、刃を持ち出したのですから」

「あの娘、一人が、な。……あの楽団は、借り物だ。南の王国のな」

「借り物?」


思いがけない言葉に、ケイトは戸惑った。

レナードは苦笑いして説明する。


「あぁ、南の王家のお気に入りだ。友好の証として貸してくれたのだが、……まったく、困ったことになった。公にすれば、国交問題だ」

「……今回のことに、南の王家は噛んではいないのですね?」


ケイトの静かな確認に、レナードは皮肉げな笑みを浮かべて首肯する。


「あぁ、あまりにも計画は杜撰で、狙いが不透明で、ついでに無意味だ。単なる嫌がらせにしては、得るものがなく、失うものが大きすぎる」

「なるほど。……どうぞ、一息おつき下さい」

「ん?あぁ、ありがとう」


はぁ、と大きなため息をつき、レナードはケイトが注いだ酒を、ケイトが口につけるよりも早く、躊躇いもなく飲み干した。

この部屋で出されるものに警戒を抱いていないらしいレナードにじんわりと幸福を感じながら、ケイトは思慮深く呟いた。


「南の王国も、このようなことで苦情を言われたら、さぞ遺憾と思うでしょうね」

「あぁ、ほとんど難癖みたいなものだからな。俺の準備不十分、管理不行き届きで収めるしかない状況だ。……やられたな」


まるげ敗北を認めるかのような言葉を発しながらも、レナードの目はまるで美しい野生の獣のように好戦的に輝いている。


「なぁ、ケイト。……売られた喧嘩は買うべきだと思わないか?」


笑顔で呟いて、レナードはテーブルに手をついて立ち、ケイトをまっすぐに見据えた。


「レナード様のそのようなお顔は、初めてですね。随分と、腹に据えかねていらっしゃるようで」

「そうでもない。やっと、彼らの尻尾が掴めるのかも知れないからな。むしろ興奮しているくらいだ」


普段はあまり見せない、レナードの勇猛果敢な北の若者らしい顔つきを、ケイトは好ましいと感じながら、柔らかく目を細めた。


「今回の後始末に、伯爵領へ行くことになった。西の端にある、エインズワース辺境伯のところだ。南から皇都には、そこを通らざるを得ないからな。……楽団は一時、伯爵領に滞在している。その時に、何か言い含められたのだろうと、俺は考えている」

「辺境伯?それは、……レナード様の叔母上のことで?」

「あぁ、そうだ。さすがだな、もう把握しているのか」


淡々と語られる内容は、皇家に悪意を持ち、おそらくは叛逆をも企む者の情報だ。

ケイトの顔にも真剣な色が強くなる。


「この国の主だった方々のことは、おおむね把握しております」

「そうか。我が叔母上のアデ殿のことだ。恥ずかしながら、わが皇家の身中の虫だな、あのお方は」


うんざりとした様子で、レナードは先の皇帝の長女であった、己の叔母を語る。


「とても美しく、賢く、したたかで、……強い。あまりの優秀さに、この子が男で、長子であったらと、幼い頃は先帝に嘆かれたと聞くが」

「それほど優れた方が?なぜ」


ケイトの疑問に、レナードは冷笑とともに、静かに吐き捨てた。


「あの方の能力は優れているが……皇族としては、決して優れていない」

「あぁ、なるほど」


嫌悪と侮蔑と怒りの混ざったレナードの言葉に、ケイトはアデの人柄を察して頷いた。


「あの女と違って、俺たちは、なるべく血は流したくない。陛下は、俺に『うまく片付けろ』と仰った」

「そうでございますか……王家に連なる方が敵とあっては、どうにも穏やかではありませんね」

「あぁ、まったくもって、物騒な話だ。……今回のことは、俺の臣民からの人気を落とすことが目的だったのだろう。わずかな不信と落胆を与え、春の女神は俺のことを認めていないのだ、と思わせて、な」


昂ぶる感情のままに瞳をぎらりと光らせて、レナードはうっそりと微笑んだ。

きっとレナードは一歩も引くことなく、今回の戦いに臨む気なのだろう。

はたしてこれは、血を見る戦いになるのか、それとも互いの叡知を競う知能戦になるのか。

それはレナード次第だが、きっとこの国と民の為に存在しているような皇子ならば、民に血を流させることなく解決してみせるのだろう。


「それにしても、なかなか厳しい戦いにございますね。状況証拠も不十分なようですが、レナード様はその方が黒幕だと思っていらっしゃるわけで」

「あぁ、俺たちは、辺境伯の叛逆を疑っている。その証拠を探しに行くのだ」

「自ら、敵陣のど真ん中へ飛び込むわけですか」

「ふふ、その方が早いだろう?」


この手で国の乱れを招こうとする女狐を狩りに行くのだと、レナードは笑みを深める。

宵の色の瞳は黒の下に煮え立つ溶岩を隠し、ケイトでさえ背筋が震えるほどの気迫だった。


「それに陛下の勅命でもある。きっと……良い機会だ、身軽なうちに、虫は潰しておけということだろう」

「ふふ、穏やかそうに見えて、怖いことを仰る。さすが北の武者ですね」

「褒め言葉と受け取っておこう。ところで……お前も来ないか?」

「へ?」


にやり、と笑んだレナードの誘いに、思わずケイトはきょとんと瞬いた。

あまりにも予想外の言葉に、思考が追いつかなかったのだ。

ケイトは、帝国では後宮に、その時々の主人の庭に閉じ込められているのが、当然だったから。

主人とともに、どこかへ行くとすれば、それは夜伽の相手や来客のもてなしのためでしかなくて。


「な、んのために?」

「それはもちろん、俺のためだ」

「あなたの、ため?」


レナードの言葉は、おそらくこれまでとは異なる解釈をするべきなのだろう。

そう理解しながらも、ケイトは勝手に速くなる鼓動にごくりと唾を飲んだ。

必要とされていることを感じ、喜びが湧き上がる。

僅かに頬を紅潮させたケイトを見て、レナードは楽しげにコンコンと机を指先で叩き、悪戯めいた目を向けた。


「お前の能力は確かだ。そして、叔母上には顔を知られていない。だから……油断させられるだろう」

「レ、ナード様?」


戸惑いながらも嬉しそうなケイトの肩をポンと叩き、レナードは破顔した。


「頼りにしているぞ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る