第32話
華やかな宴のあちらこちらから、弾んだ声が聞こえてくる。
ケイトはそっと耳を澄ませ、ひそかにほほ笑んでいた。
それらは皆、今年の宴を賞賛し、レナードを称えるものだったから。
自分の協力で、今回の宴が成功しようとしていることに、ケイトは深い満足と喜びを覚えていた。
レナードの役に立っているという実感に、心が満たされていく。
自分の感情がどんどんとレナードに依存したものになっていることに気が付いてはいたが、ケイトは自らその流れに身を任せた。
他者に依って変化する心、他者に依って変わっていく思考、他者に依って決まる幸福。
それは、思っていたよりも心地よいものだった。
これまでにない感覚を、もう少し楽しんでいたいと思ったのだ。
それに、ケイトは自分を信じてもいた。
元々は持っていなかったものだ。
捨てようと思えば躊躇いもなく捨てられる、と。
あらゆるものを手にしていた帝国の後宮から、何も持たず身一つで出てきたのだ。
形ないものなど、きっと捨てるのはもっと簡単だろう、と。
一人で生きてきた自分が、自分一人に戻るだけなのだ。
容易いに決まっている、と。
「……おや」
急に調子の変わった音楽に、ケイトは小さく呟いた。
どうやら、そろそろ本日の目玉が登場するらしい。
皇国風の音楽とは異なる、東の果てを感じさせる音階で、メロディが紡がれる。
音楽に従て、踊り子たちが舞いながら広間中央へと登場した。
しなやかで美しい手足を持つ娘たちの後に、筋骨隆々の男たちが力強い太鼓を敲きながら続いてくる。
まるで呪術のような規則的な太鼓の音は、時折不規則に歪む。
腹の奥で、原始の本能が興奮するように共鳴していく。
広間の者たちはかしましく話すこともなく、けれど浮かされたような眼差しで音楽に体を委ね、踊り子たちの蠱惑的な舞に見入った。
ドン、ドン、ドドン、ドドドン、ドン
踊り子の娘たちが荒れ狂うように飛び、跳ね、回転し、そして。
四人の娘が、男たちの肩に飛び乗る。
「わぁっ」
「すごい!」
押さえきれない声が、広間に騒めきとして広がった。
肩の上で片足で立ち、そして四人の娘たちは隣の男の肩へと飛び移る。
興奮を煽る太古のリズムに合わせて娘たちは空中で舞う。
そして、最後の一音が鳴り響いた時。
ドン、ドン、ドドン、ドドドドドドドドドッ、ドンッ
「おぉっ!!」
四人一斉に男の肩から飛び上がり、天井から垂れた紐を引いた。
すると。
「わぁっ、いやぁあああ!」
「きゃああああああ」
「なっ、馬鹿な!」
三つの玉は美しく割れ、中から生花と花びら、そして袋に包まれた菓子がふわふわと落下してきた。
しかし、玉の一つが、割れることなく、そのまま大理石の床に叩きつけられたのだ。
落下の衝撃でぐしゃりとつぶれた玉の隙間から、潰れた花や菓子が顔を出す。
それは、痛々しい光景だった。
「誰も、怪我はないか!」
強張った顔のレナードが、足早に落下地点に歩いていく。
同時に、侍女と騎士たちも、駆け足で集まってきた。
幼子の身長ほどある玉の一つが、天井から落下してきたのだ。
そこまで重量のあるものではないが、誰かが下にいれば怪我は免れなかっただろう。
「なんて、危ないものを……」
先程まで輝く瞳で宴を楽しんでいたはずの人々が、急に視線の色を非難に変える。
空から降った花は、事故の騒ぎに紛れて、誰にも受け取られることなく床に落ち、菓子も悲しく散らばっていた。
ざらつくような騒めきに支配されかけた空気を、穏やかな声が一掃する。
「皆の者、落ち着け」
席を立った皇帝が、皆の心を包み込むような声で告げる。
次第に落ち着きを取り戻した広間へ、皇帝はゆったりと話しかけた。
「幸い怪我人はいないようだ。これもまた、春の女神の加護であろうよ。さぁ、天から降った春の恵みを受け取るがよい」
そう告げながら、テーブルに舞い落ちた花を拾うと、皇帝はそっと花弁に口づけた。
「春の訪れを感謝して。……さぁ、皆の者!歌い、踊り、飲み、食べよ。心ゆくまでその身を春で満たすがよい!」
皇帝の高らかな宣言に合わせてわぁっと広がる歓声とともに、まだ幼い者たちは、我先にと菓子を拾いに駆け出した。
少女達は床でしどけない姿をさらす美しい花を拾い、そっと髪や胸元へ飾る。
広間が華やぎを取り戻した時にはもう、潰れた玉の回収は既に済んでいた。
「さすが、皇帝陛下……」
落ち着いて椅子に腰掛けたままだったケイトは、小さく感嘆の呟きを漏らし、目を細める。
視界の端で、レナードが唇を噛みしめる様子を、ケイトはヴェール越しに捕らえていた。
二人で綿密に計画し、何度も試作を繰り返し、万全だったはずだ。
それなのに、玉は割れることなく落下し、あやうく大事故になるところだった。
さぞ悔しく思っていることだろう。
けれど、ケイトは気づいていた。
踊り子の一人が、手の内から光る何かを飛ばしたことを。
金属のような光を発していたそれが、恐らくは、吊るされている紐の方を裂いたのだろう。
そしてそのことは、間違いなく警備の責任者として広間を見渡せる場所に立っていたバートンも気づいたのだろう。
騎士隊を指揮するバートンは、誰よりも素早く動き、疑惑の娘を押さえた。
そして広間が皇帝の言葉に意識を集めているうちに、楽団を含め、踊り子たちは皆、騎士隊に囲まれて広間を去っていった。
「……なんだか、良い予感はしないな」
うんざりと呟きながら、ケイトはとくに悲しむ様子もなくあっさりとため息をついた。
帝国の後宮では、潰し合いも、事故も、ひとつ欠伸をしたら忘れてしまうくらい、日常茶飯事であったから。
このような些細な事件で動じるほどの可愛げを、ケイトは持ち合わせていなかった。
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